Intermission - 第8の血筋
2:バンガード
何だろう。
何だか物凄く腹が立った。
腹が立って、立ったはずなのに。
何でこんなに寂しい気持ちになってるんだろう、あたし。
「珍しい~。さおちゃんがそんなこと言うなんて」
突然上から降ってきた声にはっ顔を上げれば、いつの間にか側には実沙が立っていた。
「……え?」
「声に出てたよ。腹立ったって」
けらけら笑いながら言う彼女に、思わず顔が赤くなる。
「嘘……」
「ホントホント。でもさ、本当珍しいよね」
隣に机に腰を下ろして、柔らかな笑顔で沙織を見下ろす。
「仲良くない人には冷たい方だもん、沙織って」
あどけない表情で言われて、沙織は大きなため息をつく。
「仕方ないでしょ。小さい頃の人見知り、完全には直ってないんだから」
人見知りというより人間不信。
幼い頃、それこそ初等部に入学したばかりの頃、彼女の身に何があったのか、理事部の誰もが詳しくは知らないけれど。
それは彼女が決してそのことに触れようとしないから。
赤美が額のバンダナを外すことがないように、その頃の出来事を自らの中に封印して周りにに見せようとしないから。
だというのに、何故だろう。
初めて出会った人間に、こんな感情を抱くなんて。
「初めて……?」
本当に初めてだった?
前にも、確かどこかで会ったような……。
そこまで考えて、顔を上げた。
突然のその行動に、実沙は驚いたように彼女を見下ろす。
次の瞬間、自身も何かに気づいて窓の方へと視線を投げた。
魔力のあるインシングではほとんどわからない。
魔力のないアースだからこそ、感じ取れたもの。
「今の……」
実沙が言いかけた瞬間、教室の扉が開く。
驚いて視線を向ければ、あの半田が走り出して行くではないか。
「百合っ!」
黒板の方でクラスメイトと話をしながら、半田の様子を窺っていた彼女を呼ぶ。
静かに視線を向けると頷いて、話していた友人たちに何かを告げると、すぐにこちらへやってきた。
「私は中等部に行ってくる。あんたたちはとなりの奴らも連れてあの子を追いなさい」
早口にそれだけ言うと、彼女はすぐに教室を出て行った。
彼女が中等部に行くと言ったのは、紀美子と鈴美を連れてくるため。
高等部のあるこの校舎と中等部の校舎は、いくら中央管理等の連絡通路で繋がっているからといっても離れているから、微かだった今の気配にはおそらく気づいていないはずだ。
「実沙!」
続いて教室を出ようとした実沙に、沙織が声をかける。
「あたし、このままあの子を追うから。伝言の方、頼んだからね!」
「え?ちょっと!沙織っ!」
言うなり目的地とは反対方向に走り出した沙織に、実沙は大きなため息をついた。
「まったく。ほーんと感情的になると周りが見えなくなるんだもんねぇ」
呆れた様に呟くと、彼女はそのまま隣の教室へと飛び込んで行った。
走って屋上へと続く階段を駆け上る。
全てを上りきって扉の前まで来ると、無残にもそれは壊されていた。
「……この向こうか」
呟いて、口の中で言葉を紡ぐ。
左腕につけていた腕輪が光った。
緑の光が彼女の体を包み、その姿を変えていく。
封印解除の光の後、彼女の髪の色は森を思い出させるような緑に変わっていた。
扉の内側からそっと外を覗く。
見れば、そこには茶色い長い髪をポニーテールに纏めた見慣れない少女が、顔を空に向けて立っていた。
見慣れない?
いや、違う。
あの少女は、おそらく。
「いい加減諦めたらどうです?」
明らかに少女のものではない声が辺りに響いた。
声を追うように視線を空へと動かせば、そこにはどうやっているのか、紫のタキシードを着た男が浮いていた。
「たった1人でこの私に歯向かうなど、無謀もいいところなのですよ?」
「黙れ吸血鬼っ!」
見下すように言う男に、少女が罵声を浴びせる。
その声ではっきりした。
あの少女はやはり、先ほど教室から出て行った半田英里だ。
こちらに背を向けていて顔は見えなかったけれど、声がそれを証明している。
「気の強いことだ。さすがファレンの娘というところか」
くすっと笑って言った吸血鬼の言葉に、ぴくっと沙織――“時の封印”を解いたレミアが反応する。
「ファレン……?」
聞いたことのある、いや、何処かで見たことのあるその名に思考を巡らせた。
記憶にあるその名前。
けれど何処で聞いたのか、何処で知ったのかは思い出せない。
「聞いた……?違う。確か何かで……」
「力を持たぬミルザの子孫など、恐れることもなかったがな」
……ミルザの子孫っ!?
言葉を聞いた瞬間、記憶が湧き出てくる。
そう、あれは確か本。
理事長室の中に残されていた本の中に書かれた名前。
そして幼い頃、母がぽつりと口走った男の名前。
「……ご先祖サマの名前でこんなに鮮明に思い出しちゃうなんてね」
そこまで自分が“血”に縛られていることに気づいて、苦笑する。
きっかけはともかく、今まではそんなことは関係ないと思ってやってきていたというのに。
「全く、仕方ない」
大きく息をついて、いつの間にか腰に下がっている剣を抜く。
自分たちの持つ水晶は一体何処からこの鞘を出しているのかと不思議に思うけれど、そんなことを気にしている場合ではない。
「……うあっ!」
呻くような叫びが聞こえて視線を戻せば、吸血鬼の方が攻撃を仕掛けたのだろう、少女の腕が赤く染まり始めている。
「おお、もったいない」
そう言いながら、男は手に持った短剣についた血をぺろりと舐める。
「ふむ……。精霊から省かれた者でも、やはり女の血はうまい」
「ふざけるなっ!」
鋭い視線で少女が吸血鬼を睨む。
「事実ですよ。あなたの家のことも、血のことも」
くくっと笑ったかと思うと、男は少女の目の前に降り立った。
反射的に少女は数歩後ろへ下がった。
「あくまで反抗的ですか。いいでしょう。それなら……」
不意に、男の言葉が不自然に止まった。
嫌な笑みを浮かべていた男の顔が一瞬歪んで、目が大きく見開かれる。
「何……?」
愕然とした表情のまま男は自分の腕を見下ろした。
視線の先、屋上の扉に面した右の二の腕に、1本の細いナイフが突き刺さっていた。
男の視線を目で追って、そのナイフを認めた少女が、信じられないといった風に目を見開く。
「誰だっ!!」
そんな彼女の様子に気づくこともなく、男はぎろりとした血のように赤い瞳で扉の方を睨んだ。
「あたしたちのテリトリーで好き勝手やってたくせに、誰だとはよく言ったもんね」
言葉と共に壊れた扉を蹴り開けて現れた深緑色の髪を持つ少女を、2人は唖然とした様子で見つめた。
この世界にあんな色の髪を、瞳を持つ人間はいないと言うことを、既に彼らは知っていた。
それならば、彼女は自分たちと同じ世界の人間ということになる。
それが今、何故ここに?
突然降って沸いたように現れた同郷人は、そんな2人の動揺などお構いなしに右手に剣を握って男を睨みつけた。
「見たところそっちのあんたが悪者っぽいけど。目的は何?何しにこの異世界にやってきたの?」
男を睨む深緑色の瞳は、冷たい光を宿している。
吸い込まれたら二度と出てくることができなくなりそうな光を。
「私が人間の前に姿を現すとすれば、理由はただ1つですよ、お嬢さん」
「人間の血を得るため?それなら吸血鬼らしく夜に活動してよね。こっちだって暇じゃないんだから」
言い捨てながらも、深緑色の髪の少女――レミアは男の持ち物を目で追った。
首から下がっているペンダント。
あれに秘密がある気がしたけれど、わからない。
考えてみれば、かつてこの学園を襲った帝国所属の吸血鬼も昼間に行動していたのだ。
アースでの吸血鬼の認識とインシングのそれは全く異なるのかもしれない。
或いは何か魔法的な道具で日の光から身を守っているかのどちらかだ。
「ずいぶん強気な方だ」
くっと笑って男が言った。
先ほどレミアを睨んだ時の凄まじい表情は、既に微塵も残っていない。
まるで紳士のような振る舞いでこちらに視線を向けてくる。
「あなたのようなお嬢さんの血は、ミルザの一族と同じくらい美味なのでしょうね」
「さあ?私は生まれて此の方血をうまいなんて思ったことないから知らないし……」
すっと静かに、剣を握っている右手を上げた。
切っ先を真っ直ぐ男へ突きつける。
「知る気もないよ」
そう告げた声は心なしか先ほどよりも低いような気がした。
「帰りなさい。今ならまだ、脅しだけでやめてあげる」
瞳に宿る光がますます冷たくなる。
冷たくなった光は、体を射抜いてしまいそうな鋭さで真っ直ぐに男に向けられていた。
「……面白い。あなたの血、ぜひ口にしてみたくなりました」
にやっと笑って、男が僅かに動いた。
「やめろっ!!」
突如その前に少女が飛び出す。
驚き、思わずレミアは剣を下ろした。
「おやおや。そんな怪我をしていて、他人を庇う余力が残っているとは驚きですね」
「この女は……」
下唇を噛んで、少女は男を睨みつけた。
「この女は関係ない人間のはずだ!手出しをするな!」
「関係なく、ないんだけどね」
小さく呟いてみるけれど、聞こえなかったらしく少女は何の反応も見せない。
「あそこまで言われるとその味を確かめたくなるのが吸血鬼というもの。どきなさい。精霊から省かれたお嬢さん。さもなくば、あなたから我が糧となってもらうことになりますよ」
笑みを浮かべたまま男が言葉を並べる。
それでも少女は男から視線を外さず、動こうともしなかった。
「仕方ありません、なら……」
「省かれたって言い方、間違いなの知ってる?」
自分のすぐ隣から聞こえたその声に、少女は弾かれたように自分の横を見た。
先ほどまで後ろにいたはずのレミアが、いつの間にかそこに立っている。
「間違い?」
男が顔を顰めて聞き返す。
「そう、間違い。バンガードは精霊に省かれたわけじゃない」
その言葉に、少女が驚いたようにレミアを見る。
その視線に気づいて、彼女は不思議そうに少女を見た。
「あんた、フェリア=バンガードでしょ?」
「な、何故お前が私の名を?」
「話聞いててわかった」
そう答えて、レミアは一歩踏み出し、剣を構える。
「ファレン=バンガード。その名は先代が何度か口にした、はとこの名前だったからね」
「先代?」
男が不思議そうに聞き返す。
「まだわかんないわけ?案外鈍いんだ」
挑発するような口調。
微かに口元に笑みを浮かべたレミアの瞳には、先ほどと同じように男を射抜かんばかりの冷たい光が宿っている。
「私の名はウィンソウ。ウィンドマスターって言った方がわかりやすいかもね」
その言葉に、フェリアと呼ばれた少女が大きく目を見開く。
「ウィンドマスターだとっ!では、貴様もミルザの子孫かっ!?」
「ご名答。帝国に敗れた先代は異世界に逃れたって話、教わらなかったのかな?」
薄っすらと笑みを浮かべてレミアが男に問いかける。
その言葉を聞きながら、フェリアは彼女が発する殺気が先ほどよりもずっと強くなっていることに気づいた。
男の方もそれに気づいたのか、じりじりと少しずつ後ろへと下がっていく。
「ダークマジック帝国は解体しました。それと同時にあなたたちはインシングへ戻ったものとばかり……」
「こっちとあっちは時間の流れも違えば事情だって違うのよ。そう簡単にこっちの世界から消えることなんてできないの」
知らなかったでしょうなどと笑顔で言って、レミアは剣を持ち上げた。
切っ先が再び男を捕らえる。
「さて、どうする?もうすぐ残りの6人も、下手をしたらエスクール自由兵団長さんまでここに来るよ。あたしたちは属性にごとに7人いるわけだから、当然あんたの弱点である闇の呪文を操る子だっている」
ふと、レミアの表情から笑みが完全に消え去った。
「帰れ。さもないと、ここであんたを永遠に葬ってやる」
びくっと体が震えて、フェリアは思わず数歩後ろへ下がった。
レミアの背から放たれている殺気は異常なほど強くて、体の震えが抑えきれないほど怖い。
男の方もそれを感じ取ったのか、悔しそうに歯軋りをすると、軽く床を蹴って空へと飛び上がった。
「わかりました。今日のところはこれで引かせていただきましょう。しかし……」
言葉を切って、フェリアに視線を向ける。
「次こそは、あなたの血を頂きに参りますよ。バンガードのお嬢さん」
そう言って意味ありげに笑うと、男の姿は空に溶け込むようにして消えていった。
嫌な笑い声だけを空に残して。