Chapter3 魔妖精
18:長
階段を上りきった先には巨大な扉があった。
無気味な装飾の施された扉。
刻まれているのは、おそらく悪魔の絵なのだろう。
「タイム……」
ぎゅっと自分の体を抱いて、ティーチャーが彼女を呼ぶ。
その声は先ほどまでの元気はどうしたのかと思えるほど震えていた。
「この部屋、嫌な感じがする」
「嫌な感じ?」
聞き返せば、素直に頷く。
けれど、その瞳は真っ直ぐに扉を見つめたままだった。
「嫌な感じ。何だろう?気持ち……悪い……」
理由はわからないけれど、感じる不快感。
言葉にするなら、これが一番適していると思った。
「確かに、何となく他とは違う感じがするね」
口元に手を当てて、考えるようにタイムが言う。
セレスやペリドット、ミスリルかいたのならば、もっと具体的なことも言ってくれたと思うのだけれど、彼女たちはここにはいない。
置いてきたのは、戻ってくれと頼んだのは自分だ。
そんなことを考えていても仕方がない。
「答えが出るまでこうしていても仕方ないし、行こう」
「う、うん……」
ティーチャーが頷いたのを確認して、タイムは扉の前に進んだ。
棍を脇に抱えて、両手で扉に手をかける。
ぐっと力を入れて扉を開いた。
途端に襲ってきた不快感。
この空気の変わりようは、一体何なのだろう。
その答えはすぐに出た。
正面、ちょうど扉の反対側にある壁に、ぽっかりと黒い穴が開いていた。
「あれって、ゲートっ!?」
異世界――いや、別世界とインシングを繋ぐ扉。
繋がっている先がアースではないことは、この部屋の中の空気からもわかってしまう。
「そう。あれは魔界に繋がる扉だ」
突然室内に響いた声に2人は視線を動かした。
部屋の、自分たちから見て左側の端。
そこに設置された玉座に座っていたのは、耳が長い、空色の長い髪を頭の上で纏めた女。
顔の半分だけ長く伸ばされた前髪は、ちょっと動いただけでもその赤い瞳を隠してしまいそうだった。
「魔界っ!?」
「そうか……。ここの森が枯れていたのも、森がないのに兵士たちがあんなに強かったのも、全部このゲートが開いてるから」
棍を持つ手に力を入れてタイムが呟く。
「そう、我らは魔族。魔界から大量に魔力を取り入れれば森など必要ない」
笑って立ち上がり、女はティーチャーを見た。
「お前が妖精神の娘、か?」
「え……?」
「そして、お前がミルザの血を引く最後の1人」
ゆっくりと視線を動かして、女がタイムを見る。
「あたしのことは正解だけど、妖精神の娘っていうのは何の話?この子はただのサポートフェアリー、あたしの相棒よ」
相手を睨んでタイムが言い返す。
「隠しても無駄なこと。ユーシス神に娘がいたこと、既に調べはついている」
「へぇ……。カミサマも子供つくるんだ?初耳」
あくまで惚けるタイムに、女は眉を寄せた。
「まあ、仮にそうだったとして、そんなこと聞いてどうするわけ?」
「ただの妖精であったはずのユーシス神の力。その力の秘密を知りたい」
「カミサマの力の秘密なんて知ってどうする気?」
「決まっている」
口元に笑みを浮かべて、女は体を覆っていたマントを後ろへ払った。
「古の昔。ミルザの時代よりももっと前。我らを追放した妖精界へ復讐をするためだ」
「魔妖精を、追放したっ!?」
予想もしなかった言葉に驚いてティーチャーが叫ぶ。
「どういうこと!!魔妖精は、魔界で生まれたはずじゃ……」
「お前の母はそういう風に伝えたのか?」
浮かべていた笑みを消して、女はティーチャーを睨みつけた。
「ち、違うわ!村にそう伝わっていただけよっ!」
嘘ではない。
そもそも自分には母と話した記憶はほとんど残っていないのだから。
ふんと鼻を鳴らして、女は見下すような視線で彼女を見る。
「我らが追放されたのはユーシス神が生まれる以前だと言う話だ。信じてやろう」
「一体どういうこと?あんたたちは魔族だって聞いていたけど?」
棍を握ったままタイムが問いかけると、女はゆっくりとそちらに目を向ける。
「元々は妖精界で生まれたエルフ族だった。が、我らの先祖にあたる一族がたまたま足を踏み入れた魔界で魔族に魅入られた」
「それが原因でそのエルフが魔界に追放されたってわけ?」
「そうだ。本人だけじゃなく、その一族とそいつに賛同した妖精たちもな」
「でも!ユーシス様はそんなこと……」
「ユーシス神が生まれる以前、と言わなかったか?」
女は目を細めてタイムに向けていた視線をティーチャーに戻した。
「我らが祖先を追放したのは時の妖精界の王だ」
ユーシスが妖精神となる前の妖精族全体の長。
そして今も妖精界を束ねていると言われる王。
けれど、この世界に住む妖精の寿命は1000年だと言われている。
ユーシスが生まれる前の話ならば、もう当時の王が生きている可能性はないはずだった。
「ちょっと待って。その追放した王っていうのは、もう歴史の中の人物でしょう?あんた、一体誰に復讐する気?」
タイムの問いに、女の口元に笑みが浮かぶ。
「言わなかったか?私は妖精界に復讐する。王だけではない。妖精全体にな」
「どうして!!今の妖精たちは何も知らないのにっ!!」
「知らないからと言って許される問題ではない!!」
叫んで、女が手を振り上げる。
同時に玉座の後ろに巨大な十字架が現れた。
その十字架にかけられている人物を見て、タイムが表情を変える。
ぐったりしたまま下へと垂れているのは、真っ赤な髪。
白いはずの服は薄汚れて黒ずんでいた。
「ルビーっ!!」
ずっと探していて、見つからなかった仲間――親友。
思わず駆け寄ろうとするけれど、踏み止まる。
玉座にいた女が、いつのまにか十字架の前に移動していた。
「この女を返してほしければ、その妖精を渡せ」
「何故?」
無意識に棍を握る手に力を入れて、タイムは静かに聞き返す。
「あんたが欲しいのは妖精神の力のはずでしょう?」
「そうだ。娘なら、その力を受け継いでいる可能性がある」
「だからこの子を研究する、ってこと?」
僅かに目を細めて聞き返すタイムに、女は唇の端を持ち上げた。
「他にどんな手がある」
「冗談じゃない!」
きっぱりと言って棍を構えた。
「そんなくだらないことのために、仲間を売り渡したりしないっ!!」
「……そうか。ならこの女がどうなってもいいと言うか」
嫌な笑みを浮かべながらそう言うと、女は腰の短剣を手に取った。
鞘から抜いたその切っ先をルビーの方へと向ける。
「!ティーチャーっ!」
「……ごめん、駄目。空気が気持ち悪くて、呪文使う余裕がない」
口元を押さえて言う彼女の顔色は、本当に悪くなっていた。
人間である自分でも居心地の悪いこの空気。
おそらくあのゲートから魔力と一緒に流れ込んでいるのだろう。
「妖精や精霊は魔界では存在できない」
笑みを浮かべたまま女が口を開く。
「故に我らの先祖も、あの世界に適応するまでかなりの時間を要した」
「だったら、妖精神の娘を捕まえても意味ないんじゃないの?魔界に連れてったら死ぬよ」
「連れて行かなければいいだけのことだ。それに、元々私はこの地に住んでいるのだからな」
あっさりと言って、女は短剣をさらにルビーに近づける。
「さあ、どうする?こいつを見捨ててその妖精を選ぶか。そいつを渡してこいつを助けるか」
「タイム……」
不安そうなティーチャーの声がする。
ぐっと、棍を持っていない方の手に力が入った。
爪が食い込み、血が滲み出るほど強く。
「答えないのならば、この女を見捨てると判断するぞ?」
女が短剣をルビーの肌に触れるか触れないかという位置まで近づける。
「……っ!やめてっ!!」
「ならば選べ。その娘を渡すか、この女を見捨てるか」
僅かに目を細めると、女はその顔に浮かべた笑みを深めた。
楽しんでいるのだ。
できるはずのない選択をしろと言って、こちらの反応を見て楽しんでいるのだ。
「選べるわけ……」
選べるわけがない。
けれどそれを言葉にすれば、相手が動くということがわかっているから、できない。
一体どうしたらいい?
こんなとき、どうすれば……。
「ティーチャー様は渡しませんし、ルビー様も返していただきますわ!」
「え……?」
突然耳に飛び込んだ聞き覚えのある声に、タイムは思わず入口を見た。
途端に扉から灰色の煙――いや、霧が吹き込んでくる。
霧はあっという間に部屋を包み、女と十字架の姿を隠した。
「な、何これっ!」
すぐ側で聞こえた、悲鳴にも似た声。
その声に振り向いてみれば、辛うじて見える範囲にティーチャーがいた。
「これは……まさか、幻術?」
かつての帝国ダークマジックの四天王の1人、幻零が使っていた和国の呪文。
「だけど、これを使えるのは……」
あの女亡き今、魔術と呼ばれるこの呪文を使えるのは、もうペリドットだけのはずなのに。
「だがそれは、あいつを師事していた者がいなかった場合の話だ」
呟きに答えるように聞こえた声。
それが合図であったのだと言うように、部屋を包んでいた霧が晴れていく。
「な、何……っ!?」
正面から女の声が聞こえた。
何かと思って視線を戻した途端、タイムは驚きに目を見開いた。
十字架にかけられていたはずのルビーの姿が、消えていた。
「馬鹿な!!一体何故……っ!?」
「今の霧に包まれた者は視界を奪われ、幻を見る」
入口の方から聞こえた声に、タイムとティーチャーは驚いて顔を向けた。
扉の側に立っていたのは、ベリーよりも明るい紫の髪をした女。
この国の王都で別れたはずの仲間。
「ただし、術者が敵視していない者が幻を見ることはないがな」
「アールっ!」
思わず名前を叫ぶと、彼女はこちらを見て笑みを浮かべた。
そして、その腕の中にいる人物を見てほっと息を吐く。
「ルビー……」
「いつのまにっ!?」
タイムが彼女の名を呟いたのと同時に女が叫ぶ。
「確かにそいつは先ほどまで……っ!!」
「言っただろう。今の霧に包まれた者は視界を奪われ、幻を見る」
先ほどまで浮かべていたものとは別の笑みを浮かべ、アールは女を見た。
「当然、そこから消えた人物を見せることも可能だ」
「何……っ!?」
「なるほどね……」
会話の内容から推測するに、女の目には霧が晴れる直前まで十字架にかけられたルビーの姿が映っていたのだろう。
それが霧が晴れた瞬間に消えたというわけだ。
「幻術って、そんな呪文なの?」
飛んでいるのも辛くなったのか、タイムの肩に下りたティーチャーが尋ねる。
「上級者ならその幻を使って敵を攻撃することもできるみたいよ。やられた経験、あるからね」
「さすがにまだ経験が足りなくて、そこまでは無理だったがな」
ルビーを抱いたままのアールが、そう補足しながら自らの未熟さに落胆したのか、小さくため息をついた。
「そうしてもうひとつ。あの霧の効果にはこんなものもある」
「何?」
表情を変える女に視線を戻して、アールは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「霧が晴れて暫くの間、姿を消せるというものですわ」
驚いて女が振り返る。
声が返ってきたのは別の方向。
アールの真正面――即ち、ゲートの前。
「わたくしを忘れてもらっては困りますわ」
いつのまにかそこに姿を現していたのは、赤に近い桃色の髪と瞳をした少女。
服装から魔道士だろうと思われるその少女に、タイムは見覚えがあった。
ここにいるはずのない人物。
もう二度と、会えるはずのなかった者。
「リーナ……?」
名前を呼ぶと、彼女は困ったような笑みを浮かべてお辞儀をする。
「お久しぶりです、タイム様」
「え?え?知り合い?」
彼女とタイムを交互に見てティーチャーが尋ねる。
「……アールの義妹だよ」
答えると、驚きの表情を浮かべてアールを振り返った。
「でも、義妹さん、死んだって……」
「勝手に殺さないでくださいな!」
「いや、あの状況で生きていると思う方が難しい」
文句を言う義妹に、アールがきっぱりと言い切った。
確かにあの時、逃げ出した彼女でさえ大怪我をしていたのだ。
残った方が無事だと、誰が考えるだろうか。
しかもその後、姿を消した義妹からは何の連絡もなかったのだ。
「まさかダミードールを使って逃げ出していたとは……」
ため息と共に発せられたアールの言葉を聞いて、タイムは「なるほどね」と呟いた。
「高位の魔道士なら、ダミードールを本物そっくりに動かすことができる」
「そういうことですわ」
にこっと笑って少女が言った。
「……ふっ、ふふふふふ」
不意に聞こえた笑いに、全員の視線が十字架の前に立つ女へと向く。
女は先ほどまでの表情を完全に消し去り、落ち着いた様子でこちらを見ていた。
「仲間が増えただけで何になる!魔界からの空気がここに流れ込んでいる限り、お前たち人間には勝ち目など……」
「だったらこのゲート、塞いでご覧にいれますわ」
「な、に…・・?」
妙にあっさりと言われたその言葉に反応できなかったのか、呆然とした表情で女が聞き返す。
「馬鹿な!人間にそんなことができるはずが……っ!?」
「私たちは旧ダークマジック帝国でイセリヤに仕えていた者だ」
顔から笑みを消して、きっぱりとアールが言った。
「奴は魔族。そして時々魔界へ行くことがあった。ゲートを開いたままで」
「緊急時、必要があればそれを閉じられるようにと、あいつは直属の部下数人にゲートの呪文を教えましたわ。もちろん、特殊なゲートの閉じ方も」
女が大きく目を見開いた。
それを見て薄く笑うと、少女はゲートに向き直る。
そして、両手をしっかりとそれに向けて突き出した。
「や、やめろっ!?」
「やめろと言われてやめる敵はいませんわ!」
女に背を向けたまま強い口調で答えると、そのまま言葉を紡ぎ始める。
聞き覚えのない発音で。
「これは、古代語?」
タイムの肩の上でティーチャーが呟く。
魔法言語となり、今では研究者の間でしか使われていないその言葉を、あの少女は紡いでいる。
「あいつの家……ニール家は代々古代語を研究している魔道士だ」
扉の側から動かずにアールが説明する。
「だからだろう。早いうちから読めるようにするために、呪文は全て古代語で覚えるように訓練していた」
「でもあんたは……?」
「私は養女で、成人したら家を出ることが決まっていたからな。しきたりに縛られないようリーナが取り計らってくれたんだ」
言いながら彼女は目を細めた。
ゲートがだんだん小さくなっていく。
そのスピードは、昔見たものよりもずっと早い。
「この小娘!やめろというのがわからないのかっ!!」
女が一度鞘に戻した短剣を唐突に抜いた。
そのままそれを、背を向けている少女に投げようとする。
「……!あんたの相手はあたしでしょうがっ!」
声を上げながら反射的に手にした棍を投げた。
棍は見事にナイフを持った腕に命中し、女は小さな悲鳴をあげる。
同時に何かが吸い込まれるような音がして、空気が大きく揺れた。
女を睨みつけながらも、タイムは僅かに視線を動かす。
先ほどまでその方向にあったはずのゲートは、完全に消え去っていた。
「これでもう魔界から魔力が流れ込んでくることはありませんわ」
「貴様……っ!?」
ぎろっと女が少女を睨む。
けれど少女はそれを無視して、今まで床に置いていた杖を手に取った。
そして再び古代語で呪文を紡ぐ。
「……爆裂弾っ!」
言葉と同時に部屋中の窓という窓が爆発を起こした。
「わ……っ!?」
「きゃあっ!?」
爆風で吹き飛ばされそうになったティーチャーを慌てて捕まえて、タイムは思わず目を閉じる。
「おふたりとも!大丈夫ですか?」
かけられた声に目を開ければ、すぐ側に少女が駆け寄ってきていた。
「これで部屋に充満していた空気も外へ逃げるはずです。ティーチャー様も少しは楽になるはずですわ」
「リーナ……、ありがとう……」
「どういたしまして」
にこっと笑ってリーナが返す。
そんな彼女をタイムは意外そうに見つめた。
以前会ったときは嫌な奴だと感じていた分、そう感じたのかもしれない。
「貴様らっ!よくもっ!!」
聞こえてきた罵声にはっと我に返る。
「よくも私の力の源をっ!!」
明らかに怒りの混じった声。
それを耳にして、タイムは今まで浮かべていた表情を消した。
「ティーチャー」
手の中で蹲っていた相棒に声をかける。
彼女は不思議そうに自分を見上げた。
「飛べる?」
「……うん。もう平気」
「じゃあ、頼むよ」
頷いて、ティーチャーはタイムの手の中から浮き上がる。
何かを確認するように体を動かしている彼女に笑いかけると、すぐにタイムは視線を戻した。
「リーナ」
「はい?」
「ありがとう。あとはあたしたちだけで大丈夫。だから……」
言葉を切って、扉の方へ視線を向ける。
扉の側に立つアールと、その腕の中のルビーへ。
「アールと2人で先に外へ出て」
「え……?」
告げられた言葉に、思わずリーナはタイムの目を覗き込む。
視線を戻したタイムは、真っ直ぐに十字架の前の女を見つめていた。
「ですが……」
「大丈夫。こっちには切り札があるから」
笑みを浮かべると、タイムはこちらを向き、リーナの肩へ手を乗せた。
「だから、ルビーをお願い」
真剣な表情と、瞳。
暫く何か考えていたリーナだったが、やがて納得してくれたのか、しっかりと頷いた。
「わかりましたわ。タイム様、くれぐれもご無理はなさらぬよう」
頷いてみせると、リーナはにこっと笑ってアールの方へと走っていく。
2人は暫く扉の側で話をしていたが、アールが納得したのか、ルビーを抱えて部屋の外へと出て行った。
心配そうな視線を送ったアールに笑みを返して見送ると、タイムはすぐに女に向き直った。
「さて、これで一応対等になったことだし、そろそろ決着つけましょうか、ロニーさん」
言葉にされた、名乗ってはいないはずの己の名を耳にして、女は大きく目を見開いた。
remake 2003.11.15