Chapter3 魔妖精
6:交渉
エスクールより東へ船で1週間ほど進んだ場所に、世界のどの場所よりも大きい大陸がある。
その大陸を治める国の最大の港町にして王都に、正確にはその側にある林に彼女たちは降り立った。
尤も、移動手段は転移呪文だったから、船を使ったわけではないけれど。
「あー、もう。やっと来れたぁ~」
転移の影響で吹いていた風が止んだのとほぼ同時に、盛大なため息をつきながらタイムはその場に座り込む。
「まさか夜通しで『冒険者の心得』とやらを聞かされるとは思わなかったわ」
「同じく~。よかったぁ、無事転移できて」
同じようにティーチャーも、こちらは近くの木の枝にふらふらと腰を下ろした。
呪文を使うには、その威力や効果に見合った集中が必要だ。
熟練者ならば別のことをしながら上級呪文を唱えることも可能だけれど、それは主に戦闘に使われる呪文での話。
転移呪文の場合、集中が足りなければ思ったほど距離を飛べなかったり、目的地とは全く別の場所に放り出されてしまう可能性もある。
「まったくリーフの奴、これで転移失敗してたら後でシメてやるところだわ」
咳き込みながら、それでも珍しく怒った様子で指をぽきぽきと鳴らすタイムに、ティーチャーは苦笑する。
「それよりお城行こ。アールさんに会わなくちゃ、何も始まらないもんね」
ふらふらとタイムの肩に移動しながら、にこっと笑ってティーチャーが言った。
「……そうだね。行こうか」
再び盛大にため息をついてから立ち上がると、タイムは街へと向かって歩き出した。
久しぶりに訪れた城下町は、以前よりもずっと活気に満ち溢れていた。
当然だろう。以前のここはイセリヤの本拠地だったのだ。
あの頃はレジスタンスとして地下に身を隠していた者たちも、今では気兼ねなく外に出られるようになった。
国王シルラの補佐役がイセリヤでなく、彼の実姉――行方不明だったアマスル=ラル王女に代わってからは。
「……で、そのアマスル王女がアールさんだったのよね?」
タイムの肩の上にちょこんと座り、表情や体をあまり動かさないように注意しながらティーチャーが尋ねる。
「そう。行方不明だったんじゃなくて、小さいころ一度イセリヤに攫われていたってのが正解」
一応人形のふりをしているのだと知っているから、その話には触れず、必要なことだけを選んで彼女にだけ聞こえる程度の声で答えた。
「でもいくら知り合いだからって、すんなりお城に入れてくれるかな?」
表情を変えないように注意しながらも、不安そうな声でティーチャーが聞く。
「さあ?一応リーフに親書を書いてもらったから、何とかなると思うけど」
正確には親書でなく親書と偽ったただの手紙だ。
エスクール王家の使者だと言えば、自分たちの顔を知らない一般兵も通してくれるだろうというフェリアの提案から書かれたリーフ直筆の手紙。
帝国に占領されていた頃のスパイ活動からそういうものに慣れているらしく、2つ返事でリーフはその手紙を書き上げた。
「駄目だったらあの時使った抜け道から直接玉座の間に行ってやる」
「……タイムって結構無茶苦茶だね」
呆れたような口調で言われた言葉に、タイムはあっさり「そう?」とだけ返すと、僅かにティーチャーに向けていた視線を前へ戻した。
その途端視界に入った人物に目を瞠って、思わず足を止める。
「どうしたの?」
「あれ」
タイムの顎が何かを指し示すように動いたのを横目で確認して、ティーチャーは顔を動かさないよう十分注意しながら視線を動かす。
若草色の瞳が真っ直ぐに前に向く。
その瞳が捉えた先――城門の前で、誰かが門番と言い争いをしていた。
「だから!俺は国内視察中の聖騎士団長カスキットの代理で来たレジスタンスのメンバーだって言ってるだろう!」
「盗賊ギルドのメンバーの言うことを信用できると思っているのか?」
「~~~っ!盗賊ギルドに所属している奴らが全部悪党ってわけじゃないっ!!」
青い服を着た青年が、自分が今何処にいるのかも忘れて叫ぶ。
盗賊ギルドに所属している。
そんな事実を口にしたら、捕まるかも知れないというのに。
にやりと言わんばかりに門番の口元が歪んだ。
「ほう、やはり盗賊ギルドのメンバーか」
門番が手に持った槍を持ち替えたことに気づき、青年はぎくりとする。
「義賊と銘打っているが、実際のことは全くわからんお前たちに手を焼いていたところだ」
「望みどおり城には入れてやる。ただし、行き先は牢獄だがな」
門番が槍を握る手に力を込める。
ゆっくりと槍の先を降ろし、体勢を整えた。
「ティーチャー。ちょっと離れてなさい」
「え?あ、うん」
タイムの言葉に頷いて人形のふりをやめると、ティーチャーはふわりと空中に浮き上がった。
「ついでにアールを呼んできて。場所がわかったらでいいから」
「わかった!」
しっかりと頷くと、彼女はそのまま城の中へ向かって飛び去った。
それを見送ってから、タイムは城門の方へ走り出す。
「ジャミルっ!」
突然後ろから名前を呼ばれて、短剣を手に取ろうとしていた青年が振り返った。
「……っ!あんたっ!?」
そこで初めてタイムの存在に気づいた青い服の青年が、驚いたように目を見開く。
「一体何してるの?こんなところで」
何も知らないふりをして、首を傾げながら尋ねた。
ずっと見ていたから大体のことは知っているけれど、それでも敢えて聞くのはこういう場合はこうした方がいいと知っているから。
「あんたこそ、一体どうして?」
「あたしはアー……アマスル王女に用事が会ってね」
普段自分たちが呼んでいる名前で呼んでも、おそらく彼らはぴんとこないだろう。
そう思って、本当の名前でこの城に住む仲間の名を呼ぶ。
「で、あんたは?レジスタンス情報部のリーダーさん?」
微かに笑みを浮かべて、敢えてそうやって尋ねた。
「あ、ああ。カスキットの頼みで、聖騎士団の報告書をアマスル様に直接届けに来たんだけど」
答えながら、ジャミルはちらりと門番を見た。
その目の動きだけで、彼が門番に全く信じてもらえなかったためにあんな騒ぎになったのだと悟る。
「ふーん。ハンターさんも大変だね」
そう言ったタイムの言葉に、ジャミルは驚いたように顔を上げた。
「ってわけだから、盗賊っていうのは兵士さんたちの間違いだと思いますけど」
そんな彼の言葉も待たずに、タイムは黙って会話を聞いていた門番にそう告げる。
あまりにあっさりと交わされたやり取りに唖然としていた門番は、彼女の視線がこちらに向けられているのを理解した途端我に返った。
「……というか、貴様は何者だっ!!」
槍を構えたまま焦った様子で彼女を睨みつける。
そんな門番を見て思わず漏れそうになった笑いを何とか抑えると、タイムはやはりあっさりとした口調で告げた。
「あたしはアマスル様の知り合いです。ついでに言うなら、エスクールの第一王子リーフ=フェイト殿下の使者ってところですか」
「何っ!?」
エスクール王家の名前を出したとたんに門番の顔色が変わった。
「エスクールの使者だと?」
もう1人の門番が訝しげな顔で聞き返す。
「はい。これが証拠の親書です」
そう言いながら、タイムは封筒を差し出した。
「確かに、これはエスクール王家のサインだが……」
「この者の知り合いが本当にエスクールの使者だというのか?」
門番たちは完全にジャミルを怪しい奴だと疑っているらしい。
親書を見ても、なかなか結論を出そうとはしてくれない。
「リーフ殿下を直接連れてこなければ信用していただけないと?」
「いや、そうではなく……」
タイムの問いに門番が答えかけたのと、ほぼ同時。
「門を開けろ!」
門の向こう側から、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「え……」
「アマスル殿下っ!?」
突然の、予想も出来なかっただろう出来事に門番が驚いたように叫んだ。
その言葉とほぼ同時に門の上の方から小さな光が飛んでくるのが目に入る。
くるくると上空を円を描きながら飛び回るそれに笑い返すと、「もう少し待ってて」と唇の動きで伝えた。
ぎいっという音が耳に入って、タイムは笑みを消すとゆっくりと開かれていく門に視線を戻す。
巨大な木の扉の向こうに見慣れた明るい紫の髪が見えた。
「久しぶりだな、タイム」
門が完全に開くのを待って中から出てきた女は、正面に立っていたタイムを見るなり微笑んだ。
「久しぶり。あんたが法国のこと伝えにうちに来て以来、だよね?」
「ああ、そうだ」
この国の最高権力者とも言える人物と普通に話しをする少女に、門番は目を丸くする。
女の方も少女の言葉遣いを気にすることなく、むしろそれが当たり前というように言葉を返す。
「アマスル殿下っ!」
叫ぶように女の名を呼んで、ジャミルがその場に膝をつく。
その言葉に、行動に、女は表情を変えずにジャミルに視線を移し、タイムは驚いたように目を向けた。
「レジスタンスの方か。確か、ジャミル=シーフル殿、だったな?」
「はい、そうです」
畏まった態勢のままジャミルが答える。
その様子を見て、門番はまたもや目を丸くした。
おそらく自分たちの主がこの青年の顔を知っているとは思わなかったのだろう。
「定期報告か。いつもはカスキット聖騎士団長が来ているはずだが?」
「カスキットは国内視察中で不在。精霊神殿も今は忙しい時期。いつでも自由に動くことができる私が代理で来た次第です」
ジャミルの言葉に「そうか」とだけ告げて、女は顔を上げる。
「とにかく中に入ってくれ。ここだと落ち着いて話もできない」
そう言って、ジャミルに立ち上がるよう促した。
「待って!」
中に入ろうとした女を、タイムが呼び止める。
「悪いけど、あたしには時間が……」
「彼女から簡単な話は聞いた」
タイムの言葉を遮って、女が口を開く。
「詳しい話はここではできない。だから、とりあえず入ってくれ」
それだけ言って、女は再び門の中へ向かって歩き出す。
そんな彼女の後姿を見つめて小さくため息をつくと、タイムは仕方なく2人を追って門を潜った。
「……要するに、その魔妖精に攫われたあいつらを助けに行きたい。そういうことか?」
「そうよ」
彼女の問いに、タイムはしっかりと頷いて答える。
ジャミルは王への定期報告のために謁見の間に行っているから、ここにはいない。
この部屋――アールの私室にいるのは、部屋の主とタイム、そしてティーチャーだけだ。
「そのために、どうしても船が必要なの」
アールの目を真っ直ぐに見て、タイムがはっきりと言った。
「エスクールからは1本も出ていないってリーフが言っていた。あたしたちには、もう他に頼るところがない」
強い光の宿った真剣な瞳。
何か大切なものが関わると、彼女たち7人は揃って同じ光を瞳に宿す。
何かを成し遂げようとする強い光を。
それを知っていたから、アールには断るつもりなどなかったけれど。
「今、我が国からエルランドに出でいる船はない」
「え……っ!?」
テーブルの上でティーチャーが絶句する。
「どうしてっ!?」
がたんと音を立ててタイムが立ち上がった。
「エルランドは3日前、何者かによって王都以外の全ての場所を奪われた。何故玄関町である王都が無事だったのかが疑問だが、とにかく、危険性を考えて暫くの間エルランドとの交流を断つことを国の議会が決めた。それが昨日の話だ」
淡々と語るアールを、ティーチャーが困惑の表情で見つめる。
タイムは絶句したまま何も言葉を紡ごうとはいなかった。
それを確認して、アールは続ける。
「もちろん決定は既に実行された。だから暫くはエルランド行きの船は1艘も出ないことになっている」
「そんな……」
ぺたんとティーチャーはテーブルに座り込んだ。
たったひとつの頼れる場所がなくなったときの、絶望と虚無感。
そんな感情が彼女を支配して、体を震えさせている。
自分のせいなのに。
彼女の仲間を巻き込んだのは、自分なのに。
それを助ける手段もないなんて。
「アール」
凛と響いた声に、ティーチャーは顔を上げて相棒へと視線を送る。
相棒は――タイムはしっかりとアールを見据えていた。
「お願い、船を貸して。でなければ、エスクール第一王子より与えられた権限により、今ここでエスクールとマジック共和国の同盟を破棄します」
「えっ!?」
ティーチャーが驚いて立ち上がる。
そんな彼女には視線を向けず、タイムは真っ直ぐアールを見つめる。
その手には、先ほど門番に見せたあの偽新書が握られていた。
「……なるほど、そう来たか。よっぱど事態は深刻らしいな」
小さく息を吐いて、アールは笑った。
そのまま立ち上がると、扉の方へと歩き出す。
「アールっ!!」
思わず目の前にあったテーブルを思い切り叩いて、彼女の名を叫んだ。
けれど彼女は振り返らずに、扉の前でぴたりと止まるだけ。
ごくりと、ティーチャーは息を呑む。
タイムの持ち出した手段に焦りを感じていた。
自分のせいでエスクールとマジック共和国の関係が、せっかく良い方向に向かっている2国の関係が崩れるのではないかと焦っていた。
けれど、次にアールの口から出たのは思わぬ言葉。
「1日待て」
「……え?」
その言葉に反応することが出来ずに、タイムは間抜けな顔で無意識のうちに聞き返していた。
「帝国時代に使っていた高速艇。破棄しきれなかったものが残っているはずだ。それの整備に1日かかる。それまで待て」
「じゃあ……っ!?」
「高速艇が用意できればエルランドには半日で行ける。ただし、私も王都まで連れて行くことが条件だが?」
肩越しに振り向いて笑みを浮かべながら尋ねる彼女に、タイムは安心したような笑みを返す。
「条件は飲みましょう。お心遣い感謝します、アマスル殿下」
そう言うと、アールは困ったように笑った。
「やめてくれ。お前らにまでそう呼ばれると、なんだかおかしい」
「あははっ。あたしも何か変な気がする」
畏まった言葉遣いをやめて、いつもの口調でタイムが笑った。
ティーチャーだけが、突然の展開に驚いたまま呆然としていた。
「それじゃあ、城の者には連絡しておくから好きにしていてくれ。夕方にまた、ここで」
「うん、ありがと」
礼を言うと、アールは部屋を出て行った。
こつこつと廊下に響く足音が、だんだん遠くなっていく。
「よかったぁ~」
漸く状況を把握したのか、大きなため息をついてぺたんとティーチャーが座り込む。
「まさかリーフ王子がそんな手段取ってるなんて」
「取ってないけど?」
「……え?」
妙にあっさりと言われた言葉に、ティーチャーは驚いてタイムを見上げた。
「取ってない?」
「うん。この中身は普通の手紙だし」
言いながら、手に持った封筒をひらひらと振ってみせる。
「じゃあもしかして、嘘?」
「そう」
あっさりと言ったタイムの言葉に、ティーチャーはピシッと固まった。
あれだけ自分は焦ったというのに、それが嘘だったことがショックだったのだろう。
「まあ、最初っからこんな嘘つく必要なかったみたいだけどね。それに……」
言いかけて、ふと言葉を止める。
「それに?」
聞き返すと、「何でもない」と言って首を振った。
それに、嘘だって気づいてたでしょう?あんたは。
心の中でそんな問いを投げながら、タイムはアールの出て行った扉に目を向ける。
そんな彼女の様子を不思議に思いながらも、ティーチャーは暫くの間、ただじっとタイムの顔を見つめていた。