Chapter7 吸血鬼
10:指定された同行者
さすが王室の人間、というべきなのか。
あのあと、すぐにアールの呼んだ侍女に客室へ案内された。
そこで一晩過ごし、朝食まで用意してもらって、身支度も全て済ませた。
あとはアールが来るのを待つだけだった。
夕べの彼女の言葉を信じるならば、彼女は今、シルラに高速艇を貸し出してくれるように交渉してくれているはずた。
あの姉弟ならば、きっと貸してくれる。
そうは思うけれど、それでも拒否される可能性も残っている。
その可能性の未来が頭を掠めるたびに、それを打ち消したい思いに駆られ、ベリーはため息をついた。
ちょうど、そのときだった。
とんとんと、扉をノックする音が聞こえたのは。
一瞬びくりと体を震わせてしまってから、慌てて扉を振り返る。
軽く深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。
「はい」
扉に向かって答えれば、扉が軽い音を立てて開く。
その向こうから、明るい桃色の髪の少女が、ひょっこりと顔を覗かせた。
「おはようございますわ、ベリー様」
髪と同じ瞳が、嬉しそうに細められる。
その姿を見て、ベリーは紫紺の瞳をほんの僅かに丸くした。
「リーナ」
「ご無沙汰しています。お元気でしたか?」
「ええ」
にこにこと笑いながら中に入り、近寄ってくるリーナに、ベリーも笑顔を返す。
そうすれば、彼女は本当に嬉しそうににっこりと笑った。
「よかったですわ。ベリー様とは滅多に会えないですもの」
「そうだったわね」
ミスリルとセレス、そしてベリーの3人は、仲間たちがこちらに情報収集をしている間も、留守番役としてアースに残っていた。
こちらに来るのは緊急事態くらいで、アールとはもちろん、リーナに会うのもずいぶん久しぶりなような気がした。
そんなことを考えていると、ふと目の前の少女が苦笑を浮かべる。
何かと思って視線を戻せば、彼女は困ったように笑った。
「そんな『何しに来た』なんて顔で睨まないで下さいな」
「え?私は、別に……」
そんなつもりなどなかったベリーは、思わず弁解をしようと口を開く。
けれどそれは、他でもないリーナによって遮られた。
「アール姉様から伝言ですわ」
告げられた言葉に、思わず口に仕掛けた言葉を飲み込む。
真剣な色を浮かべた明るい桃色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめる。
その目が、真剣だった表情が、突然緩んだ。
「高速艇、使用許可が出たそうです」
にっこりと笑って告げられた言葉は、すぐには頭に入ってこなかった。
「え」
思わず、無意識のうちに聞き返す。
それを不快に思うこともなかったのか、リーナはにっこりと笑って続きを告げた。
「ただし、高速艇の扱いに詳しい人間を1人連れて行くことが条件だそうですわ」
「連れて行く……?」
「ええ」
つまり、高速艇を扱い人間が1人つくことに了承をすれば、あの船を貸してくれるということなのか。
「仕方ないわね……」
呟きがため息混じりになってしまうのは、仕方がないだろう。
あまり親しくない人間とともに旅をしたくはないけれど、それが条件だというのなら受け入れるしかない。
そう自分を無理矢理納得させて、顔を上げた。
「それで、誰を連れて行けばいいの?」
「今準備なさっているところです。もう少々お待ちくださいませ」
「……わかったわ」
にっこりと楽しそうに微笑むリーナに、なんとなく胡散臭いものを感じる。
けれど、ここで反発してこの話自体が無しになってしまうことの方が痛手だと思ったから、それは口にしなかった。
そんなこちらの反応が面白いのか、リーナの笑顔がますます深まった気がした。
「それにしても、驚きましたわ」
「え?」
突然リーナが口にした言葉の意味に、ベリーは思わず彼女を見る。
目が合った途端、彼女はふわりと微笑んだ。
「ベリー様も、こんなに熱くなられるのですね」
その言葉に、ベリーは今度こそ目を丸くする。
「私が、熱い?」
「ええ」
セレスにも、同じことを言われた。
けれど、どうしても自分が熱いと言われるような人間だと思えなくて、ベリーは首を振る。
「別に、私は……」
「こんなにも必死になれるんですもの。熱いと言わずになんと表現しましょう」
けれど、至極あっさりとリーナはそう告げた。
その言葉に、ベリーは思わず口に仕掛けた言葉を飲み込む。
自分は、それほどとも思わなかったけれど。
必死に求めるものを探している今の自分は、『熱い』のだろうか。
「そう、なのかしら……?」
「ええ」
独り言のつもりだったけれど、その言葉はリーナの耳に届いたらしい。
彼女は短く答えると、にっこりと笑った。
「やはり血筋、と人なら言うのかもしれません」
血筋――言われれば、そうなのかもしれないと思う。
仲間たちは、何かが関わるとそれに酷く一生懸命になる。
性格はばらばらなはずなのに、そこだけは変わらない。
それが、引いている血の影響なのだろうか。
「ですが、わたくしはそれ以外のものが理由だと思っていますわ」
本気で考え込もうとしたそのとき、再びリーナの言葉が耳に届き、ベリーは顔を上げた。
「それ以外のもの?」
「はい」
尋ねればリーナはにっこりと笑う。
ただそれだけしか返って来なかった答えに、思わず睨むような視線を向けてしまえば、彼女の口元がにやりと歪んだ。
「気になります?」
「まあ、少しは、ね」
「そうですか」
息を吐き出すような口調でそう答えると、リーナは一度目を閉じる。
「でも無自覚なら、ご自分でお気づきになるべきと思いますわ」
再びこちらを見た彼女の顔には、柔らかい笑みが浮かんでいた。
その言葉に、ベリーは思わず眉を寄せる。
「何、それ?」
「言葉のままの意味です」
聞き返したけれど、リーナはそれ以上答えるつもりがないらしい。
ただ、にっこりと笑みを返してくるだけだ。
「まあ、ルビー様あたりなら、気づいていらっしゃいそうですけれど」
「そうかもね……」
ふと、彼女が漏らした言葉に、ベリーは同意する。
無意識に拳に力が入る。
整えられた爪が少し肌に食い込んだけれど、あまり痛いとも感じなかった。
そのとき、再び部屋の扉が叩かれた。
「はい」
「失礼する」
反射的に返事をすれば、再びそれだけで扉が開かれる。
ゆっくりと入ってきた人物を見た途端、ベリーは思わず目を丸くした。
「アール……?」
「ああ、待たせたな」
扉を閉めて、こちらを振り返った人物は、確かにアールだった。
もちろん、ただ彼女が入ってきただけなら、こんなに驚いたりしない。
驚いたのは、その服装だった。
「お姉様!ずいぶんお早いと思ったら、またそんなシンプルな格好を……!」
「これならあまり目立たなくていいだろう」
リーナが怒ったように声を上げる。
それを聞いた途端、アールはにやりと笑った。
「アール、その格好は……」
あまりにも予想外なことに、ベリーも思わず尋ねる。
彼女は、いつもの空色のローブ姿ではなかったのだ。
黒いハイネックに、黒いスパッツのようなものを穿いており、その足はさらに茶色のブーツに包まれている。
ハイネックの上には白い上着。
膝くらいの長さの真っ白なそれは前開きのようで、腰の辺りからとめる物がないのか、動けば足を包むスパッツが見えていた。
鎖骨を見せるように開いた襟の部分のみが金で縁取られ、胸に赤いブローチが止まっている。
驚いてるベリーに向かい、アールはにっこりと笑って見せた。
「プライベートで外に行くときのために用意したものだ。いつもの格好だとすぐにバレるからな」
「だからってお姉様、ちょっとシンプル過ぎです」
「お前も休暇で出かけるときはシンプルだろう」
「わたくしは洞窟や遺跡の探索もしますもの。いいんです」
「なら私もいいな。私も今回、もしかすると入るかもしれないからな」
「う……」
その服が気に入らなかったのか、怒るリーナに、アールはあっさりと言い返す。
そうしてしまえば、リーナももう何も言えなくなってしまったらしく、必死に何かを言おうとしていたけれど、結局黙り込んでしまった。
「どういうこと?遺跡に入るって……」
「可能性はなくはないんだろう?」
「え……?」
思わず尋ねた途端、逆に問いを返されて、ベリーは思わず聞き返す。
その反応を見て何かを悟ったらしいアールは、まだ必死に言葉を探しているらしいリーナに声をかけた。
「リーナ。どこまで話した?」
「ええっと……。高速艇を貸し出すためには同行者がつくのが条件、という事実のみですわ」
「つまり同行者のことは?」
「話しておりません」
「わかった」
その会話で、気づく。
リーナは、高速艇の貸し出しには同行者が必要だと言った。
そして高速艇は、国の――つまりは王家の所有物だという。
その言葉から考えられることは、つまり。
「まさか……」
「そのまさかだ」
思わず口に出して呟いた途端、くすりとアールが笑う。
その紫の目が、真っ直ぐにこちらを見た。
「お前に同行するのは私だ」
はっきりと告げられたのは、答え。
先ほど思いついたその可能性が正しいのだと、アール本人の口から告げられた。
「でも、あなた仕事は……っ!!」
アールの今の地位は国王補佐。
そう簡単には長く国を開けていられない立場のはずだ。
そんな彼女に、旅についてきてもらうわけにはいかない。
「ちょうど休暇を取れと起こられていたところだったからな。なあ?リーナ」
「ええ」
そう思って尋ねたのに、あっさりとそう答えられ、ベリーは続けようとした言葉を思わず飲み込む。
驚いたその顔を見て、漸く平静を取り戻したらしいリーナがくすくすと笑った。
「お姉様ってば、シルラ様の補佐になられてから一度もお休みを取られていないんですもの。少しくらい休養日を作るべきですわ。シルラ様にはちゃんとお休みを取るように言っていますのに」
「あの子はまだ子供だからな」
「いつまでもそんなことを言っていると、シルラ様怒りますわよ?」
「そうだな」
リーナにぎろりと睨まれ、アールは苦笑する。
彼女だって、いつまでもシルラを子ども扱いしていてはいけないと思っているのだろう。
けれど、10歳も年下ならば、やはり彼女にってはシルラはまだまだ子供という印象が抜けないのは仕方ない。
「というわけでな。陛下から2か月の長期休暇を頂いた。高速艇の使用も許可してもらったぞ」
改めて、アールがそう告げる。
「私では不満だろうが、あの船を完全に自由に使えるのは王族だけだ。我慢してもらおうか」
「不満だなんて……」
苦笑する彼女の言葉に、ベリーは静かに首を振る。
一度心を落ち着けるように息を吐き出してから、改めて顔を上げた。
「ありがとう。よろしく、アール」
手を差し出せば、アールも薄く笑ってそれを握り返す。
しっかりと交わされた握手を見て、リーナがにっこりと微笑んだ。
「では、わたくしは先に港に行って準備をさせておきますわ」
アールの服装には異議があるけれど、彼女が旅をすることに関しては賛成しているらしい彼女は、満足したような笑顔を見せるとそのまま部屋を出て行こうとする。
「ああ、リーナ。ちょっと待て」
そのリーナを、アールが止めた。
「はい?」
「お前、『エクリナの祠』という場所を知らないか」
不思議そうに振り返った彼女に、アールがその問いかけをした瞬間、ベリーは思わず目を瞠った。
「エクリナの祠、ですか?」
「ああ。この国にあるらしいんだが」
首を傾げるリーナに、アールが尋ねる。
「アール……」
「私は知らないが、遺跡に詳しいお前なら知っているかと思ってな」
漸く我に返ったベリーが、驚きを隠しきれないままの声でアールに呼びかける。
そうすれば、アールはほんの一瞬こちらに目を向けてそう続けた。
リーナの趣味はトレージャーハンターだ。
休暇を取るたびに世界中を巡っている彼女なら、聞き慣れない名前を持つ場所のことも何か知っているかもしれない。
そう思ったからこそアールは尋ねた。
リーナも、義姉がそう考えたことは予想がついているようだった。
「そこが最初の目的地なのですか?」
「おそらく、だけどね」
こちらに向かってされた問いに、ベリーは頷く。
確証はない。
だってこれは、リーフが突然自分に伝えてきた場所の名前だから。
自分に伝えなければいけないと思ったという理由だけで告げられた場所の名前だった。
「おふたりの仰る場所かはわかりませんが」
暫く考え込むようにしていたリーナが、ふと口を開く。
自身の足元に向けられていた桃色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見た。
「ベリー様は、この国の西側が山脈になっているのはご存じですか?」
「ええ。地図で、だけれど」
頭の中に以前散々見たこの国の地図を思い浮かべる。
確かそこには、彼女に言う山が記されていたはずだ。
「その山を越えても断崖絶壁しかありませんから、あまり人が近づかない場所なのですけれど……。実はその山脈の東側の麓に、ちょっとした遺跡があるんです」
「初耳だな」
「遺跡と行っても、本当に小さな、洞穴のような場所ですから」
おそらく普通の冒険者なら遺跡とは思わなかっただろうと呟いて、リーナは続ける。
「わたくしがそこを遺跡だと思ったのは、入口にあった門のようなところに古代語が書かれていたから、ですの」
「古代語が?」
「ええ。ただの洞穴だったなら、そんなもの残っているはずがないと思って」
確かに、ただ生まれただけの天然の洞窟ならば文字など残っていないだろう。
何かしらの理由で作られた、あるいは利用された場所だと考えるのが普通だ。
そして、そんな場所を遺跡と呼ぶならば、そこは確かに遺跡だった。
「それで?」
「その文字ですが、ほとんどが書けてしまっていて読めなかったのですけど、一言だけはっきり残っている部分があったんですわ」
手が加えられていなかったから、きっと風化してしまったのだろう。
残された文字は読めるものがほとんどなかったけれど、ただひとつ、それだけははっきりと読むことができた。
「確かそれが、『クリナの祠』という言葉だったと思います」
「クリナ?確かに似ているが、ベリーが探しているのは……」
「わかっていますわ。その文字、クの前にもうひとつ、文字の後がありましたの」
アールの問いに、リーナははっきりとそう答える。
けれど、その表情はすぐに曇った。
「残念ながら崩れてしまってなんと書いてあったのかはわかりません。けれど、もしかしたら、もしかするかもしれませんわ」
崩れてしまっていた以上、そうだとははっきり断言はできない。
けれど目で見た感じでは、それが文字の頭ではなかったことだけは確かだと言える。
だから、あくまで可能性でしかないけれど、そこがそうだという予想はできた。
「クリナの、祠……」
「どうする?」
思わずその場所の名前を呟けば、アールがこちらに向かって尋ねてくる。
「はっきりそうだと決まったわけではないが、可能性はある。行ってみるか?」
もしかしたら、そこはベリーの探し物とは全く関係がない、別の場所かもしれない。
けれど、もしかしたら、そこがリーフが告げた場所で、そこに探しているものがあるのかもしれない。
無駄足になるのか、それとも当たりなのか、全く分からないその状況。
けれど、ベリーは既に心を決めていた。
「……ええ、行くわ」
リーフが告げたそこに探し物があるという確証自体が、そもそもないのだ。
ここで悩んだって何も始まらない。
その場所がはずれだったとしても、リーフの言葉自体が全く無関係だったとしても、他に手がかりがない以上は行くしかないのだ。
「決まりだな」
はっきりと告げた言葉を聞いて、アールが薄く微笑む。
「リーナ。その祠、山脈のどの辺にあった?」
彼女が再びリーナに顔を向けて尋ねると、リーナは少し考え込むような仕草を見せた。
「詳しい場所まではちょっと……。ただ、一番西の町から半日もかからなかったと思いますわ」
「西の町……。ウエストウッドか」
「はい」
「そこならば飛べそうだな……。わかった。ありがとう」
心当たりのある町なのか、アールは呟き、1人頷く。
リーナに礼を言った直後、何かを思い出したのか、ベリーへと顔を向けようとしていた彼女は、再びリーナを見た。
「リーナ、すまないが高速艇の船員に」
「はい。いつでも出発準備をしておくよう、伝えておきますわ」
義姉の言いたいことなどお見通しだったらしいリーナは、にっこりと笑って快くそれを了承する。
「では、失礼いたします。おふたりとも、よい旅を」
マントの裾を摘み、上品にお辞儀をすると、彼女は笑顔のまま部屋を出て行った。
その足音が離れていくのを待っていたのだろうか、暫くしてからアールがこちらを振り返った。
「さて、私たちも行くぞ」
「ええ。でも、高速艇だけでなく、馬まで借りるわけには……」
「いいや。馬など使わないさ」
「え……?」
アールの言葉に驚いて彼女を見る。
目が合った瞬間、彼女はにやりと笑った。
「ウエストウッドなら行ったことがある。一気に『飛ぶ』ぞ」
それを聞いた瞬間、ベリーは思わず目を見開いた。
『飛ぶ』という言葉の意味を知らないわけではない。
時間の短縮を望むベリーのために、アールは転移呪文を使うつもりなのだ。
一度でも行ったことがあり、頭に周りの風景を描くことができればどこにだって行けるそれ。
セレスやペリドットは割りと頻繁に使ってはいるけれど、実は術者には結構な負担がかかると聞いた。
「わかった。無理は、しないでよね」
「私を誰だと思ってるんだ?」
だから、その言葉をかけたのだけれど、アールはにやりと笑ってそれを流す。
アールも、一般の者たちから見ればかなりの高レベルの魔道士だ。
それくらい負担でもなんでもないと笑って言う彼女に、ベリーはふっと微笑んだ。
こんなにも、友人というだけで、いろんなことを快く引き受けてくれる人だとは、ほんの少しだけ意外だった。
交流の少ない自分は、まだ帝国時代の彼女のイメージが抜けていなかったから。
きっとセレスに話したら、何を今更と呆れられるに違いないと思う。
そんな自分に苦笑して、今までの認識を全て意識の外に吐き出す。
それを全て終えてから、改めて顔を上げ、真っ直ぐにアールを見た。
「わかったわ。改めてよろしく、アール」
「ああ、任された」
再び手を差し出せば、彼女はしっかりとそれを握り返した。