Chapter7 吸血鬼
25:聞こえない声
水晶から出た光を追って歩き出して、森だったろう場所の奥へと向かう。
光は、1本の木に吸い込まれるように消えていた。
「ここか」
アールが見上げるときには、1本の枯れ果ててしまった大木があった。
「こんなところに『鍵』が……?」
「この森は魔妖精が来る前はこんな状態ではなかったという話だ。不思議はないんじゃないか?」
「それは、そうだけれど……」
きっとこの木だって、こんな状態になる前は立派な大木だったのだろう。
それは頭ではわかっていた。
「問題は、これはどうやって中に入ればいいの?」
「近くに入口になりそうなところはないのか?」
アールに尋ねられ、ベリーは辺りを見回す。
「木の幹自体には何もないみたいだけど……」
「となると、あるとすれば地面か」
呟いたかと思うと、アールは突然座り込んだ。
そのまま地面の枯れ葉や草を掻き分け始めたその姿を見て、ベリーは目を丸くする。
「アール?」
「ここはあの塔の出現でだいぶ変化が合ったらしいからな。本来は見える場所にあったものも、埋もれてしまったのかもしれない」
ふと、アールが土に汚れ始めた手を止めた。
その目がこちらを見る。
「探すだろう?」
否定の言葉が返ってくるとは微塵も思っていない。
そんな雰囲気すら思わせるその言葉に、ベリーは思わず眉間に皺を寄せた。
「……ええ、もちろん」
別に、最初から嫌だと思っていたわけではない。
けれど、こんな風に言われてしまっては、躊躇もしたくない。
いつかセレスが言っていたように、実は負けず嫌いであるベリーは、アールと同じようにその場にしゃがみこみ、枯れ草を掻き分け始めた。
暫くの間、2人とも無言だった。
言葉を交わすことよりも、何かを見逃さないようにすることに2人とも意識を集中していた。
「ベリー」
どれくらい時間がたった頃だろうか。
不意にアールに名を呼ばれ、ベリーは顔を上げた。
「これ、ゴルキドの竜の祠と同じじゃないか?」
アールが、自分の目の前の地面を指して尋ねる。
今いる場所からそこが見えるはずもなく、ベリーは立ち上がるとアールの傍へと向かう。
覗き込んだそこには、石板のようなものがあった。
穴の開いたそれに書かれているのは、ウィズダムのいた祠やミルザの聖窟で見たものと同じ文字だった。
その文字を、じっと見つめる。
全て読み終えると、ベリーは静かに頷いた。
「ええ、そうだわ」
「じゃあ、この穴は」
「これね」
水晶球のまま道具袋に突っ込んでいた魔法の水晶を取り出す。
それを石板の中心の穴に入れると、予想どおり光が溢れた。
その光は穴から飛び出したかと思うと、大木の根元に向かって走る。
ごごっと何かが動くような音がして、大木の根元の地面が割れた。
いや、違う。
土の下に隠されていた扉が開いたのだ。
「ここが入り口か」
「こんな風になっていたのね」
大木の根元は最初に探したはずだった。
下へと続く階段へ落ちた土の量を見る限り、それなりに土を被せてあったようだ。
これでは手で土を書き分け程度ではわからないだろう。
「行きましょう」
地価へと続く階段を見つめたままベリーが呟く。
そのまま歩き出した彼女の後を、アールは何も言わずに追った。
入る前に持っていた道具で簡易照明を作り、ベリーに渡す。
それを受け取ったベリーは慎重に階段を折り始めた。
階段は暫く真っ直ぐ続いていたようだったが、途中から螺旋状になっているようだった。
どれだけの深さを降りたのだろう。
暫くすると階段は途切れ、ほんの少し開けた空間に出た。
「ここは……あの木の根元か」
石造りの部屋の壁の隙間から飛び出している木の根を見て、アールが呟く。
その声を聞きながら、ベリーはずっと握っていた手を開いた。
スターシアで手に入れた『鍵』のブローチ。
階段を下りてくる途中で道具袋から取り出しておいたそれが、淡く光を放っている。
その光に呼応するように、部屋の奥に光が生まれた。
暗くてよく見えなかったが、そこは祭壇になっているようだった。
近づくと、そこには台座があった。
その上に、淡い光を放つ女性の姿を象った像が置かれていた。
虫のような羽が背中から生えているということは、きっとモデルは妖精の女性なのだろう。
「ブローチが反応してる。ということは、これが『鍵』?」
像に近づけたブローチの輝きが増していた。
ブローチを左手に握り締めたまま、ベリーは妖精の像を手に取った。
それを待っていたかのように、ブローチと妖精の像を包んでいた光が、溢れるように床に落ちる。
それは人の形を象ると、いつものようにミルザの姿を作り出した。
「ミルザ……!」
スターシアでのことがあった後であったからか、ベリーは彼にかけた声は、いつものように落ち着いたものではなかった。
その声に、現れた幻影は目を開ける。
目が合ったかと思った瞬間、彼はにこりと微笑んだ。
いつもなら、彼はこの後、次に行くべき場所を示してくれるはずだった。
けれど、今回は何も言わない。
口を開かないまま薄く慣れ始めたその姿を見て、ベリーは慌てて声をかける。
「待って!次は何処に……」
ミルザの口が、開いた。
それが何か言葉を紡ぐが、声は発せられなかった。
その言葉を読み取ることができないうちに、幻影もそれを象っていた光も、暗闇の中に消えてしまう。
その姿をその場に止めようとして伸ばしたベリーの手は、むなしく虚空を掴んだだけだった。
「……消えたな」
「どういう、こと?」
アールの言葉に頷くこともできないまま、その場に立ち尽くす。
「何か言っていたようだったが、聞こえたか?」
その問いに、ベリーは黙って首を横に振ることしかできなかった。
彼は確かに言葉を紡いでいたのに、それを聞き取ることはもちろん、読み取ることすらできなかった。
ずっと、ミルザの幻影がくれるヒントにのみ頼っていたというのに、これでは次にどうしたらいいのかわからない。
「とりあえず、出るか」
「そう、ね……」
彼が消えてしまい、再び会う方法もわからない以上、ここにいても仕方がない。
それはベリーだって理解していた。
だから、彼女はアールの提案を拒否することはせず、力なく頷いた。
外に出て、石板から魔法の水晶を取り出す。
地下祭壇へ繋がる扉が完全に閉じたことを確認すると、アールは立ち尽くすベリーを振り返った。
「どうするんだ?これから」
予想どおりに問いかけ。
それを耳にしたベリーは、軽く深呼吸をする。
ここにいても仕方がないのは、彼女にだってわかっていた。
「あの幻影が何も言ってくれない以上、わからないわ」
ここまではずっと、彼がヒントを与えてくれていた。
それがなくなった今、どうすればいいのかなんて、すぐにはわからない。
「残っている国は、ジュエルとシルヴァンか……」
「ええ」
かつて魔族の住んでいた国と、今は沈没してしまった大陸にある国。
この世界で足を運んでいないのは、もうその二か所だけだった。
前者はともかく、後者はどうやって探せばいいというのか。
「なあ……」
悩んでいると、ふと傍から声が聞こえ、振り返る。
小さく聞き返せば、彼女は考え込むような仕草のまま、視線だけをこちらに向けた。
「……私の勝手な考えだが、ジュエルにはないんじゃないか?」
「え?」
思いもしなかったその言葉に、ベリーは思わず目を見開く。
けれど、すぐにそんな表情など見せなかったかのように冷静に尋ねた。
「どうしてそう思うの?」
「あの国は1000年前にミルザが封印した国だろう?そんな国に、彼自身が何かを封印したとは考えにくいんじゃないか?」
「言われてみれば、そうね……」
あの国は、かつてミルザが旅をしていた頃に、彼自身が封印した国だ。
大陸自体はそのまま残っていたけれど、そこにあった街は、住んでいた魔族ごと別の空間に閉じ込められていた。
そんな場所に、ミルザがさらに別のものを封印したりするのだろうか。
下手をすれば、魔族の国にかけた封印が解けてしまうかもしれない。
そんなことをミルザがするとは思えなかった。
「となると、残りの問題はシルヴァンのわけだが……」
「あの国には、近づく手段がないんだったわね」
インシングには海底を調査できるような乗り物はない。
加えて、シルヴァン帝国の会った大陸は浅瀬に囲まれ、船では近づけない。
そうなっては、さすがのアールにもお手上げだ。
世界一の魔法技術大国であるマジック共和国ですら手段を用意できないとなれば、他の国に頼んでも何とかなるとは思えない。
完全に、手詰まりということになる。
そう考えて、ベリーはため息をついた。
ふと、空を見上げる。
アースからこちらに来て、どれくらいの月日が流れてしまったのだろう。
向こうとこちらでは時間の流れが違う。
おそらく、そろそろミスリルに提示されたタイムリミットが迫っている頃だ。
これ以上、こちらにいるわけにも行かないだろう。
一度、帰った方がいいかもしれない。
そう考えたベリーは、もう一度、今度は深いため息をつく。
それを全て吐き出した後、彼女は少しだけ落ち着いた表情でアールへと視線を向けた。
「ありがとう、アール。ここまででいいわ」
「何?」
アールがその顔に驚きの表情を浮かべる。
予想どおりのその表情を見て、ベリーはもう一度、先ほど告げた言葉を口にする。
「ここまででいいわ。今まで本当にありがとう」
「1人で行くつもりか?あの国に、お前だけで一体どうやって……」
「違うわ」
食って掛からんばかりの表情を浮かべるアールと向かい合ったまま、ゆっくりと首を振った。
「私は、一度向こうに帰るつもり」
「向こうって、アースか?」
驚くアールの問いに、ベリーは静かに頷いた。
「そろそろミスリルと約束した期日になりそうだし。一度帰ってもう少しこっちにいていいか交渉してくるわ」
「……そうか」
アールがほっとしたように息を吐き出す。
それを見て、心の中で苦笑した。
心配されているのは、わかっている。
だから、彼女の反応に文句を言うつもりはなかった。
安心したらしいアールは、一度息を吐き出すと、気を取り直したように顔を上げ、こちらを見た。
「このまま帰るか?」
「ええ。そうするわ」
本当はアールをマジック共和国に送り届けるべきなのだろう。
だが、それを言い出しても、彼女は遠慮をすると思ったのだ。
転移呪文があるから大丈夫だとか、そんな理由をつけて。
「お疲れ」
薄い笑みを浮かべてそう言ったアールに、ベリーも笑みを返す。
「ありがとう。あなたも帰り、気をつけて」
「ああ」
「それじゃあ」
軽い挨拶を交わして、アースに戻ろうと、ゲートを開けるために空中に片腕を伸ばす。
そして、いつものように空間に次元の扉が開くよう、念じた。
「……え?」
そう、念じた。
念じたはずだった。
いつもはそれだけで呪文が発動し、扉と読んでいる空間の穴が開くはずだった。
けれど、おかしい。
念じているのに。
何度も念じているのに。
空間が、揺らがない。
「ゲートが、開かない」
最後の言葉を、口にしたのはきっと無意識だった。
けれど、それは傍で見守っていたアールの耳に届いたらしい。
「何だって?」
驚く彼女の声に、我に帰る。
「待って。もう一度やってみるわ」
何か言おうとした彼女を遮って、今度は両手を宙に向かって伸ばす。
ゆっくりと目を閉じて、深く息を吸い込んだ。
「精霊よ。今ここに、世界を越える力を我に与えよ。異界の扉よ。我らが前に姿を現わし、我らを異界の地へ誘わん」
手に魔力が集まってくるのを感じる。
それを空間にぶつけ、その勢いで扉を開けるような、そんなイメージを頭の中で構築する。
「ゲートっ!」
そうして、言葉と共にその魔力を放つ。
けれど、やはり空間に変化は起こらない。
放たれた魔力はそのまま散り、宙に消えていってしまうような、そんな感覚だけが残される。
「異界の扉よ!」
見かねたらしいアールが、同じように呪文を唱える。
けれど、彼女の前の空間にも変化は起こらない。
「開かない、だと……」
信じられないとばかりにアールが目の前の空間を見つめる。
同じだ、と思った。
微かだったけれど、空間にぶつけようとした魔力が拡散するのを感じた。
普段は、こんなことは起こることなどなかったのに。
「どうして……?これは、一体どういうこと?」
理由などわからない。
思いつくはずもない。
ただひとつわかるのは、インシングとアースの行き来ができなくなり、仲間たちのところへ帰れなくなってしまった。
その、事実だけだった。