SEVEN MAGIG GIRLS

Last Chapter 古の真実

2:卒業の足音

「はい。これ」
理事長室に入るなり、デスクに座る百合に手招きされたかと思えば、プリントを手渡された。
「は?」
突然のそれに、赤美は思わず間抜けな声を漏らす。
今年度で解散となる理事部の、本来生徒会が担うべき部分の仕事の生徒会への引継は無事に終わったはずだ。
もう自分たちが役員として学校行事に関わることはないはずで、だからこそなんだろうと、そのプリントへと目を落とすと。
「……は?」
そこに書いてあった予想もしなかった文字に、赤美はますます困惑した。
「何これ?『魔燐園退所届』?」
「あとで書いて持ってきて」
「いや……、っていうか魔燐園って何?」
全く覚えがない施設名に、赤美は思い切り眉を寄せて百合を見る。
『魔燐』というからにはこの魔燐学園の関係施設なのだろうか。
だが、初等部からこの学園に在籍している赤美だけれど、そんなものは聞いたことがない。
そう思って尋ねれば、百合から思いもがけない言葉が返ってきた。
「あなたたちが入ってることになっている児童養護施設の名前よ」
「……は?」
一瞬、本気で何を言われたのかわからなかった。
ぐるぐると頭の中でその言葉を回して、反復して、それでも飲み込めずに首を傾げる。
一通りのその動作を無意識に行ってから、赤美は百合を見た。
「ちょっと待って。何それ初耳なんだけど」
「でしょうね。私も最近初めて知ったわ」
「はい?」
言っている本人が何を言うんだと言わんばかりの頓狂な声を上げてしまう。
その赤美の顔を見た百合は、思わずと行った様子でため息をついた。
「まあ、おかしいとは思っていたんだけれどね。いくら親が貯金を遺してくれたからって、ここまで不自由なく暮らせるはずないもの」
「ちょっと。何の話……」
目の前の友人が、本気で何を言っているのかわからない。
そう思い、思わず声をかけようとした途端、百合の顔が上がった。
その、今は黒い瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめる。
「赤美。両親なし親戚なしの孤児のあなたと紀美ちゃんが、この世界で不自由なく暮らせるのはどうしてだと思う?」
唐突に、そんな質問が投げかけられた。
突然のそれに、頭が回らなくなる。
質問の意味を噛み砕いて、必死に答えを組立てる。
「えーと。両親の貯金が……」
「本気でそう思ってる?」
漸く絞り出したその答えを、百合はばっさりと切り捨てた。
口調は疑問系だったけれど、赤美にはそう聞こえた。
思わず言葉を失う。
ほんの少し間を置いてから、赤美は大きく息を吐き出した。
「まあ……。中学の頃から不思議だなとは思ってたんだけど」
ため息とともに吐き出したその言葉からは、先ほどまでの戸惑いや迷いは消えていた。
やっぱり。
そんな思いがありありと込められた声だった。
ずっと、そう聞かされてきた。
誰に、と聞かれれば、両親が亡くなったときに家に来た、学園の職員のような人たちに、としか答えるしかない。
子供の頃はそれを信じるしかなかったけれど、成長するにつれ、だんだんと違和感を感じていた。
いくら両親が自分たちの養育費を蓄え、それを知人であった学園の理事長に管理を任せていたからとはいえ、この国で子供を2人育てられるほどの蓄えができるものだろうかと。
ミルザの一族として、インシングの人間として目覚めてからは、特に。
素直にそう告げると、百合はほんの少しだけ笑みを浮かべたように見えた。
その表情はすぐに消え、少し大人びた理事長としての顔になる。
「あなたと紀美ちゃん。沙織と実沙と鈴ちゃんは、書類上、私の祖父が立ち上げた児童養護施設に入所していることになってるわ」
「それって学校法人がやっていいの?」
「そっちに関しての登記は社会福祉法人でしてあったから問題ないんじゃないかしら?」
百合自身もよく知らないのか、少し不満そうな表情で答えが返ってくる。
それでいいのかと思いながら、赤美は小さくため息をついた。
自分たち姉妹と沙織たち3人だけ、という理由はわかる。
百合には、15歳になる年まで血の繋がった祖父がいた。
祖父が存命だった頃は祖父と暮らしていたし、亡くなった後は、こちらの世界に住んでいるらしい祖母方の親戚に引き取られた形になっているらしい。
美青はシンガポールに姉兄がいる。
長姉は美青より10歳も年上で、頭もいいらしく。美青が日本に来た6歳のときには、既に飛び級で大学を卒業し、弁護士資格を所有していた。
だから2人は児童福祉施設に入る必要がなかったのだ。
「あなたたちが初等部の頃に入っていた集合寮を施設ってことにしたみたい。それで、希望する子のみ、中等部に上がったら単独寮に移れるってことにしてたみたいよ」
「なるほど。つまり、あたしたちが聞かされてた『百合んちから援助をしてもらってる』っていうのは、この『施設に入所しているから、その保護下にあった』ってことで、『高校卒業まで寮にいていい』っていうのは、『この施設にいられる年齢が18歳までだから』ってことだったんだ」
「そういうことになるわね」
小学生の、それもまだ10歳にもなっていない子供に説明するのであれば、『親の友人の家に援助をしてもらっている』というのがわかりやすいのかもしれない。
百合からの話を聞いている限り、自分たちインシングの子供を保護するためだけに作られた仮初めの施設だ。
下手に説明して話が広がるより、この形で説明しておいた方が都合がよかったというのも、きっとあるのだろう。
今ならばともかく、当時の自分たちに、自分たちの置かれている境遇を理解できたとも思えない。
それは、わかる。
わかるのだけれど。
「っていうか、普通それってOKなの?」
「詳しいわけじゃないけれど、たぶん本来なら問題あるんじゃないかと思うわ」
一番の疑問をぶつけてみた。
そんな、知り合いの子供を保護するだけの目的で、とても限定的な公的施設を設立することが許されるのか。
けれど、百合はあっさりとそんなことを言い返した。
その途端、赤美は自分の顔が引き攣ったのを自覚する。
それを見たからかどうなのかはわからないけれど、百合はため息をひとつ吐き出した。
「まあ、入所者はあなたたち5人だけで、新規を入れるつもりはなかったようだし。その辺はうまくやってたんじゃないかしら?」
「百合のおじいちゃん一体どういう人だったのよ……」
「単独でこっちに来て、永住できてしまうくらい頭も回る人だったんでしょうね」
あっさりとそんな答えが返ってきて、そうだった、と思い出す。
百合の祖父は、こちらの世界に住んでいたけれど、生粋のインシング人だ。
当時はインシングとは繋がっていなかったはずのこの世界に、何らかの理由で投げ出され、たまたま百合の祖母に助けられるという何処かの物語のような経験をして、以来こちらで生きてきたのだという。
百合の祖父の場合は、自分たちの母親とは違い、全く言葉が通じない状態でこの国で生き延びたのだ。
それだけを考えても凄い人だとは思う。
言葉の通じない場所でたった1人で生きて行くことは、世界中の言語がほぼ統一されているインシングの人間には、かなり厳しいことだったろうと思うからだ。
実は赤美たちの先代や英里、陽一たちがこの国の言葉を最初から理解することが出来たのは、『魔法の水晶』を通じた精霊の加護による特殊な力のおかげだ。
こちらの世界で育った赤美たちがインシングの言葉を理解できたのも、やはり精霊の加護のおかげである。
言葉がすんなりわかる分、そして先に住んでいる人間がいた分、母たちも自分たちも苦労はしていないのだろう。
「リーナは、確か独学だったっけ?」
「は?何の話?」
「いや、何でもない。独り言」
思わず口に出ていた呟きを飲み込んでから、赤美はもう一度施設の退園届に目を通す。
「ん?この施設の責任者って……?」
「祖父の秘書みたいな人よ。祖父が亡くなってから、その人が引き継いでくれているの」
そんな話も、もちろん初めて聞いた。
それだけであれば、驚かなかっただろう。
驚いたのは、百合の次の一言だ。
「ちなみに、私たちがインシング人だってことも知ってるわ」
「えっ!?」
思わず勢いよく顔を上げた。
無意識に動かしてしまった手が、デスクの上のペン立てにぶつかって倒れる。
百合が思い切り嫌そうな顔をしたけれど、仕方が無い。
それくらい驚いたのだ。
「大丈夫よ。祖父の古い知り合いみたいで、私たちの両親がこっちに住む段取りを整えるのも手伝ってくれた人らしいから」
「誰から聞いたの?」
「お母さんの記憶」
右手の薬指にはまった、茶色のガラスのような素材で作られた指輪を左の人差し指で叩きながら百合が答える。
その指輪は、赤美が左腕にしている腕輪と同じ、『魔法の水晶』が姿を変えた物だ。
その水晶の中には、先代の記憶が一部封じられていて、インシングの人間として覚醒した際、それは直接持ち主の頭の中に流れ込んできた。
その中に、その人物の存在の記録されていたということらしい。
「実は祖父が亡くなってから私が高等部に上がるまで、この学園の理事長代理もしてくれていたのよね」
「は?」
あっさりとそう付け加えた百合の言葉に、赤美は思わず疑問の声を漏らした。
確かに、百合の祖父が亡くなったのは、自分たちが中等部にいた頃だったけれど。
「あれ?だって百合がここ継いだの、中3のときじゃ……」
「中学生が働けると思ってるの?」
ぽかんとした表情を浮かべ、思わず尋ねると、その前から呆れたような冷たい声が帰ってくる。
目の前の理事長は、ひとつ、長いため息をつくと、もう一度こちらを見上げた。
「厳密には就業できる規定はあるそうだけれど、私の場合それには該当しないわ。だから、高等部に上がるまでは、私は名ばかりで、実際はその人が代理をしてくれていたわけ。祖父の遺言でもあったしね」
つまり、その代理の人が家族を失った百合の後見人になっていて、彼女が働くことの出来る年になるまで面倒を見ていた、ということなのか。
「そのまま大学を卒業するまで代理をする予定だったのだけれど、中等部卒業で譲ってくれたのは、アールたちの件があったからね」
「ああ……」
なんだかもう遠い昔のような気がしていたけれど、そういえば初めてアールと出会ったのは、こちらの時間では3年前――中学3年の頃の話なのだ。
あのときダークマジックが次元を超えてこちらの世界に襲ってきたから、こちらの世界で暮らしていた自分たちは覚醒した。
「私自身に権限があった方が動きやすいだろうって言ってくれてね。確かに、いろいろ助かったわ」
仲間たちが作戦会議がしやすいようにと、理事長室に自由に出入りをできるよう、理事部なんてものを作ることができたのも、あのとき百合に理事長という肩書きがあったからだ。
実際には、あのときには百合の後見人が理事長代理をしていたはずだから、その人が作ってくれたということになるのだろうが。
「そうだ。忘れるところだったわ」
ふいにそんな百合の声が聞こえて、ぼんやりとそんなことを考えていた意識を引き戻す。
「あなたはこれも書いておいてちょうだい」
「え?」
視線を戻した瞬間に差し出された紙を、反射的に受け取る。
突然のことに目を瞬かせながらそれを見て、思わず目を見張った。
「単独寮の継続使用届?」
「そろそろ3年生の寮生には退寮届が配布されるはずなんだけど、あなたは紀美ちゃんの卒業までこっちにいる予定なんでしょ?」
「まあ、一応は……」
卒業したらインシングに移り住む予定で、大学は受験していない。
もちろん就職活動もしていなくて、アルバイトでもしながら、近くにアパートでも借りて、紀美の卒業を待とうかと思っていたのだ。
「それ、本来は進学せずに就職する卒業生用の、卒業後の住居が決まるまでは寮にいさせてほしいっていう届出だから、そのまま紀美ちゃんと暮らすんだったら、退寮届じゃなくそっちを出して」
「えっ?」
百合の言葉に、驚いた彼女を見る。
視線が合った途端、百合は訝しげにこちらを見つめ直した。
「何?」
「いていいの?」
「出るつもりだったの?」
「ほら。今、家具家電付のアパートもあるし……」
「今から探したって、市の外れにある大学の新入生で埋まっちゃってると思うわよ?」
「う……」
もう2月だ。
推薦で大学を受けた受験生にはもう結果が届いていて、あの大学の寮に入れなかった学生たちがアパートを探し始めている時期だ。
いいところは埋まってしまっているだろう。
「何より、保証人はどうするの?」
「ぎゃあ!」
すっかり頭から抜けていた。
そういえば、アパートを借りるには保証人が必要だと、調べたときに書いてあった気がする。
保証会社なんてところもあるけれど、収入のない未成年の保証人になってくれるのかなんてわからない。
そして、保証人になってくれそうな大人の知り合いなんているはずもない。
「……お言葉に甘えます」
「よろしい」
ぐるぐると思考を回して、結局そう結論を出して頭を下げた。
それを見た百合が、満足そうに笑う。
それを見て、ほんの少しだけ悔しくなった。
気分を変えるつもりで、わざと盛大な溜息をつく。
「だけどそうか……。もうあとひと月で卒業か……」
あまり実感がないのは、高等部に上がってから、放課後はずっとインシングを飛び回っていたせいだろうか。
「こっちにいるとしか聞いてないけど、あなたは卒業したらどうするの?」
「ん?卒業したらクラーリアに帰るつもり」
百合に問いに、赤美は天井を仰ぎながら答える。
向こうにも血縁なんていないけれど、住居の手配についてはエスクール王家が手を貸してくれると約束を取り付けてあった。
「百合は?」
そのまま視線を戻せば、彼女は薄く笑みを浮かべた。
「少なくとも、紀美ちゃんと鈴ちゃんが卒業するまでは、ここで理事長をしている予定よ」
「そのあとは?」
もう一度尋ねれば、百合の顔から表情が消えた。
「……さあ」
視線を逸らした彼女の口から、帰ってきた答えはその言葉。
「さあって……」
「正直決めかねてるのよね。私は向こうの人間だけど、父方は祖父の代からこっちにいて、こっちに親戚もいる」
「うん」
「けれど、ミルザの血筋を残すという意味では、インシングに帰らなければならないと思ってもいるわ」
1000年前の勇者ミルザ。
その血を繋いでいくことは、彼が精霊とした契約のひとつで、その子孫たちの使命だから。
それを、どうにもならない理由があるわけでもなく拒否することは、契約違反になってしまう。
そう、代々教えられてきた。
インシングにおいて、精霊と契約が出来る存在は特別だ。
そして、それを人間側が勝手に破棄することはタブーだと、そう伝えられている。
「本当は血なんかに縛られることないんだろうけど」
「……だね。ごめん。何でかあたしも、これに関してはそう言えないや」
皇族でもない限り、血筋なんてたいした意味を持っていないこの現代日本で生まれ育った自分たちだから、そう考えてしまうのだろう。
けれど、インシングではそうもいかない。
わかっているからこそ、赤美もそう言って口を噤むしかない。
「あたしら以外にだったら、陽一みたいに国でも背負ってない限り、そう言っちゃえるんだけどなぁ」
「あんなに頻繁に何か起こってたら、仕方ないかもしれないわね」
この4年、インシングの時間に換算すれば2年足らず。
その間に事件が起きすぎだ。
先代までは、せいぜい多くて3つくらいだったというのに、自分たちの代だけ起きすぎではないだろうか。
「あ」
ふいに、先ほど自分の口にした陽一の名で思い出した。
「そういえば……。魔燐園に入所してるのはあたしら5人だけだって言ってたけど、陽一と英里は?」
あの2人もインシング人だ。
確かアルバイトも何もしていないはずで。
戸籍は一体どうなっているのだろう。
生活費は、自分たち同様、百合の家から援助が出ていると聞いているけれど。
「陽一は美青と同じ。海外に家族が住んでいて、1人で日本に残っているってことになってるわ。英里はこっちに来たときに自分で戸籍や住民票を捏造したみたい」
「捏造って……」
「捏造でしょう。厳密に言えば、私たちだって似たようなものよ」
言われてみればその通りだ。
先代も、突然こちらの世界に投げ出され、籍なんてなかったはずで。
ないはずのそれを、日本人としてでっちあげたのだから、間違いなく捏造だった。
陽一は、初めてこちらに来たときの状況を考えると、たぶん百合が戸籍の捏造に一枚噛んでいるのだろう。
大変だななんて他人事のように考えて、ふと気づく。
「沙織たちも、卒業したらインシングに帰るんだもんね」
「そう言ってたわ。元々陽一と英里は向こう育ちで家もあるしね」
沙織はきっと、そのまま英里の家に身を寄せるのだろう。
あの2人は又従姉妹同士だ。
何の不思議もない。
陽一は、王都に戻って即位の準備だと言っていたはずだ。
美青は一度シンガポールの姉兄のところへ戻ると言っていたっけ。
実沙は、どうするのだろうか。
「なんにせよ」
見えない未来に飛びかかっていた意識が、再び百合の呟きによって引き戻される。
視線を戻すと、彼女はにやりと笑った。
「卒業まで、何事も起こらないといいわね」
「……そういうフラグ立てるのやめてくんない?」

2015.09.22