Last Chapter 古の真実
22:巡る
眩い光の中に、ルビーはいた。
目の前を、いろんな光景が流れていく。
知識とか、そんなものだけではない。
想いが、流れていく。
慈しみ、愛しさ、暖かさ、悲しさ、憎しみ、殺意。
いろんな感情が、胸の中を駆け巡っていく。
時には、駆け抜けるその感情が混ざって、溢れて、止まらなくなって。
そして唐突に、理解した。
これは、『継承』などではない。
女神の力の継承と言われて落とされた空間。
でもここにいるのは、ただの知識ではない。
こんなにもここを満たす感情は。
こんなにも溢れてくる想いは。
目が回る。
ぐるぐるぐるぐる。
目まぐるしく変わる景色に。
襲ってくる感情に。
思考が安定しなくなって、呑まれそうになる。
違う。呑まれたのだ。
呑まれて、混ざって。
そして、目の前に広がったのは、膨大な赤。
襲ってきたのは、息苦しさと、押し潰されそうになるほどの憎悪と、それから。
それから。
「うああああああああああああああああああっ!!!!」
ばちんっと、強く弾かれるような感覚がした。
次の瞬間、体がぐらりと傾き、勢いよく尻餅をつく。
ばちばちと目の前が点滅している。
頭の中がかき回されるような感覚がして、酷く気持ち悪い。
天地がひっくり返っているような気がした。
自分が座っているのか浮いているのかすら、よくわからない。
ぐるぐると回る視界をなんかしたくて、額を片手で覆ったまま、天井を仰ぎ見る。
その視界に、黒いものが入った。
「大丈夫ですか?」
「……あ」
その声を聞いた瞬間、ぼやけていたはずの視界が急にクリアになった。
視線が、合う。
「ルビーさん?」
その男の、紫の瞳を見た瞬間、ルビーは飛び上がるように立ち上がった。
その勢いのまま右手を伸ばし、男の胸ぐらを掴み上げる。
驚いて目を丸くした男は、しかし次の瞬間、別の意味でその目を大きく見開いた。
「お前……っ、ウルスラグナ……っ!!」
ルビーが口にした名前は、それまで彼が名乗っていた『セラフィム』ではなかった。
それに気づかないまま、彼女は男を睨みつける。
「何が継承だ!これは、この『記憶』は……!!」
これはただの知識の継承でも、力の継承でもない。
ミルザの子孫として覚醒し、水晶の中に眠っていた力を継承したときと、あまりにも違いすぎる。
流れ込んできたそれは、遠い過去に存在した女神の記憶。
いいや、そんなものじゃない。
これは、この記憶は、間違いようもない。
「これは『継承』なんかじゃないじゃない……!!」
セラフィムを睨みつけたまま、ルビーは腹の底から叫ぶ。
黙ってそれを聞いていたセラフィムは、にこりと微笑んだ。
「ええ、そうですよ」
悪びれる様子もなく、あっさりと口にされたそれに、頭が一気に冷えていくのを感じた。
見つめる男の瞳は、静かな光を湛えたままだ。
「私をそちらで呼ぶと言うことは、もう全て理解されているでしょう?」
言葉が頭に染み込んでいく。
セラフィムの胸ぐらを掴んでいた手を、ゆっくりと話す。
その手で自らの額を覆うと、ルビーは盛大にため息を吐き出した。
「……ええ。理解したわよ」
彼の言わんとしていることも、この『継承の儀』が本当は何なのかも。
全て『理解した』。
「本当に、勝手な……」
「それが我々です。違いますか?」
笑顔を湛えたまま、男は穏やかに告げる。
それが、とても憎らしい。
けれど、否定は出来なかった。
「……そうだったわね」
大きなため息をついて、ルビーは目を閉じた。
視界は、頭の中はまだぐるぐると回っている。
平衡感覚が無くなっていて、立っているのがやっとなほどだ。
何とか落ち着けようとするけれど、膨大な記憶と力を手に入ればかりの体は、それを処理するのがやっとで、今すぐ座り込みたくなる。
『気分を害したこと、謝罪いたします』
熱すら感じて、ふらふらした思考を、切り裂く声が耳に届いた。
少しだけ低い、テノールのそれ。
「サラマンダー?」
片手で額を覆ったまま目を開ければ、いつの間にか側に、人間の青年の姿をした火の精霊が跪いていた。
『ですが、我々には誓約がございました』
頭を垂れたまま、彼は口を開いた。
『神界の者以外には、真実を語ること無かれ。その誓約により、我らは本来得ることの出来ないはずの力を維持してきたのです』
「そうですね。というわけで、彼を怒るのは筋違いです」
セラフィムが、まるでサラマンダーを養護すると言わんばかりに胸を張ってそう言った。
それを見て、ルビーは盛大なため息を吐き出す。
サラマンダーに対して怒りを抱いているなんて思われているなら、それはお門違いというものだ。
「最初っから精霊たちには怒ってないけど?」
「おや、そうでしたか?」
「こんなことをする『権限』が、精霊にあるはすがない。なら、これは……」
そう言い掛けた、そのときだった。
「あああああああああああああああああっ!!!!」
唐突に、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
体の底から発せられただろうそれは、よく知る親友の声だった。
「タイム!?」
「どうやらあちらも終わったようですね」
セラフィムが、『継承の儀』の直前に作り出した壁に向かって手をかざす。
それを軽く、下に何かを押し込むように動かした途端、壁は音を立てて沈み始めた。
ゆっくりと動くそれが、もどかしい。
いつもなら簡単に飛び越えてしまうそれを、跨ぐ余力さえ、今はない。
「タイム!」
壁が床に消えていくのを待って、駆け出す。
足さえ動かすことが辛くて、端から見れば、よたよたと歩いているようにしか見えなかっただろうけれど。
「タイム!ちょっとしっかりして!」
先ほどの自分と同じように尻餅をついて、頭を抱えて震える彼女の肩を叩く。
しゃがんでしまったら、そのまま立てなくなる気がしたから、立ったままで。
「……あ、あぁ……」
ルビーの声が聞こえていないのか、彼女は頭を抱えたまま、がたがたと震え続けていた。
「……もう!」
このままでは埒があかない。
万が一、記憶の世界から戻ってこられなくなったら一大事だ。
意を決したルビーは、タイムの肩に手を置いたまま、彼女の右耳へ口を近づいた。
「……」
そして、小声で彼女を呼んだ。
いつもの名前ではない、それで。
「あ……?え……」
ぴくんと反応した彼女が、顔を上げる。
揺れていた瞳が焦点を結び、視線が合う。
真っ直ぐに自分を捉えた青を見て、ルビーはふわりと微笑んだ。
「タイム、大丈夫?」
もう一度呼びかければ、今度こそ、青い瞳に光が灯った。
「ル、ビー……?あ、れ?」
先ほどとは別の意味で揺れる瞳が、辺りを、そして彼女自身を見回す。
「あたし、は……」
「タイム=ミューク。音井美青。勇者ミルザの一族で、水の棒術士。魔燐学園の生徒で、異世界に家族がいる高校3年生。OK?」
ひとつひとつ、言い聞かせるように、ルビーは彼女のプロフィールを口にする。
それが少しずつ染み込んで、漸くその表情が、落ち着きを取り戻した。
「……ええ、うん。OK。大丈夫」
やがて口にされたその言葉に、ルビーは安堵の息を吐いて、タイムの肩から手を離す。
力を入れて前に倒していた腰を起こして、ひとつ息を吐き出すと、そのままにこりと微笑んで、座り込んだままのタイムに声をかけた。
「大丈夫?記憶じゃなくって、体調の方」
「そっちは……、大丈夫じゃない……。頭ぐちゃぐちゃで気持ち悪い」
「だよねぇ。実はあたしもさっきからめっちゃ吐きそう」
あはは、と笑う声は、先ほどタイムにかけたものとは違って力がない。
必死だったから押さえ込めていただけで、本当はまだ頭も視界も、ぐるぐると回っていた。
それを聞いたセラフィムが、目を丸くする。
「おや、そうだったのですか」
「今すぐあんたに向かって吐いてもいいんだけど」
「それはご勘弁願いたいですね」
あははと軽く笑うセラフィムを睨みつける。
けれど、そんな気力もなくて、ほんの少しの時間でそれをやめると、ルビーはもう一度額を押さえてため息をついた。
ふと、そこで初めて違和感に気づく。
何だろうと、顔を上げたそのとき。
『おふたりとも、申し訳ございません』
それまでずっと祭壇の上にいたマリエスが、側へとやってきて、頭を下げた。
『私たちにもう少し力があれば、おふたりをこんな形で巻き込む必要はなかったのに』
「あなたのせいじゃないでしょ」
ルビーが息を吐き出しながら答える。
そうしてしまうのは、そうしなければ声を出すのも辛いからだ。
「それに、たぶん、こいつらがミルザの血を後世に遺せと言ったのは最初から『そう言う意図』だったんだろうから、あなたたちが気にする必要はないでしょ」
ひらひらと手のひらを上下に振りながらそう返しても、マリエスは申し訳なさそうな表情を崩すことはなかった。
「少しずつ、理解ってきた」
不意に、足下から聞こえた声に、視線を下ろす。
「そういう、ことだったの」
頭を抱えたままのタイムが呟く。
俯いたままだったけれど、先ほどより、声はしっかりしているような気がした。
心の中で安堵して、ルビーはもう一度を吐き出すと、天井を仰ぎ見る。
「まさか、探していた『答え』がこんなところにあって、こんな形でたどり着くとは思わなかったわ」
先ほど、決心する前にも口にしたような気がする言葉。
意味合いが全く変わってしまったそれに、タイムがゆるゆると顔を上げた。
その途端、ぱんっと手を合わせる音が辺りに響く。
何事かと思ってそちらを見れば、セラフィムが相変わらずの笑顔を浮かべていた。
「さて、早速ですが、本題に入りましょうか」
本題、と口の中で繰り返す。
聞こえていなかったはずなのに、セラフィムはちらりとこちらを見ると、すぐに笑顔に戻って頷いた。
「かつて神界の女神が作り上げることの出来なかった2つの精霊神法。あなた方がそちらを完成させてください」
「今すぐは無理」
セラフィムが言った言葉に、間髪入れずに返したのはルビーだ。
途端に彼の表情が、拍子抜けしたときのようなそれになる。
「何故です?」
「言ったでしょ。頭ん中ぐちゃぐちゃで、目もぐるぐる回ってんの。これが治まらなきゃ、とてもじゃないけど呪文の構築なんてできやしない」
最初よりはましになってはいるものの、『記憶』を受け入れた反動は治まっていない。
このままでは、集中などできるはずもない。
「第一、構成に入れたとして、長い時間をかけて完成させられなかった呪文が、そう簡単にできると思ってんの?」
「何を言っているんですか。あなたは、つい最近、それを使っていたじゃないですか」
「え?」
予想もしなかった言葉を返されて、ルビーは思わず言葉を飲み込んだ。
「あれは未完成ながらに十分な威力でした。あそこまで出来ているのであれば、あなたの方はあと一歩でしょう」
「ちょ、ちょっと待って。いつの話?それ」
自分が未完成の精霊神法を使った、なんて記憶はない。
そもそも、未完成の知らない呪文を、使えるはずはないではないか。
そのとき、不意に今まで傍観者に徹していたサラマンダーが口を開いた。
『あなたがイセリヤと対峙したときの話です』
「イセリヤと?」
ルビーは思わず眉を寄せた。
ルビーがイセリヤと直接対峙したことなんて、一度しかない。
そのときにそんな呪文を使った覚えなど、彼女本人にはなかったのだ。
けれど、隣で小さく「あっ」と声が上がった。
思わず視線を動かせば、タイムが戸惑ったような表情でこちらを見上げていた。
「もしかして、メタルアイアンで造られた壁を溶かしたって言う、あれ?」
「えっ!?」
メタルアイアン――インシングで最も硬く、耐熱性と防音効果のある金属。
かつて、まだ帝国だった頃のマジック共和国の王城の謁見の間は、それが埋め込まれていたという。
イセリヤと対峙したとき、それを溶かすほどの炎の呪文が放たれた。
それを使ったのは、おそらくルビーだろうと思われていたのだけれど。
「まさか、あれが……?」
思わず口元を押さえて、呆然と呟く。
それを見ていたセラフィムが、不思議そうに首を傾げた。
「なんであなたが驚いているんです」
「あたし、そのときのこと覚えてないのよ」
「おや。そうなのですか」
セラフィムが目を丸くした。
意外だと言わんばかりの表情をありありと浮かべたかと思うと、すぐに思案するように右手を顎に当てる。
「無意識であそこまでの威力を引き出せたのだとしたら、火の精霊神法は、本当にあと一歩で完成だったのかもしれませんね」
「あのときの、炎が……」
正直に言えば、実感などない。
けれど、この男がそこまで言うのであれば、それは本当に完成に近い形で眠っていたのだろう。
そして、ふと、思い出す。
その瞬間――タイムやみんなを喪うと思ったそのときに、額が熱くなったような気がした。
「ああ、でも……。そうか」
バンダナで隠した額に触れる。
そこにあるのは幼い頃、新藤に投げつけられた虫かごが当たってできた、不思議な形の痣のはずだった。
消えないそれが幼心に恥ずかしくて、結局ヘアバンドのような、額を隠すことの出来るバンダナをつけることで落ち着いた。
修学旅行でもタオルなどで隠して、妹のセレスにすら見せないようにしていたそれ。
『継承の儀』を終えた今だからこそわかる。
それは、ただの痣ではなかったのだ。
「そういう、ことか……」
「ルビー?」
タイムが心配そうに声をかける。
それが耳に届いて、ルビーは一瞬だけ彼女を見た。
それから、バンダナを掴んで、勢い良くそれを外す。
その行為自体に驚いたタイムは、けれど次の瞬間、露わになった額を見て、息を呑んだ。
「痣が、ない?」
そこにあるはずの痣は、綺麗さっぱり消え去っていた。
「やっぱり消えてる?どうやらあの痣、そういうことだったらしいね」
ため息をつきながら、ルビーは額に触れる。
体の持つ熱とは別の意味で、そこが熱を持っているような気がした。
「たぶん、リーフで言う『持ってないはずの魔力が目覚めた』と同じ現象だったってことでしょ」
『はい。そうだと思われます』
ため息に混じって吐きだした言葉を、肯定したのはサラマンダーだった。
『呪文書の記憶自体は、水晶の中に収められておりました。あなたの想いと水晶の記憶が共鳴して、未完成の精霊神法を発動する、という現象が起こったのでしょう』
「記憶が飛んでいるのは、おそらくは肉体に不可がかかりすぎたためでしょうね」
「でしょうね。1週間意識が戻らなかったって聞いたし」
1週間という言葉にセラフィムが首を傾げたので、7日間と言い直す。
本当に、いろんなことが結びついてしまって、本当に頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「まあ、おかげで確かに、時間をかけずに創れそうではあるけれど」
もう一度深くため息を吐きだしたところで、気づく。
いつの間にか、タイムが不安そうな表情で俯いていた。
「タイム?」
「あたしの方、は……」
『あなたの方にもヒントはあります』
タイムの呟いた言葉が何のことか理解するより早く、涼やかな声が割って入った。
タイムが弾かれたように顔を上げる。
「ウンディーネ?」
『あなたがティーチャーと融合して、ユーシスを呼び起こすときに使用した妖精魔法。あれは、未完成のまま遺された水の精霊神法を元に作り出したものだと、かつてユーシスは言っていました』
その言葉に、タイムは息を呑む。
少しだけ、目つきが変わったような気がしたのは、ルビーの気のせいだろうか。
「ユーシスが……」
『はい。ですから、あの呪文を紐解けば、何かしらのヒントになるのではないかと思います』
ウンディーネの言葉を、最後まで聞いていたのだろうか。
途中でタイムは俯き、左手で右の二の腕に触れた。
その行為は、無意識だろうか。
タイムは俯いたまま、顔を上げようとしなかった。
しばらくの間、黙ったまま彼女を見つめていたルビーは、不意に息を吐き出す。
「お互いヒントがあって良かったね」
「うん。でも……」
タイムがゆるゆると顔を上げた。
見上げる瞳は揺れていて、顔色は目に見えて悪い。
「ごめん。あたしやっぱ今は無理。立てない……」
「奇遇だね、あたしもだ」
「立ってるじゃない……」
「これ気合い。今一歩も歩けないし、座ったら立てない。目が回りすぎて気っ持ち悪い」
冗談ではなく本当だ。
たぶん、緊張が切れてしまったら倒れる。
そう思っているから気合いを入れているけれど、正直なところ、そろそろ限界だった。
そんな話をしていたら、再びセラフィムが、わざとらしいほどわかりやすく首を傾げる。
「そこまでですか?」
「機会があったらやってみるといいわ」
「あははは。ごめん被ります」
そのへらへらとした笑顔が、妙に気に障った。
「やっぱ後で殴らせろ」
「ええ?」
セラフィムが理不尽だと文句を言うけれど、それはこちらのセリフだと思う。
1人の人間を、その末裔を1000年も理不尽に動かし続けたのだから、一発殴るくらい許容しろと怒りたい。
そんなことを考えていたら、目の前が今までより一層激しく揺れた。
途端に今まで堪えていた吐き気が襲ってくる。
もう立っていられない。
そう判断すると、ルビーは早々に膝を突いた。
「駄目だ、限界……」
「よく動けたね、あんた」
「怒りと不安ゆえの暴走」
「何それ」
顔色が悪いままのタイムが苦笑する。
笑えるくらいに元気があるのなら、大丈夫だろうと安堵しながら、ルビーはもう何度目かわからないため息を吐きだした。
「なんかもう、みんな理解した。自分が寂しがり屋とかって言われる由縁とか」
「あたしも、なんかひとつ疑問が解けたわ」
はあっとタイムが大きく息を吐き出す。
それを聞いて、あまりの気持ち悪さに下を向いて目を閉じていたルビーは、少しだけ顔を上げた。
「何?」
「ユーシスのことが、ずっと気になってたの。その理由」
「ああ……」
その理由は、ルビーにもわかる。
理解すると同時に、別の疑問が湧いてくる。
「その辺も、後で確認しなくちゃね」
タイムが小さく頷く。
どうやら、そろそろ肥を出すのも辛くなってきたらしい。
本気で一度休まないと駄目だと思ったそのとき。
『お二方』
声をかけられて、顔を上げた。
見れば、いつの間にか側に寄ってきたらしいウンディーネとサラマンダーが、心配そうにこちらを見つめていた。
「今はいいわ。今聞いたら、たぶん脳が沸騰するから、それよりも」
ルビーは顔を上げ、視線をサラマンダーの赤い瞳へと向けた。
「サラマンダー。落ち着いたら、あたしと契約をしなさい」
はっきりとそう告げた途端、サラマンダーは驚いたような表情を浮かべた。
ふうっと息を吐いてから、ルビーは言葉を続ける。
「『継承の儀』とやらを終えたとは言え、今のあたしじゃ、引き出せる力が足らない。呪文をひとつ作り出すには、その効果を安定させるには、膨大な魔力と神力が必要だから。だから、契約してあたしを手伝いなさい」
『はい、仰せのままに。我が主』
サラマンダーが恭しく頭を下げる。
その目は閉じてしまって見ることはできないけれど、よく知る表情を浮かべている気がして、rubyはふっと微笑んだ。
それから、俯いているタイムと、驚きの表情を浮かべているウンディーネを交互に見やる。
「タイムもウンディーネも、いいね?」
声をかければ、タイムはゆるゆると顔を上げた。
「決定事項なの?」
「1人で出来るのなら、別にいらないと思うけど?」
意地悪くそう言ってやれば、タイムは呆れたと言わんばかりにため息を吐き出した。
「わかったわよ。ウンディーネ、それでいい?」
『はい、主様。依存はありません』
タイムの言葉に、ウンディーネは笑顔で頷いた。
その言葉を、先ほどのサラマンダーの言葉を思い出して、ルビーはもう一度顔を上げる。
「それから2人も、マリエス、様も、あたしたちのことは今まで通り呼んで」
『え?』
『ですが……』
驚く3人の精霊それぞれに視線を向ける。
そして、口調を少しだけ強めて、言った。
「今は、あたしたちは人間だ。いいね」
少しだけ覇気の宿ったその言葉に、三精霊はそれぞれ目を見張る。
サラマンダーとウンディーネは、様子を窺うようにマリエスを見た。
視線を受けたマリエスは、2人に向かって頷くと、真っ直ぐにルビーを見つめる。
『かしこまりました。おふたりがそう望まれるのでしたら』
『御意』
『はい』
サラマンダーとウンディーネが、揃って頭を下げる。
しかし、サラマンダーはすぐに頭を上げると、申し訳なさそうにこちらを見た。
『しかし、契約するとなれば、あなた方は我々の主には違いありません。主とお呼びすることは、許可願いたい』
「ん……」
サラマンダーの申し出に、ルビーは戸惑う。
人間界において、精霊し信仰の対象だ。
そんな存在が、人に対して敬語を使うなど、やめた方がいいのではないかと思う。
「それは仕方ないんじゃない?」
悩んでいると、ふと側から声がかかった。
見れば、タイムがこちらを見て苦笑していた。
「それに、あたしたちがうっかり敬称をつけ忘れたときの言い訳にもなるでしょうし」
「言い訳って……」
「例えば、大精霊と契約すると、契約した人間は対等になる、とか?ミルザが実はそうだったとか言っちゃえば、信憑性は高まるだろうし、ね?」
「そんな話聞いたことがないけど……」
「今ここでマリエス様から聞いたことにしたらいいじゃない」
「そうね……。わかった」
渋々頷けば、そう言うところばかり頭でっかちなんだからと笑われた。
『ありがとうございます、主』
サラマンダーと、側にいたウンディーネがほっとした様子で頭を下げる。
彼らの気持ちもわからないわけではない。
人の身とはいえ、『継承の儀』を終えた以上、こちらの方が彼らよりも立場が上と言うことになるのだろう。
特にサラマンダーは頭が固そうだから、そうやって言い訳をしてでもこちらを立てたいのかもしれない。
そこまで考えたところで、再び目眩を感じた。
おそらく、そろそろ本気で限界だ。
「とりあえず、転移が可能なら、あたしたちをさっきの部屋に運んでくれる?本当に、歩けそうにないわ、これ」
「ええ、お任せください。私が運んで……」
「断固拒否」
「ええー?」
突然話に割って入ってきたセラフィムを、きっぱりと拒絶する。
不満そうな声を上げる彼を無視して、ルビーはサラマンダーを呼び寄せた。