Last Chapter 古の真実
24:過去から現在へ
暗い、何もない空間で、ルビーは意識を集中する。
手の中に、自らの内にある力を集めるようなイメージを頭に思い浮かべる。
同時に必死に記憶を追った。
1年と少し前、自分が放ったという炎の形を、必死に探る。
「……炎よ」
ぼんやりと浮かぶイメージに輪郭をつけて。
「紅蓮の炎よ。今ここに、我が手に宿れ」
手の中に、全身から力を集めるようなイメージを描いて。
「我が手に集い、全てを焼滅する力となれ」
そこから炎を吹き上げようとした。
けれど、集まった魔力は、ガス欠のような音を立てて破裂したかと思うと、そのまま四散してしまう。
「……っ、駄目か」
いつもと同じ感覚で魔力を集めているはずなのに、うまくいかない。
なにが違うのかすら掴めないまま、ルビーは頭を抱えた。
「何でよ……。いったいあたし、どうやってそれ撃ったっての……」
イセリヤを倒したときに使ったという呪文。
それが火の精霊神法だったというけれど、当のルビーには当時の記憶がすっぽり抜けている。
どうやって、完成すらしていなかったはずのそれを使ったのかなんて、さっぱりわからないままだ。
『余計なことかもしれませんが』
ふと、声が聞こえて顔を上げた。
いつの間にか目の前に、人間の青年の姿をした火の精霊が佇んでいた。
「サラマンダー?」
『その当時の心境を思い返してみると良いのではないかと』
「あのとき、心境?」
『はい』
サラマンダーは、静かに頷く。
『覚えている範囲でかまいません。あなた様はイセリヤと対峙したとき、何を感じられましたか?』
「そう言われても……」
先日も伝えたように、精霊神法らしき術を放ったときのことは覚えていない。
気がついたときには王城の客室に運ばれていて、アールが目の前にいて、タイムがやってきて、酷く安心した。
『では、その前は?』
柔らかく耳に届いたその声に、ルビーは足下に落としていた視線を上げる。
「その前?」
『安心されたということは、その前に何か不安を感じたというとではありませんか?』
「不安……」
サラマンダーの言葉に、まだそう遠くないはずの記憶を辿る。
「あの、ときは……」
イセリヤと対峙したときの、感情。
最初に1人だけ乗り込んで、恐怖に呑まれそうになったところでみんなが駆けつけてくれて。
最後は確か。
「うわ……」
あのときの感情をしっかりと認識した瞬間、背筋に悪寒が走り抜けて、思わず右手で口を押さえる。
『主?どうかされましたか?』
「これ駄目なやつだわ」
心配そうに顔を覗き込もうとしたサラマンダーを制して、顔を背ける。
しばらく気持ちを落ち着けるように深呼吸を繰り返して、漸くその手を離した。
「肝心なところ覚えてないけど、これ知ってる。これ絶対駄目なやつだ」
そう、知っている。
目の前が一瞬真っ赤になって、すぐに真っ黒になるようなそんな感覚。
一気に思い出したそれは、怒りとか憎しみとか、そんな感情がまぜこぜになっていて、とても気持ち悪い。
この感情のままに呪文を完成させたら駄目だ。
これはいけない。
「このままだとやばい呪文にしかならないから、そこを何とか昇華させないとだけど」
腕を組んで頭を捻る。
負の感情を持ち込まずに、呪文を完成させる方法。
感情がきっかけになるのならば、もっと違う感情はなかっただろうか。
発火材になるような、強い感情は。
『小さい頃のあんたってさ、怖がりだったもんね』
「え……?」
ふと、声が聞こえた気がして、顔を上げる。
目の前にいるのは、不思議そうな顔をしたサラマンダーだけだ。
ああ、でも知っている。
自分に、面と向かってこんなことを言うのは、1人しかいない。
『怖がりで、寂しがり屋』
そう言って笑うのは晴れ渡った青空よりも深い青を持つ彼女。
同じような空間で、同じように頭を悩ませているはずの、親友。
彼女にかつて言われた言葉が、頭に響く。
「ああ、でも、そうか」
すとんと、言葉が心に落ちてくる。
「怖いんだ、あたし」
負けるのではなく、喪うのが怖かった。
亡くすのが怖かった。
たぶんそれは、知っていたのだ。
心のどこかで、それを知っていたから。
覚えてはいなくても、刻まれていたから。
だから、恐怖が吹き上がって、怒りと憎しみがごちゃ混ぜになって。
その結果があの炎だったのなら。
「なんとかなる、かな」
恐怖の理由は、もう理解しているから。
きっとそれは、『あのとき』と同じはずだから。
『主?』
「サラマンダー」
声をかけた途端に、背筋を伸ばす彼が珍しく見える。
契約を結ぶ前までの彼は、あんなに壮大で偉そうだったのに。
笑いそうになるのを隠して、素っ気なさそうな雰囲気を装って告げる。
「ちょっと集中するから、外、気にしててくれる?」
『かしこまりました』
優雅な動作で頭を下げると、炎のようにその姿が揺らいだ。
そのまま消えていく彼を見送って、大きな息を吐き出す。
さすがにあの気持ちを練り上げるのに、誰かに見られているのは恥ずかしくて辛い。
もう一度息を吐き出すと、胸の前で、水をすくい上げるように手をかざし、目を閉じる。
「……紅蓮の炎よ」
心の奥に眠っている想いを形にする。
そんな思いを乗せて、炎を作り出す。
生み出された炎に、力を宿して、大きく膨らませて。
吹き上げたそれは、想いを守るもの。
守るために燃え上げらせたもの。
そのために、目の前の障害を打ち壊すもの。
その、名前は。
『主!!』
「ひゃっ!?」
突然声をかけられ、集中が途切れる。
うまく吹き上がりそうだった手の中の炎は、そのまま宙に四散した。
「ちょ……っ、何するのサラマンダー!!!」
『申し訳ありません。しかし緊急事態です』
「緊急事態?」
あまりに慌てているその姿を見て、ルビーは咎めることも忘れて目を丸くする。
初めて見る彼の様子に、思わず息を呑んだのは無意識だった。
『王都が、おそらく奴の手の者に襲撃されています!!』
言われた言葉にすぐに反応できなかったのは、それが頭に染み込んでこなかったから。
「……はっ!?」
漸くそう返したときには、ルビーはもうその空間の維持を放棄していた。
「ルビー!」
「タイム!」
遅れて広間に現れたのは、別の部屋で呪文の完成に取り組んでいたタイムだ。
飛び込んできた彼女の姿に、ほんの少しだけ安堵する。
『お揃いですか、お二方』
「マリエス」
淡い光が現れて、マリエスがふわりと降り立った。
「いったいどういうこと?王都が襲撃されたって」
「正確には、少し違います」
ルビーが尋ねた途端、再び光が現れた。
マリエスとは違う少し暗い光から現れたのは、セラフィムだった。
「セラフィム。あんたいったいどこに……」
「ダークネスから報告を受けて、様子を見に行ってきました」
「ダークネス?」
何故そこに闇の精霊の名が出てくるのかと思って尋ねれば、どうやらマリエスがここにいる間、彼女の代わりに精霊の間を預かっているらしい。
サラマンダーが王都の件を知ったのも、彼を通してのようだった。
「狙われているのは王都そのものではなく、どうやら王太子のようです」
「それってつまり……」
「はい。リーフ=フェイト=エスクール個人がターゲットということですね」
その名前を聞いた途端、ルビーは大きなため息をついた。
「やっぱりリーフか」
こちらに来る前から、ずっとそうだった。
敵は、ずっとリーフを狙っている。
かつての勇者ミルザの転生体である彼が、その力を目覚めさせることを脅威と考えて、抹殺しようとしているらしい。
「でも、狙いがリーフだけなら、みんなが何とかできるんじゃ」
「学園やラピスの岬の勢いで襲われても?」
ルビーの問いに、タイムははっと息を呑む。
「ああ、そうか……」
あのとき、どんなに倒しても、魔物の襲撃は止まらなかった。
だからこそ、どちらも逃げを選んだのだから。
『ダークネスの報告によれば、魔物たちは国内の集落を手当たり次第に襲っていると聞きます。王都の兵も、その警護のために国中へ派遣しているとか』
「つまり、戦力がそれほど残っていないということね?」
『はい』
もしも魔物たちが手当たり次第にリーフの行方を探していたのだとしたら、ミューズであれば各地に兵士を派遣するだろう。
王都の戦力が必要最小限になっていても不思議ではない。
「それに、おそらくあの襲撃者、今王都にいる方々だけでは手に負えないでしょうね」
「セラフィム、それどういうこと?」
彼が呟いた言葉がひっかかり、思わず睨みつける。
セラフィムは曖昧に笑うと、首を横に振った。
「破壊神が封じられていたのは次元の狭間です。どうやら、奴はそこからここではない場所に干渉していたみたいですね」
「ここではない場所?」
「行ってみればわかると思いますが、どうしますか?」
セラフィムの態度に少し苛立ちを感じながら、考え込む。
直ぐにでも行きたい気持ちはある。
だけど。
「ルビー、精霊神法は?」
こちらの思考を呼んだかのようなタイミングで、タイムが話しかけてきた。
彼女に視線を向けると、ルビーは首を横に振る。
「もうちょっとなんだけど、まだ。タイムは?」
「……あたしも、まだ」
タイムも、申し訳なさそうに首を横に振った。
「神力のコントロールもまだ十分じゃないし、今みんなに合流していいのか、正直迷っている」
「あたしも、なんだけど」
意見は一緒だ。
今の自分たちが、みんなと合流して大丈夫なのか、判断ができない。
まだ慣れないこの力が、うまく使えるかどうか、自信がない。
だけど。
「でもごめん。行かないって選択肢、選べそうにないっぽい」
素直にそう伝えた途端、ふっと軽く吹き出すような声が聞こえた。
顔を上げると、ふわりと笑った親友と目が合った。
「まあ、そう言うとは思ったけど」
いつものように、タイムは仕方ないと言わんばかりに笑う。
本当に甘えていると思う。
けれど、今はそれに甘えさせてもらおう。
「セラフィム、ここは封印の森だって言ってたわよね?」
タイムから視線を外して尋ねる。
一瞬面食らったような顔をした彼は、こくりと頷いた。
「はい。そうですが?」
「普通に転移呪文を使えば出られるの?」
封印の森には、ティーチャーの故郷、テヌワンがある精霊の森と同じような結界が張られている。
入ろうとしてある程度森の中を進むと、反対側に転移させられるという術がかかった結界だ。
精霊の森の結界は、出る分にも問題ないけれど、ここもそうだとは限らない。
「はい。出て行く分には問題ありません」
セラフィムはにこりと笑って答える。
その言い方がなんとなく気に食わなくって、思わず彼を睨みつけた。
「ってことは、入ってくる分には問題あるんだ?」
「ええ。結界に入るには、神力が必要になります」
「つまり、あたしらは問題ないってこと?」
「はい」
にっこりと笑ってあっさりとそう返してきたセラフィムの顔にかちんときた。
だから、無言のまま、ぱちんと指を鳴らしてやった。
その途端、ぼっとセラフィムの目の前に炎が吹き上がった。
「うぎゃ!?」
セラフィムが悲鳴を上げる。
髪に移ったらしいそれをウンディーネが慌てて消火する。
しばらくして何とか火が消えた後、セラフィムはぐったりとした様子でルビーを睨みつけた。
「暴力はいけないと思います……」
「本気で燃やされないだけマシと思え」
ふんっと顔を背けると、その途端、心の底から呆れたと言わんばかりの顔をしたタイムと目が合う。
「ルビー……、あんたは本当……」
「しょうがないでしょ。こいつとはどうしたって馬が合わないんだから」
盛大にため息を吐き出されたけれど、こればっかりはどうしようもない。
だからそう返したのだけれど、もう一度ため息を吐かれてしまった。
「あんた、昔からそうだよね」
「へ?」
「新藤に取る態度と同じ」
「は!?」
完全に予想外の人物の名前を出され、ルビーは固まる。
普段ならなんでそこに彼の名前が出てくるのかと突き放すのだが、あんなことがあった後なのだ。
こちらを見ているタイムがにやにやと笑っているから、たぶん自分の顔は赤くなっているのだろう。
というか、新藤に取っている態度と同じというのは、どういう意味なのか。
「どなたでしょう?シンドウさんって」
「あんたには関係ない」
首を傾げて尋ねるセラフィムを睨みつける。
しょんぼりする彼を無視して、舌打ちをする。
「……ったく!サラマンダー、ウンディーネ」
『は、はい!?』
『な、なんでしょう?』
大精霊が揃ってびくりと体を震わせる。
2人には何も関係ないのに、悪いことをしたと思う。
小さくごめんと謝ってから、ルビーはもう一度口を開いた。
「悪いんだけど、あたしたち転移呪文は得意じゃないから、補佐頼める?」
『はい』
『お任せくださいませ』
ほっとした様子の2人に、もう一度心の中で謝罪して、笑顔を作って礼を告げた。
「ありがと。タイム」
「ごめん。ちょっとだけ待って」
先ほど茶化してきたときのふざけた表情はどこへやったのか、真剣な声でストップをかけられる。
何かと思えば、彼女は『継承の儀』からずっと水晶球のままにしていた『魔法の水晶』を取り出した。
「ちゃんと扱えるか試してからの方がいいでしょ、これ」
「ああ」
そう言われて、思い出す。
ここに来てからは、ずっと精霊神法を完成させる作業ばかりしていたから。
「そういえば、『継承』してから使ってなかったっけ」
「暴走したら困るしね」
「確かに」
魔力と神力を併せ持つようになってから、この『魔法の水晶』を扱ったことはなかった。
『もうご存じとは思いますが』
不意に耳に届いたマリエスの声に、顔を上げて彼女を見る。
『それは元々、元素の女神様方がお持ちだった物を、我々が預かり、ミルザに貸し与えたものです。ですから、皆様が普段ご覧になっていた姿も、本来の姿ではありません』
胸の前で手を組んだマリエスが、心配そうにこちらを見つめる。
『継承をされた以上、水晶も真の姿で扱うことができると思います。それには……』
「神力が必要ってことだよね?」
『はい』
ルビーの問いに、マリエスが頷く。
ちらりとタイムを見れば、彼女も心得ているとばかりに頷いた。
『ですが、あなた様方の体はまだ完全には神力に慣れていないはず。扱うときには、くれぐれもお気をつけください』
「わかった。ありがとう、マリエス」
にこりと笑みを向けると、マリエスは不安を消せない表情で、それでも精一杯の笑みを返す。
少し心配性が過ぎる気がすると思いながら彼女から視線を外すと、手の中に呼び出した水晶球に視線を落とす。
意識をそれに集中して、魔力を注ぐ。
淡い赤の光を放ちながら、それは2本の短剣に姿を変えた。
きゅっと柄を握り締めてみる。
握った感触は、以前と変わらない。
少しの間手の中でくるくると回して遊んでみる。
どんな握り方をしても、違和感を感じたりはしなかった。
「よし、問題なし。そっちは?」
「こっちもOK」
同じように棍を手にして型を取っていたタイムが、それをやめてこちらに声をかける。
その動きはいつもの調子を取り戻しているように見えた。
「じゃあ、行こうか」
にやりと不敵に笑ってみせると、タイムは仕方ないと言わんばかりの顔で笑い返す。
不安がないと言ったら嘘になるけれど、こうやって返してくれる彼女がいる限り、大丈夫。
そう思えるからこそ、迷わずに進もうと思った。
まさか、そうではない自分の姿を、そうではなかった自分の可能性を、あんな形で突きつけられることになるなんて、そのときは思っていなかった。