Last Chapter 古の真実
5:降り注ぐ危機
私立魔燐学園は、小高い丘の上に初等部から高等部の敷地が、円のように隣り合って存在している。
その円の中央に、理事長室など学園の中核機関のある、中央管理棟が存在している。
そんな形の区切りであるから、高等部の屋上からは、中央管理棟の屋上はもちろん、端の方であれば、隣り合う初等部と中等部の校庭も見下ろすことが出来た。
赤美は、その高等部の屋上から、隣の中等部の校庭を見下ろしていた。
体育の授業や体育祭、文化祭、運動部の助っ人など、中学時代の思い出の詰まった校庭。
思い出は、学園生活のものだけではない。
今から3年前、赤美たちが中学3年生だったあの日、翼を持つ人間たちと、それを率いていた1人の魔道士との出会いも、あの校庭だった。
セレスも、タイムも、レミアも、ミスリルも。
覚醒した仲間たちと『出会った』のもあの校庭で、ペリドットとベリーに出会ったのは、中等部の校舎だった。
文化祭の屋台を、あの当時はまだ帝国の兵士でしかなかったアールに潰されたのも、あの校庭だ。
あの頃は、敵対していたアールと友人関係になるだなんて、思ってもいなかった。
「案外思い出ってあるもんだなぁ」
フェンスに額を押しつけ、呟く。
がしゃりと小さく金網がなった。
感慨深い、なんてつもりはなかったのだけれど、もったいないと思っている自分もいた。
あのダークハンター事件の後は、赤美は何かの引っかかりを感じて、放課後はインシングへ通う日々を送っていた。
だから、この2年間くらいは、高校生らしい思い出なんて、ほとんど作っていない。
後悔はしていないつもりだったけれど、もったいないと思ってしまう自分もいた。
「もうちょっと、学校行事がんばればよかったかな」
「本当だよな」
突然後ろから声をかけられ、不覚にもびくりと肩が跳ねた。
驚いて後ろを振り返れば、そこにはいつの間にか、よく知る男子生徒が立っていた。
「新藤」
「みんな言ってたぜ。金剛は高校になったら付き合い悪くなったってな」
ため息交じりに言う彼は、所謂赤美の幼馴染みだ。
「悪かったわね」
「そう思うんなら、もうちょっと引き受けてやればよかったのに。助っ人とかさ」
「あたしもあたしでいろいろあるのよ」
そう言ってふいっと視線を背けた。
その途端、新藤はますます不満そうな顔を浮かべる。
「何だよ。そのいろいろって」
「あんたには関係ないでしょ」
「そりゃ、そうなんだけどさ」
言い淀んだ新藤は、そのまま口を閉じると、フェンスに体を預けている赤美の隣に立った。
「何よ」
「何って、俺が言いたいんだって」
「は?」
新藤の言葉に、赤美は漸く彼へ顔を向けた。
その途端、睨みつけるような黒い瞳と目が合う。
「ずっと気になってたんだけどさ。理事部って、何なんだよ?」
「何って、理事長を補佐する部活?」
「何で疑問系なんだよ。第一、それ生徒がやる意味あるのかよ」
「生徒会のようなもんじゃない。別に問題ないでしょ」
「高等部の生徒会は、別にあるじゃねぇか」
新藤の声が、だんだん怒りを含んでいく。
それに気づいてため息をつくと、赤美は彼を睨みつけた。
「百合が、理事長の仕事が不安だから、親しいあたしたちに手伝ってほしいって言ってきて、それを正当化するために部活にした。他に何か文句あるの?」
「親しいって、緑川とか陽とか、どうなんだよ」
「実沙と陽一?」
何故その名前が出てくるのか、一瞬わからなかった。
陽一は、まあわかる。
彼は転校生だ。
転校してきてすぐに百合と親しくなるなんてと、疑問に思っても仕方がないだろう。
けれど、実沙は初等部からずっとこの学園にいて、と、そこまで考えて気づいた。
そういえば、実沙はペリドットして覚醒するまでは自分たちと仲が良かったわけではなく、1日の時間のほとんどを1人で過ごす内向的なクラスメイトだったのだ。
一緒にいるようになってからの時間が濃すぎて、すっかり忘れていた。
「陽一は、あいつが転校してきたばかりの頃、紀美子がどうしてもって百合に頼み込んだのよ。実沙は、あたしが知らなかっただけで、百合は実は昔から仲良かったのかもしれないじゃない。あの子、初等部の頃からクラス委員とかやってたし」
前者については嘘は言っていない。
リーフがこの世界に来て、大葉陽一としてこの学園に転入してきたのには、紀美子が盛大に絡んでいる。
赤美自身が知らないうちに、彼の転入は決まっていたのだから、その点については赤美だって百合に文句を言いたいくらいだ。
実沙に関しては、嘘とも言えないその言葉で誤魔化すしかなかった。
「っていうか英里についてはつっこまないの?あの子も転校生だけど?」
「あいつは風上の従姉妹なんだろう?」
「ああ。うん。そうだね」
従姉妹ならばいいのか。なんだその基準は。
そんなことを思いながら、赤美は視線を中等部の校庭へと戻した。
「んで?結局何が言いたいわけ?」
「だから、理事部って何してるんだよ?」
新藤が真っ直ぐに赤美を睨みながら尋ねる。
繰り返されるその問いに、赤美はわざとらしくため息をついた。
「さっき説明しなかった?」
「そういうことじゃなくって!」
「他に説明しようがないんだけど?詳しく聞きたいなら百合に聞きなさいよ」
付き合っていられないとばかりに、赤美はフェンスに預けていた体を起こす。
「待てよ!」
立ち去ろうとしたそのとき、突然肩を掴まれた。
「何?」
「あ……。わ、悪い」
ぎろりと睨みつければ、新藤は慌てて手を放した。
「その、お前、結局進路どうするんだ?」
「なんであんたにそんなこと話さなきゃいけないわけ?」
「だって、その、うちの親が気にしてるんだよ」
その言葉に、さすがに赤美は言葉を止めた。
新藤の両親のことを、赤美はよく知っている。
もういない赤美の両親と仲が良く、両親が亡くなったばかりの頃は、赤美たち姉妹をいろいろと気にかけてくれた。
学園の寮に入ってからは疎遠になってしまったけれど、今でも出会った時には懇意にしてくれている。
「前から言ってると思うけど、ここでは進学も就職もしないよ」
「な、何で?」
「紀美子が卒業したら、2人で両親の故郷に帰るの」
顔にかかった髪を払いながらそう言えば、新藤は驚いたように目を丸くする。
「おばさんたちって、この街の人じゃなかったのか?」
「そう。聞いた話だと、実は何処かの古い名家の坊ちゃんお嬢さんだったみたいでね」
嘘は言っていない。
母も父も、インシングの勇者の血を引く一族の当主だった。
豊かさから言えば、ごくごく一般的な家庭のはずだが、血筋だけで言えば、とんでもない名家だ。
「駆け落ちみたいな形でこの街に来たらしくって。まあ、もう両親の実家もないんだけど、帰ってみようかなって」
これも嘘ではない。
両親がこの世界に逃げ出してきたのは本当だし、ダークマジックの『ミルザの一族狩り』のせいで、エスクールに帰っても親戚が残っているわけでもない。
それでも、帰らなくてはならない。
自分たちの一族の血は、絶やすわけにはいかないのだから。
「帰ってこないのか?」
「そのつもりだけど」
はっきりとそう告げると、新藤は視線を逸らし、俯いた。
少しの間足下で視線を彷徨わせてから、顔を上げる。
そこには、先ほどまでとは違う表情が浮かんでいた。
「なあ、金剛。俺は……」
何かを決意したようなその表情に、嫌な予感を覚えたそのときだった。
突然空気が震えた。
ぞわりと背中を悪寒が駆け抜ける。
まさか、これからのことを予見して、ここまで強い嫌悪感を抱いているのだろうか。
「って、違う!何これ!?」
「金剛?」
突然叫んだ赤美の言葉に、新藤は言いかけた言葉を飲み込んで、顔を上げる。
その瞬間、彼の瞳は捕らえた。
目の前に広がる真っ青な空に、びきびきと黒い線が現れたのを。
「え……?は!?嘘だろ!?」
「空に罅が……!?」
新藤の言葉に、振り返った赤美は目を見開く。
空の黒い線は、空間に走った罅だ。
その罅は、瞬く間に高等部の屋上の空に広がっていく。
これは、何物かが次元の壁を突き破ろうとしている兆候だ。
ゲートを開かずに、異世界から直接この世界に、無理矢理出てこようとしている者がいる際の現象。
『時の封印』を解いて、撃退しなければならないものが、ここに来る。
一瞬すぐに行動に移そうと考えて、目の前の幼馴染が目に入り、思い止まる。
そのまま呆然と空の罅に見入っている新藤の腕輪を掴むと、強制的に歩き出した。
「っ!?金剛!?」
「何ぼーっとしてるの!ああいうの、3年前に嫌と言うほど見たでしょ!」
アールたちは、ほとんどの場合、正式にゲートを開いてこちら側にやってきていた。
だから、こんな風に空に罅か走ったことはなかったのだけれど。
「とりあえず中に……、っ!?」
校舎の中に飛び込もうとしていた赤美は、その一瞬、足を止めた。
「うわっ!?」
新藤を突き飛ばして横に飛ぶ。
次の瞬間、校舎への扉が音を立てて崩れ落ち、盛大なコンクリートの砂埃が2人を包んだ。
「うわっ、……げっ、げほっ!」
「吸うな!ハンカチ持ってないならネクタイでも何でも代わりにする!」
砂埃を吸い込んでしまい、盛大に咳き込む新藤を、赤美は怒鳴りつけた。
そのまま、崩れ落ちた扉を見る。
階段と扉があったその場所には、巨大な魔物が出現していた。
四つ足の獣のようなそれは、おそらく、あの罅が広がって出来てしまった穴から落ちてきたのだろう。
見れば、それは1体ではなく、校庭にも数体の同じ魔物が出現していた。
「ちょっと、さすがに嘘でしょ……」
数自体はそれほど多くはない。
けれど、あの巨体の魔物を、インシングでならばともかく、こちらで相手をしなければならないなんて、さすがに嘘だと思いたい。
伏せたまま周囲を見回す。
この屋上への唯一の出入り口は塞がれてしまった。
加えて、ここには今、新藤がいる。
1人でならばまだしも、インシングの人間ではなく、こちらの世界の人間である彼が一緒だとどうにもならない。
「お、おい、金剛」
「静かにしてて」
このまま魔物が気づかずに、下へ飛び降りてくれれば、まだ何とか出来るかもしれない。
けれど、そんな願望は、あっさりと打ち砕かれる。
話し声を聞きつけたのか、魔物の目がこちらを見た。
視線が合った瞬間、赤美は起き上がり、新藤の尻を勢いよく蹴り上げる。
「いってえ!?」
「いいから立って!早く!!」
飛び跳ねるように起き上がった新藤の腕を無理矢理引っ張り、反対側に走る。
一瞬の後、先ほどまでいた場所に、魔物が飛びかかった。
音を立てて床が砕け散る。
「ひ、ひぃ……っ」
「腰抜かしてる暇はないよ!立って!!」
座り込みそうになる新藤を叱咤して、走る。
体が大きい分、魔物の死角に入ることができれば、少しは時間が稼げるはずだ。
けれど、いつまでも持つはずもない。
それもわかっていた。
「うわっ!?」
「新藤!?」
何度目かの移動をしようとしたそのとき、壊れた床に足を取られ、新藤が転んだ。
その声を、音を聞いた魔物が、ゆっくりとこちらを振り向く。
「ひっ!は……っ、嘘だろ……っ」
立ち上がろうとした新藤が、真っ青になって悲鳴を上げる。
「足!抜けねえ……っ!」
「はあ!?」
どうやら瓦礫の間に足を挟まれてしまったらしい。
抜こうともがいている間に、魔物はこちらに向き直る。
助けている暇は、ない。
「マジで冗談でしょ……っ」
舌打ちしながら呟く。
打開策ならあるのだ。
それを使えばいい。
けれど、どうしてか、覚悟が決まらない。
そんなことを言っている場合ではないと、わかっているのに。
右腕にはめている赤い腕輪に左手で触れる。
覚悟を決めるしかないと、その言葉を口にしようとした、そのときだった。
「降ろせペリート!」
突然上から声が聞こえた。
はっと顔を上げれば、空から何かが降ってくる。
落ちてきた緑色のそれは、真っ直ぐに魔物の上に降りると、その手に持っていた剣を魔物の頭に突き立てた。
途端に魔物の咆哮が上がる。
魔物が首を大きく振って、落ちてきた緑色のそれが振り落とされる。
振り下ろされた、濃緑の髪の青年は、フェンスぎりぎりのところに着地すると、顔を上げて叫んだ。
「セレス!!」
その声に、赤美ははっと視線を動かす。
濃緑の髪の青年が見つめる先には、中央管理棟があった。
その屋上に、黄色い髪を持った、1人の少女が立っている。
少女は青年の声に答えるように、その右手に持っていた杖を掲げた。
「白竜陣!!」
少女の声とともに、杖の先端に取り付けられた珠が光る。
それに呼応するように、魔物の足下に白い魔法陣が現れた。
魔法陣が光を放ったかと思うと、その光の中から、一体の龍が現れる。
龍はその牙や爪で勢いよく魔物を貫くと、魔物はびくりと痙攣した。
どさりと音を立てて、魔物が屋上に落ちる。
龍が消えたときには、魔物はぴくりとも動かなくなっていた。
それを見ていた緑の髪の青年が、歩き出す。
魔物にそっち近づき、その体に手を触れた。
ふうっと息を吐き出したのは、絶命してるのが確認できたからだろう。
「何とかなったな」
「当然じゃん」
濃緑色の髪の青年が安堵の息を吐き出したそのとき、再び空から声が聞こえた。
視線を上げれば、その場に透明な板に乗った少女が、ふわりと降りてくる。
「絶対ちゃんと運ぶって言ったっしょ?」
「はいはい。ありがとな」
宙に浮いたその板から降り、床に足をつけ、にっかりと笑った若草色の髪の少女に向かい、青年は軽く礼を言った。
それで満足だったらしい。
少女はにっこりと笑うと、くるりと赤美たちの方に向き直った。
「そっちの子たちは大丈夫ー?」
よく知るその笑顔を見て、赤美は漸く息を吐き出す。
「ありがとう。助かったわ」
「いえいえー」
にこにこと笑う少女の側を通り抜け、青年が新藤の側に寄る。
「大丈夫か?」
「あ……。は、はい」
突然現れた二人組に呆然としていたらしい新藤は、青年に声をかけられ、漸く我に返ったようだった。
青年が手を差し出す。
その手を取ろうとした新藤が顔を歪めたのを見て、青年は彼の足が、瓦礫の間に挟まってしまっていることに気づいたようだ。
剣を使いながら器用にそれを退け、ふと表情を歪めた。
「ペリート、ちょっと見てやってくれ」
「どったの?怪我?」
呼ばれた若草色の髪の少女が、ひょこひょこと近づいていく。
解放された新藤の足を見て、尋ねた。
「痛みは?」
「ちょっと……」
「うーん。応急処置だけするね」
そう言って、若草色の髪の少女は、新藤の傷に手をかざした。
その手から、淡い光が溢れ出す。
光は新藤の足を包み、傷を少しずつ癒していく。
その様子を見ていた濃緑色の髪の青年が立ち上がる。
少女に新藤を任せると、彼はそのままこちらに向かって歩いてきた。
「大丈夫か?」
「おかげさまで」
側まで来たところで、新藤に聞こえないよう、小さな声で話しかけられた。
その問いに、赤美は肩を竦めてみせる。
「そのままでよく耐えられたな」
「普段向こうで魔物と追いかけっこしてたのは無駄じゃなかったわ」
「追いかけっこって……」
にやりと笑みさえ浮かべてそう言えば、青年は呆れたようにため息を付いた。
その顔を見ながら、赤美はくすくすと笑う。
笑う余裕が出てきた、と感じてしまうのは、余程切羽詰まっていたから、ということなのだろう。
「まあ正直、あいつがあそこに引っかかったんで、もう絶賛ピンチだったけど」
「悠司……」
青年がちらりと新藤の方を見る。
彼の名を呼び、安堵の息を付く姿を見て、赤美も漸く肩の力を抜くことが出来た。
けれど、抜いたままではいられないだろう。
「みんなは?」
「下の奴らと戦ってる。セレスも行ったはずだ」
その言葉に中央管理棟の屋上を見れば、先ほどは確かにいたはずの黄色の髪の少女の姿が消えていた。
眼下の校庭からは、まだ戦闘音がしている。
下にいるのは1体ではない。
剣だけでは倒せなかったのだから、いくら友人たちでも、そう簡単には片づけることは出来ないだろう。
「本当、なんでこんな奴らがいきなり……」
「向こうで何かあったと考えるしかないんだろうな」
次元の壁を挟んだ向こう側の異世界、インシング。
この魔物たちは、間違いなくあの世界のものたちだ。
それが何らかの理由で巨大化し、次元の壁を突き破ってこちら側に現れた。
ふと視線を向けた青年の顔に焦りが浮かんでいる。
それはそうだろう。
向こうの世界は、彼にとっては間違いなく故郷なのだ。
「とりあえず、治療が終わったら、ペリートにお前と悠司を管理棟に運んでもらうから、移動したら……」
青年がそう言いかけたそのときだった。
再びどんっという地響きのような音が中り辺りに響いた。
「な、何だ!?」
「ちょ……っ、嘘でしょ?」
顔を上げ、目に入った者に、赤美は思わず目を見開いた。
「空の罅が、大きくなってる……!?」
その言葉に青年も、新藤の治療をしていた若草色の髪の少女も空を見上げ、息を呑む。
空に広がる空間の罅は、確かに広がり、今にも壊れて落ちてきてしまいそうに見えた。