Chapter2 法国ジュエル
12:試練
暗い洞窟を木の枝につけた魔法粉で灯した明かりを頼りに進む。
入口を封印されているそこは、いくら重要な神殿があるからといっても無闇に入り組んだ造りをされているわけではなかった。
ただ真っ直ぐに奥へと続く道。
途中に横道などひとつもなく、ただ歩いていれば迷わないと思われる道。
しかし確実に感じる気配がある。
おそらく入口の結界が誤って解かれてしまった時の保険のためだろう。
時々魔力の感触を肌で感じた。
空間を捻じ曲げ、無限ループを作る特殊な呪文が、その感触を感じた周囲の壁に刻まれている。
“魔法の水晶”を持っていなければ、もしくはその所有者が側にいなければ通れない仕組みになっているらしい。
振り返らずに黙々と歩いていると、やがて前方に光が見えてくる。
無意識に足を速めて近づけば、そこは微かに黄色く色づいた石の壁に塞がれていた。
普通ならば、ここは行き止まりで他に道があったのだと思い、引き返すのかもしれない。
しかしセレスはそうはせずに、静かに壁のそばへと歩いていく。
視線を動かしてよく見れば、洞窟の壁にはやはり先ほどと同じ呪文が刻まれている。
杖にしたままの“魔法の水晶”を壁に近づけてみると、微かに先端の玉が光った。
同時に空間が捩れて、隠されていた入口が口を開く。
おそらくこの壁の向こうが光の神殿の内部だ。
ふと視線を落として足元をよく見れば、土に埋もれてはいたけれど、そこは確かに石造りの階段の上であることがわかる。
元々ここはちゃんとした神殿として地上にあったのだ。
しかし、何らかの理由で地中に、洞窟の中に埋められた。
神殿の入口を魔法で封印し、精霊の勇者の直系だけはここまで入ってこられるように洞窟をここまで繋げて。
暫くの間開いた入口を見つめていたセレスだったが、やがて意を決したのか神殿の中に踏み込む。
途端に神殿全体を包んでいたはずの暗闇が光に照らされた。
暗かったはずの内部はところどころに灯が灯り、まるで太陽の下にあるかのようにそこを照らし出した。
入り口から奥を見ると、暫くは決して細くはない廊下が続いていた。
辺りを見回しながらも、セレスはその廊下を一歩一歩慎重に進んでいく。
暫く歩くと廊下は終わり、広い広間が現れた。
そして気づく。
ここはあの頃――マジック共和国がまだ帝国だった頃、覚醒前に夢で見たあの神殿と同じ場所であるということに。
夢の中で“魔法の水晶”が安置されていた、あの場所だということに。
『ようこそ、光の力を受け継ぐ者よ』
突然響いた声に、思わず杖を握って顔を動かす。
『大丈夫。私はあなたの敵ではありません』
言葉と共に広間の中央、夢の中で水晶が安置されていたその場所に光が集まり始める。
やがて光は弱くなり、代わりに中から1人の女性が現れた。
薄っすらと光に包まれた黄色い髪を持つ女性。
金ではなく、ミルザの血を引く自分と同じ黄色い髪。
『私はレイ。光を司り、この神殿を預かる者』
微かに笑って告げた女性は、妖精族と同じか少し大きいか、そのくらいの大きさをしている。
「あなたが、光の精霊……?」
呟くように尋ねると、レイはにこっと微笑んだ。
『一時はどうなることかと思いましたが、誘惑には打ち勝ったようですね』
その言葉に、思わずセレスは目を見開く。
「どうして……」
『ごめんなさい。けれど、この洞窟内は全て私の領域。洞窟内で……いえ、結界内で起こっていることはすべて見えてしまうの』
それは精霊がこの世界に住まう者ではないからできること。
七大精霊とはいえど、彼女たちはインシングでは実体を持たない。
精霊界という彼らの世界でのみ実体を持つのが精霊。
違うといえば、精霊神と七大精霊はその2つの世界を自由に言ったり来たり出来るということ。
その2つの世界の狭間から自分の領域の光景を見ることができるのも、彼らが精霊たちの頂点に立つ者であるからなのだが、人間にはその辺りの事情はわからない。
レイの言葉に苦笑しつつも、セレスは真剣な表情で彼女を見上げる。
「レイ様。私は……」
『皆まで言わずとも、わかっています。マリエス様から話を聞いていましたから』
先ほどとはまた別の笑顔を浮かべて、レイが言った。
しかし、その笑みはすぐに顔から消えてしまう。
『この試練はあなたの力量を試すもの。かと言って、優しいものではありません。死ぬことはないでしょうが、ほんの少しの油断で呪文の継承は不可能になる』
ごくりとセレスは息を呑む。
チャンスは一度。
失敗は許されない。
けれど、引き下がることはできない。
前へ進むしかない。
約束したから。
彼との約束を、守りたいから。
「……お願いします」
しっかりとした口調で付けると、再びレイの口元に笑みが浮かぶ。
『それでは試練の間へとお送りしましょう』
静かにレイはその手をセレスに向かって伸ばした。
その手の先から光が溢れた。
柔らかい、それでも強い光が。
あまりの眩しさに目を開けていられなくなり、セレスは思わず目を閉じる。
ほんの一瞬、転移呪文を使ったときのような体が浮く感覚に包まれた。
光が消えたことに気づいて目を開けると、別の光が飛び込んでくる。
今まで暗い洞窟の中にある神殿にいたこともあって、その光が異様に眩しい。
暫くして、漸く光に慣れた目で辺りを見回し、言葉を失った。
先ほどまでいたはずの神殿は跡形もなく消え去り、代わりに目の前に現れたのは広い草原。
そしてその中に立つ1人の青年の姿。
年は姉と同じか、ちょっと下くらいだろう。
服装と持っている杖から考え、彼も魔道士のはずだ。
問題は髪の色。
自分と同じような黄色に近い金の髪を、青年は持っていた。
「ようこそマジックマスターさん。俺があんたの試練の相手だ」
彼女が自分を見たことに気づくと、青年は笑みを浮かべて自己紹介する。
尤も口にしたのはそれだけで、他のことは一切――名前さえも話すことはなかったけれど。
「あなたが試練の相手?」
聞き返しながら近づいて、気づいた。
彼の瞳もまた、髪と同じように自分の瞳の色に似ているということに。
「そ。あんたにはこれから俺と戦ってもらう」
にやって笑って青年は杖を構える。
反射的にセレスも杖を強く握って、数歩下がった。
けれど、青年の方はすぐに攻撃してくるつもりはないらしい。
代わりというように、微かに笑みを浮かべた口が開かれる。
「ただし、そっちは条件付きだ」
「条件?」
聞き返す言葉に、口元の笑みが大きくなったのは気のせいだろうか。
「勝利条件は俺を倒すこと。んで、魔法の使用は1回だけ」
「1回……!?」
「俺の方は何度も使っていいんだけどな。あんたは1回。もちろん補助、回復、攻撃、全部を合わせて」
ごくりとセレスは息を呑む。
相手もおそらくは相当の使い手だ。
それは感じ取る気配でよくわかる。
その気配も実際はおぼろげなもので、彼が本当に存在しているかどうかはわからなかったけれど。
「さて。そんな厳しい状況で、本当に俺と戦う意思があるかな?」
笑って尋ねる青年に、セレスは真剣な瞳を向ける。
「望むところです」
静かに告げると、青年は満足そうな笑みを浮かべた。
「いい目してるじゃねぇか。よし、行くぞっ!」
言葉と同時に青年は杖を振り上げ、言葉を紡ぐ。
次いで放たれたのは、まだまだ威力の低い呪文。
けれど、安心はできない。
呪文を避けながら、セレスは気づいていた。
彼が詠唱文を一言も口にしていないことに。
詠唱文を口にせず、呪文を放てる者は高位の術者だけのはず。
その高位の術者と言われる自分たちでさえ、普段は呪文の威力を挙げるために詠唱文を口にして入るけれど。
それができる彼は、相当の使い手であることが判断できる。
気は抜けない。
そしてこちらは一度しか呪文を使えない。
ならば、あの呪文にかけるしかない。
「どうした!?息が上がってるぞっ!」
呪文を避け、走り回りながら、だんだんと息が上がっていくセレスを、いつの間にか顔から笑みを消した青年が叱咤する。
元々後方支援に徹し、運動が得意というわけではない彼女だから仕方のないことだなんて、彼は言わせてくれないらしい。
「反撃してこないな。諦めたのか?」
「誰が……っ!!」
きっと青年を睨む。
諦めるわけがない。
諦めることなどできない。
約束があるから。
絶対にあの男に勝って帰ってくると、彼に約束したから。
「……憎しみに囚われてても、勝利は掴めないぞ」
自分を睨むその瞳から、彼女の真意を読み取ることはできなかったらしい。
ぽつりと呟いて、青年は初めて詠唱文を口にする。
「不死鳥よ。今ここに、光を纏いて我が前に現れん。
精霊よ。光を纏いし不死鳥に汝の力を貸し与えよ」
ひたすら走っていたセレスが、その詠唱を聞いて動きを止める。
真っ直ぐに体を青年の方へ体を向け、握っていた杖を翳した。
言葉こそ口にしないものの、その口が何かを紡いでいることに、青年は気づいたであろうか。
「ライトフェニックスっ!!」
光の鳥がセレスに向かって放たれる。
鳥の形をしていても魔力の塊でしかないそれは、真っ直ぐに飛ぶことしかできない。
だから動きを読んで左右に逃げさえすれば、避けられるはずのもの。
しかし、セレスはその場から動こうとはしなかった。
ただ微かに唇を動かしながら、じっとその鳥を見ているだけ。
「……諦めたか!?」
表情を変えて青年が呟いた瞬間、標的を飲み込んだ光の鳥が爆発を起こす。
しかし、普段なら風と共に広がるそれも、今回ばかりは一瞬で収縮した。
収縮した爆発と光の向こうにいたのは、目を閉じて両手で杖を握っているセレス。
その体には傷ひとつついておらず、完全に無傷のままだった。
それよりも彼を驚かせたのは、彼女の杖の先端に集まっている光の玉。
あれは先ほど自分が彼女にぶつけた魔力そのもの。
いや、それ以上の魔力の塊。
「リバースっ!!」
目を開けて、セレスが杖を振り上げる。
同時に放たれたのは、先ほどよりも大きい光の鳥。
「反射魔法!?」
驚きながら走ったけれど、返ってきた呪文は予想外の大きさをしていて、人である彼の足では逃げ切ることはできなかった。
返された光の鳥に飲み込まれ、彼は地面を転がった。
やはり実体を持っていないのか、その姿はあまりダメージを受けたようには見えなかったけれど。
「私の勝ち、ですよね」
痛みに蹲っている青年に歩み寄り、笑いかけた。
しかしその手には、いつのまに抜いたのか刃を仕込んだ杖が握られている。
仕込み杖。
彼女の父が彼女に残した、ある意味では秘密兵器となりうるもの。
「……ああ、俺の負けだよ。本当参った」
起き上がった青年は、苦笑しながら両手を挙げる。
光属性の最強呪文と知られるあれの直撃を受けて、それでも平気で動けるのは、彼が実体を持たない精神体であるから。
実体を持っているのならば死ぬ――よくても瀕死の重傷を負うはずなのに、彼が平然としているのがその証拠。
「あんたは合格。魔力もとっさの判断力も、あの呪文を継承するには申し分ないだろう」
それだけ告げると、青年はゆっくりと立ち上がる。
「んじゃ、俺はこれで失礼させてもらうぜ」
そう言って青年は落とした杖を握ると、ゆっくりと草原の向こうへ向かって歩き出す。
「待ってっ!」
思わず、セレスは行ってしまいそうな彼を呼び止めた。
青年は振り向かずに足を止める。
気になっていた。彼の髪と瞳の色。
今はもう、自分しか持たないはずのその色のこと。
「あなたは、誰なんですか?」
無意識のうちに刃を収めた杖を握る。
僅かな沈黙の後、青年はゆっくりとこちらを振り向いた。
その顔に浮かんでいたのは、困ったような笑み。
「俺はセシル。セシル=クリスタ」
その言葉に、セレスの瞳が大きく開かれる。
彼の告げた名前は紛れもなく自分に、自分たち姉妹に近しい名。
「あなたが、お父……」
言いかけた瞬間、突然視界に強い光が飛び込んできた。
その眩しさに、思わず両腕で顔を覆う。
自ら視界を閉ざしてしまったセレスは気づかない。
青年が、優しい笑みを浮かべていることに。
「自分を信じろ。……がんばれよ、セレス!」
耳に届いたその声は、高さこそ変わっていたけれど、目の前にいた青年のもので。
その声の高さに、懐かしいものを感じた。
小さい頃よく聴いていた父親の声を、思い出した。
「お父さんっ!」
手をどかして視界を広げた瞬間、セレスは思わず呆然として辺りを見回した。
そこにはもう、青空の下の草原も父を名乗った青年の姿もなかった。
ただ、最初にこの場所に入ったときに目のした神殿の広間が、静かに広がっているだけだった。