Chapter2 法国ジュエル
13:決意
それを受け取ったとき、感じたのは光。
全てを包んで、消してしまう破壊の光。
あんなに求めた力だというのに、その光が怖くて。
その光が、私から全てを奪ってしまうことが怖くて。
私は決めた。
この光はそれ以上何もできなくなったときの、本当に危なくなったときの、最後の手段にすると。
光の洞窟から出た後、彼女たちは変形させたオーブに乗り海を渡った。
本来ならばフェイト兄妹を送り届けてから行くべきだったのだろうけど、襲撃の危険性を考えるとセレスとペリドットは王都に戻るべきではない。
かと言って、彼らだけを帰すわけにも行かない。
そもそも転移呪文でここまできてしまったのだから、彼らにこの場所が国の何処に位置するのかはわからない。
精霊の住む洞窟は、エスクールのどの地図にも描かれていないものだったから。
だからほとんど必然的に兄妹も彼女たちに同行することとなった。
しかし、いくら飛翔水晶とはいえ、原動力はペリドットの魔力と精神力。
大勢をオーブに乗せたこの状態でそんなに遠くまで飛べるはずもなく、時折近くの島に降りて休憩を取るから、移動時間はアースの飛行機よりもずっと遅い。
それでもインシングの船よりはずっと早いのだけれど。
何度かの休憩を取りながら進むこと丸1日。
漸く彼女たちはエスクールの北東に浮かぶという大陸に辿り着いた。
「ここが法国ジュエル?」
大陸唯一の街の近くにある森に降り立ち、木の陰から目的地を覗き見てリーフが尋ねる。
「間違いないと思います。周りのあの廃墟。あれが帝国のエスクール攻略本部でしょうから」
光の精霊に貰った資料と照らし合わせ、セレスが頷く。
「第2軍事本部だっけ。どうも解放戦争のときに動かないからどうしたのかと思えば、こんなになってるんだもんね」
大げさにため息をついて、ペリドットは木の陰に身を引っ込める。
法国が封印されている間、この島にはダークマジック帝国の軍事本部が設置されていた。
しかし、法国が突然復活、出現したの際に発生した衝撃により軍事本部は壊滅。
当時の残骸もそのままに、法国の住人たちはその場所での生活を取り戻したという。
尤も、これは以前セレスがアースから逃れてきたばかりのころ、隠れ家から城へとやってきていたアールから聞いた話だ。
全て確かとは言えないかもしれない。
「それで、どうやってここを抜けるんですか?」
無意識にか、それとも意識的にか、腰の剣に手をかけてミューズが尋ねる。
「さすがにあれを全部相手にしてたら、きりないだろう?」
じっと街を見ていたリーフもこちらを向く。
街には一見人のようにも見える魔族が群れている。
魔族の街なのだから当たり前といえば当たり前だが、問題はそこではない。
ここはルーズの治める街。
即ち街の住人はルーズの部下。
さらに、彼らは街ごとミルザによってこの地に封印されていたのだ。
住人全員が子孫である彼女たちに敵意を抱いても仕方がない。
「簡単です。眠らせます」
きっぱりとセレスが言った。
ぽかんとしたフェイト兄妹が聞き返す間もなく、彼女は視線をペリドットに向ける。
「……結局あたしなんだね」
妙に真剣な声で聞き返せば、にっこり笑って頷いてくれる。
小さくため息をついて、ペリドットは街の上空へオーブを飛ばした。
「スリープミストっ!」
凛とした声が響く。
それとともに、街の上空に静止したオーブから霧が噴き出した。
噴き出した霧は、まるで布を広げるかのように広がり、街全体を包んでいく。
辛うじてここまで音が届くらしい街の入り口の方から、何かが倒れる音が聞こえた。
同時に何度か何かが壊れる音も聞こえてくる。
それらが全く聞こえなくなった頃、漸くペリドットは空にあったオーブを自分の元へと呼び戻した。
「さてと、これでルーズ並みに強い奴以外は全員お寝んねのはずだよ」
くるっとこちらを振り向き、にこっと笑ってペリドットが言う。
リーフが思わず「すげぇ」と呟いたが、彼女はあっさりそれを聞き流した。
普段ならともかく、こんな場所で褒められたことを素直に喜んで騒ぐほど彼女は子供ではない。
たとえ周りからそういう性格に見られていたとしても。
「それじゃあ、私たちは行ってきます。おふたりはここで待機していて下さい」
言われた言葉にリーフは自分の耳を疑った。
「2人だけで行く気なのですか!?」
思わず声を上げてミューズがセレスを見る。
言葉を返さずに、セレスは静かに頷いた。
「これは、私たちの家系の問題です。だから、ここから先は私たちで行くのが筋だと思っています」
「でも、私たちは……」
「ついてきたとして、戦える自信ある?」
ふいに聞こえたいつもよりトーンを落としたペリドットの声に、ミューズはぐっと押し黙る。
王都エスクールでのあの戦い。
ミューズの剣は確かにルーズに当たったけれど、それは服を裂くことができた程度。
足手纏いにならないという自信はない。
「セレスさん……」
何も言えないまま、リーフは困惑した顔を彼女に向ける。
「呼び捨てでかまいません。それに、本当に私たちだけでも大丈夫です」
にこっと笑うセレスに、リーフはますます困惑する。
王都でルーズが彼女に囁いた言葉を知っているからこそ浮かぶ不安が、自分を支配している。
このままついていきたい。
隣にいたい。
信じて任せるはずだったというのに、ここまで来てしまったせいか、共にいたいという思いの方がどんどん強くなる。
「大丈夫」
思わず視線を逸らしたリーフの手に、セレスがそっと触れた。
驚いて、彼ははっと彼女を見る。
「必ず帰ってきますから。あなたとそう約束したから」
帰ってくるから待っていてほしいと。
そう確かに約束した。
彼女が光の精霊の試験に挑む、ほんの少し前に。
「……わかった」
「兄様っ!?」
ミューズが驚き、兄を呼ぶ。
まさか承諾するとは思わなかったのだろう。
兄に彼女が向けるのは驚きだけでなく嫌悪の混じった視線。
大切な人を見捨てるのかと、攻めるような瞳。
「約束は約束だから。俺はあなたを待つ。だから……」
「もちろん。私はちゃんと戻ってきます。仲間と、みんなで」
微笑んでそう語る彼女の瞳には、強い光が宿っていた。
試練に挑む前は、完全に消えていた光。
視線を乗り越えたことで取り戻した光が。
「どうぞ、ご無事で」
地面に片膝をついて、リーフは握ったままだったセレスの右手に軽い口付けをする。
王族らしい動作。
追われる立場として過ごし、決して教えられたわけでもないそれを彼が違和感なく成し遂げたのは、幼い頃に父が母にそれをしていたのを見ていたため。
「ありがとう、ございます」
顔を微かに赤く染めてセレスが慌てて手を引っ込める。
その様子に苦笑しながらも、ペリドットは彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
「そろそろ行くよ。スリープミストの効果だって、ずっと続くわけじゃないからね」
こくんと、しっかりセレスが頷く。
すぐに必要なだけの荷物を纏めて、2人は早足に城に向かって歩き出した。
ふと、視線に気づいて振り返る。
視界に入ったのはまだ納得がいかないという表情のミューズと、寂しそうな表情のリーフ。
2人を見て小さく笑うと、セレスは空いた手を空に向かって伸ばす。
「行ってきます」
告げられた言葉に、ミューズが僅かに表情を変えたのがわかった。
けれど何も言わずに、セレスはそのまま先行するペリドットへと視線を戻す。
「急ぎましょう。なるべく余計な戦いは避けたいですから」
早足で追いついて囁くと、ペリドットは当然と言わんばかりの表情で隣を歩くセレスを見た。
「そだね。早く終わらせて戻ってきて、みんなでエスクールに……アースに帰ろう」
微かに笑顔を浮かべて言われた言葉に、セレスは力強く頷いた。
「兄様!どうして待つだなんて言ったのっ!!」
セレスたちの姿が見えなくなった頃、黙っていたミューズか突然口を開いた。
約束だから。
一途な兄にそんな返事を返されることなど当にわかっていたけれど、それでも彼女は聞くことをやめようとはしない。
「約束、だから」
予想通りの言葉に彼女の怒りが増す。
「だからと言って、危険だとわかっている場所にあの方たちだけを!ここまでついてきたのに、私たちが行かないなんてっ!!」
感情が高ぶっているせいか、言葉がうまくまとまらない。
言いたいことがたくさんあるせいで、全て中途半端にしか言葉にできない。
「お前だって……」
ふと、妙に辺りに響いた言葉に、ミューズは講義するのを止める。
兄の顔が悔しそうに歪んでいることに、彼女はその時初めて気づいた。
「お前だったわかってるだろう?俺たちは所詮一般人。特別な血なんか引かない、ただの人間だ。そんな俺たちがついていったって、足手纏いにしかならない」
「それは……」
わかっている。
そんなことは、とっくにわかっていたけれど。
「俺だって、ついていきたかった!」
突然声を張り上げた兄に、びくっとミューズの肩が跳ねる。
「あんな奴のところに、あの人たちだけで行かせたくなんかない!けど、わかってる。あの人たちと俺たち……特に魔力のない俺じゃ力の差は歴然だ。行ったら、逆に重荷になる」
「兄様……」
「だから、せめてここで待つ。今の俺たちには、それしかできない」
木に背を預け、ずるずると座り込みながら言う兄に、ミューズはそれ以上言葉を返すことはできなかった。
ペリドットの呪文の威力は強力で、街中の住人たちは全て深い眠りに落ちていた。
おそらく森の中で聞いた音は、突然の眠気に襲われた者たちが倒れた音だったのだろう。
外だと言うのに、道のあちこちで住人たちが気持ちよさそうに眠っている。
静まり返った街を駆け抜け、2人は城の門の前に立った。
硬く閉ざされた門を見上げて、ペリドットがため息をつく。
かなり頑丈な門だ。
おそらく簡単に壊すことのできる代物ではないだろう。
となれば、彼女たちが取る手はただひとつしかない。
「どっちがやる?」
「私が」
やはりというべきか、同じことを考えていたセレスがきっぱりと言った。
こくんと頷き返すと、彼女は無言で杖を門へと向ける。
「封じられし魔の者よ。今ここに、陣を開きて、我、汝らが光の力を求めん」
今まで気づかなかったけれど、詠唱を始めるとセレスの杖の先端がほんのりと光を放っている。
それはよく知る暖かな光ではなく、嫌な感じを纏った光。
攻撃呪文なのだから、当たり前だと言ってしまえばそれまでなのだが。
「閃光陣っ!!」
一瞬魔法陣が浮かんだかと思うと、それは門に向けて強い光を放った。
同時に門が爆発を起こす。
大陸中に響きそうな音を立てて、扉は粉々に吹き飛んだ。
「きょ、強力すぎ……」
瓦礫となった門を見下ろして、ペリドットがぽつりと呟く。
普段のセレスなら、門を破壊するくらいでこんなに呪文の威力を上げようとはしないはずだ。
その分余裕がないのだろうと考えて、ペリドットは彼女に視線を走らせる。
実際、リーフは別れた後の彼女の表情は多少であるが強張っていて、とてもではないが彼の前で言った言葉が本心からのものだとは思えない。
試練中に何があったのか聞くつもりはないけれど、ここまで冷静さが欠けていると余計に心配になってくる。
「行きましょう」
そんな彼女の真情に気づいていないのか、短く言うとセレスはそのまま瓦礫を上り始める。
この騒ぎでさえ、街の住人は起きる兆しを見せない。
自分の呪文に内心で感心してしまいながら、ペリドットは先へ進むセレスを追いかけた。
「ペリート」
不意にかけられた言葉に足を止める。
「ん?どしたの?」
振り返った彼女の様子に何処か不安を感じながらも、いつもの通りに聞き返した。
「あの呪文、使わないから」
告げられた言葉に一瞬きょとんとしたけれど、すぐに意味を理解して大きく目を見開いた。
「使わないって、何でっ!」
ここは既に敵の本拠地だというのに、それを気にしていないかのようにペリドットが叫ぶ。
尤も、突然の宣言に気にする余裕がなくなっているだけかもしれないが。
「負担が大きいの」
本当の理由を述べずに、ぽつりとセレスが答える。
「撃てて、せいぜい1発だと思う。だから……」
「ここぞと言う時まで使わないって、そういうこと?」
真剣な表情のペリドットの問いに、セレスは戸惑いながらも頷いた。
「そっか。それなら別にいいけどね」
あっさりとそう言って、ペリドットは再び歩き始めた。
「いいって……」
「1発なのに外してセレちゃんが倒れたら、それで全部終わっちゃうし」
にこっと笑っていうペリドットに、セレスの胸が小さく痛む。
「ただし、ちゃんと使うときには使ってよ。そのために精霊に会いに行ったんだから」
「……うん」
小さく、それでもしっかりと彼女が頷いたのを確認すると、ペリドットはそのまま視線を戻して歩き出す。
使うときには……。
ペリドットの言った言葉をしっかりと噛み締めて、セレスも再び歩き出す。
ふつふつと湧き上がる恐怖心を、彼女は無理矢理抑えていた。
それがルーズに対するものか、それとも自分の継承した呪文に対するものかはわからなかったけれど。