Chapter2 法国ジュエル
14:人形
「それにしてもぼろぼろだよね、ここ」
辺りを見回しながら、ペリドットが妙にはっきりとした声で言った。
法国などとたいそうな呼び名がついているこの魔族の国の城は、本当に今使われているのかと思うほど埃や塵に塗れている。
階段の壁は大きな穴まで開いている始末だ。
不思議なのは、1階や地下へと続くと思われる階段には多くあったそれが、上に向かうほど少なくなっているこということだ。
かつてあったと思われる激しい戦いは、この城の主の部屋があるであろう上の階ではなく下の階で起こったとでもいうような傷跡だけが残っている。
「イセリヤと連絡取ってたってことは、半年前には復活してたはずだよね?なのにどうして修理してないんだろう?」
ささやかな疑問が無意識のうちに口から漏れた。
半年もあれば、修理は無理だったとしても、せめて塵や埃は取り除くことができるだろう。
だというのに、それさえもしていないというのは、一体どういうことなのか。
「城の主が他のところにばっかり目を向けていたんじゃないかしら?例えば帝国の動きとか」
「封印されていたせいでお金が古くなって使えなくなったってのもあったりして」
「議論したところで、貴様らには関係ないのではないか?」
前触れもなく突然廊下に声が響いた。
嫌でも耳に馴染み始めてしまったその声を聞いた途端ペリドットが表情を変え、セレスが無意識のうちに小さく体を震わせる。
辺りを見回そうとした瞬間、周りの景色が反転した。
かと思えば、次の瞬間2人は今までいたはずの場所とは違う部屋に足を降ろしていた。
「えっ!?」
「ようこそ我が城へ。ミルザの血を継ぐ者たちよ」
室内に響いた言葉を受けて視線を動かせば、いつの間にか目の前に玉座に腰を下ろしたルーズがいる。
困惑するセレスを自分の後ろに下げて、ペリドットはきっとルーズを睨んだ。
「強制転送なんてやってくれるじゃん。一瞬何があったのかと思ったよ」
その頭上には、先ほどまで浮かんでいなかったはずのオーブが浮いている。
「汚い廊下で客人を苦労させるのも失礼だと思ったのでな」
何が失礼だよ。そんなこと、ちっとも思ってないくせに。
小さく笑うルーズを睨んだまま、心の中で舌打ちする。
「でもまさか、自分たちから囚われに来てくれるとは思わなかったぞ」
「ふざけないでっ!誰が……」
叫びかけたセレスを、ペリドットが制止する。
一瞬驚いたように顔を強張らせ、セレスは怒りを抑えるように黙り込んだ。
「お客を通すつもりなら、せめてもうちょっとお掃除した方がいいんじゃない?」
笑みを浮かべて見せて、わざと挑発の言葉を吐く。
ルーズがそれに気づかないはずがないことを承知の上で、続けた。
「もうちょっとお手伝いさんとか雇えば?人が暮らしてるってことさえ怪しいよ」
「そうか。ならば早速呼ぶとしよう」
言ったかと思うと、いつの間に外していたというのか、手の中の水晶を高く掲げる。
その瞬間、水晶から光が放たれた。
突然視界を覆ったそれに驚き、ペリドットもセレスも腕で自らの目を庇った。
目を焼くかと思われたほどの光は2人に何の害も与えることなく、すぐに小さくなっていく。
光が弱まったのを確認して目を開けた途端視界に飛び込んできた人影を見て、ペリドットは言葉を失い、目を見開いた。
「姉さん……ベリー……?」
背後から呟きに近い小さな声が聞こえた。
視線だけを動かしてちらっと振り返れば、驚きの表情でセレスが突然現れた人物たちを見つめている。
現れたのは、自分たちもよく知る赤い髪を持つ少女と、紫の髪を持つ少女。
瞼が閉じられているためにその瞳の色を窺うことは出来ないが、自分たちはその色をよく知っていた。
「さて、ではまず命ずる。あの2人を捕らえよ。決して殺すな」
ルーズの言葉に答えるかのように、2人はゆっくりと目を開けた。
開かれた瞳の色は、やはり自分たちのよく知る彼女たちの色で。
ただいつもと違うのは、その瞳にはどこを見ているのかわからない、虚ろな光が宿っているだけだということだった。
「……外道」
吐き出すように呟くと、ペリドットは浮いていたオーブを手元に引き寄せる。
「ソード!」
小さく輝いたかと思うと、オーブから突然何かが生えた。
片側には白銀に輝く刃。
もう片側には手で握るための柄。
ペリドットの手の中に収まったそれは、もはやオーブではなく一振りの剣。
手の中の感触を確かめて、頭の上に振り上げる。
ほぼ同時にそこで金属同士がぶつかり合う音が響いた。
しっかりと前を睨めば、そこにあるのは交差させた2本の短剣を振り下ろしたルビーの顔。
その短剣は、自分が振り上げた剣の上で辛うじて止まっている。
「剣なんて、レミアちゃんの専門なのに……」
呟いて、重さのかかる剣を無理矢理押し上げた。
きんっと音がして、ルビーが後ろへ跳ぶ。
ほんの少しの動作で既に息が上がってしまっているペリドットには、この戦いはかなり不利だ。
今の動作をいつも軽々やってのけていたレミアにちょっとした尊敬の念を抱きながらも、息を整えて再び剣を構える。
短剣を扱うルビーに対し、素手で対抗するのは危ないと本能が告げていた。
「きゃあああっ!?」
その瞬間、突然耳に飛び込んできた叫び声に一瞬注意が逸れ、思わず視線をそちらに動かした。
ベリーと戦っているはずのセレスが壁際に駆け寄って、震える体を必死に抑えている。
おそらく、それは彼女の中に残っていた恐怖が、仲間との戦闘という事実で爆発してしまったためであろう。
「セレス……」
「余所見をしている暇があるのかな?」
ルーズの言葉が耳に入った瞬間、左腕に痛みが走った。
「……っ!?」
咄嗟に剣を振って、いつのまにか近寄ってきていたルビーを遠ざける。
遠ざかったルビーの短剣の片方に、赤い液体が付着しているのが見えた。
それは今、左腕から湧き出している自分の血。
「……ちっ」
舌打ちして、ペリドットは右手だけで剣を構え直す。
間髪入れずに打ち込んでくるルビーが相手では、自分で回復呪文を唱えている暇などない。
せめてルビーとベリーを固めないと。
2人を纏めてしまえば、そしてセレスがその位置に気づけば、2人の動きを封じることができる。
結局のところ、こうして戦っているペリドットだって彼女たちを傷つけるのは嫌なのだ。
彼女たちを助けるためにここまでやってきたのだから。
自分たちが彼女たちを傷つけたりすれば、その意味が失われてしまう気がした。
そんなことばかり言っていられる事態ではないことは、よくわかっていたけれど。
「フリーズっ!!」
ルビーが近づいてきた瞬間、ペリドットは素早く詠唱を完成させ、呪文を放った。
突然の予想外の攻撃を避けされずに、ルビーの腕に氷が突き刺さる。
鋭く尖った氷の塊が。
「……っ!?」
何をするのにも人形のように表情を変えなかったルビーの顔が、初めて歪んだ。
「アイスオーブっ!!」
オーブにかけていた変形の呪文を解いて水晶球に戻すと、新たな呪文を唱えてそれをルビーにぶつける。
反属性の呪文は慣れない剣での攻撃よりも相当効くらしい。
ペリドットの予想に反してルビーはあっけなく弾き飛ばされ、抵抗しようとしないセレスに攻撃していたベリーの目の前に落ちた。
突然の出来事にベリーが一瞬動きを止める。
「セレスっ!」
未だ血の流れる左腕を押さえ、ペリドットは必至に叫んだ。
本当は痛みと熱さで、そんなことをするのも辛いのだけれど。
そんな彼女の思いとは裏腹に、セレスは名前を呼ばれた意図がわからないらしく、困惑した表情でこちらに視線を向けるだけだった。
仕方なく言葉を続けようとした瞬間、ベリーが再び彼女の方へと走り出そうとしているのが目に入った。
ルビーはさすがに痛みで動けなくなっているようだったけれど、ベリーが彼女から離れてしまっては何の意味もない。
小さなため息ついて舌打ちをすると、ペリドットは痛みを無理矢理我慢して床を蹴った。
ベリーの前に飛び出し、右腕を振り上げる。
ずんっと重さが圧し掛かり、骨が軋んだような音がしたけれど、そんなことを気にしている場合ではない。
「ライトオーブっ!」
ベリーの拳を受け止めたまま叫ぶと、すぐにオーブが飛んできて彼女の腹に直撃する。
勢いでベリーの体が宙を舞った。
背後でセレスが叫んだ気がしたけれど、そんなことを気にしている場合ではないし、気にしている余裕もない。
「セレスっ!あいつらの動きを封じてっ!」
痛みを堪えて叫んだ言葉に、漸く彼女はペリドットの意図を察したらしい。
ぎゅっと唇を噛み、杖を倒れた親友と姉へ向ける。
「呪縛陣っ!!」
床に現れた魔法陣から伸びた不気味な腕が、起き上がろうとした2人の体を絡め取る。
なす術もなく床へ押さえつけられる自身の人形たちを見て、ルーズは小さく口元を歪ませた。
戦闘不能。
今の人形たちの状態を示すならば、それ以外の表現はできないだろう。
それでも、彼は十分満足していたけれど。
真っ赤に染まった左腕の傷を押さえながら、ペリドットはぎろっとルーズを睨んだ。
「あんたってサイテーだよね」
憎しみを込めた若草の瞳。
宝石に似た輝きを持つその瞳よりも、ルーズの視線は別の方へと向いている。
未だに体を震わせながら、けれどしっかりと杖を握り、立ち上がった黄色い髪の魔道士に。
「仲間を失うのが、そんなに怖いのか?」
小さく笑って言われた言葉に、セレスの肩がびくっと跳ねる。
「怖いわ」
それでもきっぱりと答えた彼女に、今度は不満そうに顔を歪めた。
「怖いわよ。今まで当たり前みたいに周りにいた人がいなくなるなんて、嘘でも嫌」
「その仲間が命を狙う敵として現れても、か?」
「これはあんたのせいじゃん」
そう答えたのは、セレスではなくペリドットだった。
「サイテーだよね。自分で勝つ自信がないからって、人を道具みたいに扱うなんてさ」
吐き捨てるように言う彼女の右手からは、淡い光が漏れている。
おそらく言葉を吐きながらも、先ほど受けた傷を治療しているのだろう。
「おや。貴様らにそんなことを言われる筋合いはないと思うがな」
「どういう意味……?」
微かにペリドットの表情が変わる。
セレスも、表面上は変わっていないように見えたけれど、その瞳には動揺の色が窺える。
「仲間を囮にして、逃げ出したのは誰だったかな?」
はっとペリドットが魔法陣の中にいるルビーへ視線を向ける。
その動きでルーズの言葉の意図に気づいてしまったのだろうセレスの顔が真っ青になる。
「そうだ。貴様らはマジックシーフを囮にして私から逃げた。そうしてここにいるお前たちに、仲間を失うことが怖いなどと言う資格はないと思うがな」
くくっと笑って告げられる言葉に、再びセレスの体が震え出す。
感じているのは、あの時姉を置いてきてしまった後悔。
そして、目の前の敵に対する憎しみと、恐怖。
「あれは……」
「どんな言い訳をしようと、見捨てた事実には変われないだろう」
ぎゅっとペリドットは唇を噛んだ。
おそらくこれは、先ほどから震えているセレスにプレッシャーをかけるための言葉。
何故かルーズは、セレスを自分の伴侶にしたがっている。
だからこんな言葉を言い続けているのだろう。
戦意を喪失させて、従わせようとして。
「……そーだね。確かにあたしたちは、ルビーを見捨てたことになるのかもしれない」
突然呟かれた言葉にセレスが、ルーズのまでも驚いたようにペリドットを見る。
「だけどそれはルビーがそう望んだからで、セレスのせいじゃないんだよ」
「ペリート……」
「それより、お姉ちゃんの期待を裏切る気?そんなこと、あたしが許さないし、何より……」
不意に言葉を切って、セレスの方を向いたペリドットの顔に浮かんでいたのは笑顔。
儚くて、すぐに消えてしまいそうな、そんな笑顔。
「リーフが待ってるじゃん。ね?」
リーフという言葉に、セレスが微かに表情を変える。
この街の入口で自分たちの帰りを待っていてくれる彼の姿が思い浮かんだ。
『俺はいつまでも、君を待ってる』
約束してくれた。
彼は確かに、そう約束してくれた。
今でも彼は、ずっと待っていてくれる。
「リーフさん……」
名を呼ぶと、少しは楽になった気がした。
心を覆っていた恐怖の波が、一気に引いていく感覚に襲われた。
恐怖が引けば、後に湧きあがってくるのは憎しみ。
ルーズに対する、心の底からの憎しみ。
仲間を連れ去ったことだけに対するものではないような気もしたけれど、今彼女はそれ以外の理由に気づくはずもない。
気づく理由も、術もないのだから。
「私は……」
漸くゆっくりと、言葉を吐き出すように口を開く。
「私はあなたを許さない。今も、昔も、これからも」
その言葉にどんな意味が含まれていたのか、無意識のうちに口にしたセレスは知らない。
けれど、少なくともルーズの方はその言葉から何かを汲み取ったらしい。
先ほどまで浮かべていた笑みを完全に消し、冷たい瞳でセレスを睨む。
「……そうか。結局、貴様は私を受け入れようとしないのか」
妙に低い言葉が響いた。
ゆっくりと、ルーズがその身を沈めていた玉座から立ち上がる。
「ならば、そのリーフとやらに穢されぬよう、私がその命、ここで絶ってくれるっ!」
叫ぶと同時に室内の空気が変わった。
ずんっと重い物が圧し掛かるような感覚。
空気に押し潰されそうな感覚に襲われながらも、2人は必至に体を支えようと自らの足に力を込める。
ふと、セレスは一瞬足元に落としていた視線を上げた。
その瞬間視界の端に掠めた影にはっと目を瞠り、勢いよく顔をそちらに向ける。
「ペリートっ!後ろっ!!」
突然横から聞こえた言葉に、ペリドットは反射的に背後を振り返った。
しかしその時には既に遅く、先ほどまで玉座にいたはずのルーズが彼女のすぐ後ろに移動した後だった。
王都で遭遇したあのときのように、右腕を緑に変色させて。
肉を裂くような嫌な音が辺りに響いた。
ペリドットの背中から赤い飛沫が舞い上がる。
赤く、鉄の匂いを含んだ液体が。
「ペリートっ!!」
セレスが名を叫んだときには、既にペリドットはその白い袖を真っ赤に染めて床に倒れていた。
先ほどのルビーの短剣で左手に負った傷から予想以上の出血をしていた彼女が、再び立ち上がれるはずもない。
僅かに残っている意識が、彼女たちにとっては唯一の救いとも言えるだろう。
ルーズの視線がもはや起き上がることの出来なくなったペリドットから外れ、セレスに移る。
その瞳は、まるで彼女が困惑する様子を楽しんでいるかのようだった。
「次は貴様だ」
にやりと笑って告げられた言葉に、背筋をぞくっと悪寒が走り抜けた。
それでも、ここで引き下がるわけにはいかない。
何より、何とか相手を退けてペリドットの治療をしなければならない。
出血量から見て、彼女の怪我はかなり酷いもののはず。
長時間放っておいたら命にかかわるということなど、誰の目にも明らかだった。
そう、長時間放っておくことなど、できはしない。
彼女に、そしてセレスに与えられた時間はごく僅かしか残されてはいないのだ。
迷ってなどいられないはずなのに、彼女は未だに決心することが出来なかった。
あの呪文をここで使うことに対する恐れは、まだ消えてはいなかったのだから。