Chapter2 法国ジュエル
4:巨人対決
「逃がすとでも思ったか」
唐突に空から降り注いだ声に、はっと足を止める。
人目を避けながら、漸く市街地を抜けたと思ったところで聞こえたその言葉に、2人は反射的に武器を手に取った。
一瞬、辺りの空気が揺れる。
そう思った途端、風が騒いで、目の前に人影が現れた。
白いローブを着て、7つの水晶をつけたペンダントを首から下げた黒い髪の男が。
「別に。そういうつもりで出てきたんじゃないから」
剣を握って、あくまで余裕があるような口ぶりでレミアが言葉を返す。
本来片手用の長剣であるそれを両手で握っていることで、余裕のなさなど丸分かりであるのだが。
「一般人を巻き込まぬようにか?そんなことを考える余裕はあるのだな」
こちらの考えなどお見通しだというのか、ふんと鼻を鳴らしてルーズが言う。
「果たして、その余裕がいつまで持っていられるか」
口元に笑みを浮かべながら、ゆっくりと空に向かって手を伸ばす。
「出でよ、魔に堕ちし巨人よ!」
言葉と共に手を振り下ろした。
同時にルーズと彼女たちの間に大きな魔法陣が浮かび上がる。
「まさか、召喚魔法っ!?」
地面に描かれ、浮かび上がった魔法陣は、召喚魔法と呼ばれるもののそれと同じ。
光が舞い上がったかと思うと魔法陣は消え去り、今度はその場所に別の影が現れる。
突然の光に思わず目を閉じてしまった2人は、再び目を開いたとき、視界に入った姿にぎくりとした。
その前にいたのは、人間というには大きすぎ、巨人というには少し小さい、肌の色が緑色の怪物。
「ト、トロルっ!?」
人里にはあまり現れることのない巨人族。
人間、もしくは外見が人間に見える者たちを主な餌にしている怪物だ。
人のいる場所で放置しておけるはずもなく、記録によれば、過去幾度も自分たちの一族はこの種族に戦いを挑み、その絶対数を減らしてきた。
彼女たちの一族と精霊を恐れて樹海と言われるほどの密林にしか生息しなくなったこの種族を、まさか呼び出すなど、外見が人間に見える種族ならば絶対にするはずがないというのに。
開かれたぎょろりとした目が、こちらを睨む。
それを見て小さく笑うと、ルーズはふわっと宙に浮いた。
おそらくトロルが届かない高さまで上がってしまうつもりなのだろう。
自分に被害が及ばないようにするために。
「せいぜい守ってみるんだな。お前たち自身と、周りの人間たちを」
楽しそうに口元を歪ませて言うと、ルーズ自身は近くの家の屋根に腰掛けた。
それを合図にするかもごとく、にやりとトロルの表情が歪む。
「……エサ」
呟いたかと思うと、そのまま勢いよく手にした棍棒を振り上げた。
「ミスリルっ!」
呆然としているミスリルを突き飛ばすと、レミアは慌ててその場から飛びのく。
一瞬だけ遅れて落ちてきた棍棒が、今まで彼女たちのいた場所を吹き飛ばした。
地面を覆っていたアスファルトが砕け、普段は見えることのない土が現れる。
巻き起こった砂埃にごほごほと咳き込みながら、レミアはルーズを睨んだ。
そしてトロルへ視線を移す。
「冗談でしょ……?2人だけでこんなのに勝てなんて言われても」
「だからと言って、諦めるわけにはいかないでしょう!」
我に返って立ち上がると、ミスリルは鞭をしっかりと握ってトロルを睨む。
しかし、すぐに攻め込むようなことはせず、そのまま静かに目を閉じた。
「我、ここに大地の盟約に従い汝を招かん。大地より生まれし“友”よ。巨人となりて、我が道塞ぎし者を打ち砕かん!」
詠唱を完成させると、しっかり目を開ける。
砕けたアスファルトを払い、棍棒を引き上げたトロルは、地響きを立てながらゆっくりとこちらへ向かってくるところだった。
「アースゴーレムっ!」
ミスリルとトロルの間に魔法陣が浮かび上がる。
先ほどルーズが呼び出したものと同じ、それでも微妙に違うそれ。
そこから、別の地響きと共に岩の巨人が這い出してくる。
命を持った土人形、ゴーレムが。
「アスゴっ!そいつを止めてっ!」
大地にしっかりと立った巨大なゴーレムは、ミスリルの声を聞くとトロルを睨んだ。
再び振り上げられた棍棒を、その外見からは信じられないような素早さで掴む。
その手を振り払おうとしたトロルのもう片方の腕も、素早く掴んで離そうとはしない。
その体勢のままゴーレム――アスゴはトロルを持ち上げ、放り投げた。
ずんと地響きがして、トロルが近くの壁にぶつかる。
ぶつかった壁はその衝撃に耐え切れず、がらがらと音を立てて崩れていく。
「きゃああっ!?」
「うわぁぁっ!?」
その壁の向こうから、その家の住人であろう者たちの悲鳴が聞こえた。
痛みに顔を歪めながらも、目を開いたトロルがにやりと笑う。
「まずい……っ!?」
その変化に気づいたレミアが、ミスリルがアスゴに指示を出すより先に走り出した。
「アスゴっ!あいつを一般人に近づけないでっ!」
慌てて叫んで、ミスリルも彼らの方へと走っていく。
トロルに鞭という武器がほとんど効かないことは、十分わかっているけれど。
「あんたの相手はこっちだよっ!」
辿り着いたレミアが起き上がろうとするトロルの足に、勢いよく剣を突き刺した。
その痛みにトロルが不気味な悲鳴をあげる。
「うわっ!」
「なんて声……」
思わず耳を塞いで、剣から手を離してしまう。
それと同時に、トロルの足が振り上げられた。
「レミアっ!?」
「……っ!?」
気づいたミスリルが叫んだときには遅く、まともに蹴りを喰らったレミアは勢いよく反対側の壁に叩きつけられた。
「……っあ……。あ、あたし、こういうの多すぎ」
打ち所が悪かったのか酷く咳き込んで、それでも壁を支えにして何とか立ち上がった。
「く……っ。アスゴっ!トロルを食い止めて!」
見上げて叫ぶと、微かにアスゴが頷く。
それを確認して、ミスリルは急いでレミアの元へと走った。
「大丈夫?」
「何とか……」
痛む背中を壁から離さずに、レミアはトロルを睨んだ。
剣がトロルの足に突き刺さったままぶんぶんと振り回させている。
取り戻さなければ。
そうしなければ、何もできない。
「ミスリル。指示よろしく」
「え?」
「風の精霊よ。我が呼び声に答え、汝の力を貸し与えん」
答を返すよりも早く、レミアは呪文を紡ぎ始める。
それが何を意味するかを悟り、ミスリルはアスゴたちの方へと視線を移した。
ここから見る2人の巨人の戦いは、言ってしまえば『怪獣大決戦』だ。
当然目の前の巨人たちは、特撮物のそれよりずいぶん小さいけれど。
「風よ。波となり、我らが前に立ち塞がりし存在を薙ぎ払わん!」
詠唱が完成する。
それに気づいて、ミスリルは思い切り叫んだ。
「アスゴっ!避けてっ!」
反射的にとばかりにトロルを人のいない方向へと弾き飛ばし、自らも後方へ下がる。
あまりの大きさに大きな地響きが起こったけれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「ウィンドウェーブっ!!」
巻き起こる風。
それが打ち寄せる波のごとくトロルに襲い掛かる。
鋭い刃となった風が次々と、容赦なくトロルの皮膚を切り裂いた。
突然、それも全身に起こった痛みに、流れ出した血に、恐怖でも覚えたのか、狂ったようにトロルが叫び出す。
「押さえてっ!」
ミスリルの声に応え、アスゴは暴れるトロルの動きを封じるように上に圧し掛かる。
元々岩であるアスゴの重さはトロルの体重の何倍も重い。
そんなものに上から乗られて、平気でいられる生き物などいるはずがない。
めきめきと嫌な音を立ててトロルの骨がつぶれる。
再びあの不気味な悲鳴が響く中、何とか2体に近づいたレミアは、トロルの足に突き刺さっていた剣を引き抜いた。
ちらりとトロルを見やると、手足は在らぬ方向に曲がり、口からはぶくぶくと赤い泡を吹いている。
辛うじて息はしているのか、未だに胸は上下に動いているが、もはやそれも長くは持たないだろう。
今のこの魔物は巨大な岩に押し潰されているようなものなのだ。
アスゴの手足を避けて胸に近づいたレミアは、その上に立つと剣を振り上げた。
「はあっ!!」
どすっという音がして、剣がトロルの胸に深々と突き刺さる。
ぶはっと口から血を吹いたかと思うと、トロルはそのまま絶命した。
深く突き刺さった剣を、力いっぱい引き抜く。
小さくため息をついてトロルの死体の上から降り、動こうとしないアスゴを見上げた。
表情のないはずのその顔に一瞬安堵の表情を見た気がして、レミアは慌てて目を擦った。
「きゃあああっ!!?」
その瞬間聞こえた悲鳴と背後を照らした光に、驚いて振り返った。
既に光は消えていて、何の痕跡もない。
先ほどまでそこにいたはずのミスリルの姿が、何処にも見当たらなかった。
ただ鞭だけが、少し離れた場所に落ちている。
「ミスリル……?」
「よくトロルを倒したものだ。褒めてやろう」
耳に響いた声にはっと空を見上げる。
空中に浮かんだままのルーズが、嫌な笑顔を浮かべているのが目に入った。
彼の手にはペンダントから外したのであろう水晶が2つ浮いていた。
先ほどまで両方とも同じような透明な色をしていたはずなのに、今は片方だけが茶色いの光を帯びていた。
忘れていた。
この男がいたことを。
小さく舌打ちをすると、レミアは剣を構えた。
「あんた、ミスリルをどうしたのっ!」
消えてしまった仲間の末路を聞くレミアに、ルーズは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「案ずるな。お前もすぐに、同じになる」
「何……?」
「行けっ!ゴーレムよっ!」
突然動いた巨大な影に、レミアははっと視線を移した。
その瞬間、トロルの上に乗っていたアスゴに体を捕まれ、地面に叩きつけられる。
反動で剣が手から離れ、滑るように地面を転がった。
「……っあっ!!ア、アスゴっ!?」
信じられない出来事に、レミアは目の前のゴーレムを見上げる。
ゴーレム召喚を始めとした召喚術は、全ての決定権がその術者にある。
呼び出された者は、術者以外の者の言葉は聞かないはずだった。
なのにどうして、彼はあたしを攻撃してる?
「ふん、驚いて声も出ないか。当然だな。仲間の従者が自分を攻撃しているのだから」
くくっと笑って、ルーズはレミアを見下ろした。
「まあ、お前の仲間の力が私の力の一部になってしまうことを考えれば、何の不思議もあるまい」
「何ですって……ああっ!?」
壁や地面に強く打ち付けた体を突然握られ、レミアは思わず悲鳴を上げた。
気づけば、アスゴに捕まれ、ルーズの前まで持ち上げられているではないか。
「は、離してアスゴっ!」
「無駄だ。その人形は既に私の従者なのだから」
顔に笑みを浮かべたまま、ルーズはすっと先ほどの水晶を掲げた。
茶色く染まったもう一方は、既にペンダントに戻されている。
「貴様も我が力の一部となってもらおう」
掲げられた水晶が怪しい光を放つ。
だんだんと、確実にそれは強くなっていく。
ルーズがゆっくりと手を動かす。
水晶の乗ったその手は、アスゴに握られているレミアの方へと伸ばされていた。
「我が力となれ」
言葉と同時に、先ほどの光など比べ物にならない強い光が放たれる。
アスゴに捕まり、逃げることもできぬまま、レミアはその光に飲み込まれる。
その一瞬、見た気がした。
地に落ちた自分とミスリルの武器が、黒い穴へと落ちていくのを。
それを最後に彼女の意識は途絶えた。
光が消えた辺りには、もう誰も残っていなくて。
ただ、脆く崩れ去った岩の塊と謎の怪物の死体が、静かに転がっているだけだった。