Chapter3 魔妖精
16:真実
山を降りて町に戻った頃には、もう日は沈み始めていた。
人が少なくなり始めた通りを町長の家に向かって歩く。
ここまでの間、3人はそれぞれの今までの状況を語る程度の会話しかしていなかった。
誰もがその後の交渉を気にしていたからかもしれない。
夫婦にとって、セレスの存在が幸せを運んできたことは事実だ。
けれど、彼女は記憶を取り戻した。
記憶を取り戻すまで。
そういう約束で2人の娘になったセレスには、もうここにいる理由はなくなったわけだけれど。
ここを去ると言えば、夫婦が悲しむことはわかりきっている。
「ただいま戻りました」
考え込みそうになっていたタイムは、セレスのその言葉に現実に引き戻された。
顔を上げればそこはもう町長夫婦の屋敷で、セレスはその前に立つ門番に声をかけていた。
「ライヤお嬢様!!」
「よくぞご無事でっ!!」
感激して声を上げる門番を見て、セレスは曖昧に笑った。
「お義父様……にお会いしたいのですが」
「もちろんですっ!どうぞお入り下さい!」
「こちらの方は……」
こちらを見た門番の表情が明らかに驚きに染まる。
そんな彼らの表情を気にする様子もなく、セレスはこちらを振り向いて、言った。
「彼女たちは私の恩人で、友人です。通してあげて下さい」
「は、はあ……」
「お嬢様がそう仰るなら……」
「ありがとう」
許可を出した門番に向かってセレスが笑いかける。
その笑みに、門番たちは戸惑ったように顔を見合わせたが、すぐに左右に別れ、門を開いた。
「行きましょう、2人とも」
「……うん」
「は、はい!」
頷くと、2人はセレスの後について屋敷の門を潜った。
「おおっ!ライヤっ!!」
「よく無事でっ!!」
会議室に入ったセレスを見るなり、町長夫婦が立ち上がる。
彼女が軽くお辞儀をすると、2人は嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ご心配をかけて申し訳ありません」
「いいのよ。無事に戻ってくれさえすれば」
「そのとおりだ。本当に、よかった……」
顔を覆って泣く夫人と心底安心したような顔の町長に、セレスは困ったように笑いかける。
不意に、セレスから視線を外した町長の表情が変わった。
それに気づいたセレスが不思議に思って顔を上げてみれば、彼の視線の先には扉に寄りかかったタイムとティーチャーがいた。
「お前たち……」
薄っすらと瞳に怒りの色が浮かぶ。
「娘を攫った奴の仲間が、何故ここにいるっ!!」
「え?」
夫人が驚いたように顔を上げた。
どうやら山に行く前にした話は町長の頭の中でそのように変換されたらしい。
「警備兵っ!その者たちを、屋敷の外へ出せっ!!」
「やめてくださいっ!!」
町長の腕を振り払ってセレスが叫んだ。
「だがライヤ!そいつらはお前を攫った憎き勇者の子孫だぞっ!!」
「あれは偽者だと、2人が教えてくれたのではなかったのですか?」
「そうだ。だが、仲間かもしれない奴らの言葉など信じられん」
きっぱりと町長が言う。
その言葉にセレスの顔から表情が消えた。
「では、おふたりは私も信用できないのですね?」
「……何?」
突然の言葉に町長は驚きの表情を浮かべる。
それは隣に立つ夫人も同じだった。
「何を言うの?あなたは……」
「私は!」
強い口調でセレスが夫人の言葉を遮った。
「私の本当の名はセレス=クリスタ。この人と同じくミルザの血を引く者です」
「え……?」
「ライヤ……、まさか、お前……」
町長の問いにセレスは静かに頷いた。
「あの偽者に捕らわれていた間に、全て思い出しました」
静かに告げられた言葉に夫人が目を見開く。
その顔に浮かんだ表情には、驚きと悲しみが入り混じっていた。
「じゃあ奴は、自分の仲間を攫ったということか?」
「さっきもセレスが言ったでしょう。あいつは偽者だったって」
未だに自分たちの言葉を受け入れようとしない町長に、呆れ口調でタイムが言う。
「だが、奴は……」
「確かにあの人はミルザの子孫の名を語りました。けれど、根本的に間違っていることがひとつある」
ぎゅっと拳を握ってセレスは続けた。
「ルーシアという名のマジックマスターは10年ほど前に異世界で亡くなっています。今のマジックマスターは私の姉、ルビー=クリスタという名の人です」
「何……?」
こんな大きな街だと言うのに、子孫の細かい詳細については伝わっていなかったらしい。
町長夫婦が驚きの表情でセレスを見る。
「妹であるセレスが間違わないのはもちろんだけど」
静かにタイムが口を開いた。
「あたしもあいつとは10年近くの付き合いだからね。間違えるはずがない」
そうでなくても、ほとんど毎日のように顔を合わせている親友を間違えることなどできるはずがない。
きっぱりと言われたタイムの言葉に、町長は言葉を返すことが出来ずに黙り込んだ。
視線を送ってきたセレスに「ごめん」と小さく謝ると、タイムはすぐ後ろにある扉に手をかける。
「お待ち下さい」
それに気づいて、夫人が彼女に声をかけた。
「別室を用意させます。ですから、暫くそちらで待っていてください」
そこまで言ってから言葉を切って、俯く。
「彼女と私たち、3人で少し話がしたいのです」
「……わかりました」
素直にそう答えると、タイムは扉から手を離した。
メイドに通された部屋は大きめの、綺麗に掃除された部屋だった。
「すごいねぇ。人間ってこういう豪華な部屋に住んでるんだぁ」
「上流階級の人間だけね。一般人はこんな家、建てる金もないわよ」
この街は大きな建物が多かったけれど、おそらく1件まるごと自分の『家』として持っているのは町長夫婦くらいであろう。
2階建ての建物のほとんどは、1階部分が店であったから。
「えー?でも私が入ったことある人間の家ってもっとすごかったよ?」
首を傾げてティーチャーが言う。
「……あんたの入ったことある家の持ち主を上げよ」
「え?えーっと。リーフさんとアールさん」
「……城と一般人の家を一緒にしないで」
城がこの部屋より貧しかったら、民はどんな生活をしているのだろう。
そんな考えが一瞬浮かんだが、慌てて振り払う。
今の状況とは全く関係のないことだったから。
「……大丈夫かなぁ、セレスさん」
部屋の観察に飽きたのか、はしゃいでいたはずのティーチャーが唐突に言った。
「さぁね」
「さぁって、タイム!」
「だって、もしあの夫婦が力ずくであの子を引きとめようとしても、無駄なのは目に見えてるでしょう?」
きっとこちらを睨むティーチャーに、タイムはソファに背を預けたまま言った。
「それはそうだけど……」
「まあ、セレスじゃやっても動きを封じる程度だろうけど」
ルビーだったら暴れるんだろうなと考えながら、続ける。
「それよりこの後のことを考えておかなくちゃね」
そう言って起き上がると、タイムは荷物の中から地図を取り出した。
「これによるとここがこの国の最北端の街みたいね」
エスクールの王都から最も遠い町は田舎の小さな村だと言うのに、この違いは何だろう。
「うん。で、この国の妖精の森はここだったはずなの」
ティーチャーの指が街からそれほど離れていない場所にある森を示す。
「西側……。山がない方角か」
この街の北と東にはそれほど大きくはない山が連なっていたけれど、南と西にはそれがない。
まるで道案内をしているかのように聳える山に首を傾げながら、タイムはティーチャーの示した位置を見る。
「距離的にドーピングした馬で半日、ってところか」
「駄目だよ!あの子はもう普通に走るのだって辛いんだから!」
タイムを睨み、ティーチャーが強い口調で言った。
「それに、ルビーさんはどうするの?ここまで会わなかったんだから、もしかすると……」
「あたしたちが通り過ぎた後、南の方に放り出された。もしくはまだ敵の本拠地にいる。どっちかだろうね」
地図から目を離さずにタイムは続けた。
「どっちにしても、次に向かうのは奴らの本拠地。ルビーについては奴らを締め上げて聞き出せばいい」
「そんなむちゃくちゃな」
「私も、それでいいと思います」
自分たち以外誰もいないはずの部屋の中から突然声が聞こえて、ティーチャーは弾かれたように顔を上げて扉を見る。
一瞬驚きの表情を浮かべたタイムは、しかしそれを完全に表に出すことなく、何事もなかったかのようにゆっくりと同じ場所に視線を向けた。
閉まっていたはずの扉が開いていて、そこにはセレスが立っていた。
いつもの、2人が見慣れた服を着て。
「ごめんなさい。何度かノックしたんですけど、返事かなかったから」
「ああ、ごめん。夢中になっちゃってたから」
謝るタイムに首を振ると、セレスは廊下へ視線をやった。
それが合図だったらしく、町長夫婦が部屋へ入ってくる。
「……先ほどはすまなかった」
扉を閉めるなり、こちらを向いて頭を下げた。
「え……?」
「全部ライヤ……いえ、セレスさんから聞きました。あなた方の言葉は、全て真実だったのですね」
瞳に寂しそうな色を浮かべて夫人が言った。
「ええ、そうです」
頷いてみせると、彼女は手で口元を覆ってしまう。
「待っている家族がいるならば、いつまでも私たちのところに縛り付けておくわけにはいかん」
言いながら町長は僅かに俯いた。
「どっちかっていうと、待ってるよりこっちが探してるって感じだけど……きゃんっ!」
ぺしっと頭を叩かれて、ティーチャーが小さな悲鳴を上げる。
それに構わないようにタイムが先を促すと、首を傾げながら町長は続けた。
「けれどセレスが、例え一時でも私たちの娘であって、あなた方がその娘を助けてくれた恩人であることに変わりはない」
「町長……」
「何か礼をさせてくれ。私たちにできることなら何でもしよう」
思いもしなかった言葉に、タイムは驚いてセレスを見た。
振り返って町長夫婦を見ていた彼女は、視線に気づくとにこりと笑う。
それを見て小さくため息をつくと、タイムは真っ直ぐに夫婦に視線を向けた。
「ならばお願いがあります」
立ち上がって、続ける。
「今宿に私たちの馬を預けてあります。王都からここまで散々無理をさせてきたから、もうこれ以上は無理をさせられないのです」
「ふむ。その馬を引き取って面倒を見てほしいと、そういうことかね?」
「はい」
「タイム!?」
はっきり答えた彼女に驚いて、ティーチャーが声を上げる。
「それと、もうひとつ。今私たちは馬を手放して旅をできるほどの時間がありません。けれど、先ほども言ったように、今の馬にはこれ以上無理をさせられない」
森は町から離れた場所にある。
歩いていくなら2日はかかってしまうだろう。
「だから、代わりの馬を用意していただきたいのです」
「わかった」
町長が頷きながらきっぱりと答える。
「すぐに馬を引き取り、代わりを用意させよう。……そうだな。明日の朝まで待ってくれるか?」
「ありがとうございます!」
その町長の言葉に、この屋敷に入って初めてタイムの表情が崩れた。
ずっと浮かべていた緊迫した表情は、安堵へと変わっていた。
「数は2頭でいいのかね?」
「いえ、1頭で構いません」
驚く町長に言葉を返さず、タイムはセレスを見た。
「……お願いがあるの」
「何ですか?」
浮かべていた笑みを消して、セレスは彼女に視線を向ける。
タイムは町長夫婦を見ると、小さく首を振った。
「ここじゃなんだから、後で」
「……わかりました」
しっかりと答えると、タイムは微かに俯いた。
おそらくセレスはついて行きたがるだろう。
わかっているけれど、今更変えることはできない。
旅立つときに決めた、この誓いだけは。
「では、用意ができるまで、どうかこの屋敷で休んでいってください」
町長夫人の言葉に顔を上げる。
「私からのお礼もしたいですし、ね?」
「でも……」
「タイム」
断ろうとした彼女の言葉をティーチャーが遮った。
「私たち、今日は宿取ってないよ。このまま出てっても野宿になっちゃう」
ここのところミスリルから貰った風邪薬を飲み続けているタイムに、それはきついだろう。
そう判断しているためか、ティーチャーはなるべく野宿を避けたがっていた。
「……わかった。お言葉に甘えさせていただきます」
ため息をついてタイムがそう返すと、夫人の顔が明るくなる。
「ではすぐに食事を用意いたしますわ。ここで少し待っていてください」
笑顔でそう告げると、夫を連れ立って夫人は部屋を出て行った。
「……それで」
扉が閉まり、足音が遠くなったのを確認して初めてセレスが口を開いた。
「頼みって、何ですか?」
その問いに、タイムの顔から笑みが消える。
「それは……」
言いかけたティーチャーを腕で制して、静かにソファに腰を下ろした。
「これからのこと。みんなに頼んだのと同じことを、あんたにも頼みたいの」
「みんなと、同じこと?」
静かに頷いて、タイムはゆっくりと口を開いた。