Chapter3 魔妖精
15:偽者
ふと目を開けると、そこは暗い洞窟だった。
痛む頭を押さえて、ゆっくりと起き上がる。
「ここは……?」
呟いて辺りを見回す。
そこは遠くに光が見えるだけで、誰もいない場所だった。
「私、どうしたんだっけ?」
呟いて、記憶を辿る。
最初に思い出したのは、突然後ろから襲われて頭を殴られたこと。
痛みを感じる場所に手を当て、小さく唱えた。
「ヒーリング」
手から淡い光が溢れてその場所を包む。
痛みが和らいだのを確認すると、手を離して座り直した。
そのまましばらく考え込む。
「……そうだ。確か、あの後、敵の本拠地で目が覚めて……」
目の前にあの時の光景が浮かび上がる。
順番に仲間が牢屋から出されていったあの光景。
自分の番になって気を失って、気がついたときには知らない夫婦に助けられた後だった。
街外れに倒れていたと、そう告げられて。
そして、その時には全ての記憶を失っていたはずだったと言うのに。
「……皮肉なものね。母さんの名を騙るあの人に助けられるなんて」
薄れかけた意識で聞いていた。
自分をここまで連れてきた女が名乗った名前を。
そして、その女に頭を殴られたおかげで全て思い出した。
失った記憶、その全てを。
地面についていた右手を上げて薬指を見る。
そこに嵌っていたのは、不思議な質感の黄色い指輪。
夫婦に助けられたときにもこの指にしていて、それからも唯一の記憶の手がかりだからと言って外そうとしなかった指輪。
「あの時杖をこうしておいたのは、正解だったと言うわけね」
呟いて、指輪をしたままの手を掲げた。
指輪が強い光を放って指から外れる。
ふわりと宙に浮き上がると、そのまま光の中で先端に黄色い水晶球のついた杖へと形を変えた。
ゆっくりと降りてきたそれを両手でしっかりと掴んで、彼女は立ち上がる。
「さて、どうしましょうか」
そう呟いて、静かに遠くへ視線をやった。
騒がしくなった光の向こうへ。
地に落ちた木の葉を踏む音に、洞窟の前の岩に腰掛けた女は顔を上げた。
洞窟へ続く獣道から人影が2つ、ゆっくりとした足取りでやってくる。
1人は長い青い髪を背中で一纏めにした女。
顔つきはずいぶん大人びて見えたけれど、おそらくまだ少女だろう。
もう1人は明らかに子供とわかる金髪の少女。
旅をする聖職者がよく身につけている簡素な上着を着ていることから、彼女も使者なのだろうと判断する。
「あんたたちが町長の使い?」
女は立ち上がって2人に声を上げた。
立ち止まった2人は返事を返さずにこちらを睨み声してくる。
「安心していいよ。娘は無事。今この中でお寝んねしてるわ」
背後に口を開けた洞窟を指して女は言った。
「金さえ渡してくれれば、すぐに入口の結界を解いてあげるわよ」
「そんなものない」
きっぱりと言う青い髪の少女に女は顔を顰める。
「ない?はっ!じゃああんた、何しに来たわけ?」
「あんたの話を聞きに来たのよ、ルーシアさん」
あまりにもきっぱりと言われた言葉に、ルーシアと呼ばれた女は訝しげに相手を見た。
「話?」
「ええ。有名な勇者の子孫様が、どうしてこんなことをしたのかね」
腕を組んで少女が言った。
その手には白い棍がしっかりと握られている。
見下されているような気がして、ルーシアは2人を睨んだ。
「あんたたち、あの後あの街に来た雇われ冒険者ってところね」
「どうしてそう思うの?」
「あの時あの街にいたのなら、あたしの話を聞いているはずだもの」
「話?」
「そう」
得意そうに言って、ルーシアは先ほどまで自分が座っていた岩の上に飛び乗った。
「勇者と崇められていいことだけをする生活に疲れちゃったのよね。そろそろ本業に戻りたいわけよ」
「本業?」
「決まってるでしょう!盗賊よ!と・う・ぞ・く!」
腰に指していた長剣を抜いて、ルーシアはきっぱりと言った。
「お宝、お金を手に入れるためなら何でもする!ああ!これぞ私に相応しい道だわっ!!」
岩の上でポーズを決め、自分に酔っている彼女は気づかない。
青い髪の少女の表情が不機嫌だと言わんばかりに歪められたことに。
「……こんな奴が親友だったら殴るじゃすまさないわ」
「何ですって?」
いつもよりも低い声で呟いた言葉に、ルーシアが見事に反応する。
「私にはあんたみたいなちんちくりんな知り合いはいないわっ!」
「ちんちく……っ!?」
「ティーチャー。あんたが怒ってどうするの」
言われたのはあたしでしょうにと付け足して、青い髪の少女がため息をつく。
「……何故乗らない?」
「仲間にキレやすい手のかかる奴が2、3人いてね。いちいちあたしまで反応してたらきりがないでしょう?」
あっさりと言った少女に、ルーシアは思わず呆然とする。
「ついでに言うなら、その手のかかる仲間の1人が真っ赤な髪をしていてね」
腕を組んだまま、僅かに目を伏せて少女が続けた。
「短剣2本を武器にしてる、炎を操る義賊なんだ」
「は……?」
言葉の意味がわからず、ルーシアは無意識のうちに聞き返していた。
それに応じたのか、それとも最初からそこで言葉を止めるつもりはなかったのか、青い髪の少女はルーシアの方を見向きもせずに続けた。
「結構むちゃくちゃやってくれるけど、根は真っ直ぐでね。相手が悪人ならともかく、泥棒とか人から金を奪い取るとか、大っ嫌いな奴なのよ」
ゆっくりと組んでいた手を離し、右手に持った棍を静かに持ち上げる。
その先端が、真っ直ぐにルーシアへ向けられた。
「真っ直ぐで状況判断が的確で、こいつなら大丈夫、信用できる。そんなタイプの人間」
伏せていた青い瞳が開かれて、真っ直ぐこちらを見つめる。
「そんな親友の肩書きを偽り、その母親の名前を騙ったあんたを、あたしは許さない」
「な、に……?」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
親友の肩書き?
母親の名前を騙る?
その言葉が意味するのは、あの街で自分が語った肩書きと名前。
それを彼女が理解するまでには、僅かに時間が必要だった。
「……は」
暫くして、突然俯いたルーシアと名乗った女の口から声が漏れた。
「あっはははははは!」
それが相手の耳に届く前に、今度は山中に響き渡りそうな大声で笑い出した。
「何を言っているの?私は正真正銘ミルザの血を引くマジックシーフ、ルーシア=クラリアよ!そのお友達の方が私を偽っているんじゃない?」
嘲笑うルーシアを見て、少女はため息をついた。
その瞳に浮かんでいたのは哀れみの色。
「かわいそうに。あなたの故郷には、そこまで伝わっていないんですね」
「……何?」
金髪の少女の言葉に笑いを止め、睨みつけるように彼女を見る。
「帝国を倒したのは確かにミルザの子孫です。けれど、あなたが名乗るルーシア=クラリアがそのリーダーだったのは、もう20年も前の話」
「……え?」
その言葉を聞いた途端ルーシアの表情が完全に抜け落ちる。
「帝国を倒した代の子孫のリーダーはその娘、ルビーとおっしゃられる方です」
ルーシアの瞳が驚きに見開かれた。
「う、嘘をつくなっ!それこそ……」
「あたしたちはエスクールの王都から来た。彼女たちが直接訪れたあの街で、間違った情報が流れる可能性は低いと思わない?」
その言葉にルーシアは押し黙った。
確かに訪れただけでは、正確な名前が伝わる可能性を肯定することはできない。
けれど、あの都にはどの国にも伝わっている事実がある。
帝国から解放された後、第一王子リーフ=フェイトが王国解放の協力者として彼女たちの名前を発表したと言う事実が。
「それは……」
「ついでに言うなら」
ルーシアの言葉を遮って、青い髪の少女が言葉を発した。
彼女を睨みつけるその青い瞳には、先ほど浮かんだ哀れみの色など、微塵も残ってはいなかった。
「あたしは帝国を倒したミルザの子孫の1人。水の力を受け継ぐ棒術士……スピアマスターよ」
先ほどよりも低い声で告げられた言葉に、ルーシアを名乗った女は大きく目を見開いた。
「本物……」
岩の後ろ側に降りて、ふらふらと後退りながらぽつりと呟く。
「……は、はは。ははははははははっ!」
その言葉が頭の中に染み渡った瞬間、彼女は狂ったように笑い出した。
その様子に金髪の少女――ティーチャーは息を呑んで数歩後ろへ下がる。
青い髪の少女――タイムは棍を突きつけたまま、僅かに目を細めた。
「本物だろうが何だろうが、ここで殺してしまえばわからない!殺して成り代わってしまえば、今度こそ私が本物になるっ!!」
笑いながら叫ぶと、女は手にした剣を構えた。
強い者の名を騙って相手を脅してきたような小者だ。
真実が知れた時、どうなるか。
それを感じ取って壊れてしまったのかもしれない。
「……まったく。また厄介なタイプだよ」
舌打ちして棍を構えると、タイムはちらっと後ろを見た。
拳を握ったティーチャーが、ふらふらと近づいてくる女の動きを目で追っている。
隙ができた瞬間に走り出して洞窟に駆け込むつもりらしい。
目が合った瞬間、頷き合うとタイムは再び女を睨んだ。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
女が狂ったように叫んで突進してくる。
振り上げられた剣を棍で受け止めて弾くと、タイムは後ろへと跳んだ。
「……!!えっ!?」
タイムが態勢を立て直すより早く、女は目標を切り替えた。
そのままの態勢で、走り出そうとしていたティーチャーに向かって突っ込んでいく。
「ティーチャーっ!!」
彼女の名を叫ぶと同時に手から呪文を放った。
放たれた呪文――氷が女の腕に直撃する。
即席で威力は低かったけれど、相手の動きを止めるにはそれで十分だった。
悲鳴を上げて女はふらふらと後ろへ下がる。
当たった氷は見事に女の利き腕を裂いていた。
「ウィンドっ!!」
すかさずティーチャーが呪文を唱える。
巻き起こった風がふらついている女の肌をさらに切り刻んだ。
小さな悲鳴を上げて、女はさらに後ろへ下がる。
その唇が言葉を紡いでいることに気づいて、タイムは走り出した。
「ティーチャーっ!逃げてっ!!」
「え……っ!?」
「遅いっ!!」
タイムが叫んだ瞬間、女が顔を上げた。
ティーチャーへ向かって突き出した手には赤い光が集まっている。
「地獄の業火で燃え尽きてしまえっ!!」
叫んだ瞬間、光は真っ赤に燃える炎へと変化する。
「インフェルフレイムっ!!」
女の手から炎が放たれた。
勢いを増して炎がティーチャーへ向かっ飛んでいく。
……間に合わないっ!!
2人が同時にそう思ったときだった。
「マジックシールド!」
何処からともなく声が聞こえた。
同時にティーチャーの前に光の壁が現れる。
現れた壁は襲い掛かる炎を防ぎ、四方に弾き飛ばした。
「え……?」
「な、に……?」
呆然とティーチャーが、女が消えていく炎を見つめる。
何が起こったのか、全くわかっていなかった。
ただ1人、洞窟に視線を向けたタイムを除いては。
「人の母親の名前を騙ったわりには、そんなに強くないんですね」
洞窟から響いた声に、女が驚いて視線を動かす。
結界で塞いだはずだった入口の前に、黄色い髪の少女が立っていた。
どこかのお嬢様の着るような、けれどぼろぼろで泥だらけになってしまった服を着た、手に黄色い水晶球のついた杖を持った少女。
「嘘、どうして……?」
視界に入った少女の姿に目を大きく見開いて、無意識のうちに女はその疑問を口にした。
あの洞窟に張った結界は中からでは何も出来ない――呪文さえ使うことの出来なくなるものだったはず。
それなのに、あの少女はそれを破って呪文を使った。
ティーチャーを助ける呪文を。
「あなたが私の頭を殴ったから、でしょうか」
女自身が自覚していない問いかけに、少女は微かな笑みを浮かべて答えた。
「なるほど。そのショックで記憶が戻ったってわけね」
「ええ。そういうことだと思います」
呆れたように言ってため息をつくタイムに、少女は笑顔で頷いた。
「あんたもつくづく運がないねぇ。記憶の戻ったあの子にあの程度の結界、効くわけがないのに」
「な、何故!?」
「あら。さっきの私の話、聞いてなかったんですか?」
呆れたというような口調でそう言うと、少女は杖を少し後ろに引き、にこりと笑みを浮かべて衝撃的な言葉を口にした。
「私は光の魔道士。先代のマジックシーフとマジックマスターの血を引くミルザの子孫です」
告げられた名前に、肩書きに、女はさらに驚いて限界まで目を見開いた。
「嘘だっ!だってお前は、あの街の町長の娘のはずっ!」
「ええ。養子ですけどね」
穏やかに言われた言葉に女の表情が驚愕に染まる。
「そもそも攫われたのが記憶を失くした仲間じゃなかったら、あたしたちだってこんな回りくどい方法取らないで、とっととあんたを潰してるよ」
きっぱりと言うタイムに苦笑しながらも、ティーチャーは寒気を感じて数歩後ろに下がった。
焦っているのか、最近のタイムはずいぶんと言動がきつい気がする。
さらに今回は、普段温和なあの少女さえも怒っている。
いつ何が起こるかわからないこの状況で、ただ成り行きを見守っているのは危険な行為に他ならなかった。
「さて、母さんの偽者さん」
杖を持ち直して、少女が女に近づく。
「このまま退けば母の名を騙ったこと、許してあげます。退かないのならば、命の保証はしません」
「セレス!」
思いもしない提案に驚き、タイムは少女に声をかけた。
彼女はこちらを見て微笑むと、すぐに女へ視線を戻す。
「どうします?こっちは3人、あなたは1人。あなたは私たちの素性を知ってしまって、そのうえ怪我をしている。そんな状況で、それでもあなたは戦いますか?」
口調は穏やかだが、少女――セレスの目は笑っていなかった。
女はしばらく黙り込んでいたが、やがてゆっくりとセレスを見ると静かに答えた。
「わかった。このまま、退くわ」
「わかりました。もうひとつ、二度と私たちの名を……」
「ああ、わかってる!騙らない!二度とあんたたちの名前なんて、使ってたまるかっ!!」
吐き捨てるように叫ぶと、女は身を翻し、あっという間に山の中へと消えていく。
そんな彼女の後ろ姿を見つめながら、ティーチャーは安堵の息を、タイムはため息をついた。
「よかったの?」
その問いにセレスは静かに頷く。
「それより、やらなくちゃいけないことがありますから」
そう言って、彼女は薄っすらと微笑んだ。
やらなければならないこと。
それはタイムにもよくわかっている。
あの町長夫婦に結果を報告しなければならない。
そして、セレスの養子入りをなかったことにしてくれるよう交渉しなければならないだろう。
暫くの間沈黙が続いた。
セレス自身、どうやって話を切り出そうか考えていたのかもしれない。
「とりあえず、戻ろうよ。いつまでもここにいてもいいとは思えないし」
沈黙に耐えかねたのか、ティーチャーが口を開く。
「……そう、だね。行こうか」
「……はい」
セレスが頷いたことを確認すると、タイムは先頭を切って歩いてきた獣道を戻り始めた。