Chapter3 魔妖精
3:魔族のエルフ
「ここが妖精神の神殿……」
石造りの建物を見上げて、呆然としたように英里――フェリアが言った。
「話には聞いてたけど、本当にあったなんてな」
その隣で陽一――リーフも呟く。
ティーチャーが機転を利かせたためか、彼女たちが現れたのはこの神殿の中でなければ村の中でもなく、村の外――辺りを囲む森の中だった。
神殿には結界が張られたままになっているらしく、ティーチャー以外の人物は入口からしか出入りできないのだという。
だからと言って、この世界では珍しい黒髪の人間が突然村に現れるのも何かと問題がある。
そのため一度この村に近い場所にゲートを開き、他の3人に“時の封印”を解かせてから村の中へと案内したのである。
「本来なら長老様の家で、といきたいところなんですけれど」
苦笑しながらティーチャーは3人を先導する。
確かに妖精の家に人間が入ることは不可能だ。
この村の中で人間が入ることのできる建物といえば、やはりこの神殿しかないだろう。
ここは人間とほぼ同じ姿をしていたというユーシスに合わせて作られた場所なのだから。
神殿の広間――かつてティーチャーが封印されていた部屋――の手前にある談話室のテーブルに、暖かい紅茶の入ったカップが置かれる。
談話室の奥には人間の家のような、それでもそれよりは簡単な炊事場が用意されていた。
ユーシスはここで人間のような生活をしていたのだろうかと思うほどの炊事場が。
知り合いにお湯を沸かしてほしいと頼んでおいたらしい。
ティーチャーと手伝いに着ていた妖精、進んで手伝うと言って席を立ったフェリアが3人分のお茶を用意するまでに、それほど時間はかからなかった。
「それで?今回の件、どういうこと?」
手伝いの妖精が帰り、ティーチャーとフェリアが席についたことを確認してから、タイムはゆっくりと口を開いた。
ティーチャーは椅子ではなくテーブルの上にちょこんと座っただけだったが。
「うん。あのね……」
僅かに視線を彷徨わせてから、ティーチャーはゆっくりとフェリアとリーフの方に視線を向けた。
「おふたりはエルランドという国、ご存知ですよね?」
「ああ。行ったことはないが」
「あの国がどうかしたのか?」
あの国の国王は争いを好まない性格をしていたはずだ。
そのために以前ダークマジック帝国が降伏を求めたとき、無条件でそれを受け入れてしまったという話を聞いたことがある。
そんな国が何故話題に出るのかわからない。
「国自体は関係ないんです。今回は、私たちがあの国を巻き込んだようなものだから」
「どういうこと?」
俯いてしまったティーチャーに、僅かに表情を変えてタイムが尋ねる。
「さっき手伝いに来てくれていた人が教えてくれました」
そう前置きしてから、しっかりと顔を上げる。
「エルランドの最北端に、貨物船が入港することしかない小さな港を持った小さな村がありました」
「……あった?」
「滅ぼされたそうです。ほんの、2、3日前に」
「滅ぼされたっ!?」
思わずリーフが声をあげる。
タイムとフェリアは驚いた表情をしてお互い顔を見合わせていた。
「一体誰にっ!!」
「おそらく、エルランドに隠れ住んでいて、その村の側にあった妖精の村を占領した魔妖精に」
「魔妖精?」
タイムが訝しげな表情で聞き返した。
そんな彼女に視線を向けて、ゆっくりとティーチャーは頷く。
「聞いたことがない種族だが?」
「そうだと思います。人間は、知らないはずのことだから」
フェリアの問いに小さく答えて、ティーチャーは続ける。
「人間が一般的にエルフと認識している種族。それが、魔妖精と呼ばれる種族なんです」
「エルフが?」
再び問いかけたのはタイムだった。
彼女の顔は驚きに満ちている。
おそらく母親もそんな知識は持っていなかったのだろう。
「人間が認識しているエルフは、ね」
強調するように言って、ティーチャーは小さくため息をついた。
「私たちの種族のことからお話します」
しっかりとした口調でそう言って、ティーチャーは3人を見た。
「妖精には、私たちのような種類の種族とエルフと呼ばれる種族の2種類が存在する。それは間違いありません」
一般的にエルフと呼ばれているのは、森に住む人間と同じ姿の妖精族だ。
ほとんど人間のように見える彼らだが、明らかに人間と違う特徴を持っている。
外見的には耳が尖っていること。
内面では、やはり寿命の長さだろう。
インシングで伝えられているエルフの寿命は、アースで伝えられているような永遠に近いものではなかったけれど。
「けれど、間違っていることがあるんです」
「間違っていること?」
タイムの問いに、ティーチャーはしっかりと頷いた。
「純粋な妖精族のエルフは、人間界に移住してはいないの」
「移住してない……っ!?」
思わず叫ぶように言ったタイムの言葉に、ティーチャーはやはりしっかりと頷いて続けた。
「かつてユーシス様が人間界への道を開いたとき、私と同じ種族の妖精たちは多くこっちに移住した。けれど、エルフたちはそれを嫌った」
「どうして?」
フェリアの問いに、ティーチャーは静かに首を横に振る。
「わかりません。ただ、その時の人間界はものすごく不安定だったらしいと、そう聞いています。だからエルフたちは移住するのを嫌がったって」
あくまで『らしい』だ。
その話のどこまでが真実なのかはわからない。
「だから人間界に、インシングに純粋なエルフは存在しないんです」
信じられないという表情でリーフがフェリアを見る。
視線に気づいて顔を上げたフェリアが、ゆっくりと首を横に降る。
自分も知らなかったというサインだ。
そのまま2人でタイムの方へ視線を向けたけれど、彼女は呆然とティーチャーを見つめているだけだった。
「それで、魔妖精ってのは?」
タイムの様子に小さくため息をついて、リーフが先を促すように問いかける。
「魔妖精というのは、妖精でありながら魔族に属する、そんな種族にユーシス様がつけた名前です」
「妖精でありながら魔族に属する?」
いまいち意味がわからないらしいリーフが首を傾げて聞き返す。
「はい。妖精そっくりの魔族だと思ってくださればいいと思います」
「ふーん……」
そう呟いて、彼は納得したように頷いた。
「普通、妖精族はエルフと呼ばれる人たちより、私たちみたいな姿の種族の方が圧倒的に数が多いんですけど」
「魔妖精は逆。エルフの方が圧倒的に多い。そういうわけね?」
「うん。まあ、魔妖精自体そんなに数が多いわけじゃないから、実際はほとんど全員がエルフだって言っても、間違いにはならないんだけど」
タイムの言葉に頷いて、ティーチャーは続けた。
「さらに言うなら、移住の状況も全く逆。私たち……仮にフェアリー種と呼ぶとするね。フェアリー種は魔妖精にとっては貴重な種族だから、ほとんど魔界から出てくることはなかった。けれど……」
「数の多いエルフ種は、妖精の移住に混じって魔界から人間界に移住してきた」
「そう。だから人間が一般的に言うエルフは、全部魔妖精ってことになるの」
他の種族は自分の故郷と人間界を行き来することができるけれど、人間だけはそんなことはできない。
だから人間が魔妖精以外のエルフを見ることはありえない。
そうティーチャーは説明を続けた。
人間が一般に認識しているエルフの寿命の長さは魔族のもので、純粋なエルフの寿命はもっとずっと長いのだとも。
「話がだいぶ飛んだから、ちょっと整理させてもらうけど」
小さく息を吐いて、タイムが口を開いた。
「要するに今回は、その魔族のエルフ……魔妖精が何らかの目的で人間の村を襲撃した。そしてその目的にあたし、というよりミュークの血筋が関係している。そんなところ?」
「簡単にしちゃえば、そんなところ」
静かにティーチャーが頷いた。
「……インシングって種族多すぎ。一体魔族の内訳はどうなってるわけ?吸血鬼だけでも細かく分けると3つの種族に分かれてるって聞いたのに」
それ以上に魔族は実力で階級わけされているとも聞く。
こんなにごちゃごちゃした話、アースで作られているものではほとんど聞かない。
「そんなこと聞かれても……」
「わかってる。で?相手の目的の真意は?わかってるんでしょう」
苦笑して言うティーチャーに、真剣な表情に戻ったタイムが尋ねる。
すぐに彼女も真剣な表情になって、静かに頷いた。
「奴ら、その最北端の村の前にエルランドの妖精の村を襲ってるんだけど、たまたまそこから逃げ出してきた人がいたの」
アースへ行く前に見た妖精の姿を思い出し、ティーチャーは微かに表情を歪める。
「彼の話によると、魔妖精の目的は1つ。ユーシス様の力だそうよ」
「妖精神の力?」
「そう。正確には、ユーシス様が持っていたのと同等の力を手に入れること」
「……なるほどな。そういうことか」
「そういうことって、どういうことだ?」
納得したように呟いたフェリアにリーフが尋ねる。
「妖精神と同等の力を手に入れるなら、本人から奪い取った方が断然早い。だから奴らはミュークの血を引く者を狙った」
「ユーシスを探すためにタイムを狙ったってことか」
考え込むように言ってから、リーフは顔を上げてフェリアを見た。
「何で?」
「……お前それでもこの国の王子か」
「い、今の話とそれと何の関係があるんだよっ!!」
呆れたように言われて、真っ赤になってリーフが怒る。
そんな彼の様子を見て小さくため息をつくと、タイムはやはり呆れたような口調で口を開いた。
「初代サポートフェアリー、つまりミルザについていった妖精は誰だと言われている?この国の王族ならそれくらい学んでるはずだよ」
「初代サポートフェアリーって、確か妖精神ユーシス……」
言いかけて、リーフははっとタイムとティーチャーを見た。
「そうか!ユーシスと繋がりがあって、今も『妖精使い』の名前を受け継いでるのは……」
「あたしの家。だからあたしを狙えばユーシスの居場所がわかると思った。そんなところだろうね」
先ほどとは違う意味のため息をついてタイムが言った。
この話が真実だとすれば、はっきりしていることがある。
自分が仲間を関係のない騒動に巻き込んだということ。
そう、巻き込んだ。
関係のない仲間たちを。
「まあ、とにかくこれでやることははっきりしたね」
タイムのその言葉に、ティーチャーは不思議そうに彼女を見る。
「やることって……」
「妖精神ユーシスの消息の真偽を確かめる。それが最初にやるべきことよ」
「ユーシス様の消息を確かめるって、一体どうやって?」
妖精の長老たちでさえ、誰もユーシスの居場所を知らない。
だというのに、一体どうやって確かめるというのだろう。
「精霊神に直接聞く」
きっぱりと言われた言葉に、ティーチャーだけでなくフェリアも驚きタイムを見た。
「マリエス様にっ!?」
「そう。たぶん、七大精霊と精霊神ならユーシスの消息も知っているはずよ。今回の騒動、多分彼女の所在が重要な鍵になってくる。だから何が何でも聞き出す必要がある」
「だが、肝心の精霊神は何処にいる?」
困惑したような表情でフェリアが尋ねる。
「ミルザが精霊と会った場所は、名前こそ伝わっているが、一般に出回るどの文献にも残されていないはずだ」
「一般に出回っている文献には、な」
呟くように言われた言葉に、フェリアは視線を動かした。
その漆黒の瞳に映し出されたのは青い髪の少女ではなく、濃緑の瞳を僅かに伏せた青年。
彼女を見ようとはせず、タイムの方へ視線を向けて、彼はゆっくりと続きを紡ぐ。
「理由は知らない。けど、我が一族でずっと最重要機密として守ってきた場所がある」
王族にしか伝わらない秘密の部屋。
エスクール城の地下にある、あの部屋。
「精霊神が降りると言われている『精霊の間』はエスクール城の地下にある」
「本当ですかっ!?」
驚いたようにティーチャーが尋ねる。
「ああ。俺たち兄妹が証明できる。俺たちは、あの時あいつらとあそこへ降りたから」
あの時というのはほんの数ヶ月前、セレスとペリドットがエスクール城に身を潜めていたときの話だろう。
法国の王がアースで暴れていたとき、彼女たちは奴を倒すための呪文を求めて精霊神に会っているはずであるから。
「それじゃあ、まずの目的地はエスクール城か」
「ああ。ただ正攻法で行くと時間がかかる。転移呪文で結界を破って入った方がずっと早い」
フェリアの言葉に、表情を僅かに歪めながらリーフは言った。
その場所を守る立場にいる自分が、仲間にとはいえ、正攻法以外の方法を薦めることに何か思うことがあるのだろう。
けれど異世界との時の流れの関係と連れ去られた仲間のことを考えれば、余計にかけている時間がないのはわかっている。
だから敢えて目を瞑ることにした。
「ティーチャー。お前なら結界、破れるんだろう?」
「え?あ、はい」
突然話を振られて、ティーチャーは戸惑いながらも頷く。
「あの部屋には入口以外の場所からの侵入を防ぐために結界が張ってある。あの時あの3人は結界に穴を開けて、それをすぐに修復するっていう方法で中に入った」
「それをしないと、仕掛けが作動して警報がなる。そんなところか?」
「ああ、そうだ」
フェリアの問いに、今度は表情を崩さずにしっかりと頷いて答える。
「わかった。情報ありがとう、殿下」
小さく笑ってそう言うと、タイムは立ち上がった。
「ティーチャー」
名前を呼べば、既に宙に浮かび上がっていた妖精の少女はしっかりと頷く。
「待て!」
呪文を唱えようとした彼女を遮って、リーフが立ち上がった。
「俺も行く」
「だけどこれは……」
「俺の一族は代々あの場所の管理者だ。行く理由は十分にある」
監視したいわけではない。
ただ、心配だった。
タイムはまだ回復していない。
風邪が治りきっていない病み上がりの状態だ。
普通に走っただけであんなに辛そうにしていたのに、ティーチャーがいるとは言っても、1人で行かせて大丈夫なのか。
それが心配だった。
「私も行く」
「フェリアっ!?」
「私もミルザの血を引く者だ。精霊神に会う資格はあるはずだ」
じっとフェリアはタイムを見つめる。
それはリーフも同じだった。
詳しい事情を知らないティーチャーだけが、困惑した表情で3人を見ていた。
そんな時間が、どれくらい続いただろう。
暫くして、ふと視線を外すと、タイムは大きな息をついた。
「わかった。一緒に行こう」
吐き出すようにそう言うと、ほっしたようにティーチャーが胸を撫で下ろすのが視界の隅で見えた。
「そうと決まれば早速行こうぜ。時間、ないだろ?」
「……うん」
頷いて、タイムはティーチャーを見る。
ティーチャーはしっかりと頷くと、意識を集中するためか目を閉じて、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「……行きます」
目を開いて、告げる。
無言のうちに同行者が自分の周りに集まっていたことを知り、心なしかほっとした。
「テレポーションっ!!」
室内に声が響いた。
ティーチャーを中心に4人の体が光に包まれる。
セレスが同じ呪文を唱えたときにはなかった光を見て、リーフはふと考える。
これが、人間と妖精の呪文の発動の違い。
光が一気に収縮して、そのまま消える。
同時に光の中に影のように浮かんだ4人の姿も、光に飲まれるかのようにして消えた。