Chapter3 魔妖精
4:妖精神の真実
体を包んでいた光が消えた後、目の前に現れたのは先ほどとは全く違う場所だった。
石造りの、思ったよりも暗い部屋。
真ん中に石の女神像が建てられてはいるが、それ以外には何もない殺風景な場所。
「ここが精霊神を祭った部屋だ」
これから誰かが呟くだろう言葉を予想して、先手必勝とばかりにリーフが口を開いた。
「んであれが精霊神を祭った像」
誰かが何かを言う暇を与えず、部屋の真ん中にある像を示して言う。
「タイム、ティーチャー」
突然てきぱきとした口調になったリーフが、そんな彼に呆然としている2人に声をかけた。
「お前ら2人、あの像の前に立て」
「なん……」
「いいから!あ、フェリアは俺とここな」
珍しく有無を言わせぬ口調でリーフは3人に指示を送る。
ルビーがいたら「生意気に命令してるんじゃない」などと文句を言われるのだろうなと思いながらも、リーフは動こうとしないタイムの背を押した。
「いつもこうなら、少しは王子らしいんだがな」
「うるせぇよ」
ぽつりと呟かれた言葉に怒りを覚えながらも、リーフは真っ直ぐに像へと向かうタイムとティーチャーを見た。
普段は完全に理事部の雑用係となってしまっている彼からは見ることのできない表情に、何か不思議な感覚を覚えながらもフェリアもそれに習う。
本当に薄暗い場所だ。
地下なのだから仕方がないといえば仕方がない。
むしろ火を灯していないというのに、辛うじて周りの色がわかる程度の明るさがあることの方が不思議だ。
何より不思議なのは、今タイムとティーチャーの向かっている石の女神像。
周りの壁と違って、あれだけが白く見えるのは気のせいだろうか。
「……っ!?」
違う。気のせいなどではない。
女神像が光り出しているのだ。
光は石像を覆い隠すように集まり、人の形を成していく。
そうして光に包まれてしまった石像の代わりに姿を現したのは、若い女。
その姿を見て仲間たちが驚く中、リーフだけは表情を変えずに女を見つめていた。
ほんの数か月前に見たばかりの光景だ。
驚くことでもないし、それに……。
それに、何だ?
もっと他にも理由があった気がしたが、思い出せない。
考え込もうともしたけれど、今はそれどころでないことを思い出して、やめる。
「あなたがマリエス様……」
女を見て、呆然とティーチャーが呟いた。
『いかにも。私はマリエス。精霊の神と呼ばれる者』
透き通った声が辺りに響き渡る。
ゆっくりとタイムとティーチャーの顔を見て、マリエスは笑みを浮かべた。
『ようこそ。妖精神と繋がりを持つ者。そして妖精神の血を引く者よ』
「え……っ!?」
誰ともなく言葉を発して、そう言われたのだろう少女の方へと視線を向ける。
“妖精神と繋がりを持つ者”とは、おそらくミルザのことだ。
ならば今はその血を引き、その力を継いだタイムを指していると考えても間違いはないだろう。
そうすると――いや、そうしなくても、妖精神の血を引く者とはただ1人。
「私が、ユーシス様の、娘……?」
震えた声でティーチャーが聞き返した。
ゆっくりとマリエスが頷く。
「待ってくれ!」
その途端響いた声に、誰もが壁の方へと視線を向ける。
「ティーチャーがユーシスの娘だというのは無理がある」
茶色いポニーテールを揺らして主張するフェリアに、マリエスは首を傾げた。
『何故ですか?』
「ユーシスの存在が確認されているのは今から1000年前、それ以降は生死すらもわからない」
「ティーチャーがユーシスの娘だとするなら、いくら妖精だとはいえ、もっと大人の姿をしているはずです」
フェリアの言葉を引き取ってリーフが続ける。
「なのに、ティーチャーは人間の目から見てもまだ子供。とても1000年生きたとは……」
「だからだったんですか!?」
リーフの言葉を遮って、突然タイムが叫んだ。
驚いて仲間たちは視線を彼女へ向けたけれど、本人は既にマリエスに向き直ってしまっていて、その表情はわからない。
「だから、ティーチャーは妖精神の神殿に封印されていたんですか?」
「え……っ!?」
その言葉に驚いてフェリアとリーフはティーチャーを、そしてタイムを見る。
タイムの向こう側でマリエスはしっかりと頷いた。
「ちょっと待て。一体何の話だ?」
話の流れが読めずにフェリアが尋ねる。
何処となく困惑した表情でタイムは振り返った。
驚きを浮かべたまま床を見つめているティーチャーを横目で見て、ゆっくりと語り出す。
「リーフ。あたしたちがあんたと初めて会ったとき、あんたの頼みを何て言って断ったか覚えてる?」
「え?あ、ああ」
突然問いかけられ、リーフは戸惑いながらも必死に記憶を探って答える。
「確かルビーが、探し物をしてるって」
「その時あたしたちが探していたのは、エスクール国内の妖精の村の中にある妖精神の神殿。正確には、そこに封印されていた妖精だった」
「それが私」
ぽつりと、呟くようにティーチャーが言った。
「ティーチャーを探していたのは、サポートフェアリーの契約をもう一度結ぶため」
「待てっ!」
続けようとしたタイムの言葉をフェリアが遮る。
「サポートフェアリーというのは、妖精神に似た力を受け継いだ妖精と交わす契約のはずだろう?その妖精が封印されていることなど……」
言いかけて、はっと言葉を止める。
問いかけようとした途端に頭の中にある可能性が浮かび上がって、思わず言葉を失った。
もし本当にティーチャーがユーシスの娘ならば、当然サポートフェアリーの地位は彼女に移ることになる。
封印が解かれる兆しが見えたならば、サポートフェアリーは後継者を選ぶということはしなくなるはずだ。
後継者を選ぶ必要がなくなるのだから。
本来の後継者が、既にその力を持って目覚めようとしているのだから。
『ミルザが妖精神の神殿を訪ねるよりも前に、ユーシスは娘を生みました』
今まで黙っていたマリエスが、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
『ミルザの旅についていくことにした彼女は、自分にもしものことがあったときでも“妖精神”という存在が絶えないよう手を打ちました』
「娘を神殿に封印する。そうすることで、例え何百年かかろうが、いつか自分の後を継ぐ者が現れるように」
『そうです』
タイムの言葉に、マリエスはしっかりとした口調で答える。
「もっと言うならば、自分のいない間に何かあっても、娘だけは危険にさらされないように」
『そうです』
そのやり取りを聞きながら、ティーチャーはふらふらとタイムの肩に下りた。
ぺたんとその上に座って、口元を押さえて俯く。
気にしていなかった――気にしないようにしていたのかもしれない――自分の出生が突然明らかになったのだ。
平気でいられるはずがない。
『ユーシスは全てが終わって神殿に戻り次第、娘の封印を解くつもりでした。封印は、彼女にとって“もしものときのための保険”でしかなかったのですから』
「なのにあたしと出会うまで、ティーチャーは神殿に封印されていた」
「……ということは、妖精神は」
ぽつりと呟いたフェリアの言葉に、マリエスは微かに表情を変えて頷く。
『あなた方の予想どおり、そして妖精や人間の唱えた説のとおりです』
ミルザとの旅の中で、妖精神ユーシスは命を落とした。
言葉にこそしなかったが、そうマリエスは告げていた。
肩の上でティーチャーが震えているのがわかる。
彼女の頭をタイムはそっと撫でた。
そうして横目でティーチャーを見ると、すぐに視線を真っ直ぐマリエスへと向ける。
「ユーシス様とティーチャーのことはわかりました。けれどマリエス様。私たちには、まだわからないことがあります」
『魔妖精のこと、ですね?』
しっかりとタイムは頷く。
「目的も奴らが何をしているのかも、妖精たちから聞きました。けれど、どうして今頃になって?」
ユーシスの存在がしっかり確認されていたのは1000年も前の話だ。
どうして今頃になって、その力を求める者がでてきたのだろう。
それが、わからない。
『魔妖精の長の名はロニー。この女は、何故か必要以上に力を追い求めている』
ほんの少しの間天井を仰いで、マリエスは続けた。
『どうやら今はインシング全体が不安定な時代のようです。だからイセリヤやルーズのように、強い力を持ちながら更なる力を追い求める者が留まることを知らずに現れる』
「インシング全体が、不安定?」
フェリアの問いにマリエスは頷いた。
『混乱が混乱を呼ぶ時代。強き力を持つ者が更なる力を求め、自分以外の全てを否定し、破壊を繰り返す時代』
「ロニーという魔妖精も強い力を持つ全てを否定する者だと、そういうことですね?」
『そうです』
しっかりと頷いて、マリエスはタイムを見た。
正確にはタイムと、その肩に乗っているティーチャーを。
『マジックマスターがここへ来たときから、いつかこの呪文も解き放つ時が来ると思っていました』
そっと、マリエスは自分の胸元に手をそえる。
手の中に光が溢れた。
溢れた光が手の中に戻るように消えると、マリエスはゆっくりと手を差し出す。
その手には1枚の金属製のカードが乗っていた。
「それは……?」
「鍵だ」
その言葉に驚き、タイムは反射的に後ろを振り返る。
カードを見て思わず呟いた彼女の問いに答えたのはマリエスではなく、後ろに控えていたリーフだった。
「それは七大精霊の降りる洞窟の封印を解く鍵」
『そう。そしてこれは7つあるうちのひとつ、水の洞窟の封印を解く鍵です』
ふわっとカードが浮いた。
それはゆっくりと前に進むと、タイムの目の前で動きを止める。
タイムが手を差し出すと、その手の中にぽとりと落ちた。
『タイム=ミューク、そしてティーチャー』
名を呼ばれて、今まで俯いていたティーチャーが漸く顔を上げる。
『水の洞窟の奥にある神殿には、ユーシスを呼び出す呪文が封じられています』
「え……っ!?」
「妖精神を呼び出す呪文って、彼女はもう亡くなっているのではないのですか!?」
ユーシスは命を落としたと、マリエス自身がそう言ったというのに。
『正確には、あなたたちの体にユーシスの魂を降臨させる呪文です』
「ちょ、ちょっと待ってください、マリエス様」
手を上げるように突き出して、リーフが話に割り込む。
「呼び出すとか降臨とか、いきなり言われても意味がよくわからないのですが」
彼の言葉に、マリエスは少し考えるように俯いた。
『1000年前、ミルザとユーシスは私たちにひとつの呪文を託していきました』
「呪文?」
『ユーシスが元を作り出し、ミルザが改良を加えて完成した、精霊神法とはまた別の特殊な呪文です』
「精霊神法?」
「ミルザが使ってたって言う精霊魔法の正式名称だよ」
首を傾げて尋ねるフェリアに、リーフが短く答える。
その答えを肯定するように頷いてから、マリエスは続けた。
『それは、ユーシスの血を引く者とミルザの血を引く者を呪文により融合させて、ユーシスを呼び覚ますというものでした』
「あたしとティーチャーをっ!?」
思わず声を上げ、タイムはマリエスを見た。
『そう。ただし、長い時間は持ちません。おそらく2時間が限界でしょう』
それはそうだろう。
生物同士の融合などという上級魔族くらいしか使うことのできない呪文を、人間と妖精が使おうとしている。
その上級魔族でも失敗の確立の方が高い呪文を、自分たちが使うことができるはずなどない。
尤も上級魔族の場合は他者にその呪文をかけるのだから、失敗など気にしていないのかもしれないが。
『呪文の難しさが問題なのではありません』
彼女たちの考えを読み取ったかのように、マリエスは口を開いた。
『問題はユーシスの魂を降臨させるという部分にあるのです』
「それはやはり、ただでさえ2つ魂の入った体にもうひとつ魂を呼び込むからですか?」
『いいえ』
フェリアの問いかけに、マリエスは首を横に振る。
「では何故?」
『ユーシスが、今この時代に人間として生きているからです』
「生まれ変わりってやつか」
リーフが小さく呟くと、それを聞き取ったマリエスが肯定するように頷いた。
輪廻転生――死んだ人間が再び別の人間として生まれ変わる。
魔法が存在し、精霊や妖精まで存在するこの世界ならば、ありえない話ではない。
『ユーシスの魂を呼ぶということは、今それが宿っている体から一時的に魂を抜き取るということになります。魂が体から離れている時間が長いほど、“今のユーシス”の命に関わるということになる。私たちがフォローをするにしても限界があるのです』
「だから2時間なのですね?」
確認するように問いかけると、マリエスはゆっくりと頷いた。
「そんな呪文なら、あたしは……」
『けれど、今のあなたたちの力ではあの女には勝てません』
「ならっ!あたしもセレスと同じ……」
『水の精霊神法は、この世に存在していません』
きっぱりと言われた言葉に、思わず全員がマリエスを見る。
「存在していない?」
聞き返したリーフに、マリエスはゆっくりと視線を向けた。
『リーフ=フェイト。あなたはセレス=クリスタがここにきたとき、共にいましたね?あの時私がなんと言ったか、覚えていますか?』
「あの時、あなたがなんと言ったか……?」
考え込むように俯いて、はっとしたように顔を上げる。
「現在この世界に存在する精霊神法は5つと」
『そう。そして7つの属性のうち、精霊神法が存在しないのは水と火です』
「水と火っ!?」
『そう。このふたつは未完成の状態で作成者が死んでしまった。だから存在していないのです』
完成していない伝説の呪文。
今の自分たちで相手に勝てないというのに、他に手段はないというのに。
「教えてください、マリエス様」
唐突に耳に入った言葉に驚き、タイムは勢いよく顔を動かした。
不意に肩が軽くなったと思えば、すぐ側にティーチャーの桃色のかかった透明な羽が目に入る。
「その呪文を、私たちに教えてください!」
「ティーチャーっ!?」
驚いたように名を呼べば、少し寂しそうな表情で彼女は振り返った。
「勝手に決めてごめん。でも、私はかまわないから」
その言葉に思わずタイムは目を見開く。
気づいていたというのだろうか。
自分が彼女のことを気にして、彼女とユーシスの考えを気にして、この呪文を避けようとしていたことに。
「それより今はルビーさんたちの救出が優先でしょ!」
「そう、だね」
ぽつりと呟くように返してから、タイムは顔を上げた。
「私からもお願いします、マリエス様。私たちにその呪文を教えてください」
『他人の命まで背負ってこの呪文を使う覚悟が、あなたたちにはあるのですね?』
「はい」
声をそろえて、はっきりと答える。
そう、今は迷っている場合ではない。
自分の代わりに捕まった仲間たちの救出か最優先なのだ。
迷って、勝つための手段を切り捨てている場合ではない。
自分に言い聞かせるようにそう考えて、タイムはしっかりとマリエスを見た。
『ならば送りましょう。水の精霊の待つ洞窟の入り口へ』
ゆっくりとマリエスが両腕を広げた。
ぼんやりとした光がタイムとティーチャーの体を包み始める。
「これってもしかして……」
「ムーブメントっ!?」
妖精族だけが使えるはずの対象者を転移させる呪文。
封印から目覚めたばかりのころ、ティーチャーが使って見せたあの呪文。
『試練を乗り越えたなら、妖精神の神殿へお帰りなさい。いいすですね?』
光の向こうでマリエスが言った。
「はい」
その言葉に2人はしっかりと頷いて答えた。
同時に光が強く輝く。
思わず目を閉じて顔を腕で覆ってしまうほどの光の後、マリエスの前にいたはずの2人の姿は忽然と消えていた。
「行ったのか」
『ええ』
呟きのようなフェリアの言葉に、マリエスは微かに笑顔を浮かべて返す。
『あなたたちは妖精神の神殿にお送りしましょう。それでよろしいですね?』
2人は試練が終わった後、あの神殿に帰ってくると言った。
ならば他に何の問題があるだろう。
「はい」
頷くと先ほどと同じ光が、今度はフェリアとリーフの体を包み込む。
閃光が再び視界を襲った。
強く、優しい光が。
光が収まったとき、その場には誰も――マリエスの姿さえも――残ってはいなかった。