Chapter4 ダークハンター
15:焦り
誰かが泣いていた。
誰かが笑っていた。
見たこともない光景。
見覚えのないはずの景色。
だけど、何故かそれが懐かしくて。
酷く、胸が痛んだ。
ゆっくりと目を開いて、最初に映ったのは見慣れない天井だった。
そのまま、無意識のうちにここが何処だか確認するように視線を動かす。
そうしているうちに自分が今、ベッドに寝かされているのだと気づいた。
真っ白い布団に綺麗に整えられた部屋。
サイドテーブルに立てかけられているのはおそらく自分の剣だ。
そこまで認識して、ふと気づいた。
ああ、そっか。
ここ、マジック共和国だ。
もう半年以上前の帝国解放戦争。
その最終決戦の後、大怪我をした自分たちが運び込まれた部屋。
そこと同じ造りの部屋にいることに気づいて、顔を顰めた。
「あたし、何でこんなところに……、っぁ!!」
右腕を動かそうとして肩に走った痛みに、小さく悲鳴を上げる。
ブランケットを捲って見ると、知らないうちに別の服に着替えされられていることに気づいた。
その服の襟を無理矢理引っ張ると、そのまま視線を右肩に落とす。
露になった自分の方を見て、目を大きく見開いた。
右肩には大量の包帯が巻かれていた。
その包帯の下から、じわっと血が滲んでいる。
「あたし、何でこんな怪我……」
言いかけて、再び大きく目を見開く。
無理な体勢でブランケットを捲っているせいか、体重のかかる右肩の痛みが酷くなったけれど、そんなことを気にしている場合ではなかった。
意識を失う前の光景が急激に戻ってきた。
ミルザの聖窟と呼ばれる場所での出来事。
エルザが現れ、祖先の使っていた剣が奪われたあの時の出来事が。
「フェリア……っ!!」
右肩の痛みを無理矢理堪えて起き上がる。
そのままブランケットを跳ね除け、ベッドから飛び出そうとしたとき、ブランケットを掴んでいた手を誰かに掴まれた。
「何処に行くつもりだ?」
聞こえた声に驚いて顔を上げると、いつの間にかベッドのすぐ横に見慣れた人物が立っていた。
「アール……」
突然現れた彼女を見て、呆然としたようにレミアが呟く。
勢いが消えたことに安心したのか、アールは掴んでいた手を放すとため息をついた。
「漸く起きたと思えば、ずいぶん元気なものだな」
呆れたように言う彼女を、言葉を返さずにレミアは見つめていた。
ふと、湧き上がった疑問に首を傾げる。
彼女に会うまで気づかなかった大切な疑問。
「どうして、あたしはここにいるの?」
レミアの問いかけに、アールは一瞬驚いたような顔をした。
そして、思い出したように呟く。
「そういえば、お前はここに運ばれたときにはもう意識がなかったな」
「運んだって、誰が?」
「リーナだ」
きっぱりと言うアールの言葉に、レミアは大きく目を見開いた。
「リーナ……、リーナは、どうなったの?」
確か彼女は、自分があの女と対峙したとき、既に怪我を負っていたはずだ。
「ああ。あいつは体を強く打って骨を何本かやったらしいが、出血はずいぶん少なかったせいか意識ははっきりしている。今は精霊神殿で治療を受けているが、とりあえずは心配ないそうだ」
「そう。よかった……」
小さく呟いて、レミアはほっと胸を撫で下ろした。
それから、ふと気づいて顔を上げる。
「フェリアは?ここに、来てない?」
投げかけられた質問にアールの表情が曇る。
「いや。リーナが連れてきたのは、お前だけだった」
苦しそうな声で搾り出すようにアールは答えた。
「……そう」
小さく、今度は本当に微かな声で呟いて、レミアは顔を俯けた。
ぎゅっとブランケットの上で拳を握る。
ここに彼女がいないということは、あの時のあの女の言葉は聞き間違いではなかったということだ。
試したいことって何?
あの女、あの子に何をする気なの……?
カタカタと震え始めたレミアを見てアールが顔を顰める。
けれどすぐに表情を戻すと、何も言わずに彼女の頭に軽く手を乗せた。
「大体のことはリーナに聞いた。とにかく今は休め。その怪我では剣は持てないだろう」
言葉をかけながらレミアの右肩に視線を動かす。
傷は背中側に抜けており、神経こそ無事だったものの、今はほとんど動かせないはずだ。
利き腕が使えない状態で動くのは危険だと、レミア自身も十分わかっているはず。
「あいつを助けたいなら、今は休め。いいな?」
強めの口調で言い聞かせると、アールはレミアから手を放した。
そのままゆっくりと扉の方へ向かって歩き出す。
ふと、何か思いついたのか、扉の前まで来ると足を止めた。
「後で食事を運ばせる。それまで安静にしてろよ」
振り返ってそれだけ言うと、反応を待つようにレミアのいるベッドを見つめる。
けれど、レミアは返事を返すどころか頷くことさえしなかった。
暫くの間アールは彼女を見つめていたが、やがて諦めたのか、小さくため息をつくと静かに部屋を出て行った。
アールが部屋を出て行ってどれくらいの時間が流れたのだろう。
ずっと同じ姿勢のまま、レミアはたったひとつのことに思考を巡らせていた。
たったひとつのこと。
それは、今エルザが何処にいるか。
居場所が分からないことには攻め込むことも出来ない。
囚われているだろうフェリアも助けることは出来ない。
攻め込むために、彼女を助けるために、一刻も早く突き止めなければならなかった。
エルザの居城を。
あの女の潜伏する場所を。
わかっているのに体が動かない。
右腕が動かなくて、剣を握ることができない。
焦りと不安だけが自分の中で膨れ上がって、包んでいく。
そこから生まれたたったひとつの感情だけが、自分の中で大きくなっていく。
彼女自身はその感情の正体に気づいていない。
今、自分を包んでいる感情が、今まで感じたこともないほどの強いものだということにも。
思わず左手の拳に力を入れる。
手入れをしていなかった爪が肌に食い込み、血が滲んでいた。
そんな痛みにも気づかないほど、彼女の心をその感情が支配していた。
「ずいぶん焦ってるみたいだな」
唐突に耳に入った声に、はっと顔を上げる。
声がした方向――扉の方へ視線を投げれば、そこには見覚えるある青年が立っていた。
濃い緑色の上着に白いズボン。
水色のマントを羽織った濃緑色の髪と瞳を持つ、今ここにいるはずのない青年。
「リーフ?」
「よお」
目を見開いて名を呟くと、青年は軽く片手を上げた。
「な、何でっ!?どうしてあんだがここに!?」
「こっちもいろいろあってな」
ため息をつきながら言われた言葉に、レミアが表情を変える。
「いろいろって、まさか……っ!?」
「心配するな。あいつらに何かあったってわけじゃないから」
レミアの言おうとしたことを察したのか、あっさり言うとゆっくりとした足取りでベッドに近づく。
「俺がこっちに戻ってきたのは自分の国の用事。そのついでにこっちにも情報収集に来たんだよ」
近くにあった椅子をベッドの側に引き寄せ、そこに腰を下ろした。
「情報収集って、何の?」
「お前らの」
短く告げられた言葉に、ぴくりとレミアが反応する。
「ミューズに聞いたら来てないって言われたからな。あとお前らが頼りそうなところ、ここしかなかったから」
間違えようのない指摘に、思わずレミアは視線を逸らした。
「何があったのかは、全部リーナに聞いたよ」
最初は驚いたけどと付け足して、真剣な口調で続ける。
「フェリア、連れて行かれちまったんだってな」
その言葉にレミアの肩がびくっと跳ねた。
「だからあたしは、最初反対したのに」
顔を俯け、小さく呟く。
そんな彼女を見て何を思ったのか、ため息をつくとリーフは腕を組んだ。
そして小さな、普段よりは低めの声で、言った。
「あの女の行き先、ひとつ心当たりがあるんだけど」
がばっと顔を上げ、リーフを見る。
それはほとんど条件反射に近い動きだった。
「心当たりが、あるの?」
「ああ」
しっかりとリーフは頷いた。
「俺がこっちに来たのだって、それが理由だったからだし」
「どういう、意味?」
レミアが目を細めて尋ねる。
その瞳はいつもの彼女の目とは違っていた。
「……ちょうどこっちで、お前らがここに戻ってきた辺りの日になるかな。ティーチャーがタイムのところに来たんだよ」
「ティーチャーが……?」
聞き返すと、彼はしっかりと頷いて続けた。
「あいつ、たまにこっそりミューズのとこに遊びに行ってたみたいでな。ミューズから伝言を預かって来たんだって言ってた」
「ミューズ王女からの、伝言?」
わざわざ一国の王女が人に頼んでまで異世界へする伝言。
そんなものを気にしている場合ではないはずなのに、何故かとても気になった。
自分に関係がないとは思えなかった。
「何だったの?その伝言って」
聞き返すと、リーフは静かに顔を伏せた。
続けていいのかどうか迷っているらしく、なかなか顔を上げようとはしない。
暫くして、漸く顔を上げると、何かを覚悟したような口調で告げた。
「法国ジュエルの跡地に突然、正体不明の塔が出現した」
「え……?」
予想もしていなかった言葉に、思わず声を漏らす。
法王ルーズの死後、解体された法国ジュエルのあった島。
今では廃国と呼ばれているあの島に、突然塔が現れた。
しかも、自分たちがエルザと出会った直後にも等しい時期に。
「それを造ったのがエルザじゃないかって、あいつらは言い出したんだ」
あいつらとは、おそらくアースに残っている仲間のこと。
「それを確かめるために、俺はこっちに戻ってきたってわけだ」
そこまで告げるとリーフは静かに席を立った。
そのまま何も言わずに椅子を元の場所に戻す。
「確信はない。けど、これは重要な手掛かりだって、そう言ってたのはルビーだったな」
わざと大きめな声で言うと、レミアの反応を見ることはせずに扉の方へと歩く。
「まあ、これをどう解釈してどう動くかは、お前次第だってことだ」
最後に、今度は小さめな声でそう告げると、そのまま静かに部屋を出て行った。
誰もいなくなった部屋で、レミアは閉じられた扉を呆然と見つめていた。
暫くして、サイドボードに立てかけられている剣にゆっくりと視線を移す。
それを見つめた後、今度はゆっくりと窓の方へ視線を動かした。
日没が近いのか、窓の外は綺麗なオレンジ色に染まっている。
ここは海沿いに作られた都だから、町の外に出ると綺麗な夕日を見ることが出来るに違いない。
そんなことを考えながら、レミアはただじっと窓の外を見つめていた。
その夕日が沈んで、外が暗闇に包まれるのを待つかのように。
ただじっと窓の外、空の色を見つめていた。