Chapter4 ダークハンター
16:失踪
「どうしてですのっ!!お姉様っ!!」
ばんっと机を叩く音が響いて、続いて怒鳴り声が聞こえる。
廊下中に響いたそれは、行き交う使用人や兵士をその扉の前で立ち止まらせるには十分な大きさだった。
「どうして、どうしてレミア様を1人で行かせてしまったんですのっ!」
まだ傷の癒えない体を引き摺って義姉の執務室にやってきたリーナは、入ってくるなりアールの側に駆け寄った。
怒鳴られている本人は、部屋の奥の机に座ったまま腕組みをして、リーナの顔を見ようとはしない。
「聞いてますの!お姉様!」
「聞いている」
きっぱりと言い返したのが、逆に義妹の神経を逆なですることになってしまったらしい。
「じゃあどうして!レミア様を1人で行かせてしまったのか、答えてくださいっ!!」
先ほどよりも大きな声でリーナが叫ぶ。
その様子をリーフは部屋の隅で呆れたように見つめていた。
事件の発端は、今朝のこと。
レミアの目覚めを聞いたリーナは、1日遅れで彼女の部屋を訪れた。
けれど、もうそこには既にレミアの姿はなく、武器も荷物も、全てが煙のように消えていた。
部屋を間違えたかとも思ったが、ベッドに近づいてそうではないことに気づく。
ベッドは先ほどまで誰かがいたかのように乱れていた。
そしてその枕の上には、おそらく髪形を整えるときに抜けたのだろう緑色の長い髪の毛が数本落ちていた。
リーフのものとは長さも色も違うそれは、紛れもなく消えたレミアの髪で。
彼女が姿を消したことを確信したリーナは、そのままこの部屋に駆け込んできた。
そして先ほどの一方的な口論に至るわけである。
「答えてください!お姉様っ!」
もう一度机を叩いて、リーナは義姉に詰め寄った。
けれどアールは一向に口を開こうとはせず、顔を俯けている。
いつまでも黙り込んでいる義姉にとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、リーナはもう一度強く机を叩いた。
「お姉様っ!」
強い口調で怒鳴って、組まれたままのアールの腕を強い力で掴んだ。
「おふたりの命がかかってるんですのよっ!」
ぴくりと微かにアールが動いた。
「……行かせたくて行かせたわけじゃない」
そのままの態勢でぽつりと呟く。
「じゃあ、どうして止めなかったんですのっ!!」
義姉の腕を掴む手に力を込めてさらに問う。
「止めなかったんじゃ、ないんだ」
「止めなかったんじゃないって……」
はっと目を瞠って、リーナは思わず彼女の腕を放した。
よく見ると、目の前に座る義姉の体が小刻みに震えている。
「アール姉様……?」
顔を覗き込んで、思わず息を呑んだ。
てっきり無表情でいるのだと思った彼女の表情は、歪んでいた。
例えるならそれは、何かとてつもなく恐ろしい体験をしたときのような表情。
帝国末期、自分の出生を知ってイセリヤと対峙したときも見せなかったその表情に、リーナは愕然とした。
「ど、どうしたんですの?お姉様……」
無意識のうちに数歩下がって、恐る恐る尋ねる。
「……止められなかったんだ」
再びアールが口を開いた。
その声は、ほとんど聞こえないほど小さく擦れたものだった。
「止められなかったって、どういうことですの?」
「言葉どおりなんだろ」
突然別の声が耳に届いて、リーナは反射的に振り返った。
今まで傍観を決め込んでいたリーフが突然口を開いたのだ。驚くのも無理はない。
「何か、そいつが怯えちまうほどの何かがあって、止められなかったってとこだろう?」
「……何か、まるで見ていたような言い方ですわね」
目を細めてリーナが呟く。
その視線はリーフを見るというより、睨むといった方が正しかったかもしれない。
「別に見てたわけじゃない。ただ、この事態を予測していた奴がいるだけだ」
視線を逸らして、静かに言った。
「予測って、誰が……」
「それよりアール」
問い返そうとしたリーナの言葉を遮って、リーフが再び口を開いた。
「その様子だとお前、夕べ出ていく前のあいつに会ったんだろう?一体何があったんだ?」
その場に立ったまま静かに尋ねる。
アールは机に両肘をつき、両手で顔を隠すようにして俯いていた。
「答えてください!お姉様!」
三度机を叩いて、リーナが訴えるように言った。
沈黙が辺りを包んだ。
リーフはそれ以上自分から問い詰めようとは思っていないらしく、静かにアールを見つめていた。
リーナは机を叩いた姿勢のまま、じっと義姉を見ている。
2人とも、彼女の口から言葉が出るのを待っていた。
どれくらい時間が経っただろう。
小1時間はそうしていたような気がする。
「あの時……」
唐突に、顔は上げずにアールが口を開いた。
「あの時、様子を見にいって、私はあいつがいないことに気づいた」
「あの時というのは……」
「見張りの兵士以外の全員が寝静まった頃だ」
「脱出するのは打ってつけの時間だな」
納得するようにリーフが呟く。
かつて故郷でレジスタンスのリーダーをしていた彼だ。
もしかしたら似たような経験をしているのかもしれない。
「ベッドにはまだ熱が残っていて、まだ出て行ってそんなに時間が経っていないとわかった。だから私は慌てて城下に出た」
城の正門は閉まっていたけれど、そことは別に使用人用の通用口もあればイセリヤ攻略時に使った隠し通路もある。
その両方を知っている彼女はもう城にはいない。
そう考えてのことだった。
「行動を起こしたなら、あいつは何らかの方法であの噂を聞いたことになる。だから、私は港に行った」
城方面から港に繋がる道はひとつだけ。
それは隠し通路や通用口から城下に降りても同じこと。
「案の定、あいつは来たよ」
「じゃあ、どうしてそこで引き止めなかったんですの?」
リーナの問いに、アールは顔を俯けたまま首を振った。
「……止められなかった」
体の震えがはっきりと分かるほど大きくなる。
「やっぱり、リーフ様の仰るとおり、何かあったんですの?」
問いかけると、震えたまま静かに頷いた。
「一体、何が?」
顔を覗き込むようにして静かに問いかける。
「……恐かった」
「え……?」
発せられた言葉の意味がわからず、思わず聞き返した。
「あの時のあいつの目、今まで見たこともない色をしていたんだ」
「レミア様の、目?」
髪と同じ深緑色のあの瞳。
先日まで一緒に旅をしていたリーナだから良く覚えている。
焦りと不安が交じり合った色を浮かべていた、あの瞳。
「焦っていただけじゃ、ありませんの?」
静かに問いかけると、アールは首を振った。
その様子に、いつのまにか傍観者に戻っていたリーフが顔を顰める。
「あれはそんなものじゃない。私は昔、あれと同じ目を見たことがある」
「見たことがあるって、何処で……?」
「帝国時代、捕らえたレジスタンスの人間をイセリヤの前に突き出したことがあっただろう?」
言われてリーナは僅かに目を見開いた。
そういえば、何度かそんなことがあった気がする。
そのうちの数回に、当時あの女の側近とも言える立場にいた自分たちは立ち会っていた。
「その時その男が見せた目。それから……」
言いかけて僅かに顔を上げると、アールは首を横に振った。
「どうしましたの?」
「いや……。とにかく、あいつはその時と同じ目をしていた」
再び顔を俯けて、続ける。
無意識のうちに彼女は片手で自分の目を覆っていた。
「あの時のあいつの目。あれは憎しみで済むものじゃない」
「それって、どういうことですの?」
言葉の意味がわからず、リーナは口元に手を当て首を傾げた。
目を隠していない方の片手をぎゅっと握る。
そして搾り出された言葉に、リーナはぎょっとした。
「あいつのあの目。あれは、殺意に満ちていた」
僅かにリーフが目を細める。
「なるほど。それで……」
「でも、それは仕方ないですわ!」
小さく呟かれた言葉はリーナの声にかき消され、義姉妹の耳には届かなかった。
「フェリア様が攫われてしまったんですもの。レミア様がエルザに殺意を抱いても……」
「そのエルザとかいう奴に対してだけじゃない」
リーナの言葉を遮って、アールが言葉を発した。
彼女らしくない声の震えに、思わずリーナは両手で口を覆い、言葉を止めた。
「あの目を見た瞬間ぞっとした。たぶん、止めようとしていたらあいつは……」
「襲いかかったかもしれないな、お前に」
耳に届いた言葉に、アールははっと顔を上げた。
いつのまにか壁に背を預けていたリーフが、胸の前で腕を組み、自分の足元を静かに見つめている。
「リーフ様?」
不審に思ったのか、リーナが静かに声をかけた。
ゆっくりとリーフが顔を上げる。
そのままこちらを見ずに口を開いた。
「あいつに廃国の塔の噂教えたの、俺だ」
「え……っ!?」
「何だとっ!!」
がたっと音を立ててアールが立ち上がる。
「何故そんなことをしたっ!あいつがその塔の話を聞けば飛び出していくなんてこと、お前も予想できたはずだっ!!」
目覚めた後の彼女の様子を見ているからわかる。
今、大怪我を負っていて感情が不安定な彼女を1人で外に出せば取り返しのつかないことになる。
そう判断したから、自分はあの塔の噂を告げずに部屋を出たというのに。
「俺だって、頼まれなきゃそんなことしなかったよ!」
「頼まれたって、誰にですの?」
ぎゅっと握った拳を胸の前に持ち上げてリーナが尋ねる。
その問いにリーフは一瞬目を見開いて表情を崩した。
言わない約束だったのか、「しまった」と呟いて小さく舌打ちをする。
それでも、言ってしまったのだから仕方ないと、ため息をついて口を開いた。
「ルビーだよ」
「ルビーが!?」
アールが僅かに目を見開いて聞き返す。
「ああ」
静かに頷くと、漸く壁から背を離して、義姉妹の方を見てしっかりと立った。
「昨日も話したとおり、俺がアースからこっちに戻ってきたのはティーチャーにその塔の噂を聞いて、ミューズのところに真偽を確かめに行ったからだ。その時あいつに頼まれた」
「何を、ですの?」
拳を握る手に力を込めてリーナが聞き返す。
大きく息を吐くと、リーフは思い切ったように顔を上げた。
「レミアを1人で行かせるように仕向けてくれって言われた」
「レミア様を、1人で?」
「そう。んで、誰も追いかけないでくれってさ」
「本当に、あのルビーがそう言ったのか?」
頭を掻きながら告げるリーフに、アールが信じられないという視線を向ける。
「ああ。あいつの予想したことが当たっていたら……フェリアがエルザに連れ去られていたら、たぶん1人で行かせた方がいいって言ってたんだ」
「どうしてですのっ!?」
堪らずリーナは叫んだ。
「ルビー様なら、レミア様の状態だって予想できるはずですのにっ!!」
「知らねぇよ。理由を聞いたら、ただの直感だって言ってたし」
「直感……?」
きょとんとして聞き返すと、リーフは静かに頷いた。
「直感って……。それだけでですの?」
「俺だってそう思って問いただしたよ。でも、その答えは返ってこなかった」
そこまで話して大きくため息をつく。
そして何かを思い出したのか、僅か目を見開くと続けた。
「ただ、ずっと引っかかってることがあるって言ってた」
「引っかかっていることって、何ですの?」
リーナが首を傾げると、彼は静かに首を横に振った。
「それ以上は言えないって言われたよ。続きを知っている奴がいるとしたら、たぶんタイムだけだ」
ため息をつきながらやれやれと首を横に振ると、そのまま義姉妹の方に背を向ける。
「んで、俺はこっちにいろって言われた。あいつらが戻ってくるまで待っててくれってな」
呟くようにそれだけ言うと、2人の言葉を待たずに扉に手をかける。
観音開きの扉の片側を開くと、そのまま静かに部屋を出て行った。
残された義姉妹は暫く黙ったまま立ち尽くしていた。
胸元に引き寄せたままの、机の上に置いたままの拳を強く握り締めて。