Chapter4 ダークハンター
18:魔封じの陣
体全体に冷たい石の感触が伝わる。
先ほどまで感じなかった感覚に、フェリアはゆっくりと目を明けた。
最初視界に入ったのは予想どおりの冷たい石造りの床。
その上に自分がうつ伏せに倒れているということを認識したのは、意識が完全に覚醒してからのことだった。
「ここは……何処だ……?」
僅かに痛む頭を押さえて起き上がる。
周りを見回すけれど、そこが何処かはわからなかった。
ふと、違和感を覚えて手を下ろした。
この建物の住人の部屋なのだろうか、石造りの冷たい部屋とはいえ、ここには家具一式が揃っている。
ベッド、クローゼット、本棚。
そんな普通の部屋にもあるものが置かれているこの部屋に、たったひとつだけないものがあった。
「扉がない……?」
一箇所だけある窓を除いて、壁には出入り口などない。
窓から外を覗いてみるが、ここは高い塔の一室らしく、とてもではないが出入りは無理だ。
「一体私はどうやってここに来たんだ……?」
窓枠に肘をついて外を眺めながら、フェリアは必死に記憶を辿った。
自分はリーナと一緒に聖窟に入ったレミアを待っていたはずだ。
「その後……」
呟いて、はっと顔を上げる。
「そうだ。あの女に襲われたんだ」
聖窟の外でレミアを待っていたあのとき、突然あの女が――エルザが現れた。
武器を構える間もなく放たれた呪文に吹き飛ばされ、石碑に叩きつけられた。
態勢を立て直そうと石碑から離れたとき、一瞬のうちに背後に回ったエルザに思いきり頭を殴られたのだ。
「……とすると、ここは奴の本拠地で、あの魔法陣はやはり魔封じの陣だと考えていいようだな」
ため息をつきながら先ほど自分が倒れていた場所を見下ろす。
灰色の床に白く描かれたそれは、自分が知る限り魔力を封じる力を持つ魔法陣だったはずだ。
おそらく、以前仲間たちが言っていた魔妖精城の地下牢に描かれたものと同じもの。
膝をつき、魔法陣に触れてみる。
それは描かれているのではなく、床の一部を切り取った場所に白い石を直接嵌め込む形で作られたものらしい。
「ペイントならこれで剥いでしまえばいいと思ったが……」
両手にはまったままのナックルを見て小さくため息をつく。
魔法陣は線が途切れずに繋げられていることで効力を発揮する。
逆に言えば、たった一箇所でも線を消してしまえば、その効力は消え失せるのだ。
だからと言って、強度の分からないこの石をナックルで叩くことはできない。
それで万が一拳を壊してしまっては、その後の脱出に支障を来すかもしれない。
どうしたらいい。
考え込もうとした瞬間、前方の壁に何かがぶつかったような大きな音が響いた。
驚いて顔を上げる。
「……何だ?」
壁に駆け寄り、耳を近づけた。
向こう側から何やら叫ぶ声が聞こえてくる。
この大きな声はおそらくエルザだ。
そしてもう1人。ほとんど聞き取れない声を発しているのは。
「……レミアっ!?」
聞き間違えるはずがない。
この今にも消えてしまいそうな声は、間違いなくレミアのものだ。
「あいつ、来ているのか……」
そして戦っている。
この壁の向こうで。おそらくたった1人で。
リーナはどうしたんだとも思ったが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
何とかしてここから出なければならない。
それにはこの魔法陣を破壊しなければならない。
何かないか?
この部屋に、床を壊せる何か……。
不意にフェリアの視線がクローゼットで止まった。
まさかこんな所に役立つものが入っているとは思わないが、相手は薬を使って自らの転生を図ろうとする人間だ。
可能性はある。
ありえないと思いながらも取っ手に手をかけた。
ぎいっと鈍い音を立ててクローゼットが開かれる。
その中に仕舞われていた物を見て、フェリアは思わずぎょっとした。
普通は服を想像するだろうクローゼットの中に入っていたのは、傷のついた鎧やさまざまな武器だった。
数箇所に血痕を残すそれらの武具に思わず息を呑む。
それと同時に呆れていた。
あの女はここにしまっている武具のことを忘れていたのだろうか。
それとも自分がここにある武器を使えないとでも思ったのだろうか。
ハンターは使用武器に囚われない職種だということを知っているはずだというのに。
「とにかく、これで何とかなりそうだな」
ため息にも似た息を吐いて、フェリアは手近にあった斧を手に取った。
これで魔法陣の一部を壊してしまえば、今自分の魔力を封じている力は消えるはずだ。
そうなれば、壁を壊してからも呪文が使えないかもしれないという心配がなくなる。
魔法陣の前に立ち、両手でしっかりと斧を握った。
この白い石がどれくらい深いところまで続いているのかは分からない。
けれど、今はやるしかない。
覚悟を決めて、斧を大きく振り上げる。
「はあっ!!」
勢いよく斧を振り下ろした。
石が砕ける音が響いて、斧が床に深く食い込む。
大きく息を吸い込んで、今度は床に食い込んだ斧を引き抜いた。
その途中で斧を横に振り、浮き上がった石を魔法陣の外に弾き飛ばす。
飛ばしきれなかった石は手で陣の外へと移動した。
けれど石はやはりそれなりの長さの物らしく、削れた床はまだ白い線を見せていた。
「もう一度っ!」
再び斧を手に取って振り下ろす。
その途中、壁の向こう側から嫌な叫びを聞いた気がした。
手を止めて耳を澄ますが、レミアの声ではないと判断すると斧を引き抜こうと再び両手に力を込めた。
がこっと音を立てて石が持ち上がる。
先ほどと同じように斧を左右に動かしてそれを弾き飛ばした。
不意に白い石の下に灰色の石が見え、フェリアは手を止めた。
斧を手放して、急いでその上の石をどかす。
全てを移動し終えると、灰色の床がはっきりと姿を現した。
ちょうど魔法陣の外周を切断する形で。
その瞬間、体の奥に押し込められていた何かが溢れ出すような感覚を覚えた。
仕事中、何度か感じたことのある感覚。
これは魔封じの呪文が解けたとき、封じされた魔力が解放されたときの感覚だ。
「……よし」
じっと見つめた両手を強く握る。
斧を放り出したまま立ち上がると、フェリアは先ほど叫び声が聞こえた壁に近づいた。
壁の向こう側から何やら言い争う声が聞こえる。
言い争いというより、叫び声の主が一方的に喚き立てていると言った方が正しいかもしれない。
その壁に向かい、フェリアは両手を突き出した。
「我望むは熱。全てを溶かし、全てを無にする強き熱。大気よ、今ここに集え。熱よ、大気を暖めよ」
だんだんと空気がフェリアの両手に集まっていく。
その空気が魔力で起こった熱に暖められ、周りの気温が上がり始めた。
「火の精霊よ!今ここに、熱を帯びし大気を解き放たんっ!!」
熱を持った空気が一気に収縮する。
「エクスプロードっ!!」
言葉と同時に収縮した空気がはじけた。
それは大きな爆発となり、大きな音を立てて目の前の壁を吹き飛ばす。
「よし……」
これで邪魔な壁はなくなった。
ここはもう『扉のない部屋』ではない。
爆発が収まったのを確認すると、フェリアは辺りを包む煙の中へと飛び込んだ。