Chapter4 ダークハンター
19:精霊剣
爆発が収まり、壁が崩れたために吹き上がった砂煙が辺りを包んでいた。
エルザが何かをひっきりなしに叫んでいるけれど、ここからでは向こう側の様子は見えない。
一体何があった……?
突然先ほどまで自分がいた場所が吹き飛んだ。
慌てている様子からして、エルザがやったのではないらしい。
では一体、誰がどんな目的であの爆発を起こしたというのか。
「レミアっ!!」
耳に飛び込んだ声にはっと顔を上げる。
視線を戻せば、ちょうどあの場所の砂煙が晴れ始めたところだった。
エルザの向こう側、壁に開いた穴から姿を現したのは、見慣れた茶色いポニーテール。
少し薄汚れた水色と薄黄色の服は、自分のよく知る彼女の服装。
「フェリアっ!?」
思いも寄らぬ場所からの探し人の登場にレミアは思わず声を上げてその名を呼んだ。
その言葉に、現れた人物の姿に、エルザが残った左目を大きく見開く。
その瞳に浮かんでいるのは、先ほどまでの怒りではなく驚愕の色。
「貴様っ!?あの陣を破ったというのかっ!?」
怒鳴るように投げられた問い。
それに答えることが出来ないまま、フェリアは視界に入ったエルザの姿に愕然とした。
それはそうだろう。
この女の今の姿は、彼女が知っている姿とはだいぶ違っているのだから。
「……ああ。仕組みが分かってしまえば壊すのは簡単だ」
暫くして、表情を引き締めると、僅かに声を低くして答える。
実際はエルザの間抜けな部分に助けられたのだけれど、それを口に出すつもりはなかった。
不意にフェリアの表情が変わった。
何かを見つけたような、そんな表情に。
不思議に思い、その視線を追う。
フェリアの見つめている先、エルザから少し離れた場所には、先ほどレミアが落としてしまった剣が転がったままになっていた。
そうだ、と思い出す。
自分は今、どうやってあれを取り戻そうかと考えていたのだ。
探し人の登場ですっかり忘れていたけれど。
エルザは今、突然現れたフェリアに気を取られている。
行動するとしたら、今しかない。
そう判断してレミアは言葉を紡ぎ始めた。
ほとんど音にならないほどの小さな声。
それでも辺りを吹く風はその声に確実に答え、だんだんと彼女の元へ集まってくる。
「トルネードっ!!」
「何……っ!?」
ぶわっと風が巻き起こった。
エルザの足元から起こったそれはすぐに竜巻になり、その体を包み込んでいく。
「ぎゃあああああっ!?」
竜巻の強い風で生じた真空に体の表面を刻まれ、エルザは悲鳴を上げた。
その隙にレミアは右へと動く。
体が痛んだが、そんなことを気にしている場合ではない。
床を蹴った瞬間、エルザの向こう側にはっきりとフェリアの姿が見えた。
驚いてこちらを見ている彼女に視線を送る。
それに気づいたのか、フェリアははっとしたように目を見開くと、竜巻に包まれているエルザに向かって突進した。
正確には、その手前に落ちているレミアの剣に。
伸ばした右手で剣を掴むと、そのまま体の向きを変えて左に走る。
「レミアっ!!」
先に動くことを止めていたレミアの元に走り寄る。
近づいて、フェリアは思わず目を瞠った。
遠くからも見えた右肩の赤い包帯。
そこにあるのだろう傷から、血が流れ続けていることに気づいたからだ。
「お前っ!その傷どうしたんだっ!?」
「へっ?」
右手で剣を握ったまま、左手で腕に掴みかかってきたフェリアに、レミアは一瞬きょとんとする。
「へ?じゃない!肩だ肩っ!何でこんなになっても治療してないっ!!」
「だってあたし治療できな……」
「じゃあ何で1人で来たっ!!」
「いや、もう夢中だったから……」
「理由になってないっ!見せろ!今すぐ……」
「貴様らあぁっ!!」
耳に飛び込んだ声にはっと言葉を飲み込む。
同時に空気の唸る音が聞こえ、次の瞬間風が部屋中に吹き荒れた。
エルザが自分を包んでいた竜巻を吹き飛ばしたのだ。
その体のあちこちには細かい傷が走り、じわっと血が滲み出している。
「忘れてた……」
「一瞬で忘れるな。それよりお前、探していたあれは手に入らなかったのか?」
「え……?」
問いかけられた言葉に、不思議そうな顔を向ける。
「水晶の核だ。それを手に入れるためにファーソの洞窟に入ったのだろう?」
「あ……」
さっとレミアの顔色が青くなった。
すっかり忘れていた。
それを気にする余裕は、今までの自分にはなかったから。
慌ててズボンのポケットに手を突っ込む。
マジック共和国で治療を受けたときも下は着替えさせられていなかったから、まだここに入っているはずだ。
「あった……!」
硬い物が手に当たり、それを引き出した。
取り出した石を見て、一瞬目を瞠る。
あれだけ強い力で壁に叩きつけられたというのに、ポケットに入れたままの核は傷さえついていなかった。
ミルザの剣から取り外したときのまま、手の中に収まっている。
「それが核……?」
「フェリア。あたしの剣」
「あ、ああ」
手に持った剣をレミアに手渡す。
このふたつが揃えば、するべきことはあとひとつ。
風の精霊から教わった呪文でこのふたつを融合させるだけだ。
「時間、かかるか?」
「詠唱時間が必要だから、少し」
「わかった。それまで私が何とか時間を稼ぐ」
その言葉にレミアが驚いた様子でフェリアを見る。
「いつまで持つかは保障できない。なるべく急げよ」
「わかった」
頷いて返すと、フェリアは微かな笑みを見せた。
そのままエルザの方へ数歩歩く。
「……どけ。貴様に用はない」
「ならどうして私をここに連れてきた」
両手のナックルを付け直し、エルザを睨みつける。
「……答える必要はない」
「こっちには聞く権利があると思うがなっ!」
言葉と同時に炎を放つ。
攻撃のつもりはない。ただ目晦ましのためだけの炎。
突然襲いかかった熱にエルザが一瞬怯んだ。
その隙を突いて懐に飛び込む。
すっかり膨らみ、人のものではなくなったエルザの足に一撃を入れた。
「ぐっ!?」
竜巻でついた傷に入ったその一撃に、エルザは思わず呻いた。
ぱちんと指を鳴らして風を起こす。
離れる瞬間その風をエルザの顔にぶつけた。
反射的にエルザが腕で残った左目を覆う。
風が腕に傷をつけているのを見てフェリアは小さく舌打ちした。
もう片方の目も潰すことができれば、こちらにも十分余裕ができると考えていたのだ。
1人で奮闘するフェリアを見ながら、レミアは手にした水晶球と核に意識を集中させていた。
口の中で小さく言葉を紡ぐ。
それは現在では魔法学者としての魔道士しか知らない言葉。
古代語と呼ばれる、精霊たちには身近な言葉。
言葉を紡ぎ終わると同時に水晶と核が強い光を放った。
光が消えると、右手に持っていたはずの核が変えていた。
意識を集中させて水晶を剣に変形させる。
手にした剣に現れた変化を目にして、レミアは思わず息を呑んだ。
「これ……あの剣!!」
聖窟に封印されていた祖先の剣。
先ほどまでエルザが手にし、今はその体の一部となってしまっている剣と同じ形に、彼女の剣は変化していた。
ただひとつ違うところといえば、刀身が薄っすらと緑色に輝いていることだ。
ぐっと剣を握る手に力を込めた。
一度降ろした右手を無理矢理上げ、両手で剣を握る。
顔の前、天井に刃を向けて、ぴたりとその動きを止めた。
右肩が痛んだが、そんなことを気にしている場合ではない。
「全知全能、精霊を統べる神マリエスよ」
目を閉じて、静かに言葉を紡ぎ出す。
「炎と力、光と慈悲、水と恵み、風と時、大地と知恵、闇と安息、そして無とその終わりと始まりを司りし精霊よ」
刀身が静かに光を放ち始める。
「我が祖、契約者ミルザの名において命ず。その力、我が剣に宿り、我に力を与えよ!」
強い光が剣を包んだ。
薄かった刀身の緑が、はっきりとわかる色へと変化する。
「これが精霊剣……ソードオブスピリット……」
剣から感じる力に思わず息を呑んだ。
これは自分が発動させた力。
かつて祖先が使っていた、そして自分が受け継いだ術。
「フェリアっ!!」
両手で剣を構えたままレミアが叫んだ。
攻撃を避けられなくなったのか、体のあちこちに傷のでき始めたフェリアがこちらに顔を向ける。
その瞳が、レミアの手にした剣を見て見開かれた。
けれどその瞳はすぐに満足そうなものに変わる。
「呪縛陣っ!!」
振り上げた腕を大きく振り下ろした。
ずっと詠唱していて、あとは発動させるだけだった呪文を。
エルザの足元に巨大な魔法陣が現れる。
先ほどフェリアが監禁されていた部屋にあったような床に描かれたものではない、魔力が生み出す光によって描かれた魔法陣が。
魔法陣から伸びた無数の影が動こうとしたエルザの巨体に絡みつく。
「な、何だ……っ!?」
声まで変わり始めたエルザが、顔に驚愕の表情を浮かべて足元を見下ろした。
どうやら自らの巨体で気づかなかったらしい。
自分の足元に現れた魔法陣の存在に大きく目を見開く。
「やれっ!レミアっ!!」
「言われなくともっ!!」
答えると同時に床を蹴った。
動くことができず、もがいているエルザに向かって手にした剣を振り上げる。
その剣がエルザの背にある黒と白、ふたつの片翼を切り落とした。
「ぎゃあああああっ!!」
突然襲った痛みにエルザが悲鳴を上げる。
フェリアの近くで足を止め、振り返ったレミアが剣を構え直す。
翼を斬ったときの手応えは、他の鳥系の魔物を相手にしたときと同じだった。
けれど、その手にはいつも感じるはずの嫌な感触が伝わってこない。
そうだというのに、切れ味がいつもより上がっていることが実感できた。
「これが精霊神法……」
ぐっと両手に力を入れる。
肩の傷のせいか、右腕が震えている。
次で終わらせないと、腕が持たない。
「貴様アアっ!目だけではなく翼まで!!完璧な私を壊すなど、許さんっ!!」
「許さない……?それはこっちのセリフよ」
すっと刀身を下げる。
瞳はしっかりとエルザを睨みつけたまま、未だ動けずにいるエルザの方へ歩き出した。
「くだらないことで先代の形見でもある水晶を仲間から奪った。リーナに大怪我だってさせたし、挙句の果てによくもフェリアを攫ってくれたね」
深緑色の瞳がすっと細められる。
「魔法の水晶はどこ?」
鋭い瞳で睨みつけられ、一瞬エルザは動きを止める。
それでもすぐに魔法陣の呪縛から逃れようと両腕を動かし始めた。
もがきながらも、ふんっと鼻で小さく笑う。
「あんなガラクタ用はない。その娘と一緒に部屋の中に押し込めておいたわ」
その言葉にフェリアははっと先ほど自分が穴を開けた壁を見た。
「あの部屋に魔法の水晶が……」
エルザの言葉に気が逸れてしまったのか、その一瞬魔法陣の呪縛が弱まった。
それを見逃す相手ではなく、にやりと笑うと思い切り腕を振り上げる。
何か嫌な叫び声が聞こえて、エルザの動きを封じていた影が引き千切られた。
振り上げられた腕が、そのまま何かに向かって振り下ろされる。
それが何に向かっているのか気づき、レミアはばっと後ろを振り返った。
「フェリアっ!!」
名を呼ばれてはっと視線を戻すと同時にフェリアは大きく目を見開く。
腕が当たるかと思われた瞬間、彼女は床を思い切り蹴っていた。
太い腕がぶつかり、大きな音を立てて床が吹き飛ぶ。
「フェリアっ!!」
剣をしっかり握ったまま、レミアは慌てて床に倒れた親友に駆け寄った。
「フェリア!大丈夫っ!?」
「な、何とか……」
舞い上がった砂埃を掏ってしまったのか、フェリアはごほごほと咳き込みながら答えた。
「あの腕、案外厄介だぞ」
「わかってる」
ずるずると戻っていく腕を目で追いながら、レミアはゆっくりとエルザに視線を戻した。
最早元の形がわからなくなるほど変形したその顔は、満足そうににやにやと笑みを浮かべていた。
ゆっくりとレミアがエルザの方へ体を向ける。
左手で握った剣の上に右手を添え、ゆっくりと構え直した。
「あんただけは絶対に赦さない」
言葉を発した瞬間、レミアは床を蹴っていた。
驚くエルザの懐に飛び込み、先ほどフェリアに向かって振り下ろされた腕を切り上げる。
「ぐぅっ!?」
どさりと腕が床に落ちた。
精霊剣に宿った光が付着したその腕は、傷口から光に飲まれ、大気の中へ消えていく。
「貴様っ!?」
残った片腕がレミアの足に伸びてくる。
しかし、それは突然飛び込んできた氷に阻まれ、彼女には届かなかった。
視界の端に、しっかりと立ち上がり、両腕を突き出しているフェリアが見える。
おそらくあの場所から彼女が呪文を放ったのだろう。
「このぉっ!!」
「やらせないってのよっ!!」
フェリアに向かって伸ばされた片腕を、今度はレミアが剣を振り上げて阻止する。
斬りつけられた片腕は、先ほど落とされたものより長く残っているものの、やはり同じように床に落ち、光に包まれて消えていった。
エルザの絶叫が部屋中に響く。
いや、もしかしたらこの島全体に響いているのかもしれない。
「うわああああっ!!」
負けじと大声を出して、両手で剣を握ったままレミアはエルザの腹に向かって突進した。
どすっという音が響いた。
同時にエルザがぴたりと絶叫を止める。
レミアの握った剣は、エルザの大きな腹に突き刺さっていた。
その刀身から溢れた光が傷を、腹を、エルザの体を包み込む。
エルザの腹を蹴るようにして剣を抜くと、レミアは素早くその場から離れた。
巨体がゆっくりと前に倒れる。
塔全体を揺るがすほどの振動が響いて、エルザはそのまま動かなくなった。
「やったのか……」
「うん」
フェリアの問いに短く答えて、左手に持った剣を軽く振る。
刀身に宿っていた光が消えた。
元通りの、薄っすらと緑を宿すだけになった剣を静かに鞘に収める。
「どうやら、心臓の位置は変わってなかったみたいね」
剣から手を離し、右肩の傷を押さえると、レミアは小さなため息をついた。
光に包まれたエルザの体はだんだん小さくなっていった。
変化する前――元の大きさに戻るまで、小さく。