Chapter4 ダークハンター
2:後悔の始まり
森を抜けて目の前に現れた町サルバに、とりあえずレミアを連れて入る。
その場で教えてもよかったのだけれど、さすがに目立つと思って、そのままずっと留守にしていた自宅に彼女を引っ張り込んだ。
入ってすぐの部屋で、ほこりを被ったテーブルの上に持っていた地図を広げる。
「いいか。この国の中心に広がるこの森は、“封印の森”と呼ばれる、精霊の森と同じ結界に包まれた場所なんだ」
「精霊の森って確か……」
「テヌワンのある妖精の森の俗称だな」
とんと妖精の森を示してから、すぐに封印の森に指を戻す。
「この森が封印の森と呼ばれるのは、ミルザがそう呼んでいたからだと言われている。ただ、この森の結界は妖精の森のものとは少し違う」
「違うって?」
「妖精の森の結界は、本家と本家に近いミルザの血を引く者ならテヌワンまで通り抜けられるというものだ。それ以外の者は自動的に森の入口に戻される」
それは知っている。
結界が張ってあるのは森の少し奥に入ったところだけで、入口近く、あのエスクールの地下道から繋がっている井戸の辺りまでは届いていないということも。
「対して、封印の森の結界は誰も中に通さない。どんな力を持っていようと、誰の血を引いていようと、入った場所とちょうど対称の場所に出される」
「入った場所と対称の場所?」
「北から入れば南、東から入れば西に出される、ということだ。私たちだって、半日前に王都からまっすぐ森に入ってこの町に出たろう?」
ああと呟いて、レミアは頷いた。
「……って、ちょっと待って」
ふと、ある疑問に気がついて顔を上げた。
「王都からここまで馬飛ばして5日じゃなかったっけ?」
「ああ、本来はな」
「じゃあ何であたしたちここに?っていうかそれじゃあルビーたちだってあの時、一晩で王都に行けたはずが……」
あの時というのは、クリスタ姉妹とタイムがリーフに始めて出会った時。
自分たちがティーチャーを捜して、初めてインシングを訪れたあの時のことだ。
ふうとフェリアはため息をついた。
「だからこの前話していたろう。あいつら、サルバから森を突っ切って北上したんだって」
「森を突っ切って……?ああ、なるほど」
その言葉で漸く言葉の意味に気づいたらしい。
再び手を叩いて、レミアは地図を見下ろした。
「この森、迷い込んでから出るまでの時間が決まってるってわけね?」
「そうだ。徒歩でも普通は半日で反対側に抜けられる。ドーピングした馬なら一晩かからないだろう」
あの時、ルビーは王都までの移動手段として帝国兵から馬を奪ったと言っていた。
実際にそれで大騒ぎをしていた帝国兵をレミアたちも目撃している。
昼過ぎに馬を奪って、敵を撒くために暫くそのまま走らせ、それから森の入口でありったけのドーピングをしてからならば、翌日の朝には王都まで行けても不思議ではないのだ。
「ちなみに普通に馬を走らせた場合は半日はかからないが、一晩では抜けられないと言う話だ」
私自身は徒歩でしか通ったことがないがなと付け足して、フェリアは言った。
「必ず入った場所の対称の場所に出るわけ?」
「ああ。途中で曲がった場合はその方向に出されるらしいが、その場合は出口は決まっているらしい。どういう仕組みなのかはわからないけどな」
ふーんと呟き、レミアは地図を見下ろす。
そして大きくため息をついた。
「ってことは、どっちにしたってメディスンに向かうには転移呪文の方が早かったわけね」
「そういうことだ」
メディスンは当座の目的地。
この町の先にある分かれ道を東に3日ほどの行ったところにある町だ。
「西のルートだったら1日で次の町に着くのに」
地図に描かれた街道を指でなぞりながら呟いた。
この国の村々はこの“封印の森”を囲む形で作られているから、サルバの北と王都の南で街道はふたつに別れている。
「ぼやくな。目的地があの町の近くなんだ。仕方がないだろう」
「わかってるけどねぇ。はあ……」
ため息をつきながらレミアは広げていた地図を纏めた。
それを無造作に荷物の中に突っ込む。
そうしてもう一度ため息をついた。
「ほら。落ち込んでばかりいないで行くぞ」
「……行くって?」
聞きながら見上げれば、フェリアはいつの間にか荷物を手にして詠唱を始めていた。
「メディスンだ。急ぐんだろう?」
呪文の合間に言葉を挟んで言う。
彼女にとって難しくはない転移の呪文だからこそ、そんな余裕があるのだろう。
本当ならば、詠唱などしなくても使える呪文なのだから。
今は転移をより確実にするために言葉を紡いでいるけれど。
そうだ。こんなことをしている場合じゃない。
早く、行かなきゃならない。
精霊神の言っていた、風の洞窟へ。
「うん」
真剣な顔で頷いて、手早く荷物を纏め直す。
もう一度中身を確認して立ち上がると、テーブルの脇を通り向こう側にいたフェリアの横に立つ。
そして差し出された手をしっかりと握った。
「行くぞ」
言葉にしっかりと頷いて、握っている手に力を込めた。
もしも妨害されても、絶対に放さないように。
「……で、あいつ今日学校サボったわけね」
理事長室の一番奥、理事長席で腕組みをしながら百合が尋ねる。
「ああ、そうだ」
ため息をつきながら英里は答えた。
レミア――沙織は結局その日も翌日も、アースに帰ってこなかった。
まあインシングとアースでは時の流れが違うから、レミア自身は対して時間は流れていないと思っているのかもしれない。
何処に行ったかも分からず、探しに行くことも出来なかったから、仕方なくフェリア――英里は先にこちらに帰ってきたのだ。
そしてちゃっかり授業に出ている。
「まったく!進級したばっかりのこの忙しい時期に!帰ってきたら仕事倍増してやるわ」
きっぱりと宣言する百合に周りが苦笑する。
その間も英里は扉を見てはため息をついていた。
何がなんでも止めておくのだったと、少しだけ後悔しながら。
暫くして、ふと感じた気配に鈴美が顔を上げた。
不思議に思って問いかけようとして、その前に自分も気づいたらしい実沙が窓の外へ視線を向ける。
「何か来た……?」
そう呟いたのは2人ではなく、反応した素振りを見せなかった赤美だった。
呟きに反応して全員が窓の外へ視線を向ける中、陽一だけがわからないという顔をしていたが、構っている場合ではない。
ゲートが開いた。
しかも、開いたのは明らかにレミアではない、別の人物。
魔力が感じられた場所からわかる。
彼女がゲートを開くのは、この部屋の奥の資料室か寮の自室のはずだ。
「この忙しい時期に……」
百合の手に握られたペンがみしみしと音を立てていたが、敢えて見なかったふりをする。
「事前連絡がなかったからアールでもないだろうし。そもそもあいつだったら隣に来るはずだし」
視線を奥の扉に送りながら赤美はゆっくりと立ち上がった。
理事長室付属の資料室は、非常階段に続く出口があるだけで他の何処にも繋がっていなかったから、向こうからの来訪者を向かえる玄関口としても使われているのだ。
「姉さん?」
立ち上がった姉を紀美子が見上げる。
言われなくても、彼女が何を考えているのかわかっている。
「ちょっと。1人で行くつもり?」
キーボードを叩いていた手を止めて、美青が顔を上げた。
「確認くらいは1人で十分。あたしは誰かさんみたいに風邪こじらせてまで何とかしようって言う気ないから」
「悪かったわね」
「んなこと一言も言ってないと思うけどー?」
明らかに眉がつり上がった美青に軽くそう返すと、赤美はさっさと扉の方へ歩いていく。
扉のノブに手をかけようとした瞬間、再び感じた気配に動きを止めた。
顔を上げて、天井を睨むように見つめる。
「……また、開いたみたいだな」
同じように天井を睨んだまま英里が言った。
相変わらず陽一だけがわからないという顔をしていたけれど、当然相手にしない。
「……ねえ。後の方、沙織じゃない?」
先ほどの怒りはどこへやら、完全に手を止めて天井を見上げた百合が言った。
「ああ、たぶんな」
さすが相棒というべきか、真っ先に返したのは英里だった。
「じゃあ最初のは例の手配犯かな?知り合い連れてきたなら、ばらばらにってことはないと思うし」
実沙の言葉に、英里は「おそらく」と言いながら頷いた。
言った本人は天井を見つめたまま落ち着いた口調で言葉を発したのだけれど、顔にはわくわくしているという表情が隠さず表れている。
はっきり言って、タイム以外の全員があの魔妖精の襲撃以来体力を持て余していた。
さらにここのところ理事部としての仕事が忙しいせいで、ストレスも十分溜まっている。
「行ってみようか?」
くるっと振り返り、笑顔を浮かべて赤美が尋ねた。
「何言ってるの。姉さん、さっきからそのつもりじゃない」
呆れたように紀美子が言うと、赤美は誤魔化すように小さく笑った。
「まあ向こうでなら何しようと勝手だけれど、私の学校に何連れてきたか確かめる義務があるだろうし」
「とか言いつつ百合ちゃん、暴れたいくせに~」
にやにやと笑って実沙が茶化す。
それにむっとして彼女を一瞥すると、百合は勢いよく席を立った。
「一時休憩!上行くわよ!」
「……って百合!リーダーはあたしだって!」
次々と友人たちが手早く仕事を片付ける中、赤美は必死に主張する。
どうもこの部屋にいるときは自分がこのチームのリーダーであることが忘れられている気がしてならないのだ。
まあ、確かに普段は百合が仕切っているようなものだけれど。
「ああ、陽」
部屋を出ようとして、思い出したように百合はまだ室内にいた陽一を振り返った。
「留守番よろしく」
「……へ?」
またですか?
そう聞くより前に、彼女たちは部屋を出て行ってしまった。
「見つけたっ!!」
屋上の柵の内側から上空を睨んで沙織――レミアは叫んだ。
視線の先、空中には前髪で顔を半分隠した女が浮かんでいた。
長いのかもしれない髪は、頭をすっぽりと覆うバンダナの中に纏められているのだろう。
吹いている風は、その前髪だけを揺らしていた。
それでもその前髪は顔の隠している部分から大きくずれることはなかった。
もしかしたら何か薬品を使って固めてあるのかもしれない。
「……ここが異世界アースか」
レミアの言葉を聞いていなかったのか、女は辺りを見回すように視線を動かして呟いた。
「聞いてるのっ!?」
もう一度声を張り上げると、女は漸くゆっくりと顔をこちらに向けた。
「さっきのハンターか。ここまで追いかけてくるその執念。尊敬もするが呆れるぞ」
「呆れられて結構っ!それより、もう逃がさないよっ!」
腰の剣を抜き放って叫ぶ。
女の表情が微かに動いた。
無表情だった顔に、楽しそうな表情が見え隠れする。
「逃がさない?あんたA級でしょう?S級手配犯の私が捕まえられるとでも?」
禁じられた技術に手をつけ、堕ちたと判断されたとはいえ向こうも元々ハンターだ。
ギルドの制度を知っているのは当然のこと。
「レベルと実際の実力、同じだと思ってると痛い目見るよ」
剣を構えて、女を見据える。
少しでも隙を見せたら負ける……。
確信はないけれど、そんな気がした。
心の底で、何かがそう告げている。
「ただの人間が、環境の違うこの世界でどこまでやれる?」
「あんたこそ、この汚れた空気の中、どこまで虚勢を張ってられるかな?」
インシングとアース、どちらが空気が汚れていると聞かれれば、それはもちろんアースだ。
この世界で育ったレミアはともかく、相手にはこの空気は辛いはずだ。
事実、アールもそう言っていたのだから。
「なら、試してみる?」
僅かに口の端を持ち上げて女が言った。
同時にゆっくりと右腕を持ち上げる。
その手の中に風が集まっていることに気づいて、レミアは慌てて剣を前に突き出した。
「行け」
腕が振り下ろされると同時に風が変わった。
女の手の中に集まっていた風が、勢いをつけて襲い掛かってくる。
「ウィンドウォールっ!!」
剣が微かに光って、レミアの前に風が吹き始めた。
一瞬のうちに剣に集まり、渦巻き出したそれは彼女の前に壁を作った。
吹き付ける風が渦巻く風に遮られ、巻き込まれる。
「こいつ……」
ぽつりと女が呟いたが、それは風の音に遮られてレミアの耳には届かなかった。
「行けっ!」
剣を振り上げて渦を空へと放つ。
大きな音を立て、風が宙に散った。
魔力を含んだ風が大気中に散り、その魔力が消えていく。
元々空気中に魔力を持たないこの世界だ。
どんなに強い魔力でも、術者の手から離れ、時間が経てば消えてしまう。
術者が高位の魔道士で、呪文が攻撃系でなければ、それなりに効果は持続するのだが。
魔力が消えたことを感覚で確認して、レミアはもう一度女を見た。
「あたしに風の呪文は効かないよ」
そう言っては見たけれど、実際のところインシングではどうだったかわからない。
「そのようだね」
そんなレミアの本心に気づかなかったのか、女が言った。
けれど、その口の端は明らかに先ほどよりも持ち上げられている。
何故だろう。
理由はわからない。
もしかしたら直感みたいなものかもしれない。
女のその笑みに、酷く嫌な予感がした。