Chapter4 ダークハンター
1:手配書
「……あれ?」
地図を広げたまま歩いていたレミアが、森を抜けた瞬間立ち止まった。
ただ後ろをついて歩いていたフェリアも自然と立ち止まる。
「え?嘘?何で?」
「どうした?」
地図をくるくると回しながら首を傾げている相棒にため息をつきながら尋ねた。
ぎぎぎ、という音でも聞こえそうな動作でレミアが振り返る。
お前は錆ついたロボットかとツッコミを入れてやろうかと思ったが、やめた。
「……何でここに出るの?」
その問いに、フェリアは大きなため息をついた。
「お前……、人の話を聞いていなかったのか?」
言われた言葉にレミアはきょとんとしてフェリアを見る。
「話って……」
「この前エスクール城に行ったとき、ルビーたちがしていた話だ」
「ルビーたちの?」
言いながら腕を組んで考え込んだ。
けれど答えが全く思い浮かばないらしい。
「あたしあのとき別のこと調べてたから」
誤魔化し笑いを浮かべた彼女に、フェリアはもう一度大きくため息をついた。
そして、ふと考える。
いつもの彼女らしくない、この言動に。
今回のことを気にしすぎているのではないのかと。
「おい、見ろよ。またらしいぜ」
「ああ。あいつだろ?この前とうとうS級手配された」
エスクールの南部、クラーリアの村から北に半日ほど行った場所にあるフェリアの故郷、サルバの町。
その町のハンターズギルドで2人は仕事を探していた。
ちょうど簡単な、けれど金になりそうな仕事を見つけ、2人してギルドを出ようとしたその時にそんな会話が耳に届いて、思わず立ち止まる。
フェリアはそのまま出て行こうとしたのだけれど、レミアは何故かその話の内容が気になって、その場から動こうとはしなかった。
「また捕まえようとした同業者、皆殺しにしたって話だぜ」
「禁じられて技術も失われた薬作っちまったって噂も聞いたぞ」
「禁じられた薬?」
聞き取った言葉が妙に気になって、レミアは眉を顰めて呟いた。
それに気づいたフェリアが声をかける。
「行くぞ。分かってると思うが、私たちはまだそいつに手は出せないからな」
驚きの表情でレミアが振り返る。
けれどその表情はすぐに消え、小さくため息をついて頷いた。
「わかってるよ。あたしらまだA級だもんね」
各王家公認ギルドに所属するハンターにはランク付けがされている。
新米は通常一番下位のD級に配置され、そこから実力だけを頼りに上に上っていく。
そのシステムにももちろん例外はあって、初めからかなりの実力を持っていたレミアはいきなりA級に配置されていた。
「面倒だよねぇ。ランクなんてなくしちゃえばいいのに」
「昔それで実力ないのに無茶やった新米ハンターたちがことごとく命を落としたことがあるんだそうだ」
「だからランク付けが導入されちゃったわけか」
「そういうことだ」
基本的に下位ランクのハンターは上位ランクの仕事を請けることはできない。
だからAより上のS級――スペシャル級の手配書に書かれている手配犯を今の彼女たちが追いかけることはできなかった。
実力的には、2人ともとっくにS級にランク上げされてもいいのだけれど。
「その薬、どうも『種換の秘薬』とかいうらしい」
「種換の秘薬……っ!?」
今度こそレミアは完全に足を止めた。
それどころか、思わずそちらを振り返って声を上げている。
再び声をかけようと思っていたフェリアでさえも、その名前を聞いて動きを止めた。
ギルド中の視線が自分たちに集まるのがわかった。
「あんたたち、知ってるのか?」
話をしていた男の片方がフェリアに問いかける。
はっと我に返ってフェリアは慌ててレミアを見た。
当の本人はしまったという表情を浮かべて口を手で塞いでいる。
「あ、ああ。まあな」
曖昧な返事と笑みを返して、肘でレミアを突ついた。
『種換の秘薬』。
それはミルザが子孫に残した知識のひとつ。
彼の時代には既にその技術も名も失われていたから、知っているのは彼の一族の者だけであるはずなのに。
どうして今、その名前がこんなところで……?
「悪いけど、その話詳しく教えて」
「お、おい!レミア!」
突然発せられたその言葉にフェリアは慌てた。
自分たちはS級ハンターではないから、情報を聞いてもその手配犯を追いかけることは出来ない。
それが分かっていたからだ。
「でも……」
相手もそれがわかっているから、困ったように隣の男の顔を見た。
「お願い!マジック共和国の王補佐官から冒険者として頼まれたことに関係あるかもしれないの!」
「へ……?」
「は……?」
突然の言葉にフェリアは動きを止めた。
「ちょ、ちょっと待てっ!!」
一瞬の後、漸くその言葉の意味を理解して、慌てて相棒の肩を掴む。
大きな声で話すわけにもいかず、無理矢理顔を耳元に近づけた。
「こんなところで、それもあの秘薬の話であいつの名前を出すのはまずいだろ!」
「でも魔法大国のあの国の名前が一番自然じゃない。まさか国内でリーフたちの名前出すわけにもいかないし」
他国とはいえ、王族からの極秘の依頼ならば、ギルド側だって断ることはできないはずだ。
「後で何とかする。あれが……簡単な知識でしか知らないからどんなものかよく分からないけど、あれが関わっているなら、みんなだって手回し手伝ってくれるよ」
「……知らないぞ」
笑みを浮かべて言うレミアに返すと、フェリアは彼女の肩から手を離した。
その言葉に彼女はもう一度笑みを浮かべると、すぐにそれを消してハンターたちに向き直る。
「で、どう?教えてくれるの?くれないの?」
先ほど頼み込んだときと同じ、真剣な表情で尋ねた。
男は困ったように、今度は窓口の係員の方を見る。
係員は聞かなかったふりを決め込んだらしく、顔を上げることなく書類の整理をしていた。
「わかった。ただしちょっとだけな」
小さくため息をついて、男は口を開いた。
「1か月くらい前に、タトースの町だったか、そこでダークハンターの指定を受けた女がいるんだ」
「ダークハンターって、規則破ってギルドから追放処分を受けた同業者よね?」
「そう。最近は、ほら、マジック共和国の占領とかあって、この国にはいなかったんだけどな」
そういう奴らはハンターを辞めて、直接帝国兵に取り入っていたからと男は続けた。
確かにハンターは賞金稼ぎ兼戦闘関連の何でも屋だけれど、所属ギルドのある国の法律には従うし、明らかな悪人からの依頼は受けないようギルドが仕事を管理している。
それに従わず、ギルドから追放処分を受けたハンターにつけられる名がダークハンター。
一度この汚名を受けたハンターは二度とギルドに所属することは出来ないし、他の堅気の仕事に就くこともできない。
ほとんどが野盗になっていくと言われている。
「それで?その女はどうしてダークハンター指定を?」
扉の前から動かずにフェリアが尋ねた。
あんなことを言ったものの、やはり彼女も気になるらしい。
「どうも禁じられた技術に手を出したらしくってな」
それだけ言うと、男は辺りを見回した。
それから「近くに来てくれ」と手招きをして、声を小さくする。
「ちょうどその頃から、そいつの自宅に近づく人間が少しずつ消え始めたらしい」
「家を近づく人間が?」
驚きに僅かに目を瞠って聞き返せば、男は小さく、それでもしっかりと頷いた。
「最初に行方不明になったのは家族だったって話だ」
「家族……!?」
思わず小さく叫んでしまい、レミアは慌てて口を塞ぐ。
ぞっとした。
行き着いた答えに、顔が青褪める。
「まさか……」
ごくっと息を呑むような音が聞こえたかと思うと、動揺を僅かに表情に出したフェリアが口を開いたのが視界の隅に映った。
「そいつ、消えた人間を実験動物に?」
「らしいぞ。で、確かめに行った同業者が最初に全滅」
最初と同じ声の調子に戻り、男は続けた。
「その後も確かめるように依頼されたハンターはそいつの家の前で死体になって発見。これはまずいってことで、ギルドはそいつを追放して、指名手配した」
手に丸めて持ったその人物のものらしい手配書を示して、肩を竦める。
「ま、その直後にそいつはタトースから姿を消しちまったし、発見されてもすぐに目撃者を消すから、今何処に入るかはさっぱりだ」
「手がかりもないの?」
「らしいぞ」
返ってきた言葉に、レミアは腕組みをして考え込んだ。
「……名前は?」
「は?」
「そのダークハンターの名前」
考え込んだ表情のまま、視線だけで男を見上げて聞いた。
「そんなの聞いてどうするんだ?」
「会いたいの。そいつが持ってるかもしれない薬に用があるから」
王補佐官さんの頼みでねと付け足して、レミアは真っ直ぐ男を見た。
男は小さくため息をつくと、近くのテーブルに移動する。
そして、手に持っていた手配書を広げた。
「こいつだ。タトースのハンター、エルザ=ソーサラー」
「え……?」
近づいて手配書の肖像画を見たのとその名前を聞いたのはほぼ同時だった。
途端に目を見開いて、レミアは動きを止めた。
「エルザ……?」
肖像画を見つめたまま、ぽつりとそれだけ呟く。
「知っているのか?」
フェリアが声をかけると、レミアははっと我に返った。
そして慌てて首を振る。
「そんなわけないじゃない。あたし、タトースで仕事を請けたことないし。でも……」
もう一度手配者に視線を落として、呟いた。
「何か、妙に引っかかるんだよね」
それが何かは、わからなかったけれど。
「決めた」
男に礼を言ってギルドを出て、暫くしてからのことだった。
自分たちが請けた仕事のために町の外に向かっている途中で、レミアが突然そう言ったのは。
「何を?」
分かっていたけれど一応尋ねてみる。
もしかしたら、自分の予想とは違う答えが返ってくるのを期待していたのかもしれない。
「あたし、そいつ探してみる」
やっぱりと心で呟いて、フェリアは小さなため息をついた。
「あいつの話を聞いていなかったのか?そのハンター、何処にいるのかわからないんだぞ」
「それはわかってるけど、どうしても気になるの」
そのダークハンターが持っているかもしれない秘薬のことではなく、そのハンター自身のことが。
妙に心に引っかかる、名前と顔が。
「だから、ごめん!この仕事任せる!!」
「は……?」
聞き返そうと顔を向けたときには、もうレミアは別の方向へ走り出していた。
「お、おいっ!レミアっ!!」
「明日の授業に間に合うように帰るからっ!!」
守れそうもない言葉を残して、猛スピードで建物の影に消えていく。
その後ろ姿を見つめたままフェリアはしばし呆然としていた。
今思えば、あれがこの騒動の始まりだった。
自分の行動が引き起こしたこの騒動を、こいつはずっと気にしている。
そう。たぶん、私が考えているよりずっと……。