Chapter4 ダークハンター
7:義姉妹
マジック共和国王城。
その一室で、彼女は空を眺めていた。
雨の続いたここ最近では珍しい、雲ひとつない真っ青な空。
太陽の光が眩しくて腕で顔を覆っていたけれど、不意にその腕を下ろして口の端を持ち上げた。
こんな日は何かが起こる予感がしますわ。
そんなことを考えながら、ベッドの上に無造作に広げてあった空色のマントを手に取る。
優雅な動作でそれを羽織ってしっかりと前で止めると、鏡の前に腰を下ろした。
最終的な髪のチェックも終えて立ち上がると、そのまま扉に向かって歩き出す。
1歩部屋の外に出ると、見回りだろう、たまたま前を通りかかった兵士と目が合った。
「おはようございます!ニール様!」
「おはようございます。お勤めご苦労様です」
にっこりと笑みを返すと、兵士は顔を真っ赤にした。
そのまま一礼すると、慌てて来た廊下を戻っていく。
一瞬きょとんとした彼女だったが、すぐに悪戯っぽく笑うと、そのまま謁見の間がある方向に向かって歩き出した。
先ほど羽織った水色のマントの下、赤い服に包まれた腰には宮廷魔道士の文様が入ったベルトがつけられている。
すれ違う人々のほとんどが挨拶をしていくのは、彼女が今いる地位が理由だろう。
宮廷魔道士の最高ランク。
長官に一番近い位置にいるその術者たちが着る色の制服を、今彼女は身につけていた。
1か月ほど前はまだ新人用の制服を着ていた彼女が、短期間でここまで上り詰めたのは義姉のコネがあったからだと言う者もいるけれど、それは違う。
元々そこまでの実力を持っていたのだ。
そうでなければ、帝国時代に大臣の側近に近い地位にいることができたはずがないから。
それに、彼女の義姉はそこまで甘い人でもない。
戻ってきたときも結構厳しかったですからね。
そんなことを考え、小さく笑った。
そのうちに目的の部屋の前について、彼女は足を止めた。
そのまま目の前にある、誰もが一瞬躊躇する扉を迷わず叩いた。
「入れ」
中から聞き慣れた声が聞こえて、彼女は大きめの扉を両手で押した。
「おはようございます、お姉様」
「リーナ」
入ってきた少女の姿に、奥の机の側にいた女は驚いたようにその名を呼んだ。
「あ!リーナおねえ……じゃなくってリーナ様!おはようございます!」
女の側の机に座っていた小さな影が嬉しそうに立ち上がる。
「おはようございます、シルラ陛下」
にこっと笑いかけると、シルラと呼ばれた少年はむっとしたように頬を膨らませた。
「どうなさいました?」
理由は分かっていたけれど、気づかないふりをして尋ねてみる。
「ひどーい。謁見の時以外は王様って言わない約束なのに」
「あら?そうでしたっけ?」
「そうだよ!昔からそうだったじゃないか!!」
むきになるシルラに、くすくすとリーナは笑った。
国王と言っても、この少年はまだ10歳を過ぎたばかりだ。
親しい人間には王と呼ばれたくないというのも無理はない。
彼の横で義姉が呆れたような笑みを浮かべていたけれど、それには気づかないふりをして「じゃあ」と口を開く。
「わたくしのことを様付けで呼ぶのをやめてください。昔みたいに『お姉ちゃん』でいいですから」
「本当っ!?」
ぱっとシルラの表情が明るくなる。
けれどすぐに何かに気づいたような表情になって、彼は横に立つ実姉の顔を見上げた。
自分より10歳も年上の姉はしっかりとしていて、どんなことにも厳しい人だった。
国王として国を治められるよう、いろいろ教えてくれる彼女が、果たしてこれを許してくれるのだろうか。
「アマスル姉様……」
控えめに名前を呼ぶと、自分が見られていることに気づいたらしい。
彼女は不思議そうに首を傾げた後、何かを思いついたのか、僅かに口の端を持ち上げて弟を見下ろした。
「シルラ」
「は、はい!」
「リーナと私の関係はどんなものだった」
突然出された問題に、一瞬シルラはきょとんと姉を見つめる。
「え、えっと、義理の姉妹です」
「そうだ。なら、お前とリーナの関係は?」
「えっと、僕は姉様の弟だから……、義理の、姉弟?」
「ならリーナの呼び方は?」
「え……」
目を大きく見開いて、シルラは姉の顔を覗き込むように見た。
机の向こう側でリーナがくすくす笑っている。
暫くして姉の質問の意図に気づいたのか、シルラはぱっと笑顔を浮かべると、リーナの方に視線を向けて答えた。
「リーナ姉様っ!」
「はい、シルラ様」
にこっと笑ってリーナが答える。
「正解」
笑みを浮かべて楽しそうに女が言った。
「ありがとう!アマスル姉様っ!」
笑顔のまま嬉しそうにシルラが礼を言う。
そんな彼を笑顔で見つめながら、リーナはふと義姉に視線を移した。
「それにしても、アール姉様。今のはちょっと意地悪なんじゃありません?」
「そう言うな。私だってたまには弟で遊んでみたい」
「遊ぶって……、姉様ひどいっ!!」
浮かべていた笑顔を一瞬で消して、シルラが思い切り抗議する。
そんな弟の抗議をあっさり聞き流して、女――アールは楽しそうに笑った。
「ところでおふたりとも、朝食は?」
「まだだ」
「あと5分くらい経たないと勉強の時間が終わらなくって」
「まあ!」
苦笑するシルラの言葉に、リーナは大げさに声を上げるとアールを見た。
「駄目ですわよお姉様!食事をきちんと取ってから出ないと頭に入るものだって入りませんわ!特に朝は絶対です!」
急に力を込めて話し出すリーナに嫌な予感がして、アールは思わず後退る。
「それはそうだか……。それくらいしないと朝食ができないから……」
「でしたらわたくしが今すぐ作って差し上げますっ!!」
断言されたリーナの言葉に、アールの顔が一瞬にして真っ青になる。
「リーナ姉様の料理……」
感じたことはシルラも同じだったらしい。
こちらは顔を真っ青にするどころか、そのまま固まってしまっていた。
「そうと決まりましたらすぐに厨房へ!!」
「うわっ!待てリーナっ!それだけはやめてくれっ!!」
リーナの料理下手は城の上層部では有名だった。
特に彼女の身近な人間は時折その被害に合っていて、それは当然この姉弟も例外ではない。
「そ、それに、もう食堂に用意ができちゃう頃だし!ね?」
出て行こうとするリーナのマントを掴んで、シルラが無理矢理笑顔を向けて言った。
「そう……ですよわね。残念ですわ」
ため息をつきながら足を止めるリーナを見て、2人はほっとし、ため息をつく。
「せっかくこの前近衛隊の隊長さんに試食してもらった新作がありましたのに」
「ざ、残念だったな」
近衛隊長がここ数日休んでいる理由はそれかと思ったが、それを声に出す前に何とか言葉を飲み込んだ。
とりあえず、このまま料理に話が進まないよう手を打たねばならない。
そんなことを考え、真剣に悩み始めたとき、タイミングよく部屋の扉が叩かれた。
「失礼します、アマスル殿下」
言葉と共に扉が開かれ、1人の兵士が部屋の中へと入ってくる。
「どうした?」
兵士はシルラの表情を見て一瞬顔を顰めたが、アールが声をかけるとすぐに背筋を伸ばし、一礼した。
「はっ。殿下に面会を希望する者が来ております」
「私に?」
「はい。朝も早いため、待つようにと言ったのですが、急用だからどうしても、と」
「一体どなたですの?」
顔を顰めたアールの代わりにリーナが尋ねる。
「はい。緑の髪と茶色い髪の2人組の女ハンターです。エスクールから来た友人だと伝えれば分かると言っていたのですが……」
「エスクールっ!?」
突然表情を変えたアールの言葉に、一瞬兵士の肩がびくっと跳ねた。
「は、はい」
「今すぐ通せ!謁見の間ではなく私の部屋にだ」
「わ、わかりました」
一礼すると、兵士は慌てて部屋を出て行く。
扉が閉まったことを確認すると、アールは近くで呆然としている弟に視線を移した。
「シルラ」
「は、はい!姉様」
突然声をかけられ、慌てて返事を返すと、シルラは真っ直ぐに姉を見た。
そんな彼と視線を合わせるように屈んで、アールはすまなそうに笑って見せた。
「悪いが、今朝は一緒に食事できそうにない。先に食堂に言っててくれ」
「あ……、はい。わかりました」
素直に返事をする弟にもう一度笑みを見せると、アールはしっかりと背筋を伸ばして立った。
そして今度はやや扉よりの位置に立つリーナに視線を向ける。
真っ直ぐに2人を見ていた彼女は、すぐにその視線に気づいて気を引き締めた。
「これから、たぶん大事な話をする。悪いが人払いを頼む」
「わかりましたわ。けど……」
真っ直ぐ義姉を見ていた瞳が、ほんの少し遠慮ぎみに揺れた。
「どうして大事な話だってわかるんですの?」
「人数だ」
首を傾げて尋ねるリーナに、アールはきっぱりと答えた。
「ただ遊びにくるだけなら、もっと大勢で来る。大体の場合リーフ同伴でな。それが2人で来たと言うことは……」
「またどこかで何か起こったのかな?」
表情を曇らせてシルラが呟いた。
「わからん。でもおそらく、私の予想は当たっているはずだ」
当たってほしくはないのだけれど。
呟くようにそう言ったかと思うと、アールは握っていた拳に力を入れる。
「とにかく頼む。場合によっては、今日予定されている会議には出られないかもしれない」
「はい。わかりました」
しっかりと返事をするシルラにもう一度笑みを向けると、アールは静かに部屋を出て行った。
「出られないって、朝食はしっかり取らないといけないって何度も申していますのに」
義姉の消えた扉を見つめて、リーナは小さくため息をついた。
「仕方ないよ姉様。あの人たちも、きっと急いでると思うし」
そう言って笑顔を見せるシルラの瞳が、寂しそうに揺れていることにリーナは気づいた。
口の端を持ち上げて小さく笑うと、先ほど義姉がそうしたように、彼の視線に合わせるように屈んで微笑んでみせる。
「大丈夫ですわ。今回はお姉様、きっと何処にも行かれません」
心の中を見透かされたような気がして、シルラは思わず顔を強張らせた。
「でもそんなこと言い切れないし」
「言い切れましてよ」
「どうして?」
妙に自信満々な義姉に、シルラは首を傾げて尋ねた。
「だって、今度はわたくしの番ですもの」
人差し指を自身の唇に当ててウィンクをするリーナに、シルラは驚き、目を大きく見開いた。