Chapter4 ダークハンター
9:幼心
冬の潮風が、心なしか目に染みる。
そんなことを考えながら、フェリアは甲板の手すりに腕を乗せ、動いていく景色を見つめていた。
あっという間に通り過ぎてしまう島々を見ながら、小さくため息をつく。
「さすがダークマジックの高速艇。早いな……」
小さくそう呟いてみたけれど、頭の中では全く別のことを考えていた。
マジック共和国を出てから増えてしまった不安の要因のことを。
「こんな所にいらっしゃったのですね」
不意に背後から声が聞こえて、ほとんど無意識に振り返った。
見れば、そこにはいつのまにかリーナが立っていた。
船を乗るときに持っていた杖は部屋に置いてきてしまったのか、手には何も持っていなかった。
「何してますの?フェリア様」
「ちょっとな。考え事だ」
短くそう告げると、再び視線を戻し、景色を見る。
ほんの少し目を離しただけだというのに、先ほど見えていた大陸は、もうずいぶん後ろへ流れてしまっていた。
「レミア様のことですか?」
フェリアの隣に立ち、小さく笑ってリーナが尋ねる。
何故か答える気にならず、フェリアは小さく頷いた。
「ちょっと冷たいですわね、レミア様って」
「冷たい?」
漸く顔を上げて、リーナの顔をまともに見る。
「ええ。お話をお聞きしたいだけなのに、もう何度も断られてしまって」
「ああ……、それか」
小さくため息をついて言うと、リーナはきょとんとした様子でこちらに視線を向けた。
「それかって……。理由、ご存知ですの?」
「まあな。人から聞いた話だったから、見るのは初めてだが」
そこまで言って、もう一度ため息をつく。
「一体何ですの?レミア様が人に冷たい理由って」
「人というか、他人と認識している奴に限ってなんだが……。あいつ、小さい頃人間不信だったらしい」
「え……?」
仲間たちと一緒にいるときの彼女からは信じられない言葉に、リーナは僅かに目を瞠る。
「親とした約束を破られた……裏切られたことが原因でな。それを今も少し引きずってるらしいんだ」
「裏切られたって、何かあったんですの?」
真剣な表情で問いかけてくるリーナに、フェリアは小さくため息をついた。
レミアにとっては真剣なこの問題。
けれど、おそらく他の者が聞いた場合はそうではないだろう。
アースにいる仲間たちも似たような境遇を生き抜いてきたわけであるし、何より当時、こちらは世界中を揺るがすほどの問題を抱えていた。
特にリーナは、その問題の中心付近にいた人物だ。
こんな小さなことを、こんなに真剣に語ってもいいものだろうか。
「フェリア様?」
名前を呼ばれ、フェリアははっと顔を上げた。
視線を動かせば、リーナが不安そうな顔で自分を見ている。
ここまで話してしまっては、仕方がない。
そう考えてもう一度ため息をつくと、フェリアは再び口を開いた。
「あくまで人から聞いた話だ。全部が正確だとは限らない」
そう前置きして、視線を再び海へと向ける。
「私が最初にあいつと会ったのはこっちの時間で、もう6年近く前か。その時、あいつの父から私の父が聞いた話だ」
少し前、数年ぶりにアースに行ったときには忘れていた、今でははっきりと思い出せる日の出来事。
自分が庭で、あの頃は年下だったレミアと話している時に、父親同士が交わした会話。
「あの7人の両親は全員何かしらの事故で亡くなったらしいんだが、レミアの母親の場合は交通事故だった」
「あの、交通事故、というのは何ですの?」
控えめに聞かれた問いに、フェリアは僅かに目を見開いた。
そういえば、自分も同じ質問をした記憶がある。
そしてその時、自分の父はこう返した。
「馬車に轢かれたのだと思ってくれればいい」
その時言われたのと同じ言葉を告げて、横目でリーナを盗み見る。
リーナは不思議そうな顔をしていたが、深く聞くつもりはないのか、首を傾げているだけで口を開こうする様子はなかった。
「その頃にはあいつ、魔燐学園に入るのが決まっていたらしくてな。その記念にお祝いをしたとき、あいつの母親は約束したそうだ。大人になるまでは何があっても一緒にいると」
続けられた言葉に、リーナは「え?」と声を漏らした。
「もしかして、それだけ……ですの?」
「最初はな」
三度ため息をついて、続ける。
「私たちがレミアの家を訪ねたのはその直後になるんだが。あいつの父親が言っていた。あいつは物心つく前から約束を破るとか、そういうことには敏感だったってな」
魔燐学園に入学する前に所属していた場所で、誰かが友達との約束を破ったとき、自分は関係ないというのに相手に喧嘩を売っていた。
それが原因で、相手の親とトラブルになることがたびたびあったのだという。
それほど約束を破ること、誰かを裏切ることに敏感だった彼女の母親が、彼女とした約束を破った。
「それでもその時は泣くだけだった。幸い、あいつを慰めてやれる奴も近くにいた。だが……」
言いかけて、フェリアはもう一度小さくため息をついた。
「ここから先はルビーが聞き出した話だ。それからひと月もしないうちに、今度は同じ約束をした父親が死んだ」
ごくっと息を呑む音が聞こえた気がした。
隣でマントが揺れているのが、視界の端に見える。
おそらくそれは潮風のせいだけではないだろう。
「もちろん事故だ。だが、それであいつはかなりのショックを受けた」
両親とした約束は全て破られた。
人一倍そういうことに敏感だった彼女が、平気でいられるはずがない。
「ルビーがあいつに出会ったときには、あいつはもう、自分から人を遠ざけるようになっていたそうだ」
今みたく比較的誰とも話せるようにするのに、どれだけ苦労したことか。
出発前に彼女が言っていた言葉を思い出し、小さく苦笑する。
おそらく、どんな場合でも群れようとしないレミアに最初に近づいたのは、彼女だったのだろう。
昔から彼女にはお節介なところがあったと、仲間たちが言っていたから。
「……かなり、純粋なお子様、だったのですね」
フェリアの苦笑に気づかなかったのか、リーナが小さな声で搾り出すように言った。
「まあ、そういう件に関してはな」
「でも、わかる気がしますわ」
思いもよらぬ言葉に、フェリアは思わずリーナを見た。
「だって、純粋に信じていた方に裏切られるのはショックですもの。たとえその関係が偽りだとしても。わたくしも本当は……ショックでしたし」
顔を俯けて、視線を彷徨わせながら言葉を紡ぐ。
フェリアには、その言葉が何を意味しているのか分からなかっただろう。
その頃の彼女はまだ、エスクール南部に隠れ住んでいる状態だったから。
「でもレミア様、今はそこまで冷たくはありませんわよね?」
先ほどまで浮かべていた表情を消して、首を傾げて尋ねる。
「あ、ああ」
突然変わったリーナの様子に戸惑いながらも、何とか表情を戻して続けた。
「ルビーがいろいろやってたみたいでな。何年もかけて今のようにしたそうだ」
「ルビー様が?」
「最後の方はタイムとミスリルも巻き込まれたらしい。ルビーに振り回されてかなり大変だったそうだ」
全てあいつらから聞いた話だけどな。
そう付け足して、フェリアはまた苦笑した。
再会してからは自分がレミアと最も多くの時間を共にしているけれど、それ以前のことはほとんど人から聞いた話だった。
仕方ないと思いながらも、どこか寂しい気がした。
「大変だったんですね、皆様も」
小さく笑ってリーナが言う。
「相当な。まあ、そのおかげで今は昔よりずいぶんマシになっているらしいから……」
不意にフェリアが言葉を切った。
顔だけを動かして、船室に続く扉の方に視線をやる。
「どうしましたの?」
「いや、何でもない」
首を傾げるリーナに短くそう返すと、フェリアは困ったような笑みを浮かべて視線を戻した。
「そういうことだから、旅をしているうちに打ち解けられるようになるだろう。だから、もし少し待ってやってくれ」
唐突に話を戻され、リーナは一瞬きょとんとする。
けれど、すぐに笑みを浮かべて頷いた。
「もちろんですわ。わたくしもわたくしなりに信じていただけるよう努力します」
「ああ、よろしく頼む」
そう言って笑みを返しながら、フェリアは心の中で小さく苦笑した。
「……馬鹿フェリア」
船室に続く扉の内側でレミアは小さく呟いた。
もうすぐ着くから用意をしてほしい。
そう船長に言われ、フェリアを探しに上がってきたはいいものの、外で会話をしている2人に気づいて思わず身を潜めてしまった。
聞こえたのはほぼ最後の部分だけだったのだが、それでも彼女たちが何の話をしていたのか分かってしまった。
「いや、馬鹿はルビーの方か。いつの間にあの子にばらしたのよ」
扉の脇に座り込んでぶつぶつと呟く。
自分からは決してしなかっただろう話を、フェリアは知っていた。
そして聞こえた言葉から、話した人物はルビーだと言うことがはっきりしている。
「恨んでやる。絶対恨んでやる」
誰が聞いているわけでもないのに真顔できっぱりと言って、レミアは立ち上がった。
その途端すぐ脇にあった扉が開いた。
「あら?」
耳に飛び込んだ声にはっとそちらに視線を向ける。
見れば、赤に近い桃色の髪と空色のマントが、外から吹き込む風に揺れていた。
「レミア様。こんなところで何をなさっているんですの?」
額に汗を浮かべながらリーナが笑顔を浮かべて尋ねる。
それが冷や汗だということも、そしてそれが浮かんだ理由もわかっていたから、レミアは敢えて何も聞かずに答えた。
「もうすぐ目標ポイントに着くから準備してくれって船長が言ってたから、呼びに来たのよ」
「本当ですの?」
「船長が嘘ついていなければね」
あっさりとそう返すと、レミアは彼女に背を向けた。
そして僅かに首だけを後ろへ振り向ける。
「あたしは準備終わってるから、2人も早くしてよ」
突き放すような口調で言うと、そのまま視線を戻して奥へと歩き出した。
そんな彼女の様子を見て、まだ扉の外にいたフェリアはため息をついた。
「睨んでましたわね、レミア様」
「多分、私をな」
困ったように言ったリーナに苦笑しながら言葉を返す。
「わたくしならともかく、どうしてフェリア様を?」
「さあ、どうしてだろう?」
本当に理由が分からないらしく考え込むリーナを見て、フェリアは小さく笑った。
それは半分、そんな問いを返した自分に対する自嘲の笑みだったのかもしれない。
本当は睨まれた理由に気づいていた。
甲板での話を聞かれていたことに気づいていたから。
「これからは少しだけ大変になるかもしれないな」
笑いの中に混じった呟きを耳にして、リーナは不思議そうに首を傾げた。