Chapter5 伝説のゴーレム
17:穏やかな時間
開きっ放しの窓から、冷たい風が吹き込んでくる。
冬である今、マジック共和国の北に位置するこの国の朝は他の国に比べて寒い。
それなのにこの部屋の窓が開いたままにしてあるのは、昨晩調合していた薬のにおいを外に追い出すためだ。
「……寒い」
仮とはいえこの部屋の主である少女は、ぼんやりと目を開くと小さく悪態をついた。
「……これはリーフの悪戯か」
低血圧の彼女はこの寒さが自分自身のせいだと気づいていないらしく、怒りを全く関係のない仲間の青年へと向けている。
ひとしきりぶつぶつ呟いた後、ベッドの上の白い塊がもぞもぞと動いた。
起きるのかと思いきや、すぐにすやすやと穏やかな寝息が聞こえてくる。
「どうやら恐怖の鬼理事長も朝だけは弱いらしい。新発見だ」
音も立てずに開かれた扉からある程度の身支度を整えた青年が顔を出した。
ふざけているのか説明口調でそう呟くと、困ったような顔でベッドに近づき、その上で丸まっている白い塊を暫くの間見つめる。
先ほど居間で言われた言葉を何度も頭の中で繰り返しながら顔色を悪くしてため息をついた。
「……俺にあれができるわけがない」
やったら最後、確実に毒殺される。
心の中で呟いて部屋を出た。
「イール!やっぱり俺にはできないってー」
階段の下へと向かってそう叫ぶ。
「そー?じゃあこっち来て変わってくれるー?」
下から聞こえた返事に同意する言葉を返すと、青年の気配は部屋から遠ざかっていった。
入れ替わりに何とも楽しそうな鼻歌が聞こえてきて、1分も経たないうちに部屋に金の瞳の少女がひょこっと顔を出す。
相変わらず動かないベッドの上の塊を見て楽しそうな笑みを浮かべた。
「ミースリール!朝ですよーっ!!」
大きな声で呼びかけると同時に少女は床を蹴った。
空中に舞った体はそのまま白い塊へとダイブする。
「ぐ……っ!」
突然勢いよく潰された衝撃で、白い塊は女性のものとは思えないくぐもった呻き声をあげた。
「起きた?」
「……イール。私、朝は弱いって言わなかったっけ?」
少女――イールに潰されたまま、白い塊の中から顔を覗かせたミスリルが彼女を睨む。
「聞いたよ。それが?」
それをあっさりと受け流してたイールは、悪気無しといった笑顔を見せて首を傾げた。
「だから朝は起きるまでほっといてっていつも……」
「って言ってもね、ミスリル。今日はもうすぐお昼なのよ。いくら夜遅いからってそんな時間まで寝かしとくわけにもいかないでしょう?」
ただでさえあんたの使うシーツには薬品が染みこんでたりするんだからと、イールは嫌味を言いながら立ち上がる。
そのまま出て行くのかと思いきや、くるりと振り向いて器用にミスリルが体に巻きつけていたシーツをブランケット共々剥ぎ取った。
「ちょ……!寒……っ!?」
「せっかく寝間着貸してあげたのに着替えずに寝るからよ。自業自得」
呆れたように言ってからにこっと笑みを浮かべる。
表情のギャップに戸惑っているうちに、イールはシーツを抱えたまま下へ降りていってしまった。
「……まあ、言えてるかも」
ミスリルが今着ているのは普段から来ている青い服のみ。
普段は肩に巻いているスカーフで隠しているが、実はこの服、両肩が丸出しになっている。
こんな服のまま窓を開け放して寝てしまったのだ。
イールに呆れられるのは仕方がないかもしれない。
ベッドから降りて服についた皺をできるだけ伸ばす。
近くの椅子にかけてあったベストとスカーフを手に取ると、素早くそれを身につけながら部屋を出た。
廊下に出た途端作りたての食事のいい匂いが鼻を擽る。
寝起きの自分にしては軽い足取りで下へと降りていくと、居間に広げられた朝食と言うには量の多い料理が目に入った。
「ああ、やっと起きたか。おそようミスリル」
背中にかれられた声に振り返れば、キッチンの方から料理の乗った皿を運びながらやってきたリーフが目に入る。
「おはよう……。何?おそようって」
「だってもう昼だぞ?おはようって時間じゃないだろう」
料理をテーブルに並べながら呆れたように笑う。
王宮育ちの彼に『おそよう』などという言葉を教えたのはペリドットだ。
そうとは知らないミスリルは、「一体こいつはどこでそんな言葉を覚えたんだか」とため息をついた。
「リーフ~。最後のお皿運んでー」
先ほどまでミスリルが包まっていたシーツを洗濯するために外に出ていたイールから声がかかる。
「はいよー。お前も早く来ないと冷めるぞー」
本当に王族らしくない返事をして、リーフは早足にキッチンの側のテーブルへと歩いていった。
最近のミスリルが彼のことを本当に王族かと疑ってしまうのは仕方のないことだろう。
それほどまでにここに来てからの生活が板についていたのだから。
あのゴーレム襲撃事件の後、村では何事もなかったかのように時間が流れていた。
あのとき壊された家々の修復も、ミスリルの呼び出したチルドアースという小人型ゴーレムのおかげで終わりの兆しを見せている。
レムーロ家にあった古文書を解読するためにリーナに連絡を取ったミスリルとリーフは、彼女からの連絡を待つ間この村に滞在することになった。
ただいるだけでは申し訳ないと、2人は進んで復興作業を手伝ったのだ。
その間にリーフは力仕事と元々得意だった家事がすっかり板についてしまい、ミスリルも怪我人のために作った薬の評判がよく、今ではこの村の薬師と化してしまっている。
おかげでよく病気や怪我について相談されるのだが、父と違って旅に必要な程度の薬の知識しか持たない自分に病のことを聞かれても正直困ってしまう。
そんな生活を送り続けて早半月。
もうほとんど手伝う必要のなくなった復興作業からは手を引き、最近ではミスリルは貸してもらった部屋に籠って薬の調合を、リーフはイールの仕事を手伝っている。
仕事と言っても家事と近くにある畑の世話だけで、もっぱら家事を担当しているリーフは洗濯と午後の食事の片づけさえ終わってしまえば後は暇だった。
ここ2、3日はこの家の裏手にある森に入って修行をしていることの方が多いかもしれない。
「うーん」
酷い起こされ方をされたせいで機嫌の悪いミスリルも時々交えて談笑しながら食事をしていると、突然イールが唸った。
妙に真剣な声に視線を向ければ、彼女は何故かフォークを加えたままテーブルの一点を凝視している。
「どうしたの?」
訝しげな顔で問いかけた途端、イールはばっとリーフを見た。
「どうしてリーフってこんなに料理がうまいわけ?」
突然飛び出した予想もしなかった質問に一瞬動きが止まる。
「……は?」
たっぷり数十秒空けてしまってから聞き返すと、イールはフォークを手にしたまま腕を組んだ。
「だってリーフって王都のお坊ちゃんなんでしょう?なのに、もう5年は主婦やってる私より料理うまいんだもん。悔しいじゃない」
その言葉にミスリルは呆れ、リーフは困ったように笑う。
いくら立場を隠していても、着ている服に気を使わなければそれはあっさり見破られてしまうもので。
リーフも始めはただの一般市民のふりをしていたのだけれど、着ていた服をイールに手渡した途端上流階級の出だということがばれてしまったのだ。
王都に住んでいたとしても、一般市民は滅多に手にしないような高級な布で作られた服を身につけていたから。
まさかそこで王族ですとばらすわけにもいかず、どう答えようかと迷っているところにミスリルが、「リーフはエスクール王都に住んでいた貴族の子だ」と助け舟を出してくれた。
エスクールの貴族で『リーフ=フェイト』と言えばすぐに王子とばれてしまうところなのだけれど、この国はどちらかと言うと閉鎖型で、王都以外で他国の王族の名を知る者はあまりいない。
そのためか、イールはあっさりとミスリルの言葉を信じてくれた。
「任務や状況の関係でできないとまずかったもんでね。俺も結構がんばったんだよ」
がんばったどころか毎日作ってるじゃない。
呟きかけたその言葉は自分の心の奥に閉まっておくことにして、ミスリルは小さくため息をついた。
リーフは料理がうまいだけではなく、掃除や洗濯も手際がよい。
しかもちゃんと手間をかける分、汚れがしっかり落ちている。
普通に家庭を持つのならば、まずいい夫になるだろう。
しかし、彼はあくまでエスクールの王子である。
自国の次期国王がこんな主夫みたいな奴で大丈夫なのかと時々本当に心配になる。
「今度何か教えてもらおうかなぁ……」
「教えられるものなら何でも。あ、何なら旅用の保存食料理とかは?店で売ってる干物とかだけじゃ味気ないだろう?」
「そんなのあるの!?教えて!!」
イールと料理の会話ではしゃぐその姿は本当に専業主夫だ。
そんなことを考えてしまう自分に呆れつつ、ミスリルは再びため息をついた。
これじゃあセレス、嫁入りしたら政務の手伝い大変じゃないかしら。
2人のやり取りに呆れ果て、完全に明後日の方向を向いてしまったミスリルは、そんなどうでもいいようなことを考えながら本日数回目のため息をついた。
イールとリーフが食事の片づけをしている中、ミスリルは1人自室として借りた部屋に戻る。
旅に出るまでの間にできるだけ作っておこうと考えた傷薬。
完成分の数を確認して、もう少しあった方がいいかと窓際の机についた。
残りの少ない薬草類を昨日までと同じように薬卸に放り込む。
机中に散らばっていた道具を手元に引き寄せて早速作業にかかろうとしたその手は、次の瞬間飛び込んできた声に動きを止めた。
「ミスリルっ!?」
ばんっと勢いよく扉を開け放ってリーフが部屋に飛び込んでくる。
「ちょっと!調合してるんだから入る前にはノックしろって言ったでしょう!」
別にこのタイプの傷薬は調合中に人に害を与えるガスなど発生したりしないけれど、ここは仮とはいえ、今は自分の部屋。
女の部屋に男がノックもしないで飛び込んでくるなんて何を考えているんだと怒ってやろうと思って振り向いた。
「そんなことより!リーナが来てる!!」
「何がそんなこと……ええっ!?」
予想もしなかった言葉に思わずミスリルは立ち上がった。
「リーナが……?」
逸る心を何とか落ち着けて聞き返す。
階段を大急ぎで上がってきたのか、興奮状態であるのも手伝って息がほんの少しだけ上がっているリーフがしっかりと頷いた。
「ああ。イールに頼んで入れてもらって、今下で待ってる」
真っ直ぐに自分に向けられる濃緑色の瞳は嘘をついている様子などなくて。
「わかった。すぐに行くから先に行ってて」
「了解」
はっきりとした声で返事を返すと、リーフは早足に部屋を出て行く。
扉を開けたまま下へ降りていった彼の背中を見て、小さく息を吐いた。
漸く時が来たと焦る気持ちを何とか抑えて、背後にある机を振り返った。
見下ろす先にあったのは先ほど広げたばかりの調合道具。
もうここでこれを使う必要はなくなったといわんばかりに近くに置いておいた布で薬卸の中に残った細く潰れた植物の破片をふき取る。
それを机の上に戻して汚れが残っていないか確かめると、ミスリルは仲間たちが待っているだろう居間へ向かうため、急いで部屋を後にした。