Chapter5 伝説のゴーレム
4:嫌悪と決意と
ぶんっという音と共に空気が揺れた。
同時に闇が広がる森の中、はっきりとわかる黒い穴が浮かび上がる。
「結界張られちまったみてぇなのに、いいのかよ?」
穴の中から声がして、すぐに青いローブの人物が現れた。
「1人か2人は確実に捉えた。仲間がああなってしまえば、あの伝説を広めようとは思わないだろう」
振り返った青いローブの人物に続いて、赤いローブが姿を現す。
しっかりと地に足をつけ、呪文を呟き空間に空いた穴を閉じると、赤いローブの人物は被っていたフードを脱いだ。
フードの下から現れたのは赤い瞳を持つ若い男。
「異世界に住む人間だ。こちらに来なければそれだけで十分。僕らの目的は無駄な殺戮ではなく、あくまで伝説をこれ以上広げないようにすること」
「それはそうだけどよぉ。女ってしつこいからわかんねぇぜ。追ってきたらどうするんだよ」
彼に倣って青いローブの人物も乱暴にフードを脱ぐ。
ここに彼らを知らない者がいれば現れた顔に驚いたかもしれない。
青いローブの青年の顔は、赤いローブの青年と瓜二つであったから。
ただひとつ違うといえば、それは瞳の色。
青い青年の瞳は、今彼自身が身に纏っているローブと同じ青だった。
「その時はその時だ」
きっぱりと告げる赤い瞳の青年に、青い瞳の青年は小さくため息をつく。
「アビル兄貴って時々積極的なのか消極的なのかわかんねぇよなぁ」
「お前が突進しすぎるんだ。もっと冷静に行動しろトヒル」
「はいはい」
再びため息をついて、面倒そうに返事をする。
それから、はたとあることに気づいて顔を上げた。
「どーでもいいけどよ、兄貴。俺たち本当の名前は捨てたことにしてんだぜ。敵の前で本名で呼ぶの、やめてくれよな」
青の青年の言葉に、赤の青年はきょとんと彼を見る。
「今じゃゴルキドで恐れられるビュー兄弟が、本名知られたらかっこ悪いし」
「そういうものか?」
「そーいうもんだ」
どこか感覚がずれていると感じながらも、赤の青年はしっかりと頷いた。
「わかった。今度からは気をつけるよ、ドビュー」
「頼むぜ、アビュー兄貴」
ドビューと呼ばれた青い瞳の青年が満足そうに笑う。
それを見て笑みを返すと、アビューと呼ばれた赤い瞳の青年は暗い森の中へと歩き出した。
「……俺のせいだ……」
理事長室に小さな声が響く。
元の姿のままでソファーの上で膝を抱えたリーフが、搾り出すように呟いた。
手当てをしていない頬の傷から流れた血が、緑色の上着に染み込んで黒い染みを作っている。
光が消えた後、グラウンドから襲撃者とそのゴーレムの姿は消え去っていた。
そして視界に入ったものに、残った誰もが言葉を失った。
リーフのいる場所よりもずっと向こう、比較的昇降口に近い場所に立っていたセレスとベリーが、石になっていたからだ。
「とっさの結界って広い範囲で張れないもんなんだよね。距離的にあたしたちからもセレちゃんたちのところからもリーフまでは届きそうになかったから、たぶん」
セレスは自分たちが犠牲になるのを承知でリーフの周囲に結界を張ったのだろう。
そして自分と側にいたベリーが呪文を浴びた。
その結果が、これだ。
「とりあえずセレちゃんとベリーちゃんは資料室に運んだから、壊されることはないと思うけど……」
「ルビーが知ったら、激怒しそうね」
理事長席で頬杖をつきながらミスリルが呟く。
問題がずれてるよ~というペリドットの言葉が耳に入ったが、言い返す気にはなれなかった。
実際に彼女は怒るだろう。
敵が手に負えないとわかった時点で何故自分たちを、少なくともすぐに居場所のわかるタイムやレミアを探しに来なかったのかと。
甘かった。
あいつらを、甘く見てた。
今まで敵を甘く見て、何度も敵を甘く見て痛い目に合ったというのに、それが教訓になっていない自分に腹が立った。
何とかしなければと考えて。
けれど何もできないという結論しか出なくて。
必死にその場を明るくしようと声をかけてくるペリドットの言葉を適当にあしらって。
そうして思いついた結論は、ひとつ。
ゴルキドの伝説に頼ること。
「……馬鹿馬鹿しい」
呟かれた言葉にペリドットが驚き、首を傾げる。
おそらく何のことを言ったのかわからなかったのだろう。
「何でもないわ」
ぱたぱたと手を振ってそれだけ告げると、机に肘をついたまま顔を隠すように両手で頭を抱えた。
確証のない伝説に興味はないと言ったのは自分だというのに、この答えはなんなのだろう。
私らしくない。
そう思っても、他に考えなど思いつかなくて。
「ペリート。ルビーたちがいつ頃戻ってくるか知ってる?」
突然の問いに、リーフに話しかけようとしていたペリドットが驚いて振り返る。
「ええっと、わかんない。時々すっごく遅くって、時々こっそり早いってセレちゃんが言ってた気がするけど」
「要するに、日によって違うってわけね?」
「……たぶん」
こくりと頷いたペリドットに大きなため息をつく。
「げ、元気だそうよ!それにほら!困ったときのマリエス様じゃん!」
自分のせいでミスリルが落ち込んでいるのだと勘違いしたのか、ぱんっと手を叩いて無理にペリドットが笑った。
その言葉にミスリルの思考がぴたりと止まる。
「マリエス……様?」
呟いて顔を上げた。
「え?うん。マリエス様」
思いも寄らなかったミスリルの反応に驚いたのか、ペリドットは少し戸惑ったように頷く。
「そうだ……。その手があったんじゃない」
どうして今まで気づかなかったのだろう。
何も確証のない伝説に頼る必要はないのだ。
自分たちの身近にはそれが現実のものであると実証されている伝説があるのだから。
精霊神法という伝説の呪文が。
がたっと音を立ててミスリルが立ち上がる。
その音に驚いたのか、ペリドットの肩がびくっと跳ね、膝を抱えて蹲っていたリーフが僅かに顔を上げた。
「私はインシングに行ってくる。ペリート、あんたは2人とそこの馬鹿をよろしくね」
「よろしくって……、ミスリルちゃん1人で行くのっ!?」
突然の友人の行動にペリドットは思わず声を上げる。
「当たり前でしょう。もし今またあいつらが来て、セレスとベリーを壊されたらどうするつもり?守りにつく人間だって必要よ」
彼女の頭ではリーフは数に入っていないらしい。
手早く旅立ちの準備をしながら、はっきりとそう指摘する。
「それはそうだけど、何も今すぐじゃなくっても。ルビーちゃんたちが戻ってくるの待った方がいいよ!それに、またあいつらがミスリルちゃんを襲ってきたらどうするのさ?」
ミスリルは結界系の呪文が使えない。
もし1人で行かせてあの襲撃者たちが襲ってきたら、石化呪文を使われたら、今度は回避する方法がない。
ルビーたちが――少なくともレミアとフェリアさえ戻ってくれば、ここを2人に任せて自分が彼女についていくことができる。
ミスリルもそれはわかっているはずだ。
けれど、彼女は決して首を立てには振らなかった。
「あいつらのそもそもの目的は私を殺すことだったわよね?」
突然投げられた問いに、ペリドットは一瞬きょとんとする。
「そう言ってた気はするけど……」
曖昧に答えて、考え込むように腕を組み、顔を俯ける。
「だったら私1人の場合、あいつらは石化させるだけじゃなく本当に殺す気で襲ってくると思うの」
「……だから?」
「普通の攻撃なら私だって避ける自信はあるわ。不意打ちだって法王のときの経験がある。そう簡単に引っかかったりしない」
きっぱりと言い切る彼女の瞳は、いつもの彼女とは違う光を宿していた。
それに気づき、何か言いかけたペリドットは仕方なく言葉を飲み込む。
変わりにその唇から漏れたのは小さなため息。
まるで、全く言うことを聞かない子供をしかっている母親のような気分だと思った。
自分たちの共通点は非常時には他人の話を聞かないほど強情になることだとペリドットは自覚している。
そう、ちょうど今のミスリルのように。
そんな共通点があるから、同じ先祖の血を引いていることを抜きにしても、自分たちは今までうまくやってこれたのだろうと思っている。
だから考えなくてもわかってしまう。
おそらくもう、ミスリルは何を言っても聞かないだろう。
何が何でも自分1人でインシングへ行こうとするはずだ。
「わかった。わかーった。わかりましたぁ」
ひらひらと手を振ってミスリルから視線を外す。
突然の友人の行動に、ミスリルは一瞬驚きの表情になった。
「せーっかくこのペリートちゃんが心配してあげてるってのに、ミーちゃん冷たいんだもん。もう知らないやい。プンっ!」
急に幼い子供のように拗ね始めたペリドットの言動に頭がついていかなかったらしい。
「……あ、ありがとう」
その言葉が出てくるまでにずいぶん時間がかかった。
「もうひとつ、お願いがあるんだけど」
気を取り直して言葉を続けた。
リーフと同じようにソファーの上で膝を抱え、拗ねたように頬を膨らませたペリドットが視線だけをこちらに向ける。
「さっきも言ったけど、私1人ならあいつらも他の仲間に手を出すことはないと思うわ。だからあの4人が戻ってきても、私を追わないように説得してほしいの」
「ええっ!?それは無理だよっ!!」
先ほどまでの子供のような表情は何処へやら、大声を上げてペリドットが立ち上がる。
「レミアちゃんの性格知ってるでしょ!絶対追いかけるって!」
「だったらルビーを説得しなさい。あの子さえ説得できれば他の3人も追いかけようとは思わないはずよ」
きっぱりと言い切るミスリルに、「なるほど」と呟いて頷く。
頷いてから、それは無理だと気づいて首を大きく横に振った。
「ルビーだって納得するかどうかわかんないよ!タイムの時は問答無用で助けに行ったって、リーナちゃんから聞いてるもんっ!」
そもそもルビーが――自分たちも――レミアの旅についていかなかったのは、敵に水晶に水晶を取られ、時の封印が解けなくなってしまったからだ。
もしそうでなければ、あれだけ心配していた彼女がついていかなかったはずがない。
「だったらタイムがやったみたいに無理矢理でも理由をでっち上げればいいわ」
「でっち上げって、一体何をどうや……」
言い返そうとして、ふいに頭に何かが過り、ペリドットは言葉を止めた。
無意識のうちに視線が資料室の扉へと向く。
「狙われているかもしれない場所の警護なら、あいつだって納得するかもしれないでしょう?」
そんな表面上の言い訳、妙なところで勘の鋭いルビーに通用するかはわからないけれど。
「……わかりましたぁ。とにかく説明してみるよ」
いい加減言い争いに疲れ始めていたことも手伝って、ペリドットはあっさりと承知した。
そんな彼女を見て、ミスリルは大きなため息をつく。
「頼むわよ」
「一応任された」
ペリドットらしくない消極的な返事に、むきになりすぎたかと心の中で苦笑する。
表に出すと文句を言われそうだったから、出さないように気をつけた。
「それからあとひとつだけ頼みがあるんだけど」
「インシングへのゲートを開いて、でしょ?」
間髪入れずに聞き返したペリドットにしっかりと頷く。
「頼むわ」
「はーいはい。もー!あたしはパシリじゃないんだぞーっ!」
ミスリル自身もゲートを開けないわけではないが、苦手なのだ。
この呪文が苦手な他のメンバーは、何度も向こうとこちらを行き来している間にそれなりに扱えるようになったというが、その回数自体が少ないミスリルは最初のころから比べて上達していない。
その腕前は、少しでも座標がずれると空高くに扉が開いてしまうほど。
ふわりとオーブを宙に浮かべると、ペリドットは大きく息を吸い込んだ。
「じゃあ開くよ~。異界の扉よ……」
「待ってくれっ!」
突然耳に飛び込んだ声に思わず詠唱をやめた。
天井近くまで浮かび上がったオーブが、彼女の意思に合わせるように手元に降りてくる。
そのまま顔に驚きを浮かべて振り返った。
一瞬遅れて、ミスリルが彼女の視線を追って同じように振り返る。
ペリドットの視線の先にいたのは、先ほどまでソファーの上で膝を抱えていたはずのリーフ。
先ほどまで纏っていた暗い雰囲気は何処へやったのか、上げられた顔はしっかりとこちらに向いていて、濃緑色の瞳は真っ直ぐこちらを――ミスリルを見つめていた。
「俺も……」
「連れて行けっていう申し出だったら却下よ」
言葉を遮ってきっぱりと言ったミスリルに思わず目を見開き、言葉を止める。
「さっきだって、あんたがここでおとなしく待ってたら、セレスとベリーは石になんかならなかったかもしれないわ。それがわかってて、連れて行けって言うつもり?」
冷たく言い放たれた言葉が心に突き刺さるような感覚を覚えた。
わかっている。
自分が行かなければ、無謀な行動をしなければセレスは――ベリーも――あんなことにはならなかったかもしれないのに。
けれど、いや、だからこそ。
「連れてってくれ」
心を落ち着けて、真っ直ぐにミスリルを見つめて、きっぱりと言った。
「あいつらが石になったのは俺のせいだって、俺が突っ走ったせいだっていうのはよくわかってる。でも、だからこそ、俺はこのままここに残ってちゃいけないと思うんだ」
自分のせいだと抱え込んで、戦場から離れて安全な場所にいる。
それは、逃げていることになるのではないだろうか。
そう思ったからこそ、彼は自ら進み出た。
「足手まといだって言うのは十分わかってるんだ。けど!今ここに残ったら、逃げたら、俺はそれ以下になっちまう気がするんだ」
だんだんリーフの声が小さくなる。
それでも、瞳がミスリルの目から完全に外れることはなかった。
しっかりと、真っ直ぐにじっとこちらを見つめる濃緑色の瞳。
強い光を宿したその瞳を見て、ミスリルは小さくため息をついた。
「何を言おうと駄目なものは……」
「ミスリルちゃんの分からず屋ー」
言葉を遮るように聞こえた声に、ミスリルはむっとして隣を見る。
いつの間にか自分から離れていたペリドットが、頭の後ろに手を回して唇を尖らせていた。
「分からず屋って……、ペリート、さっきも説明したでしょう?相手は……」
「ねぇ。自分は弱いからって諦めた人間と、弱いなら強くなりたいって思って努力して人間と、どっちが強いと思う?」
「は……?」
突然の問いかけに思わず聞き返す。
意味がわからないのはリーフも同じだったらしく、ペリドットの方を見つめたままきょとんとた表情を浮かべていた。
「どっちが、強くなると思う?」
「……当然、努力した方でしょう」
真剣な表情になって聞くペリドットに、少し戸惑いながら答えた。
その途端にペリドットがにっこりと満足そうに笑う。
「そ!でもね。それって嫌々やるんじゃ絶対身に付かないんだよ」
きっぱりと言い切った言葉に、ミスリルは首を傾げる。
ペリドットが何を言いたいのか、いまいちわからないのだ。
そんな彼女の心を読み取ったかのようにペリドットは大きくため息をついた。
「だからミスリルちゃんは分からず屋なの!」
びしっと人差し指を突きつけて怒鳴る。
その言葉にむっとして口を開きかけたが、言葉が音になるより先にペリドットによって遮られた。
「やる気になった奴のやる気削いで、将来性のある剣士の芽摘んじゃってどうすんのって言ってんの!そういう風に仕向けてたルビーの陰の努力だって無駄になっちゃうじゃん!」
「仕向けてたぁっ!?」
ペリドットの口から飛び出した信じられない言葉に、思わずリーフが声を上げる。
「本人そんなこと一言も言ってないけどね。最初のころはともかく、今じゃ無意識でもそういうこと考えてるよ」
「……マジで?」
「大マジ。だってルビーちゃんだし」
あっさりと告げるペリドットに眩暈を覚えた。
最初は負けが確実の喧嘩になり、最近では諦めて聞き流していた言葉に、まさかそんな意図があったとは。
「……ってわけでミスリルちゃん。ここでルビーがこっそり育てた芽を摘んで、一生恨まれて嫌がらせ受けるのと、種の将来信じて連れてくのとどっちがいいよ?」
再び人差し指を突きつけてペリドットが尋ねる。
質問というより脅しという感じがしたけれど、それを指摘すればまた余計な口論になるだろう。
「……それじゃ選択できないじゃない……」
「何か言った?」
ため息混じりに呟いた言葉さえ強い口調で聞き返された。
「……別に」
小さくそう言ってから、もう一度大きなため息をついた。
「わかったわよ。そこまで言うなら連れてってあげるわ」
言葉の使いどころが違うような気もしたが、本音を口にするわけにはいかないと思ってそう答えた。
「……いい、のか?」
ペリドットが口を開く前の勢いをすっかりなくしたリーフが恐る恐る聞き返す。
承諾した過程が過程だ。気になるのは仕方がない。
「成り行きみたいなもんだけどね。拒否したら拒否したで出発が延びちゃいそうだし、仕方ないわ」
「さっすがミスリルちゃん。あたしのしつこさ、わかってるぅ~」
ころっと態度を変えて、ペリドットがにっこりと笑った。
その笑顔を見てミスリルは今までで一番大きなため息をついたのだが、ペリドットは敢えてそれを無視した。
「それじゃあ今度こそ、ゲート開けるよ!」
ばっと手を上げて側に浮いていたオーブを掲げる。
言葉を紡がないうちにオーブが白く輝いた。
ほんの一瞬、空間が揺れた。
それが収まると同時に、3人の目の前の空間にぽっかりと黒い穴が開く。
「ありがとペリート。後は頼むわよ」
「任された!」
先ほどとは全く違う元気な返事に、ミスリルは苦笑する。
もちろん、先ほどとは別の意味で。
「ちゃんとついて来ないと置いていくからね」
「わ、わかってるよ」
慌てて返事をしたリーフにため息をつくと、ミスリルは躊躇いもせず穴の中へと足を踏み入れた。