Chapter5 伝説のゴーレム
5:和解
精霊の国と呼ばれる王国エスクール。
その王城の小さな会議室。
その中のひとつで今、小さな会議が開かれていた。
「では、当面我が国はこの方針でいかせていただきます」
そう言いながら書類を纏めるのは、緑を基準とした服を身につけた茶色い髪の少女。
「そうしていただけるとありがたい。だいぶ国力が回復したとはいえ、我が国はまだまだ貴国に頼らなければならないことが多いですから」
同じように書類を纏めながら、向かいに座った明るい紫色の髪の女が言葉を返す。
そんな彼女を見て、少女がくすりと笑った。
「その話し方、少し違和感ありますね、アマスル様」
あまりしてほしくなかった指摘をされ、女の顔が思わず赤くなる。
「仕方ないでしょう。慣れていないのですから」
「ではもういつもの口調でよろしいですよ。会議は終わったことですし、ね」
そう言って少女は悪戯っぽく笑った。
側に控えていた部下に書類を手渡すと、彼らにすぐに下がるように命じる。
「共和国の方々にも部屋を用意し、彼らをそちらに通すように」
最後に席を立った部下にそう告げると、少女は側にかけてあった薄黄色のマントを手に取った。
ゆっくりとした動作でそれを羽織い、手早く上着の内ポケットにしまっておいたブローチを取り出すと、丁寧にそれを止める。
「まったく……。あなたのその手早さ、兄上とは大違いだな」
扉が外から閉まったことを確認して、女は姿勢を崩した。
無造作に掻き揚げた髪がぱらっと服の上に落ちる。
ローブを元にデザインされたという空色のそれは、最近義妹の強い勧めにより新調したものだ。
それまでは帝国時代に配給された茶色のローブを着ていた。
「あら、兄がとろくなったのは最近です。昔は私より手早かったんですよ?」
側にあったティーポットから紅茶を注ぎながら笑顔で答える少女を見て、女は微かに表情を崩した。
初めて自分が『皇女』としてこの国に来たとき、この少女は自分をかなり憎んでいたはずだ。
けれど、今はそんな素振りさえ見せることはない。
それが時々不安になる。
「……ミューズ王女」
「何ですか?」
声をかければ、やはり笑顔で聞き返す。
「……あなたは、私を恨んでいるのではなかったのか?」
その問いかけに、一瞬少女――ミューズから笑顔が消えた。
けれど、すぐに表情を戻すと、困ったように小さく笑う。
「ええ、そうでしたね」
表情より何より、口にされた言葉に女は困惑した。
「なのに何故、あなたは我が国との会議の代表に自分と私を指名したんだ?」
視線を逸らしてそれだけ尋ねる。
口調はしっかりしていたが、彼女をよく知る者ならば、それが喉の奥からやっとの思い出搾り出したものだとわかるだろう。
「……自覚しようと思ったからかも、しれないですね」
思いも寄らなかった言葉に驚いて視線を戻す。
「自覚……?」
「そう。自覚しようと思ったんです」
校舎の入ったカップを静かに女の前に置くと、ミューズは自分のカップを手に持ち、その中身に視線を落とした。
広がっているのは明るい赤茶色。
「ずっと相手を恨んでいったって、それが国の、いえ、自分のためにならないことは知っています」
カップを持つ手に無意識に力が入った。
僅かにカップの中身が揺れた。
「知っているから、兄やあの人たちのようにあなたを信じようと思いました。それを自覚しようと……実行しようと思って、会議の代表に私自身とあなたを指名しました」
そこまで話してしまってから、顔を上げてまっすぐに女を見る。
「そのおかげで、今では言われない限り思い出さなくなりました」
そう言ってミューズはにっこりと笑った。
帝国が解体してマジック共和国になってからもう1年近く経つ。
その直後から行われるようになったこの会議は、月日が流れるにつれ、だんだんと小さくなっていった。
最初は両国共に国務大臣が出向いていたというのに、今では自分たち外交官の長とその部下数人だけだ。
それはエスクール、マジック共和国が日に日に元の力を取り戻し、大国と呼ばれるようになっていったからでもあったのだけれど。
もしかしたら、今目の前の王女が語った言葉が理由だったのかもしれない。
「……ありがとうございます」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
笑顔で言葉を返すミューズに、心なしかほっとした。
「それで、実はお願いがあるのですけれど」
カップを置いて続けられた言葉に、女はきょとんと彼女を見た。
「私も、皆さんと同じようにアマスル様のことを『アールさん』とお呼びしたいのですが、よろしいでしょうか?」
微かに頬を赤く染めて上目遣いに女を見る。
そんな彼女の言葉に、女――アールは思わず目を丸くした。
それからぷっと小さく噴き出す。
「!な、何で笑うんですか」
「す、すまない。つい……」
可愛いと言いかけてその言葉を何とか飲み込む。
言ったら怒ると思ったのだ。
「いいよ。好きに呼んでくれ。仲間の妹なんだ。兄妹で違う扱いをされるのも居心地悪いしな」
ミューズの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!アールさん!」
嬉しそうに笑うその顔は、16歳の少女そのもの。
とても先ほどまで会議を仕切っていた人間だとは思えない。
そんなことをこの国の人間に漏らしたら、とんでもないと怒られるのだろう。
王女としての彼女は、常に凛としている騎士のイメージを持っているのだから。
「それにしても……、いつもあんな仕事まで1人でこなしているのか?」
突然のアールの問いかけに、ミューズは一瞬きょとんとして彼女を見る。
けれどすぐに思い当たることがあったのか、「ああ」と呟いてこくんと頷いた。
「ええ、まあ。あれは兄様の仕事なのですが、今はいらっしゃいませんから」
そう言って困ったような笑みを見せた。
アールが今朝この城に着いたとき、ミューズは大量の書類のチェックをしているところだった。
本来は国王がするべき国の重要書類の確認。
けれど王である父は帝国占領時代、地下牢に幽閉されている間にすっかり体調を崩してしまい、今も完全に回復はしていない。
そのため子である自分たちが、父の仕事の半分を分担して引き受けることになったのだ。
尤も、リーフはそれを放棄して異世界に行ってしまったわけなのであるが。
「家族より恋人か……。あんなのが次の王で大丈夫なのか?」
アースでの彼の生活を知っている分心配になっているらしい。
テーブルに膝をつき、ため息をついて問いかける。
「大丈夫……だと思います。兄様、あれでしっかりしている時はしっかりしていますから」
「しっかりしているときは、ねぇ……」
はっきり言って見たことがない。
ミューズと違い、アールは休みを取ることができれば時々異世界に住む友人たちに会いに行くのだけれど、そこでリーフがしっかりしているところなど一度も見たことがなかった。
全く逆の場面ならば、何度も見たことはあったけれど。
「うちの王はこれから教育すればいいと思っているが、あいつはどうにもならないからな……」
「だから、大丈夫ですってば」
思い切り大きなため息をつくアールに、ミューズは苦笑した。
そして同時に不安になる。
一体兄は、普段向こうでどんな生活を送っているのだろう。
一度不安になってしまえば気になってしまうのはしかたがない。
聞いてみようかと口を開きかけたその時だった。
「お待ちくださいっ!!」
部屋の外から聞こえたその声が、ミューズの耳に飛び込んできた。
一瞬で表情を変え、彼女は扉の方へ視線を向けた。
「何だ……?」
その声はアールの耳にも届いていたらしい。
目を細めて、彼女もミューズと同じ場所へ顔を向ける。
「ですから!今は来客中です!」
再び兵士の叫ぶ声がする。
しかし相手は兵士より遠くにいるのか、声は部屋まで届かなかった。
「誰か来たのか?」
「そのようですけど……」
どうやら危険な存在ではないらしいと判断して、ミューズはほんの少しだけ肩から力を抜く。
おそらく敵か何かだったら飛び出していくつもりだったのだろう。
彼女の手にはいつのまにか側に立てかけられていた剣が握られていた。
「気になるので確かめてきます。アールさんはここで待っていてください」
素早く鞘のベルトを腰に巻きつけ、ミューズが立ち上がる。
「いや、私も……」
アールがそう言いかけたときだった。
「ミューズ!」
ばんっと勢いよく扉が開いた。
当時に飛び込んできた声に、2人は驚いて扉の方へ顔を向けた。
立っていたのは彼女たちのよく知る濃緑色の髪を持った青年。
「兄様っ!?」
今日は帰る予定のなかった兄の出現に、ミューズは思わず声を上げる。
慌てて席を離れ、兄の方へ歩くミューズの後ろで、アールは目を細めた。
彼がこちらに戻ってきた理由が、戻らなければならなかった理由がわかった気がしたのだ。
彼の後ろに、壁に隠れるような形で立っている茶色い髪の少女の姿が見えたから。
「どうなさったのです?次に戻られるのは明日だと、先ほど……」
「事情が変わったんだ。ミューズ、今日の親父の予定はどうなってる?」
突然の問いかけにミューズは一瞬きょとんと彼を見る。
けれどすぐに顔を引き締めると、テーブルの端に置いておいた自分の手帳を手に取った。
「父様は既に公務が終了し、謁見依頼がない限りは城内で過ごされることになっています」
はっきりと答えると、リーフは小さく礼を言って後ろを振り返った。
「だとよ。どうする?」
「いちいち聞かないで。私の考えはさっき全部話したはずよ」
扉の方から呆れたような言葉が返ってきた。
同時に姿を見せた人物に、ミューズは驚いて思わず小さな声を上げる。
どうやら彼女の位置からではその人物の姿は見えていなかったようだ。
「お久しぶりです、ミューズ王女」
リーフの少し後ろで立ち止まった少女は、ミューズに顔を向けると礼儀正しく頭を下げた。
「アールも。久しぶりよね?」
顔を挙げ、椅子に腰を下ろしたままのアールに顔を向けて尋ねる。
「私は最近行けなかったし、お前は絶対に来ないからな」
呆れ顔で言葉を返すと、少女――ミスリルは小さくため息をついた。
「仕方ないでしょう。大きな機関の長は大変なのよ」
「ああ。身に染みてわかっている」
インシングとアースでは、忙しさも効率も質が違うだろうけれど。
「あの、兄様?どうするって、何がですか?」
ミスリルとアールの間に入るのは無理と判断したのか、ミューズは隣で苦笑している兄に問いかけた。
リーフは小さくため息をつくと、そのまま面倒そうに口を開く。
ふと、その唇が言葉を音にする前に動きを止めた。
同じように彼の瞳が横へ――扉の方へ動く。
不思議に思ってそれを追ってみれば、視線の先にいたのは困惑した表情を浮かべた兵士。
おそらく先ほど廊下から聞こえてきた声の主が彼なのであろう。
「会議は終わっています。心配しないで下がりなさい」
ミューズが声をかけると、兵士は驚きに表情を変えた。
「は、はっ!失礼いたします」
一瞬遅れて答えると、兵士は慌てて部屋の中に向かって敬礼した。
それを終えると開かれたままの扉に手をかける。
4人の見つめる前で部屋の扉は素早く、それでも静かに閉じられた。