Chapter5 伝説のゴーレム
8:留守番
「はあ~っ!?」
早朝の理事長室に思い切り声が響く。
その声を間近で聞いた実沙は思わず両手で耳を塞いだ。
「セキちゃん、声大きすぎ。まだ朝なんだから近所迷惑だよ~」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょうっ!!」
ばんっと目の前のテーブルを叩いて赤美が叫ぶ。
「今の話本当なのっ!セレスとベリーが……、それにミスリルとリーフの話もっ!!」
「そんな冗談にもならないウソついてどうするのさ。あたしそこまで悪趣味じゃないよ」
言い返しながら、さすがの彼女もだいぶ混乱しているな、と密かに思った。
普段の彼女なら、この姿の時に仲間たちを本来の名前で呼ぶことはないのに。
意図的に、ならばともかく無意識には。
「なんなら確かめてみる?セレちゃんとベリーちゃんは資料室にいるよ」
にこやかな表情で、それでも瞳に真剣な光を宿して発せられた言葉に、赤美は思わず動きを止めた。
そのままぎこちない動作で自分の背後に位置する資料室へと視線を向ける。
今回彼女がインシングから帰ってきたのはアースの時間で朝方だった。
授業中居眠りをして親友や仲間に怒られる覚悟で自室へのゲートを開こうとしたのだが、何故か今日に限ってそれができなかった。
疲れているせいか、それともセレスが怒っているのか。
どちらにしても入れないのでは仕方がないと、頭に思い浮かべる座標を自宅の玄関の前に変更すると、それはあっさりと開かれた。
そしてゲートを潜った直後、自分にかけられた声に驚いて顔を上げた。
自分と妹の部屋の玄関の前に、何故か時の封印を解いたままの実沙――ペリドットが立っていることに気づいて、不思議そうに首を傾げる。
「おはよう。お帰りルビーちゃん。朝早く悪いけど、ちょっと付き合って」
にっこり笑ったペリドットを何故か拒否することができなくて、ルビーは仕方なく了解した。
そのまま部屋に入ることなく学校へ来てしまったから、ルビーは――赤美は知らなかったのだ。
妹が今、自宅にいないという事実を。
漸く朝日が照らし始めた扉へゆっくりと歩み寄る。
声をかけてきたとき実沙は『朝』と言ったが、今は通常そう認識されるよりもずっと早い時間――夜明けだ。
夜明けと言っても、もうこの国では夜の時間が増えているから、人によっては起床時間かもしれない。
赤美がそっと扉に手をかける。
実沙はソファに座ったまま、ゆっくりと開かれるそれを目を細めて見つめていた。
扉が半分ほど開かれた瞬間、視界に飛び込んできたものに赤美の動きがぴたりと止まる。
今は茶色の混じった黒い瞳が大きく見開かれ、そこに映し出した光景に思わず息を呑む。
ここからも見える部屋の奥に、2体の石像が置かれていた。
まるで戦っている少女たちを、そのまま石にしたかのような石像が。
「セレ……ス、ベリー……」
やっとの思いでそれだけ口にすると、ぺたんとそのまま床に座り込んでしまった。
全く予想をしていなかった、いや、戻ってくるまで予想するはずもなかった光景に力が抜けてしまったのかもしれない。
その光景だけで腰を抜かしてしまうほど、彼女は弱い人間ではないから。
しばらく何も言わずに待っていると、ぱたんと静かに扉が閉まった。
ゆっくりと赤美が立ち上がる。
立ち上がりながら、彼女はこちらへ顔を向けた。
開かれた瞳の色が心なしか赤いと思ったのは、おそらく気のせいではないだろう。
「最初から、説明して」
「もちろんそのつもりだよ」
にこりと笑って返すと、とりあえず赤美にソファに座るように進めた。
予め用意していたティーセットでお茶を入れる。
ティーバックの入ったカップを赤美の前に差し出して、実沙は小さくため息をついた。
「こっちの時間で昨日の放課後、たまたまリーナちゃんに呼ばれてマジック共和国に来てたミスリルちゃんと向こうで偶然会ってね」
「リーナに?」
「うん。まあ、その話はちょっと置いといて。用が終わりそう、って言うかミスリルちゃんが怒り出しそうだったから、早めに切り上げてこっちに帰ってきたんだ」
実沙が何をしにマジック共和国へ行っているのか、赤美は知っている。
しかし、ミスリル――百合はそれを知らないはずだ。
突然現れた友人の姿にさぞ驚いたことだろう。
そんなことを考えながら赤美は無言で話の続きを促した。
「それで帰ってきたら、向こうでの格好のままのリーフが資料室の入口に立ってたの。その時にはもう今回の『敵』さんが校庭に来てて、セレちゃんとベリーちゃんが対応してた」
ぴくっと赤美の眉が動いた。
それを見て実沙は思わず苦笑した。
「別にリーフは足手まといだって言って隠れてたわけじゃなくって、ミスリルちゃんに伝えなきゃいけない伝言があって、そこで帰りを待ってただけなんだよ」
目の前の友が思い浮かべただろう予想をあっさりと否定する。
ふーんという興味がなさそうな言葉が帰ってきたが、納得していないのだろう。
赤美の眉はずっと寄せられたままだった。
それから手短に、それでもなるべく詳しく昨日の出来事を説明する。
この件の発端となった伝説のことも、襲撃者が何を狙ってきたのかも、校庭で起こった戦闘がどうしてこんな結果に終わり、自分だけがここに残ったのかも、全て。
「んであんたは護衛役でここに残ったと」
「そゆこと」
「ふーん……」
返ってきた答えに呟いて、赤美は黙り込んだ。
昨晩一睡もしていないせいか、いつもより機嫌が悪いらしい。
普段とは違い赤みを帯びた瞳は、真剣に考え事をしている時よりも細められていた。
対する実沙も、昨晩は赤美が戻ってくるのを待っていて眠っていない。
そのためか、口調はいつものままだったが、明らかに口数が減っていた。
いつもならこんな時は真っ先に口を出すというのに、今朝はその様子が見られない。
「何でリーフがついてったわけ?」
不機嫌を露にして赤美が尋ねる。
予想していなかった問いかけに一瞬きょとんとすると、実沙は小さくため息をついた。
「いつかそうなるように仕向けてたの誰だっけ?」
呆れの混じったその言葉に、赤美は一瞬目を見開く。
けれどすぐに元の表情に戻ると、大きくため息をついた。
「……まあ、これ以上あたしらと差が開いても困るし。ちょっとは過酷な状況で成長してくれないとね」
いつもなら叫んで否定するというのに、今はそれさえする気がないらしい。
ソファに踏ん反り返るように座り直すと、あっさりと言い捨てた。
肩から落ちた長い黒髪を後ろへ払う仕種が無意味に偉そうで、実沙は思わず苦笑する。
「……で?」
不意に投げられた問いに、きょとんとして赤美を見た。
「あたしにだけ先にその話をしたのには理由があるんでしょ?何?」
さすが。眠くても勘が鋭いのは変わりがない。
普段はそう言って少し茶化すのだけれど、あいにく自分もそんな余裕は当にない。
「百合ちゃんがねぇ。4人が戻ってきても私を追うな、って」
伝えられた言葉に、赤美は眉間の皺を深くする。
その瞳が言外に理由を尋ねてくる。
「あいつらのターゲットは自分で、自分相手なら石化呪文は使わない。普通の攻撃呪文なら十分避けられる自信があるからって」
「……石化呪文を使われたら足手まといだから来るなって?」
「まあ、要約しちゃえばそんなとこだろうね」
あっさり返ってきた言葉に、赤美は再びため息をついた。
「自分が石にされて壊されるつー考えは思いつかないのかね、あいつは」
「あー、駄目駄目。あーゆーときの百合ちゃん、とことん余裕ないうえに冷静そうで全然冷静じゃないから、そこまで考えつかないよ」
額を右手で押さえて呟いた言葉に、変わらない口調で実沙が返した。
「多分百合ちゃんってば、大地震でパニック起こすタイプだと思うよ」
「あー……、それは言えてる」
理事部で一番冷静なんて言われているけれど、この中で急なアクシデントに一番弱いのは彼女だから。
それを知っているから他人事のようにそんな話をする。
逆に普段から危なっかしいとか言われてる目の前の人物は、すぐに冷静になるんだろうな。
お互い目の前に座る友人に対して同じ考えを思い浮かべて、小さく息を吐いた。
それが全く同じタイミングだったことに驚き、ほんの少しだけ笑う。
「何に対してのため息?」
「さぁ?何だろーね」
聞けば、帰ってくるのはそんな軽い返事だけ。
そんな相手に苦笑して、不意に表情を元に戻した。
「で?さっきの話だけじゃ、あたしだけを呼んだ理由にならないと思うんだけど?」
「ああ、そうそう」
話が途中だったことを思い出し、実沙がぱんっと手を叩く。
「それでね~。百合ちゃんは追ってくるなって言ってたけど、ほら、さおちゃんってあの性格じゃん。セキちゃんたちは納得しても、あの子はしないと思うんだよねぇ」
沙織――レミアの仲間に対する執着心は誰よりも強い。
特にフェリアに対しては過剰すぎるのではないかと思うほどに。
確かに、と赤美は思った。
百合が意外に頑固だという事実は仲間の誰もが知っている。
それを理由に説明すればタイムとフェリアは納得するだろうが、おそらくレミアはしないだろう。
何が何でも追いかけると喚くはずだ。
「そのレミアの説得をあたしにしろと?」
帰ってくるなり呼び出された理由に見当がついて、赤美は何度目かわからないため息をついた。
テーブルを挟んで向かい側に座る実沙は、正解とばかりに笑顔を見せる。
「そゆこと。多分あたしの説明じゃ納得してくれないからさぁ。頼まれてくんない?」
駄目?と可愛らしく首を傾げる。
そんな彼女にもう一度大きなため息をついて、顔にかかった前髪を掻き揚げた。
「別にいいけど。一応あたしリーダーなわけだし」
「ホント!じゃ、よろしくね!」
やったとばかりに大声で頼み込むと、そのままソファにぱたんと倒れる。
突然の行動にぎょっとし、赤美は思わず立ち上がった。
「ちょっと実沙っ!?」
「あー、ヘーキヘーキ。徹夜で耐えられなくなっただけぇ~」
ぱたぱたと手を振る彼女の瞳は、既にとろんとしていて。
「びっくりさせないでよ……」
やっぱりため息をついて、赤美はソファに倒れるように腰を下ろした。
ちらりと入口の側に掛けられた時計を見る。
話をしているうちに日が昇り、辺りはすっかり明るくなったが、それでも今が彼女たちにとっては十分早い時間であるのに変わりはなかった。
「ねー、セキちゃん~」
「何ー?」
「みんなが来るまでまだ時間あるよねー?」
「……たっぷり1時間半は」
「だったらさぁ。ここで寝ちゃわない?」
セキちゃんだって徹夜でしょう?
そんな問いが消え入りそうな声で聞こえてきたかと思ったら、次の瞬間には静かな寝息が聞こえてきた。
「……実沙」
自分を呼び出しておいてあっさり寝てしまった友人の名を恨めしそうに呼ぶ。
起こしてやろうかとも思ったけれど、はっきり言って自分ももう限界だった。
座っていたソファにパタンと倒れると、上履きだけ脱いで目を閉じる。
それだけで今まで我慢していた眠気が急速に襲ってきた。
とりあえず。
消えそうな思考で考える。
起きてから、どうするべきか。
実沙の言うとおり沙織の説得が最優先か。
そこまで考え、小さく息を吐いたところで赤美の意識は完全に眠りへと落ちていった。