Chapter6 鍵を握る悪魔
16:反撃
「……は?」
ペリドットの告げた言葉の意味が理解できなかったのだろう、マーカスが間抜けな声を上げる。
それはそうだ。
わかりやすく言ったとはいえ、自分が口にしたのは、普通なら考えるはずもない可能性。
それを、しかも突然現れた勇者の子孫が目の前にいるというこの状況で伝えられて、すぐに理解できる人間なんて、そうはいないだろう。
人の頭をいうものは、突拍子もないことを瞬時に理解できないものだから。
「だからー、あたしたち、インシングのお金は持ってないんです」
「な、何をそんな馬鹿なことを!」
「本当ですよー。ここまで来る旅費だって、ぜーんぶミューズ様に出してもらってんですもん。ね?」
「え、ええ」
にっこりと笑って話を振れば、ミューズ惑いながらもしっかりと答えてくれた。
事実なのだから当然だ。
ここまでの旅費を始めとする資金のほとんどはミューズ持ち。
ペリドットといえば、途中で立ち寄った街で自分で使う道具を購入したことくらいしか金を使っていなかった。
「た、旅の資金はなかったとしても、ご自宅にくらいはお持ちでしょう?」
「いいえー。それこそないですよー。だって、家にいくらこっちのお金があっても、おもちゃにしかなりませんもん」
慌てふためくマーカスの問いに、あっさりとそう返してやれば、彼はますます困惑した表情になる。
金品にうるさいという彼にとって、お金に価値がなくなるなんてことは信じられないことなのだろう。
いや、彼だけでなく、ほとんどの人々にとって、お金の価値がゼロになるなんてことは考えられないはずだ。
けれど、自分たちに限っては、それはありえること。
こちらのお金がいくら積まれようと、あまり嬉しくない。
「あたしたちのお母さん……つまり、先代はイセリヤに負けて異世界に逃げたの、ご存知ですよね?」
「あ、ああ、もちろん。それがどうかしたかね?」
「お母さんたち、あっちで結婚して子供生んだんです。つまり、家を継いだあたしたちは、みーんな異世界生まれなんです」
少し大げさに手を動かして、7人が7人ともそうだと言うことを表現する。
そのままぱんっと手を叩いて見せれば、唖然としていたマーカスがはっとこちらを見る。
「お母さんたちが異世界に逃げた後、こっちでは『勇者狩り』っていうものがあったって聞いてますが、ご存知ですか?」
「あ、ああ」
笑顔で尋ねるには似つかわしくないその問いに、マーカスが動揺した様子で答える。
それはそうだろう。
『勇者狩り』と呼ばれるそれは、アースで言う、中世ヨーロッパで起こった魔女狩りのようなものだ。
先代が逃亡した後、ダークマジックはこれ以上歯向かう者が出ないようにとイセリヤが命じたミルザの血統狩り。
いくら勇者の一族と言っても、その力を全ての子孫が受け継いでいるわけではない。
だから、そのほとんどが数回にわたる抹殺命令で殺されてしまっていて、生き残ったのはおそらくウィンソウの直接の分家である自分とその父だけだろうと、そう説明してくれたのはフェリアだった。
「王サマだったら、そんな中に帰ってこようと思えます?自分1人ならともかく、赤ちゃんだっているのに」
「わ、私は……」
「思えないですよね?」
マーカスの答えをわざと遮って、少しだけ口調を強めてもう一度尋ねる。
そこで漸くこちらの目が笑っていないことに気づいたのか、彼は息を呑むような仕種をした。
「だからあたしたち、ずーっと異世界で暮らしてたんです。小さい頃からずっと。だから、当然異世界での社会的立場ってのもあるわけなんです」
そこまで言ったと思うと、若草色の瞳が意味ありげに光って、マーカスに向けられた。
にこりと、口の端だけが持ち上げられるその笑みに恐怖を感じたのか、彼の体が僅かに震える。
「ここで質問ですけど、王サマ?王サマは、実は自分は別の国の人間だから、すぐに戻ってこいって言われてたら、今の立場捨てられますか?」
「す、捨てられるはずがないだろうっ!」
「ですよねぇ。あたしたちもそうなんですよ~」
にっこりと笑って告げた言葉も意味がわからないのか、マーカスは「は?」と言わんばかりの間抜けな表情を浮かべる。
それに本当に無邪気そうな、でも裏では馬鹿にするような笑みを残して、ペリドットは表情を変えずに言った。
「ここまで言ってもわかってくれません?あたしたち、今も向こうで暮らしてるんですよ。ってことは、あたしたちが生活に必要なお金って、異世界のお金なんです」
そこまで説明してマーカスは漸く、何故ペリドットが『インシングのお金がおもちゃである』と言ったのか、その理由がわかったようだった。
ペリドットが所持しているお金は異世界のものだ。
2つの世界の間に、通過のレートは存在しない。
アースではインシングの世界は存在を知られていないし、移動する術もないというのだから当然だ。
インシング側だって、アースという世界の存在を認識したのは、20年前に勇者家の当主たちが逃亡し、ダークマジックがその存在を突き止め、立証したからだ。
お互いの存在を知らなかった世界の間で、通過を換金する術がないのは当然のことだ。
そんな当たり前の事実を、金にしか目が行かないらしい目の前の国王は、ペリドットが身の上話をするまで思い出そうとさえしなかったというわけだ。
「だから、あたしたちのお金、こっちの世界ではおもちゃになっちゃうんですよ?それでもいいなら交換しましょう?王サマが持つのは、質量ばっかりお金のおもちゃだけど、あたしがもらえるのはご先祖様のお宝ですもん。別に全然いいですよ~」
にこにこと笑いながら、もう一度現実を突きつける。
漸く事態を理解したらしいマーカスは、何も言えずに固まっていた。
「ペ、ペリートさん……」
謁見の間を支配し始めた沈黙に耐えられなくなったのか、ミューズが恐る恐る口を開いた。
「なーにぃ?」
それにいつもの口調のまま振り返れば、ミューズは慌てた表情で人差し指を唇に当て、「しーっ」と囁く。
「よかったんですか?これで陛下の怒りを買いでもしたら……」
「いいのーいいのー。それに、これでもずいぶん穏便な方だよ?」
ぱたぱたと相手を仰ぐように手を動かしながら笑って言えば、ミューズは訝しげに眉を寄せる。
そう。面と向かって、言葉で攻めている分には、まだ穏便な方なのだ。
「これでルビーちゃんでも連れてきてみなよ。交渉さっさと決裂させて、宝物庫に盗みに入っちゃうって」
「い、いくらルビーさんだって、そこまではしないでしょう?」
「ううん。絶対するよ!だってルビーちゃん、あれで意外と短気だもん!」
意外と、なんてつけたのは、ミューズが普段のルビーを知らないからだ。
普段のルビーは短気で、口より先に手が出て、すぐに鉄拳制裁を食らわせているような子だけれど、ミューズが会うルビーは大抵リーダーモードで、冷静に状況を分析し、誰よりも的確な意見を出せる子だった。
だからミューズは、きっと自分たちの誰よりもルビーの一面を理解できていないだろうと思ったのだ。
「ちっなみに、宝物庫に結界張ってあっても無駄ですよ~。あたしたち、お城の特別な部屋の結界を何度も破って、しかも気づかれずに元に戻してるっていう実績の持ち主ですからね~」
「う……」
にっこりと笑って実績を告げた途端、ミューズが苦い表情になる。
それはそうだろう。
今告げた部屋というのは、エスクール城の地下にある『精霊神の間』のことなのだから。
「どうします王サマ?素直に取引に応じるのと、もう一度あたしたちに泣かさせるのと、どっちがいいですか?」
笑顔を崩さずに告げれば、途端にマーカスが苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
どちらの選択も、マーカスにとっては不利益にしかならない。
逆にこちらにとっては、損失はあるものの、最終的には捜し求めていた物が手に入るという利益がある。
その損失だって、今マジック共和国や自分たちの身に降りかかっていることを考えれば、安いものだと思っている。
思っているけれど、だからと言って、そのままマーカスに素直に二択を迫るほど、ペリドットはお人よしではない。
普段にこにこと笑っているだけの女の子を怒らせるとどれだけ怖いか、よくよくわからせてやるつもり満々だった。
「ちなみに、あたしたちの邪魔をするってことは、精霊に背くってことですから、よーく考えてくださいね~」
視線を戻して笑顔を浮かべて、さり気なく呟いたことは、この世界に住むものにとっては絶対に避けたい、何よりも恐ろしい言葉。
マーカスにとっても、それはやはり恐ろしいものだったらしい。
ぴくりと体を震わせると、先ほどまでとは一変した恐怖に染まった目をこちらに向けた。
「精霊に、背く……?」
「はい。当然ですよねぇ。あたしたち、精霊神と七大精霊に導かれた勇者ですから。あたしたちの邪魔をするってことはぁ、精霊様に背くってことですよね」
不気味なくらい明るい口調でそう告げると、くるりとミューズを振り返った。
突然視線を向けられたミューズは、驚いたのかびくりと体を震わせた。
「ねぇ、ミューズちゃん。七大精霊の怒りを買うと、怖いことになるんだよね?こっちって」
首を傾げて尋ねれば、ミューズは一瞬きょとんとした顔になった。
しかし、すぐにこちらの意図を悟ってくれたらしい。
はっと目を瞠ると、彼女はすぐに頷いた。
「え、ええ。精霊は、この世界の万物に宿っていると言われていますし、七大精霊はそれを統括する存在です。彼らがこの国を見捨てれば、この国の大地から、魔法的な力が消える可能性もありうるかと……」
「ってことはさ?魔法を使えなくなることもありうるってことだよね?」
「可能性としては、あると思います。あくまで想像ですけど……」
どうしても説明が弱気になってしまうのは仕方がないのだろう。
エスクールは魔法学がそれほど進んでいるわけではない。
加えてミューズは剣士だ。
魔法剣を使うこともあって基礎的なことは学んでいるだろうが、魔法学が専門というわけではない。
だから、自分の意見に自身が持てないのは当たり前だ。
しかも、相手にしているのはマジック共和国に次ぐ魔法大国の国王なのだから、弱気になってしまっても、誰にも文句は言えない。
「もしそんなことになったら、魔法王国であるこの国は大変なことになりますよねぇ?」
小声でミューズに礼を告げて、マーカスに向き直る。
そうして笑顔でそう言ってやれば、彼はがたがたと震え出した。
歳入のほとんどを魔法学やそれから生まれた魔法道具の輸出に頼っているこの国にとって、魔法が使えなくなることは致命的だ。
そして、今そんなことが起これば、民から反感の声が上がるのは必死で。
それを想像して、恐怖を感じているのだろう。
もしかすると、マーカスは王としての評判がそんなによくないのかもしれない。
「……わ、私は……」
ぶるぶると震えながら、漸くといった感じでマーカスが口を開く。
小さかったその声を聞こえなかったことにして、ペリドットはふうっとため息をついてみせた。
「答えがないならもういいです。あたし帰ります。お忙しいところありがとうございました」
「わ、わかった!わかったから待ってくれっ!!」
ぺこりと頭を下げて、退出しようと背を向ける。
その途端、本当に慌てたマーカスの声が背中にかかった。
それはペリドッドにとって、作戦成功の合図に他ならなかった。
思ったとおりの展開に、思わず口元がにやけ、まるで何かを企んでいるような笑みを浮かべてしまう。
それが目に入ったのか、びくりとミューズが体を奮わせた。
それには気づかなかったふりをして、ペリドットは上機嫌な笑みを浮かべ、くるりと振り返った。
「よかった~。実はもうあんまり時間ないんで焦ってたんです~。じゃあ、すぐに貰ってもいいですか?」
「そ、それが……」
慌ててこちらを呼び止めたというのに、マーカスは再び呟いたかと思うと、戸惑ったように視線を彷徨わせる。
漸くここまできたと思った途端のそんな反応に、流石のペリドットも不機嫌を表情に出してやろうかと思った、そのときだった。
「ないんだ……」
「え?」
「その……。エスクールより献上された書物類は、全て盗まれてしまったんだ……」
「ええっ!?」
信じられないその告白に、ミューズが思い切り声を上げる。
あまりに大きなその声に、マーカスは苦虫を噛み潰したような顔で俯いてしまった。
王家の宝物庫に賊の侵入を許すなんて、本来ならばあってはならないことだ。
だからこそ、マーカスはあんな表情をして、ミューズもあんな大声を上げてしまったのだろう。
まあ、マーカスの表情の理由は、それだけではないだろうけれど。
「王サマ。盗まれたって、誰にですか?」
「そ、それは……」
「言ってくれなきゃ、精霊様に言いつけちゃいますよ?」
「う……」
にこりと笑って尋ねれば、マーカスは本当に悔しそうな表情を浮かべた。
気分を落ち着けるかのようにふうっとひとつ息を吐くと、先ほどまでとは違う、少し落ち着いた表情で口を開いた。
「……今この国に、湖賊と呼ばれる盗賊団がいるのはご存知か?」
「知ってますよ~。……って、まさか」
「彼らに、盗まれたのですか?」
「……そういうことに、なる」
本当に、本当に小さな声で呟かれた言葉は、肯定。
信じられないその答えに、流石のペリドットも呆れたような声を漏らしてしまった。
「……うわぁ」
「……まさか、それを誤魔化すために、この方に多額の代金を要求しようとしたのですか?」
「…………そうだ」
「……っ!!?なんて馬鹿なことをっ!!それでもあなたは、一国の王なのですかっ!!?」
とんでもない答えに、ミューズが烈火のごとく怒り出す。
彼女だって王家の人間だ。
それも、ひとつの巨大な帝国が世界中を侵略し、統治するなんていう、後世の人たちに暗黒時代なんて呼ばれそうな時代に生まれたものだから、リーフと同じ後継者としての教育を一から受けて育ったのだという。
それだけに、彼女の王族としてプライドは、リーフ以上だと言っても過言ではないくらいで。
だからこそ、マーカスの行動が許せなかったのだろう。
「も、申し訳ないっ!し、しかし、仕方なかったのだっ!!」
「何が仕方ないのですかっ!そもそもあなたは……」
「ミューズちゃん!」
このまま説教を続けそうだった彼女の肩を掴む。
そうすれば、彼女は怒りの形相のまま、それでもちゃんとこちらを振り返ってくれた。
「王サマ叱るのは後で」
「ですが……」
「気持ちはわかるんだよ。けどちょっと待って、ね?」
先ほどまでの笑顔は消して、真剣な表情で頼めば、ミューズも渋々ながら了承してくれたらしい。
今にも振り上げそうだった拳を下ろして口を閉じ、ぺこりと頭を下げて後ろに下がる。
「ありがと」
小声で礼を告げれば、ミューズは視線だけでこちらを見て、小さく頷いてくれた。
そんな反応に安心して、もう一度、すっかり怯えてしまっているマーカスに目を向ける。
「王サマ。その湖賊って、最近この国荒らしてるんですよね?」
「そ、そうだ」
「じゃあもちろん、お城の方でそいつらのアジト、調べてますよね」
「あ、ああ。調査隊の方が、詳しい場所まで把握していると思うが……」
「じゃあそれ、教えてください」
「は?」
「だから、あたしたちに教えてください。そいつらの居場所」
真剣な表情でそう頼み込みながら、真っ直ぐにマーカスを見つめる。
そして、少しだけ間を置いてから、息を吸い込んではっきりと告げた。
「直接行って、取り戻してきますから」
まさかこちらがそんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。
驚きに目を瞠ったマーカスは、すぐに慌てたように口を開いた。
「し、しかし、2人だけでは……」
「あれれ?王サマ、忘れちゃったんですか?」
言いかけた言葉を遮って笑顔を浮かべると、可愛らしく首を傾げてみせる。
それにマーカスが不思議そうな表情を浮かべる。
恐怖や混乱ですっかり先ほどのやり取りを忘れてしまっているらしい彼に向かって、ペリドットはにっこりと微笑んでみせた。
「ミルザの子孫なんですよ?あたし」
これは今、この場で一番力を持った言葉だった。