Chapter6 鍵を握る悪魔
26:「知恵」と「火」
この神殿の中の、一番広い部屋。
妖精しか住んでいないこの村にあるこの神殿が、それには似つかわしくない大きさで作られているのは、人間に合わせたからではない。
かつて妖精神を守るために、この地に存在したエルフ族に合わせたからだ。
フェアリー種の移住に合わせて妖精界に戻って行った彼らの痕跡は、もうこの世界に存在しない。
彼らがこの地に存在していた記憶も、もう何処にも残っていない。
きっと、今この地に住む者たちにも、その事実を知る者はいないだろう。
ただ、その当時に建てられたこの神殿だけが、辛うじてそれを現代に伝えていた。
その部屋の祭壇の上に、彼は先ほどと変わらない姿勢で佇んでいた。
視線は女神の娘が封印されていた台座に向けられたまま、何をするわけでもなく立ち尽くす。
主が眠る寝室に移動しても良かったのだが、今あの部屋には『彼』がいる。
黒を纏った『彼』が、彼はどうしても苦手だった。
本来ならばここにいることすら拒み、住処に戻ってしまいたい。
けれど、その『彼』は今、大切な主の側にいる。
長い長い時を経て、漸く再会することが出来た主を、『彼』に託したままにしてしまうことはどうしても出来なくて、その場から動くことが出来ずにいた。
暫くの間は遠くの騒がしい会話を聞いていたが、それも唐突になくなった。
おそらくほとんどの者が、無の魔力を継いだ少女と共にこの地を発ったのだろう。
かつてから因縁があったあの悪魔と、今度こそ決着をつけるために。
『……因縁か……』
そう、因縁だ。
自分の主とあの双子の戦いも、自分が再びこの地に下りる前に起こった4つの戦いも、全ては遥か昔からの因縁が起こしたもの。
彼女たちは知らない、遥か昔に起こった――自分が主を失った事件をきっかけにした因縁。
時を越えた今、それが再び世界に降りかかっている。
ひとつふたつだったならば、偶然だと笑い飛ばすことも出来ただろう。
それが6つも重なり、傍観者と呼ばれる『彼』まで姿を見せたということは。
『……やはり限界ということか』
あの悪魔が、以前の記憶を持っていたことがその証拠。
1000年前、ミルザの犯した『失敗』の代償が、確実に今、世界に影響を及ぼしている。
確信したその事実に、思わず拳を握ったそのときだった。
「何が限界なの?」
かつんというブーツの踵を鳴らす音と共に、少し高めの声がかかった。
思わず振り返ってみれば、広間の入口にいつの間にか人の姿があった。
赤と青のそれは、少女たちの中で自分が最も避けている2人のものだった。
『クリスタ……。ミューク……』
入口からじっとこちらを見ている2人を、負けじと睨み返す。
『お前たち、オーサーと共に行ったのではなかったのか?』
「戦闘不能の仲間をたった1人で残していけると思う?」
炎のような赤い瞳が、ぎろりと睨みつけてくる。
仲間を心配しているようなその言葉は、ここに残るための口実だ。
本当の目的は、主が倒れて以来ずっとその側にいる自分を問い質すことだろう。
水晶の記憶の話をしているときから、ルビーがじっと自分を見ていることには気づいていた。
まさか、仲間のサポートを放り出してまで、こちらに来るとは思わなかったけれど。
『仲間思いなことだ』
真意に気づかないふりをして、顔を背ける。
もちろん、この2人がこれで引き下がるなどとは思っていない。
どんな誤魔化しをしても、彼女たちの誰よりも鋭いこの2人には通じないだろう。
『早く主の下へ行ってやるといい。お前たちがいれば、主も安心するだろう』
「そうだね……。でも、その前に」
ルビーの声が、心なしか低くなる。
聞く気はないと態度で示しているのがわかっているだろうに、彼女はそれを無視して話を始めるつもりだ。
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」
『答えることなど何もない』
間髪を入れずにそう答えれば、ルビーの中に怒りという感情が生まれる。
それを隠そうともせず、真っ直ぐにこちらへ向けて、先ほどよりも低い声で口を開いた。
「話も聞かないうちにそんなこと言うわけ?せめて、聞くだけ聞いてくれてもいいんじゃない?」
『聞いたとしても、私は何も答えん』
はっきりとそう告げてから、首だけでルビーを振り返る。
『お前が今からする問いを、主が私にしたとしても、私は何も答えんぞ』
「……っ!?」
目だけは真っ直ぐにルビーに向けてそう告げた途端、彼女の表情が僅かに動いた。
予想とおりの反応に、思わず零れそうになったため息を飲み込む。
『お前たちのその問いに答える権限は、私には与えられていないからな』
これがとどめとばかりに言葉を続ける。
その途端、先ほどから口を開いていなかったタイムの顔が、ぴくりと動いた。
「権限って、なんですか?」
タイムの問いに、一瞬驚いた表情をしたルビーが次の瞬間勢いよくこちらを見る。
答えずにいれば、今度は彼女が口を開いた。
「そういう言い方をするってことは、何か知っているってことじゃないの?」
炎のような赤い瞳が、ぎろりとこちらを睨む。
本人は凄んでいるつもりだろうが、所詮は人間だ。
以前の彼女ならばともかく、今の彼女のそんな表情など、怖いはずもない。
『言ったはずだ。私は何も答えん。それが、私に与えられた権限ではないからだ』
完全に視線を外して、冷たく言い放つ。
ふと、この状況から逃げる方法を思いついて、もう一度視線だけを2人に向けた。
『もしも知りたいならば、あの悪魔に聞いてみることだ。もっとも、オーサーにしか興味がないらしい奴が、お前たち相手に話をすると思えんがな』
ほんの少しだけ笑みを浮かべてそう告げた途端、2人が驚きの表情を浮かべた。
その一瞬の隙を突いて視線を外す。
そのまま意識を集中し、目の前に以前見た景色を思い浮かべた。
その途端、もともと透けている体が、光の粒子を吹き出しながらさらに薄くなった。
そのときになって漸く我に返ったらしいルビーが、慌てて大声を上げる。
「ちょっと!何処に行くつもり!?」
『私用だ。お前たちが残るなら、私がここにいる必要もないからな』
「な……っ!?」
信じられないという顔をしたけれど、もう遅い。
こちらの世界に実体を持ってきていない今の状況ならば、転移は容易いのだから。
「ちょ……っ!?待て……」
ルビーの声など無視して転移を実行する。
自分の主はミスリル=レインただ1人だ。
それ以外の者の命令を聞く必要はない。
だから、彼女の声に答えてここに残る必要は、今はない。
それよりも、行かなければならないところがある。
あの悪魔は、きっとペリドッドに話してはならないことまで話そうとするだろうから。
それを止めに行かねばならない。
彼女たちには、まだそれを知る必要などないのだから。
目の前の青年を包む光が強くなる。
漸くそれがなくなったと思ったときには、先ほどまでそこにいたはずの彼は、完全にその姿を消していた。
慎重に辺りを窺ったけれど、気配すら感じない。
どうやら、本当にここから出で行ってしまったようで、それを確信した瞬間、思い切り頭を抱えた。
「~~ぁああっ!?もうっ!!」
「見事に逃げられたわね」
隣に立つタイムが、ふうっとため息をつく。
ため息をつきたいのはこっちだ。
漸く尻尾を掴んだと思ったのに、問い詰める前に逃げられたのだから。
まあ、それはタイムも同じか。
同じ気持ちで付き合ってくれているのに違いないから。
「それにしても、権限ねぇ……」
ウィンダムが残していった言葉を、口の中で転がしてみる。
そうしたけれど、さっぱり意味がわからない。
「一体そんなもの、誰が決めてるって言うのさ……」
「……精霊より上の立つ存在、かしらね」
「え?」
思わぬ答えに、反射的に顔を上げる。
不思議そうに見つめれば、タイムはその深い青の瞳がこちらを見た。
「ペリートが言ってたじゃない?マリエス様が、精霊は世界の頂点じゃないって言ってたって」
「ああ……」
そういえば、水晶の記憶の話のときに、彼女は確かにそんなことを言っていた。
その話も、ウィズダムは答えずにはぐらかしたのだ。
「これは本当にいるかな。精霊より偉いヒトたちって」
「もしかしたら、ウィズダムがそうだったりしてね」
「まさか!もしそうだったとしたら、あんな言い方しないって!」
全く予想をしていなかった言葉に驚いて、思わず大声を上げる。
「わからないよ。ウィズダムって土竜の化身ってことになってるけど、本体の方は本当は物凄く偉い神様とかだったりして」
「あり得ないあり得ないっ!ぜーったいにあり得ないっ!!」
くすくすと笑いながら、タイムが本当に楽しそうに言う。
それを力いっぱい、それこそ子供のようにぶんぶんと首を振って否定する。
あんな奴が神様だなんて、納得したくなかった。
自分にとって、ウィズダムはまだ『仲間』ではない。
ミスリルの側に付き従う嫌味な奴でしかない。
そんな奴が神様だなんて、絶対に認めたくない。
「ちょっとちょっと!冗談だってば!どうしてそんなにムキになるの!」
「だって!あんな奴が神様だなんて、どう考えたって嫌じゃないっ!!あんな奴が神様だったら、イセリヤが神様だった方がまだマシだーっ!!」
「そこまで言うんだ……」
流石にここまで完全に駄々っ子のように騒ぐと、いつも付き合ってくれるタイムも呆れたようだ。
思い切り表情を崩して、あからさまにため息をつく。
それだけならまだしも、額に手を当てて首まで振り始めるのだから、流石に酷いと思ってしまった。
「ちょっと!そんなにあからさまに呆れなくてもいいじゃないっ!」
「呆れたくもなるよ。まったく……。あんたって子は……」
年上のような言い方に、ほんの少しだけ怒りが湧き上がる。
けれど、自分がそう思わせるような行動をしているのだから、それは仕方がない。
普段の精神年齢は、タイムの方がよっぽど大人なのだから。
「……悪かったね!」
「ほらほら。そうやってすぐ拗ねないの」
ぷいっと顔を背ければ、慰めるような口調でぽんぽんと肩を叩かれた。
「拗ねてないもん」
「拗ねてるじゃない。まったく……」
もうひとつため息をつくと、タイムは本当に困ったような顔でこちらを見る。
「しっかりしているときは実年齢疑うほどしっかりしてるくせに、どうして気が抜けるとすぐにこうなんだか」
「どうせあたしは裏表が激しいですよぉ~だ」
「裏表……とは違うんじゃない?っていうか、あんた裏が全くないタイプだと思うんだけど」
「……何?それはあたしが単純だって言いたいの?」
「あ、そうかも」
「タイムぅ~っ!!!」
「はいはい。それよりも、これからどうするんです?リーダー」
「う……」
流石にあんまりだと思って声を上げたのに、それも軽く受け流される。
話の軌道修正に入ってしまった彼女に対してこれ以上文句を言っても、全部受け流されてしまって余計に自分が惨めになるだけだ。
それを知っていたから、それ以上言葉を続けようとも思えず、代わりに複雑な気持ちを全て吐き出すつもりで大きく息を吐いた。
「……どうするも何も、本気で真面目にミスリルの護衛するしかないでしょ」
「あれ?みんなを追うんじゃないの?」
「ウィズダムまでいなくなっちゃったんだから、あたしらまでここ離れるわけにはいかないでしょうが」
「ああ、それもそうね」
ウィズダムが本当に外へ行ってしまったのなら、ミスリルはこの神殿に1人になってしまう。
そんな状況で、自分たちまで彼女を置いて出て行くことなんて出来るはずもない。
「それじゃあ、みんなが戻るまでのんびりさせてもらいましょうか。向こうでティーチャーがお茶を用意してくれてるみたいだし」
「そうしますかね。あーあ、こんなことなら残るなんて言わなきゃよかった」
脱力したと言わんばかりに思い切り肩を落としてみれば、くすくすと笑い声が返ってくる。
思わず睨み返せば、タイムは素知らぬ顔で背を向け、さっさと広間を出て行ってしまった。
「……ま、仕方ないか」
本音を言えば、ウィズダムから何かを聞き出せるとは思っていなかった。
無視されて、さらに問い質して、また受け流される。
そんなやり取りをすると予想していたのだ。
あれだけのことを話してくれたのだから、今回はそれでいいとしよう。
「けど、次はこんなに簡単に諦めてやらないからね」
今回は譲ってやるけれど、次は絶対に諦めない。
絶対に、彼が知っていることの全てを聞き出してやる。
そうすれば、この胸の奥に生まれた無視できないほどの大きな不安の理由が、わかるような気がするから。