SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter6 鍵を握る悪魔

27:恐怖

薬品の匂いが、そこかしこに漂っている。
最初は鼻につくと思っていたその匂いも、数年住んでいるうちにすっかり慣れ、今では当たり前のものになってしまった。
だからだろうか。
数週間ぶりに戻ってきたこの小屋が、懐かしい。
そんなもの、人間の持つくだらない感情のはずだ。
それを抱いてしまうということは、人の暮らしに溶け込みすぎてしまったせいだろうか。
「……ふん。くだらない」
溶け込んでいようとなんだろうと、この場所に感じるそれは錯覚だ。
自分が懐かしいと感じる場所はここでもなければ、数年『父』と呼んできた、あの役立たずの男でもない。
「そう、僕が懐かしいと思うのは、ここじゃない」
懐かしいと思えるのは、たったひとつの場所。
『この世界』にはない、懐かしい人が待っていてくれるはずの場所。
その場所に帰るために、もう一度あの人と会い、その願いを叶えるために。
「早く来い、僕の『対』」

君が消えたその時こそ、僕があの人のもとに戻れる時なのだから。






誰もいない街。風の音以外、何も聞こえない場所。
人の気配がしない場所がこんなにも怖いだなんて、初めて知った。
その感覚を追い出すために、目を瞑って軽く首を振る。
再び瞼を開けたとき、その下から現れた若草色の瞳は、目の前にある診療所を真っ直ぐに睨んでいた。
軽く息を吸い込んで、吐き出す。
そのまま診療所に向かって声を発しようとしたそのとき、聞き慣れない声が聞こえた。
「随分遅かったじゃない」
背後から聞こえたそれに目を見開く。
慌てて振り返れば、いつの間にかそこに、スターシアで出会ったあの少女が立っていた。
「ネヴィルっ!?」
「ふふっ。こんなに側にいて気づかないなんて、鈍いんじゃない?」
くすくすと笑う少女から離れる。
そのまま睨みつけるけれど、少女は笑みを崩さない。
それどころか、ますます笑みを深めるだけだ。
「凄い顔ぉ~。こっわぁ~い」
「ぶりっ子、やめてくれない?可愛くないんだけど」
「ええ~?ひっどーい。気に入ってるのにぃ~」
始めから聞いてもらえるなどと思ってはいなかったけれど、その変わらない態度には腹が立った。
「やめてってばっ!!」
「おっとぉ!ふふっ、はっずれ~」
叫ぶのと同時に背中に隠していたオーブを飛ばす。
それをふざけた態度のまま、いとも簡単に避けられた。
その口調に、浮かんだ笑みに腹が立って、二撃目を放とうとしたけれど、寸前のところで思い止まる。
ここで乗せられたら、相手の思う壺だ。
「……あれ?もうお仕舞いなの?もっと遊ぼうよぉ~」
「ふーんだ!やだもんねーっ!」
オーブを側に引き戻して、少女を睨む。
「遊びに来たんじゃないんだから、あたしは」
「へぇ」
少女の表情から、ふざけた態度が消える。
ますます笑みを深めた少女は、くすくすと笑いながら目を細めた。
「じゃあ、何しに来たって言うのかな?」
「そんなの決まってるっ!!」
ばっと手を伸ばして、ぱちんと指を弾く。
その瞬間、少女の足元から炎が吹き上がった。
熱風と共に上がった火柱の中から、少女が飛び出す。
少し服が焦げた程度で、怪我を一切していないその姿に、思わず舌打ちをした。
「びっくりした~。いきなりなんだもん、おねえちゃん」
「その格好で、そういう風に呼ばれたくない」
「あ、そっか。そうだよねぇ」
くすくすと笑いながら、少女はその場でくるりと回る。
踊るようなその仕種が遊んでいるように見えて、思わず睨みつける目を細めた。
「今の僕の方が、おねえちゃんより年上かも知れないもんねぇ?」
「そもそも君、実年齢はあたしより1000歳くらい上でしょ!」
「ああ、そういえばそうだっけ?忘れてたよ」
くすくすとおかしそうに笑う少女に、言葉を返すのはやめた。
答えたらそれだけ、相手が面白がるだけだ。
ただ黙って睨みつけていると、少女もだんだんつまらなくなってきたらしい。
笑い声が徐々に小さくなり、ついには完全に消える。
楽しそうに笑っていた瞳は、退屈そうな色を浮かべてこちらを見ていた。
「つまんないなぁ。もっと乗ってくれてもいいのに」
「遊びに来たんじゃないって言ってるでしょっ!」
「ああ、そうだったねぇ……」
少女の顔が、退屈から一変する。
「遊びに来たんじゃなくって、殺されに来てくれたんだもんねぇ?」
にたりと、少女の顔が笑った。
それに悪寒を感じ、思わずぶるりと体を震わせた、そのときだった。
「え……?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
少女の姿が掻き消えたかと思った瞬間、先ほどまで離れた場所にあったはずの顔が、目の前にあったのだ。
それを認識した次の瞬間、腹に強い衝撃が走る。
視界がぐるりと反転して、気がついたときには、背中が地面に叩きつけられていた。
「……はっ!?」
叩きつける力が強すぎたのか、体は一度で沈むことなく、大地を跳ねる。
浮き上がったタイミングで、ブリッジの要領で頭上に手をついた。
そのまま体を持ち上げて、腕の力を使って後ろへと飛ぶ。
けれど、腹の痛みで着地はうまくいかず、その場に崩れ落ちてしまう。
「わー、すっごーい。そんなに腕細いのに、そんなことできるんだー」
ぱちぱちぱちと、わざとらしい拍手に顔を上げた。
先ほどまで自分がいた場所に少女――ネヴィルが立っている。
その顔からは先ほどの気味の悪い笑みは消え、無邪気な笑顔が浮かんでいた。
「は……っ!」
先ほどの、あまりにも強い衝撃に胃からこみ上げてきたものを何とか堪える。
命取りだとわかっていても、咳き込むことをやめられなかった。
そうしなければ、本当に戻してしまいそうだったから。
「辛そうだねぇ。やっぱりさっきのジャンプはやせ我慢だったんだぁ」
くすくすと笑うネヴィルの声が耳につく。
「ほぉら。実力差はこーんなにはっきりしてる。だからさぁ」
再びにたりとネヴィルが笑う。
「無駄な抵抗やめて、さっさと殺されちゃってよね」
再び走った戦慄に、反射的にオーブをかざした。
「サンライト……フラッシャーっ!」
オーブから眩い光が放たれる。
瞬時にネヴィルを包んだそれを見て、ほんの少しだけ安堵する。
そのまま体勢を立て直そうと、立ち上がったそのときだった。
「目晦ましのつもり?」
「え……っ!?」
唐突に隣から聞きたくない声が聞こえた。
振り向くより早く、横から強い衝撃を受ける。
勢いよく飛ばされた体は、そのまま近くにあった家の壁に叩きつけられた。
「あぅ……っ!?」
強すぎる力に、体が石造りの壁に思い切りめり込む。
一瞬止まったかと思った途端、壁が崩れ、そのまま塗装された大地に落ちた。
破片がばらばらと降り注ぐ。
腕で庇うことの出来なかった頭にその破片が当たり、つうっと血が筋を作った。
「な、に……、これ……」
殴られたのか蹴られたのか、どちらともわからない衝撃を受けた右腕が、じんじんと痺れて動かない。
ぽたぽたと頭から流れる血が、辛うじて体を支える左手を濡らしていく。
それが当たるたびに、ぶるぶると腕が震えているのがわかった。
まさか、ここまで強いなんて、思わなかった。
これでは、街の外へ誘導するどころか、ここから移動することすら儘ならない。
ぐっと左手を強く握る。
感じた恐怖を無理矢理押し殺して、ぎっとネヴィルを睨む。
目の前に立つネヴィルは、相変わらず楽しそうに笑っていた。
「ほらほらぁ。次はどうするの?」
くすくすと笑いながらネヴィルが近づいてくる。
呪文を放って時間を稼ごうにも、先ほどからずきずきと頭が痛んで、集中できない。
「ねぇ、逃げないの?」
ネヴィルが笑いながら近づいてくる。
どうにかしなければならないのに、体がうまく動かなくて、どうにもできない。
何とか立ち上がって距離を取ろうとするものの、背中はすぐに先ほど叩きつけられた壁にぶつかってしまった。
ネヴィルの手が、ゆっくりと伸びてくる。
がしっと右腕を掴まれて、思わず呻き声を上げた。
「逃げないんだぁ。逃げないんだったら、ねぇ」
もう片方の手が、首に伸びてくる。
逃げようにも右腕が強い力で押さえつけられていて、逃げられない。
「僕に殺されてよ、おねえちゃん」
がっと勢いをつけた手が、首に食い込んでくる。
思わず息が詰まったけれど、咳き込むことができるはずもない。
それどころか、そのまま圧迫されて、息が出来ない。
「……ぁ……ぅぁ……」
すぐ側にあるネヴィルの顔が、にたりと気味の悪い笑顔を浮かべる。

「さよなら、アストラエア」

意味のわからない言葉を伝えられたと思った途端、首を絞める力が強くなる。
意識が霞んできて、何とか拘束を解こうとネヴィルの手を掴んでいた左腕にも力が入らなくなってきた。

ああ、本当にまずい。
このままじゃ、本当に殺される。

何とかしないといけないと思うのに、体から力が抜けていく。
目の前もだんだんと暗くなってきて、もう駄目だと思ったそのときだった。
「ペリートさんっ!!」
遠くから、もうすっかり耳に馴染んだ声が聞こえた。
次の瞬間、息を呑むような気配を感じたと思ったと同時に、喉を圧迫していたものが離れる。
力が抜けた体が、がくんと落ちる。
完全に地面に倒れ込む前に、その体は誰かに受け止められた。
「……っげほげほっ……っはっ……はぁ……!」
「ペリートっ!大丈夫っ!?」
肺が足りなかった酸素を勢いよく吸い込む。
胸を押さえて深呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと視線を動かした。
視界に、深い森のような緑が入ってくる。
真っ直ぐに地面に向かっているそれを追いかけて視線を上げると、すぐ側に見慣れた顔が現れた。
「……レ、レミ……ちゃ……、っは……!」
「ペリートっ!」
「無理に喋っちゃ駄目っ!」
反対側から聞こえた声に、顔を動かす。
その途端、視界に入ったのは若葉を思わせる服と、太陽を思わせるマント。
もう少し視線を上げれば、この世で唯一の色を持つ少女が、心配そうな顔で自分を見つめていた。
「セレちゃ……」
「喋らないで!そのまま、ゆっくり深呼吸してください」
どうして2人がここにいるんだとか、何で追いかけてきたんだとか、言いたいことはたくさんあった。
けれど今の自分は、話しをするどころか呼吸をすることすら儘ならない状態で。
だから素直に従って、深呼吸をする。
そうすることで、足りなかった空気が肺に入って、だんだんと落ち着いてきた。
「大丈夫?」
「何とか……。それよりも、2人ともなんで……」
「2人じゃないよ」
「え?」
すっと前を示されて、視線を向ける。
その瞬間、目の前に黄色が広がった。
セレスのマントが太陽の強い輝きを表しているのならば、それは太陽の柔らかい光。
目の前で風に揺れているそのマントの主は、自分に目が向けられていることに気づくと、視線だけでこちらを振り返った。
「ペリートさん!大丈夫ですか!?」
「……ミューズちゃんっ!?」
木々の幹のような茶色の髪の合間から、安心したような笑顔が見える。
すぐに正面に向き直ってしまった彼女の手には、愛用の剣が握られていた。
「なんで……?」
「あんな奴、あんた1人に押し付けておけるわけないでしょうがっ!」
「レミちゃん……」
怒ったような声で言われて、視線を向ける。
すぐ側にある深緑色の瞳は、真っ直ぐに離れた場所にいる悪魔の姿を映し、怒りに染まっていた。
ふと、視線を落として、気づく。
レミアの、世にも珍しい緑色に輝く刀身を持つ剣が、今は普段より強い光を放っている。
「レミちゃん、それ……っ!?」
「あたしがこのまま黙って見てられる奴だと思った?」
ぎろりとこちらを一瞥すると、レミアはそのまま立ち上がる。
「ちょ……っ!駄目だよっ!!……うっ!?」
「ペリート!?」
立ち上がろうと右腕に力を入れた途端、激痛が走った。
その場に崩れ落ちかけた体を、側にいたセレスが支えてくれる。
「無理に動いちゃ駄目よ!ちょっと貸して!」
もう一度座り直すと、セレスが腕を掴んで、少しだけ持ち上げる。
その途端に激痛が走って、思わず呻き声を上げてしまった。
「折れてはいないみたい。今治すから、少しじっとしてて」
「う、うん……」
腕に添えられたセレスの手から、淡い光が零れ出す。
それが腕を包むと痛みが徐々に和らいでいく。
暫くすると、感じていた痛みも痺れも、嘘のように消えてしまった。
「セレちゃん、もういいよ。痛くなくなった」
「え?でも……」
「ヘーキヘーキ。これだけ動けば大丈夫だよ。それよりも……」
浮かべていた笑顔を消して、セレスを睨む。
心配そうな顔でこちらを見つめていた彼女は、突然強い視線を向けられ、びくりと体を震わせた。
「何で来たの?」
「え?」
「あたし、1人で行くって言ったよね?」
「でも……」
言葉を捜すように視線を彷徨わせたセレスに、気づかれないようにため息をつく。
そのまま右手に視線を落とすと、先ほどまで痛みのあったそこをぱしっと叩いた。
「今のは感謝してるよ、ありがと。来てくれなきゃ、あたし殺されてた。でもね……」
言葉を続けながら、視線を前方に向ける。
こちらを庇うように立ったレミアとミューズは、先ほどからネヴィルと問答をしているようだった。
もちろん、こちらの言葉を聞くような相手ではない。
それでも追求をやめないレミアに、段々のネヴィルの表情に苛立ちが募っていく。
そろそろまずいと、直感的にそう感じたそのときだった。
「……るさい」
微かな呟きが、耳に届いた。
はっと顔を上げた瞬間、ネヴィルの目がかっと見開かれる。
「うるさいうるさいうるさいっ!!」
ネヴィルが声を上げるのと、どっちが早かっただろうか。
ペリドッドが腕を振り上げるのと同時に、側に転がっていたオーブが、勢いよくレミアに向かってきたネヴィルの脇腹に叩き込まれる。
「ぐぅっ!?」
先ほどのペリドッドと同じように真横に弾き飛ばされ、壁に叩きつけられたネヴィルから呻き声が上がった。
「ペリートっ!?」
「何してんのっ!早く逃げてっ!!」
驚くレミアにそう怒鳴りつけて、口の中で呪文を詠唱する。
「グレイブっ!!」
立ち上がろうとしたネヴィルに向かって放ったそれは、しかしこちらの意図に気づいた彼――いや、彼女に簡単に避けられてしまった。
「……はっ!なーんだ。回復しちゃったんだぁ。もう少し寝てればよかったのに」
口の中でも切ったのか、ぷっと血を吐き出したネヴィルが、残念そうに笑う。
「そうすればその間に、そこのおねえちゃんたちを先に向こうに送ってあげたのにさ」
楽しそうなその言葉に、ぎろりとネヴィルを睨みつける。
無言のその返答も、ただ相手を喜ばせるだけだ。
「まあ、どっちにしても同じなんだけどさ。あんたの後はおねえちゃんたちなんだから」
にたりとネヴィルが笑う。
不気味なその笑顔に、先ほどまでは恐怖を感じていた。
けれど、今は違う。
それ以上に、目の前の敵の言動に怒りを感じていた。

なんだろう。
理由なんてわからない。
それでも自分の中の何かが知っているような気がした。
こんなことは前にもあった。
いつだったかなんてわからない。
でも確かにあって、そのときは。そのときは……。

「……そんなの許さない」
「……え?」
ネヴィルが先ほどまでの笑みを消し、きょとんとした顔でこちらを見る。
本当にわからないといった顔をするネヴィルに向け、勢いよく顔を上げた。
「そんなの、絶対に許さないんだからっ!!」
自分の中で、何か、衝動のようなものが爆発したような感じがした。
それを止める術なんて、今の自分は全く知らなくて。
気づけば、思い切りそう叫んで、手を振り上げていた。

2008.01.02