Chapter7 吸血鬼
22:疑心の塊
兵士に連れられて向かった先は、言葉通り、この街の中心に立つ王城だった。
中にすんなりと入れたことを見ると、ほんの少しだけ考えていた『兵士の格好をした賊』という可能性はなくなったようだ。
そのまま奥へと進む兵士について歩く。
途中で立ち止まったかと思うと、リーダーらしき男が警備をしている兵士に話しかけていた。
どうやら、国王が何処にいるのか確かめていたらしい。
声をかけられた兵士が去ると、彼は少しここで待っていてほしいと告げ、その場を離れる。
その様子を見てため息をついたベリーは、ふと周りを見回して顔を顰めた。
「何?このぎらぎらした城」
ぼそりと呟けば、それが耳に届いたらしいアールがこちらを見る。
「どうした?」
「何でも。ただ、豪華だなと思って」
その言葉に、アールがベリーの視線を追う。
その先にあったものを見て、思わず目を細めた。
ベリーが視線を向けていたのは、廊下の壁に飾られている壷や絵画などの調度品だろう。
「うちもイセリヤがいた頃はこんな感じだったがな」
ため息を吐き出したながらそう言った途端、彼女はほんの僅かに驚いたような表情を浮かべてこちらを見た。
「へえ?とてもそうは思えないけど」
「無事な美術品は最小限を残して売り払って復興資金にしたんだ。まあ、確かにここは他に比べても過度だが、他の国の城にはこの半分程度は美術品があるものだぞ」
「つまり、エスクールとマジック共和国が質素なわけね」
「あの国も、昔から過度な調度品を置くのは嫌っていたからな」
アールの知っている限りにという形になるが、エスクール城は昔から調度品が少なかった。
現国王リミュートは、城の調度品に金をかける余裕があるなら国民のために金を使う、という考えの持ち主だ。
現在のエスクールを実質治めているリーフ、ミューズ兄妹も、父親のその考え方を受けついでいる。
それでも置いてある調度品は、王家の威厳を示すためにそういうものは必要なんだと掛け合った貴族たちが、最低限残させたものらしい。
いざとなればそれを売って財政に回すための非常資金にするからよいとあっさり言い放っていたのは、ミューズの方だっただろうか。
そんなことを思い出しながら、アールはもう一度周囲を見回す。
そして小さなため息をついた。
「この国は現王マーカスの趣味もあって、余計なんだろうな」
「趣味ね……」
アールの言葉を耳にした途端、ベリーはすうっと調度品を見る目を細めた。
王族の暮らしにかけられる金は全て税金だ。
つまり、ここにある調度品の数々は、税金で購入されたことになる。
そんな考えに行き着いて、傍にある調度品を思い切り睨みつけてしまう。
その様子を見られてしまったらしい。
くすと笑い声が聞こえたかと思うと、振り返るより先に声がかかった。
「何か言いたそうだな?」
「別に、何でもないわ」
何となく居心地が悪くなって視線を逸らす。
それを見て、アールはますます笑みを深めた。
「怒るな。私も同じ気持ちだ」
声を潜めて、呟きのように口にされたその言葉は、確かにベリーの耳に届いた。
驚いて視線を戻し、思わず声をかけようと口を開く。
「お待たせいたしました」
けれど、言葉は横からかかった声に押しやられ、そのまま喉の奥へと飲み込まれた。
自然を向ければ、そこには自分たちをここまで連れてきた兵士がいた。
彼はベリーとアールの視線が自分に向くのを待っていたかのように深々と一礼する。
「マーカス陛下がお待ちです。どうぞこちらへ」
ちらりとアールを見る。
ベリーのその視線を受け、アールは兵士に向かって頷いて見せた。
それを確認すると、兵士はこちらに背を向け、2人を先導するために歩き出す。
その背を見つめながら、ベリーは軽くため息をついた。
「そもそも、国の要人をこんなところで待たせるのもどうかと思うわ」
「その意見にも賛成だが、まあ、他国のことをそこまで口に出すつもりはないさ」
その声にいつもの張りがないような気がして、ベリーはアールを見る。
視線が合った瞬間、彼女は困ったように笑った。
もしかして、と思う。
彼女は、同じ王族である自分は、この国の王のことを悪くは言えないだろうと思っているのかもしれない。
自分たちだって、客人に無礼を働いているかもしれない。
そんなことを考えているように見えた。
そんな考えに行き着いて、ベリーは再び、ほんの小さくため息をついた。
「胸を張っていいと思うのだけれど」
「ん?何か言ったか?」
ぽつりと呟いただけだったはずの言葉は、しかしアールに音として届いていたらしい。
はっと意識を引き戻すと、ベリーは首を横に振った。
「いいえ、別に。行きましょう」
ベリーはそのまま早足で歩き出す。
2人がついてきていないことに気づいたのだろう、先導している兵士が困ったような表情を浮かべて少し先で立ち止まり、こちらを見ていた。
その彼に軽く謝ってから、再び歩き出す。
目的地はすぐそこだったようだった。
そう距離を歩かないうちに兵士は立ち止まった。
彼の目の前にあるのは、豪華な装飾が施された巨大な扉だった。
その装飾の多さに、ベリーはますます眉を顰める。
ここまで2人を案内してきた兵士が扉をノックする。
中から返事が聞こえるのを待って、彼はゆっくりと扉を開けた。
「失礼いたします、陛下」
先に中に入った兵士が、奥に向かって深々頭を下げる。
「マジック共和国のアマスル殿下とエスクールの勇者殿をお連れいたしました」
「ご苦労」
部屋の奥から声が返ってくる。
その声の主にもう一度頭を下げると、兵士は脇へ避けるようにその場から離れる。
彼が足を止めると、それを待っていたかのようにアールが口を開いた。
「ご無沙汰しております、マーカス陛下」
「うむ……。変わらぬご様子何よりですぞ、アマスル殿下」
謁見の間の玉座に座っている男が淡々と言葉を返す。
その言葉を聞いたアールが僅かに表情を動かしたのだけれど、彼女の背後に控える形で立っているベリーからは、それは見ることは出来なかった。
「このような形のご挨拶になってしまった非礼をお詫びいたします。このたびは公務ではなく私個人の旅であり、世間を忍ぶものであることを、まずはご理解ください」
「うむ……。理解しております」
アールの言葉に、マーカスと呼ばれた国王は少し戸惑ったような声で答える。
その瞬間アールの目つきが変化する。
鋭さを増したそれでマーカスを見つめたまま、彼女は口を開いた。
「では、お尋ねしたいのですが、よろしいですか?」
「なんだろうか?」
「理解されたうえで、何故こんな形で我々をここに?」
ぴくりと、マーカスの眉が動いたような気がした。
それを気づかれないようにしているつもりなのか、一度目を閉じてゆっくりと息を吐き出すと、彼は逆にアールに問いを返す。
「こんな形、というと?」
「あのような形で声をかけられては、私のことは周囲の民衆に気づかれたかもしれません。それなのに、何故あのような形で私にお声かけをされたのですか?」
視線を鋭くしたまま、マーカスを睨みつけているという事実を隠すことなく、声の調子まで落として尋ねる。
その怒りが伝わったのか、マーカスの傍に控える家臣が慌てて口を開こうとした。
「アマスル殿下!陛下は……っ!?」
「私は陛下に直接尋ねている」
家臣を、アールはその一言で黙らせる。
今はまだ復興途上とはいえ、マジック共和国は世界に影響力を持つ大国だ。
その王女に睨まれてしまえば、家臣は黙るしかない。
思わず言葉を飲み込んだ家臣は、恐る恐る己の主を見る。
マーカスはそんな家臣を一瞥するだけで、何も言おうとはしなかった。
その視線はそのままこちらに戻り、そのままゆっくりと口を開く。
「その前に、窺ってもよろしいか?」
「尋ねているのは私のはずですが?」
「答えていただければ、そちらの問いにも答えよう」
視線をさらに鋭くしたアールの言葉にも、マーカスは引く様子もなくはっきりとそう答えた。
その言葉に、アールは軽くため息をついた。
実は、目の前のこの男は偉そうにはしているが、最初の殻さえ剥いでしまえばかなりの小心者だ。
だから、ちょっと脅せば何とかなるかもしれないという考えがあったのだ。
しかし、この様子ではその甘い考えは通じないだろう。
それならば、仕方はない。
アールは気を取り直すように息を吐き出すと、もう一度マーカスへと顔を向けた。
「……わかりました。それで?」
先ほどまで表に出していた怒りを収めて尋ねる。
けれど、返事はすぐに帰ってはこなかった。
アールから視線を逸らしたかと思うと、マーカスは俯く。
前髪でその顔が隠れる。
表情が見えなくなってしまったは、そこから彼の考えを予想することは出来ない。
だから少しでも顔を見ようと、ベリーが体勢を変えようとしたそのときだった。
「……のだ」
「は?」
ぽつりと、呟くような声が聞こえた。
ベリーはもちろん、アールも聞き取ることができなかったのだろう。
思わずといった様子でアールがたずね返した途端、マーカスはがばっと顔を上げた。
「貴殿たちは、今度は何をしに来たのだっ!!」
腕を振り上げ、玉座の肘掛をばんっと音が聞こえるほど強く叩きながら、マーカスが叫んだ。
「…………は?」
けれど、突然の激昂の意味がわからず、アールは再び、今度はとても長い間を置いて尋ね返す。
そのぽかんとした表情すらも、マーカスにとっては怒りに油を注ぐ理由になるらしい。
彼はもう一度玉座の肘掛を叩くと、勢いよく立ち上がった。
「とぼけても無駄だっ!!貴殿らは、私をまた陥れるために来たのだろうっ!!」
はっきりと、人差し指まで突きつけて彼は叫ぶ。
その姿を呆然と見つめていたベリーは、不意に額を押さえて俯くと深いため息をついた。
そして、目の前で呆然とマーカスを見つめているらしいアールに声をかける。
「……ごめんなさい、アール。あの人は何を言ってるの?」
「私に聞かれてもな……」
「とぼけるなっ!!」
小声で話したつもりが、ばっちり聞こえてしまったらしい。
しまったと思うが、もう遅い。
「前回のように、首を縦に振らなければ七大精霊にこの国から魔法的な力を排除させるという脅しをかけて、また何か奪い去るつもりなのだろうっ!!数か月前、我が城の警備の穴を嘲笑ったときのように……っ!!」
再び声を上げたマーカスは、こちらに指を突きつけたまま早口に捲くし立てる。
「今度は何だっ!!あのときのように城の警備の穴を城下に広めるつもりか……っ!そしてまたこの城から私の美術品を奪おうというのか……っ!!」
「あのとき……?」
マーカスの口にした言葉がひっかかり、ベリーは思わずそれを小さく口にする。
まさか、と思った。
けれど、自分たちを何かと比べようとしているらしいその言動から導き出されるのは、ただひとつしかない。
「これは……もしかして……」
「もしかしなくてもそのようだが、一体ペリートはここで何をしたんだ……?」
「私に聞かないで」
アールも同じ答えに行き着いたのだろう。
こちらに背を向けたまま尋ねた彼女に、ぴしゃりとそう返す。
「何も聞いていないのか?」
「ムカつく王サマを伸した、とは聞いた気がするけれど」
数か月前のあの戦いの後、戻ってきたペリドットは確かにそう言った。
あんまりにもあっけらかんと笑って言うものだから、特に詳細まで聞きだそうとしなかったのだけれど、まさかそれが自分の旅に関わってくるとは思わなかった。
「でもミューズさんの話の内容とは合わないわ、これ」
「そうか……」
聞いていた限りの範囲で話を思い出す。
ペリドットが話していた話だけではない。
その後、エスクールに行った際に聞いたミューズの話も記憶の中から搾り出す。
けれど、何度思い返しても、警備の穴を城下に広めたという話も美術品を盗んだという話も2人が話していた記憶はなかった。
それをアールに伝えれば、彼女はこちらを見て頷く。
その視線は、すぐに玉座の前に立つマーカスへと戻された。
「陛下」
先ほどよりも若干声を低くし、口を開く。
「一体何の話をされているのか存じませんが、我々は今回、陛下に害するためにここに訪れたわけではございません」
「はっ!?誰がそんなことを信じられるというのかっ!!」
もう一度玉座の肘掛を叩いて、マーカスは声を張り上げた。
「そんなことを言って、私を陥れるつもりに違いないのだ……っ!!」
頭まで抱え、ぶるぶると体を震わせるマーカスを見て、アールはため息をついた。
このまま彼と問答しても埒が明かない。
彼女はマーカスから視線を外すと、壁に並ぶように控えていた、先ほど自分たちを案内してきた兵士へ顔を向けた。
「すまないが、どういうことなのか説明してもらってもいいだろうか?」
声をかけられた兵士は、一瞬体を震わせると己の主へと視線を送る。
だが、マーカスは頭を抱えてぶつぶつと唸っているだけで、彼の視線に気づかない。
諦めてこちらを見た兵士は、アールが促すように頷いたのを見ると、小さなため息をひとつ吐き出してから口を開いた。
「数か月前、エスクール王国のミューズ=フェイト殿下とミルザの子孫を名乗る方がこちらにいらしたことはご存じですか?」
「ああ、本人たちから聞いている」
「その際に、おふたりと陛下の間で少々トラブルがございまして」
「トラブル?」
聞こえた言葉に、ベリーは思わずその言葉を口にした。
兵士が一瞬彼女を見る。
その視線が、すぐに戸惑ったようにアールに戻る。
彼が何を考えたのかわかったのか、アールは小さく頷いて見せた。
それを見た兵士も頷き返し、話を続ける。
「結果的におふたりには、当時我が国を悩ませていた湖の賊どもを壊滅させていただき、こちらとしては助かったのですが……」
この話は、知っている。
ペリドットとミューズが話していたそれと、変わりがないように聞こえる。
けれど、そこまで話し終えた兵士がため息をついたところを見ると、これだけでは終わらないらしい。
「その後別の問題が発生しまして」
「別の問題?」
兵士の口にした案の上の言葉に、ベリーは思わず眉間に皺を寄せた。
ここから先の話は、2人からは聞いていない。
一体、どんな話が飛び出すと言うのか。
「湖の賊どもが我が城の宝物殿を破ったという話がどこからか広がり、賊どもが美術品を盗みに入るようになりまして……。湖の賊どもの進入方法もだいぶ出回ったらしく、陛下の大切にされている美術品がいくつも盗まれてしまったのです」
「は?」
「それを、ミューズ殿下とその連れの仕業と思っている、というわけか」
「左様でございます」
思わず声を零したベリーは逆に、それだけで事情を理解したらしいアールが呆れたように尋ねる。
申し訳なさそうな表情を浮かべた兵士の返答に、ベリーも漸く意味を理解して眉間の皺を思い切り深くした。
「つまり、それで私たちが同じことをする、または窃盗の主犯か何かだと思って呼び寄せたということでいいのかしら?」
「大変失礼なことに、申し訳ありません」
確認のように尋ねれば、兵士はそのまま頭を下げる。
その事務的な反応に怒りを感じるより先にため息が零れた。
「なんて迷惑な」
「同感だな……」
ぼそっと零した呟きに、アールが頷く。
「何しろ、以前こちらに来た方が、『自分たちは結界を破って盗みに入れる』というようなことを仰っていたので」
「ペリート……あなたって人は……」
兵士が付け足した言葉に、事情を察したベリーは額を抑えて盛大なため息をついた。
おそらく、ペリドットがマーカスを挑発するか脅すかする際に放った言葉なのだろう。
彼女はここに、昔のエスクールの国王がこの国に謙譲してしまった宝と言うことになっていた呪文書を探しに来たはずだから、そのときに宝物殿に進入すると言う会話が出ただろうということは簡単に想像することができた。
まさか、それが自分たちに影響を及ぼすなんてこと、予想できるはずもない。
暫くそうしていた後、不意にアールがため息をついた。
そのまま、ちらりと玉座の方を見たかと思うと、先ほどの兵士に問いかける。
「そろそろ失礼しても?」
「ならぬっ!!」
兵士に向かって口にしたはずの問いの答えは、兵士ではなく玉座の方から、不快な声で返ってきた。
アールもベリーも、ため息をついて玉座へと視線を向ける。
「貴殿らを野放しにするわけにはいかんっ!!この国より去る日まで、この城にいてもらうぞっ!!」
マーカスの言葉に、視線だけを兵士へと戻す。
それに気づいた兵士は、小さくため息を吐き出すと頭を下げた。
「申し訳ありません」
国王がそう言う以上、家臣でしかない彼らは従うしかないだろう。
それは理解できるから、アールは何も言わずに彼から視線を外し、ベリーを見る。
「どうするんだ?」
「冗談じゃないわ。それじゃあ、この国に来た理由が果たせない」
「だが、一度退去しないことには収まりそうもないぞ?」
小声でそう告げれば、普段は表情を動かすことの少ないベリーの顔が、思い切り歪む。
その紫紺の瞳が一瞬だけマーカスを睨みつけて、すぐにこちらに向けられた。
「何とかできないの?」
「……私個人としては」
「ということは、個人として、でなければできるということね?」
ベリーの、確信に近い問いかけに、アールは思わずため息を吐き出す。
「……あまりやりたくはないんだがな」
「無理を頼んでいるのはわかっているわ」
「ああ、わかっているさ」
ベリーが、それを理解しないままそんな言葉を口にするような人間ではないと知っている。
けれど、この手を使うのは自分だけの問題ではない。
だからこそ、アールは躊躇するのだ。
けれど、この国に関わる以上、ある種の覚悟をしていたのも事実で。
だからこそ、もう一度だけため息を吐き出しはしたけれど、アールはそれ以上何も言わずに表情を引き締め、玉座に座る王を睨みつけた。
「マーカス=エルザード=ファンベルグ!」
息を少し吸い込み、それまでよりも大きな、そして強い口調で、アールがマーカスの本名だろう名前を呼んだ。
その途端、マーカスがびくりと体を震わせ、彼女を見る。
少し怯えたような目をぎろりと睨みつけたまま、アールは口を開いた。
「今回の我々がここに来たのは、我が王シルラ=ラル=マジックの勅命である」
「は……?」
アールが突然口にしたその言葉が、一瞬理解できなかったらしい。
呆然とした表情でこちらを見るマーカスに、アールは表情を崩すことなく告げた。
「極秘ゆえにプライベートということにしていたが、本来は我が国の魔道研究所が発見した、ミルザ時代の遺物の回収が目的だ」
「や、やはり……」
「話は最後まで聞け!」
マーカスが口を挟もうとした途端、それをアールが一括して黙らせる。
彼女は気迫は、あっという間にマーカスを飲み込んでいた。
「その遺物は、かつてのイセリヤが各国にばら巻いたと思われるものです。それが、例外なく各国にあると言う」
それは完全にアールの作り話だった。
完全にないとは言い切りないけれど、少なくとも文献にはそんな話は残っていない。
けれど、アールはそれを、さも真実だと言わんばかりに語る。
「当然、各国に不安を与えることはできない。ゆえに、魔道研究所の者たちも兵も動かすことが出来なかった。ならば、その極秘資料を見ることができ、加えて一般人が本来ならば入ることの出来ない場所にまで入ることの出来る者が行くしかない。だから私が来た次第です。ミルザの血を引く者には、私の護衛を依頼しました」
「依頼……だと……」
「はい」
マーカスの目が、一瞬ベリーを見たような気がした。
その視線を剥がそうと、アールは力強く答え、頷く。
「単身では危険だと、陛下と宮廷魔道士たちが許してくれなかったもので。彼の一族ならば我が国でもエスクールでも信頼がある。ので、護衛として同行を、私から願い出ました」
マジック共和国の問題であるのに、ベリーかせ同行しているのはそれが理由だとはっきりと告げて、アールはマーカスを見る。
「マーカス陛下。これでも、我々をここに拘束すると言うおつもりか?」
明るい紫の瞳が、真っ直ぐにマーカスを睨みつけたまま尋ねる。
いや、それは既に問いではなく、責めだった。
それを理解したのか、マーカスは体を震わせながら口を開く。
「そ、それは、我々の方で回収すればいいだけの話だ……っ!」
「イセリヤの遺物は魔界影響を多大に受けたもの。貴国にその、兵器かも知れない物体を扱うノウハウがおありか?」
「ぐ……っ」
アールの問いに、マーカスは言葉を詰まらせた。
マジック共和国もスターシアも、共に魔法大国として名を馳せてはいる。
けれど、魔族に支配されていたことのあるマジック共和国と、その経験がないスターシアでは、やはり技術に差が生まれていた。
つまり、スターシアに魔界の技術を操る力はないのだ。
「七大精霊も、この事態は放っておけないと判断したわ。だから、私が護衛についたの」
このままでは埒が明かない。
そう判断したベリーも口を挟む。
「遺物の効果がわからない以上、ひょっとしたら未曾有の事態かもしれないのだけれど、それでも私たちをここに閉じ込めますか?陛下」
精霊信仰が一般的なこの世界では、『精霊の判断』という言葉は大きな力を持つ。
それを知っているからこそ、ベリーは淡々とそう続ける。
それにこっそりと笑みを浮かべながら、マーカスに気づかれないようにそれを引っ込めると、アールは再び口を開いた。
「この場で聞き入れていただけないと言うのなら、この件はシルラ陛下に報告し、我が国から正式に通告することになるだろう。そのときには、エスクールも連名になると思うが」
その紫の瞳が、もう一度ぎろりとマーカスを睨みつける。
「それでもよろしいかな?マーカス陛下?」
その目は、既に容赦を捨てていた。
大国の国王補佐官に本気で睨みつけられ、マーカスが体を震え上がらせているのは目にも明らかだった。
これで漸く彼の態度が変わるだろうかと、ベリーがぼんやりと考えたそのときだった。
「証拠を……」
「は?」
「証拠を見せよ!」
マーカスが突然声を張り上げた。
そのまま勢いよく立ち上がると、腕を大きく振り回し、指先をこちらに向かって突きつける。
「そなたたちがシルラ=ラル=マジックの命で動いているという証拠を見せよっ!!」
こちらを睨みつける目は、これでもかというくらいに見開かれ、血走っていた。
それを見たアールは、彼から視線を外すと、隠そうともせずに盛大なため息を吐き出す。
「……これは、駄目そうだな」
「仕方ないわね」
後ろからそんな言葉が聞こえて、アールは振り返る。
その途端、真っ直ぐにこちらを見ていたベリーと目が合った。
「アマスル殿下」
その途端、名前を呼ばれる。
それがどんな意味を持っているのか、アールは知っていた。
だからこそ、アールは尋ねる。
「いいのか?」
「他に手が思いつかないもの」
「わかった」
頷いて、視線をマーカスに戻す。
血走った目でこちらを睨みつけている彼にため息をつくと、アールは真っ直ぐに彼を見つめ、再び口を開いた。
「忍ぶ旅ゆえ、証明するものは何も持っておりません」
「やはり……」
「それでも」
マーカスの言葉を、口調を強めて遮る。
「それでも身の潔白を証明せよと仰るなら、マーカス陛下」
一度、ほんの少しの間だけ、目を閉じる。
すぐにそれを開くと、アールは真っ直ぐにマーカスを見つめたまま、続けた。
「件の賊の捕獲を、我々に任せていただきたい」
はっきりとそう告げた瞬間、マーカスは先ほど以上にその目を大きく見開いた。