Chapter7 吸血鬼
21:差し金
がたごとと馬車が揺れる音がする。
それは屋根のない、大きな馬車だった。
町から町へ走る、旅人用の乗り合い馬車だった。
10人ほどの人間が乗ったそれを一際大きな揺れが襲った。
それを最後に揺れが弱くなる。
ずっと街道を走っていた馬車が、石畳の道に乗ったのだ。
暫くすると、馬車は門を潜り、大きな街に入った。
その馬車が、街の広場まで行って止まる。
そこが乗合馬車の停留所のようだった。
乗っていた旅人の目的地はここだったらしい。
御者が扉を開けると、中にいた者たちが次々と石畳の上に降り立つ。
最後に降りた旅人は、馬車がそこから去っていくのを待ってから、被っていた外套のフードを取った。
さらりと流れるのは紫の髪。
その下から現れた紫紺の瞳が、当たりを見回した。
「ここがスターシアの王都」
「ああ。ザードだ」
ベリーが呟けば、すぐに答えが返ってくる。
側にいた、同じく馬車から降りた旅人が、やはり外套のフードを取る。
それは、ずっと一緒に旅をしているアールだった。
彼女は手櫛で髪を直すような仕草をしてから、申し訳なさそうにベリーを見る。
「すまないな。乗合馬車を使ったらこんなにも時間がかかってしまった」
「かまわないわ。どちらにしろ、最短ルートは通れないって話だったし」
本当は、リーナが調べてくれた最短ルートを通ってここまで来る予定だったのだ。
それをやめて、港町からここまでの全ての街を通る乗合馬車を使ったのには理由があった。
「王都に続く街道脇の森で火事、か」
「おかげで街道に大木が倒れて通行不能。港からの最短ルートは森を抜ける道だから使用不可。森を迂回するのと別のルートから王都入りするのとそう時間が変わらないって言うんだもの」
この国の王都は、世界の中でも珍しく港町ではなく内陸の街だ。
港町から王都に続く道はいくつかある。
そのどれもがそんな理由で通行できないなら、通れるルートを選ぶ他に道はなかった。
「まったく……。街道の森なんて、誰が焼いたのよ」
迷惑だと言わんばかりにベリーが文句を口にする。
その街道封鎖は、実は数か月前にその森でペリドットとミューズがネヴィルと戦ったことが関係しているのだけれど、ベリーがそれを知っているはずもない。
「まあどっちにしろ、ミルザが王都に行ったって記述が見つかったのがあの街だし、無駄足ではなかったわ」
「そうだな」
ベリーがため息混じりに言った言葉に、アールが苦笑しながら同意する。
この王都の隣の町で、2人の乗った乗合馬車がトラブルを起こした。
街道で車輪が壊れたか何かしたらしく、修理のために1日その街に止まることになったのだ。
王都に次ぐ大きさの街だったらしいそこには、魔法王国らしく資料館もあった。
時間潰しのために寄った2人は、そこでミルザがこの国の王都に寄っているという記述を発見したのだった。
「さてと、ザードか」
周囲を見回したアールが、重々しくため息をつく。
それを耳にしたベリーが、訝しげに眉を寄せた。
「この街が何か?」
「いや……。この国の王はちょっと苦手でな」
そう言って、もう一度アールはため息をついた。
彼女にそんな顔をさせるなんて、この国の王は一体どんな人物なのか。
ほんの少し気になった。
けれど、今はそれどころではないと思い直す。
何も言葉を返さないベリーに何を思ったのか、アールは顔を上げると、神妙な表情でこちらを見た。
そのまま側に寄ってくると、声を潜めて話かけてくる。
「気をつけろよ。聞いた話では、ペリートがここに来たとき、この国の王をずいぶんコテンパンにしたらしい」
「あの子が?」
「ああ。口で、らしいがな」
驚いて聞き返せば、アールは頷く。
ペリドットは、スターシアでの話を詳しく話そうとはしなかったから、彼女がこの国で何をしたのか、ベリーたちは知らない。
それをアールが知っているのは、おそらくペリドットと共に旅をしていたミューズから聞いたのだろう。
アールは、確か彼女と交流を持っていたはずだから。
「恨まれている可能性も否定できない。身内だとばれないようにな?」
「まったく……。あの子一体何をしたの?」
アールにそこまで言わせるようなことをやったらしいペリドットの笑顔を思い浮かべ、ため息をついた。
頭がずきずきと痛むのは、おそらく気のせいだ、ということにしておきたい。
それを追い出すかのようにもう一度ため息を吐き出すと、ベリーは呆れ顔のままアールを見た。
「わかったわ。気をつける」
そう言って頷けば、アールはほっとしたと言わんばかりの表情を見た。
今度はアールがため息を吐き出す。
そうすることで、漸く懸念を追い出すことができたのか。
彼女は顔を上げると、顔にかかった髪を払いながら口を開いた。
「さて、問題はミルザの足取りだな。隣の街の資料館には、ミルザの足取りは残っていたが、王都の後にどこに向かったかの記述は残っていなかった」
「この国、資料館や歴史関係の書物が多いのは助かるけれど、断片的なのがどうもね」
「それがこの国のスタイルだったんだろう」
そう言われてしまえば、そうなのだろう。
この国はマジック共和国とは関係を持っていなかったのだから。
それでは済ませたくなかったけれど、文化と言われてしまえばそれ以上文句を言うこともできない。
「とりあえず、まずは王立資料館にでも行ってみるか?」
「ええ、そうしましょう」
それ以外にどうしたらいいかなど、初めて来た街では思いつくはずもない。
ここに来たことがあるらしいアールの案内で資料館に向かいながら、ベリーはそこが空振りだったときどうするべきかを考えて始めていた。
資料館へ向かう2人の姿を、1人の青年が見つめていた。
外套のフードをすっぽり被ったその人物の顔は、見えない。
男だとわかったのは、その体形と、外套の隙間から見える服装のおかげだった。
青年は2人を見送ると、側にいた見回りの兵士に声をかける。
「兵士さん兵士さん」
「ん?」
手招きすれば、兵士は訝しげな顔で寄ってくる。
青年はフードを取った。
濃い紫の髪と、深い紫の瞳が露わになる。
彼は薄く笑みを浮かべると、側に寄ってきた兵士の耳元に口を寄せ、こっそりと何かを耳打ちした。
「結局目ぼしい資料はなかったな」
「そうね……」
ベリーとアールは、街の中にある、塀に囲まれた大きな建物にいた。
そこはアールの示した王立資料館だった。
ほぼ半日がかりで蔵書を調べたのだけれど、それらしいところに目的の資料はなかった。
その入口から外に出た途端にベリーはため息をつく。
「王都には情報はないのかしら……」
「まあ、まだ全てを回ったわけじゃない。諦めるのは早いだろう」
「わかっては、いるけれど……」
アールの言うとおりだ。
この資料館の蔵書も、全て調べ尽くしたわけではない。
他国の歴史や精霊に関わる伝説。
調べたのはそんな場所ばかりだった。
ミルザについての記述が書かれているならそんな場所だろうと見当をつけてのことだったけれど、それが見当違いの可能性だってある。
それは、ベリーにだってわかっていた。
わかってはいたけれど。
「残りひと月を切ったから焦っているのか?」
まるで見計らったかのようなタイミングで届いたその言葉に、ベリーはびくりと体を震わせる。
恐る恐ると言わんばかりに顔を向ければ、アールが僅かに目を細めてベリーを見つめていた。
気遣いの色を宿した紫玉の瞳に見つめられ、ベリーは思わず目を逸らした。
「わかっているのよ。ひと月ちょっとでここまで世界を回れたことの方がすごいことだって」
そう、わかってる。
インシングは、自分たちがアースと呼ぶ世界のように交通手段が発達しているわけではない。
馬車や魔力を動力として動く船が主流だ。
転移呪文だって、術者が一度でも行ったことのある場所にしか飛ぶことはできない。
ずいぶん昔に一度も足を踏み入れたことのないマジック共和国に自分たちが転移できたのは、先代の残してくれた準備の賜物であり、それが二度と通用しない手だと言うことだって知っている。
そんな世界を、きっとアースよりは大地が狭いからと言っても、こんなにも早くここまで回ることができたことは、きっと幸運なのだろう。
「わかっているの」
それはわかっているけれど、どんどん短くなる時間に焦ってしまうのは、きっと仕方がない。
どんなに心を落ち着けようとしても、迫るタイムリミットに、逸る心が抑えられなくなる。
それではいけないとわかっていても、止められない。
それでも、何とかその心を抑えようと、ぎゅっと目を瞑ったそのときだった。
「失礼する」
ふと、男の声が耳に届いた。
顔を上げると、そこにはこの国の兵士だろうか、鎧を身につけた中年の男が立っている。
その男は、部下と思われる若い青年たちを後ろに従えていた。
「よろしいですかな?」
「私か?」
声をかけれたのが自分であることに気づき、アールが思わず眉を潜める。
「何……?」
それに気づいて、ベリーも訝しげに彼らを見た。
その視線に臆することなく、男は2人を交互に見比べると、アールの方を見てこの国のものだろう礼を仕草を見せる。
その目は、真っ直ぐにアールへと向けられていた。
「失礼を承知でお尋ねいたします。貴公はマジック共和国国王補佐官、アマスル=ラル=マジック殿下でいらっしゃいますな?」
はっきりと、迷うことなく尋ねられたそれに、息を飲んだのはどちらだっただろうか。
「そして、そちらは彼の高名な勇者、ミルザの血を引くお方。間違いありませんか?」
男の視線がベリーを見る。
射抜くようなそれに、ベリーは気づかれないように息を呑んだ。
何故こんなところで、突然アールが名を呼ばれたのか。
何故自分の素性まで知られているのか。
そんな理由なんて、全くわからない。
けれど、ここで素直に答えることが得策だなんて思わない。
それは、アールも同じだったらしい。
彼女は一瞬ベリーを見ると、知らぬふりをして男へ視線を返した。
「なんのこ……」
「誤魔化しは無駄です。エスクールから来たという旅人が、エスクール王都であなた方を見たと証言がありました」
けれど、その抵抗は男の言葉であっさりと打ち破られる。
その言葉に、ベリーは思わず舌打ちをした。
アールが、視線でどうするかと尋ねてくる。
その視線に答えることなく、ベリーは目を閉じた。
この男たちが、自分たちに声をかけてきた理由はふたつ推測できた。
ひとつは、本当にこの国の兵士である場合。
それはおそらく、この国の王の差し金だろう。
以前ペリドットがこの国に来たとき、彼女とミューズはこの国の王をこてんぱんにしたという話を耳にした。
たぶん、その関係で自分たちを探したのだろう。
もうひとつは、彼らが兵士の格好をした賊である場合。
何故自分たちを狙おうと思ったかはわからないけれど、その可能性を否定することだってできない。
その両方の可能性のうち、どちらが高いかと言ったら、おそらく前者だと思う。
他の街ならばともかく、ここは王都だ。
賊ならば、こんな人の多い、それもあっさりと嘘がばれそうな場所ではなく、手前の街で接触してくるのではないかと思った。
だから、ベリーは心を決める。
目を開き、真っ直ぐに男を見返すと、迷うことなく答えた。
「……そうです」
ベリーのその問いに、驚いたアールは思わず息を呑む。
「ベリー……!?」
「私たちに、何か御用ですか?」
驚く彼女の声を無視して、ベリーは目の前の男に問いかける。
一瞬だけ、男の瞳が安堵に揺らいだ気がした。
だがそれはすぐに瞳の奥に隠れて見えなくなってしまう。
「我らが王、マーカス様がお待ちです。ご同行願いたいのですが、よろしいですか?」
ベリーは視線だけでアールを見る。
その意図を察したアールは、小声で声なき問いに答えた。
「この国の国王の名だ」
「ありがとう」
ペリドットから話を聞いたとき、彼女はこの国の王ことを『スターシア王』と呼び、名前では呼んでいなかった。
だから、ベリーはこの国の王の名を知らなかった。
アールに、その名前は確かにその王の名前なのだと回答を得て、考える。
暫くして、ベリーは男に視線を戻すと、はっきりと頷いた。
「……わかりました。アマスル様も、よろしいですか?」
ベリーのその結論に、アールは驚き、僅かに目を見張った。
それを目の前の兵士たちに気取らせないように耐え、ベリーにしか聞こえないように、そっと顔を寄せて囁く。
「お前はいいのか?マーカスは、もしかすると……」
「ええ、そうね」
アールの言いたいことは、わかっていた。
数か月前、ここを訪れたペリドットは、この国の王に何かをしたらしい。
それを根に持ったこの国の王が、その仲間であるベリーを罠にかけようとしている可能性は否定できない。
それはわかっていた。
その上で、ベリーはひとつ息を吐き出してから口を開く。
「きっと1人だったら何とか逃げたかもしれないけれど、あなたが一緒だもの」
「何……?」
そう答えれば、アールは訝しげな表情を浮かべる。
それに薄く笑みを返し、もう一度口を開く。
「あなたはマジック共和国の要人。それがこんなところで逃げるわけにはいかないでしょう?それに、二大大国の片割れであるマジック共和国の王族に危害を加えるなんてこと、普通の施政者ならしないと思うの」
マジック共和国は、この世界で一番の大国だ。
過去に何度か侵略国家として悪名を馳せてはいるが、それでもそれは変わらない。
あの国の国力、魔法技術力は、他のどの国よりも秀でていて、魔法王国として名高いスターシアすら追いつかないのだ。
その国の、王女に。
国王シルラを補佐する、事実上の最高権力者であるアールに危害を加えるとは、マジック共和区に宣戦布告をするのと同じこと。
まともな施政者なら、まずそんなことはしないはずだ。
そんなことをすれば、戦争になる。
ダークマジック時代に国内を我がもの顔で闊歩していた魔族は全て追い出され、同時より軍事力は落ちているとしても、それでもマジック共和国は強大だ。
スターシアが勝てる見込みは、他国と戦争するよりも
ずっと低い。
それがわかっているならば、アールに危害を加えることなどないはずなのだ。
「貴方の連れである私に何か仕掛けてくるかもしれないけれど、そんなことしたら国際問題になることくらい分かっていると思うわ。だからきっと大丈夫。向こうが、あなたをアマスル=ラル=マジックと認識しているならね」
アールがマジック共和国の王族だと認識されている限り、スターシアは何も手を出せない。
彼女にも、ベリーにも。
それを理解しているからこそ、ベリーは男の言葉に頷いたのだ。
その言葉を聞いたアールは、唖然とした表情でベリーを見つめる。
暫くの後、数回瞬きをしてからふうっと息を吐き出すと、アールはくすりと笑みをこぼす。
「まったく……。嫌なくらい冷静だな」
「そうでもないと思うけど」
「そうだな」
あっさり言葉を返せば、何がおかしいのか彼女はくすくすと笑った。
ほんの少しの間そうしてから、彼女は清々しい表情で顔を上げた。
「わかった。行こう」
帰ってきたのは、肯定の答え。
その答えに、ベリーも顔に笑みを浮かべる。
「では、こちらへ」
2人の答えを聞いた男が、一礼して歩き出す。
それを見た2人は、顔を見合わせると、その男の後を追って歩き出した。
振り返らない彼女たちは気づかない。
王立資料館の塀の中から、ひとつの影が音も立てずに現れる。
外套の下の紫の瞳は、去っていく2人を見て得意そうな笑みを浮かべていた。