Chapter7 吸血鬼
6:抱えた想い
真っ直ぐ自分を見つめる赤美を、百合はぎろりと睨み返した。
「赤美、あんた……」
「何?」
その百合の、明らかに怒りの含まれている言葉に、赤美が動じることはない。
ただじっと、自分を睨む百合を見つめ返す。
「ちょっ、ちょっとちょっと。なんか非常に雰囲気が怖いんですけど……」
「い、いや。言われなくてもわかってるけど……」
そんな2人の雰囲気を何とかしようとしているのか、実沙がわざと声を上げて言う。
けれど、誰にも何ともできるはずもなく、ただ困惑するだけだ。
「あんた、自分の言ってることがわかってるの?」
「それはどういう意味で?」
百合の問いに、赤美はそう聞き返す。
ふざけている様子など、彼女にはまるでない。
ただ、本当にその言葉の意味がわからないと言いたげな目で、真っ直ぐに百合を見つめていた。
「どういう意味って……」
「鈴美のサボりが理事部公認になるのがわかってるかってこと?それとも、また何か起こるってことを肯定してることになるってこと?」
赤美の、重ねられた問いに、百合は僅かに目を見開く。
そんな彼女を見て、赤美は逆に目を細めた。
「両方わかってるよ。わかったうえで言ってるの」
はっきりと、赤美はそう口にする。
もちろん、ただ『鈴美のずる休みが理事長公認になる』ということや、また何か起こると思っていることを認めたことだけではない。
それを認めることで、理事長である百合非難が集まるだろうことも、このまま平和に過ごせるはずなどないと思っている事実も、全部認めたうえで告げる。
「これから先、起こるかもしれない未来に備えて、ベリーが対策を練りに行くことの何が悪い」
はっきりと、赤美がそう言った。
その言葉に鈴美は息を呑む。
「赤美、先輩……」
思わず呟いたその瞬間、一瞬だけ赤美の、赤を宿した瞳がこちらを見たような気がした。
けれど、彼女はそんなそぶりも見せずに、真っ直ぐに百合を見つめている。
「後手に回ったときの痛みは、あんただって知ってるはずだよね?百合」
「それは……」
それは、否定できない事実。
あの双子の人形師と相対したときの後悔と自分に対する失望は、今も百合の心の奥に引っかかっている。
それすらも知った上で、赤美は言った。
「規律とか、そんなもの以上に大切にしなければいけないことだってある。それが、これなんじゃないの?」
赤美だって、同じなのだ。
あの法王ルーズとの戦いのとき、結局何の力にもなれず、紀美子と実沙に全てを押しつけてしまったこと。
魔妖精との戦いで、タイムの足を引っ張ってしまったこと。
その後も、何の力にも慣れなかったこと。
その全てが、痛みとなって心に引っかかっていた。
そして、何の力も手にしていない赤美だからこそ、わかる。
自分だけ特別な力を持っていないことに対する不安と焦り。
鈴美が心の奥にずっと抱いていたそれを、理解できる。
自分だってこんなにも焦っていて、それでもどうにもできない気持ちを必死に押さえているのだから。
「赤美……」
百合を睨みつけている赤美を見て、美青は目を細める。
赤美が今、こんな風に百合に食ってかかっている理由を、彼女は知っている。
赤美は――ルビーは、手にすることができないのだ。
かつてミルザが、そして今、他の仲間たちが精霊神と七大精霊から授けられた精霊神法。
自分の属性である水と、彼女の属性である火のそれは存在しない。
だからどんなに焦っても、探しても、彼女がそれを手にすることはない。
けれど、鈴美は。
彼女はまだ『手に入れていない』だけだ。
そして、何があったのかはわからないが、彼女はそれを得る可能性を手に入れた。
だからこそ、赤美は百合を説得しようとしている。
自分を同じ彼女の気持ちを、軽くするために。
そんな彼女の姿を見て、美青はため息をつく。
まったく。普段はああなくせに、どうしてこういうときばっかり面倒見がいいんだか。
魔燐学園の金剛赤美としての彼女は、周囲からの評判もないわけではなく、むしろ男子に怯えられている、ある意味問題児扱いだ。
本当は彼女が理事部にいることを快く思わない教師だっているくらいだった。
その辺りは百合がうまくフォローをしていたけれど。
けれど、こんな時ばかり彼女は酷く大人に見える。
本当は酷く仲間想いで真っ直ぐで。
だからきっと、放っておけないのだろう。
「あたしも、別にかまわないと思うけど」
自分の思考に苦笑したそのときには、美青はもうその言葉を発していた。
その声に、百合は驚いたように顔を上げる。
「美青……っ!?」
「あたしも、別に鈴ちゃんの考えは間違ってないと思うし。備えあれば憂いなしって言うじゃない?」
おどけたように首を傾げて見せて、美青は目を細める。
「それに、何にもできずに何かが起こって後悔するのは、もう十分だから」
ぽつりとそう呟けば、百合ははっとしたように目を瞠った。
その表情が、そのまま痛みに耐えるように歪む。
「美青先輩……」
「そういう意味では、あたしも賛成」
「右に同じく」
思わず美青の名を呼んだ鈴美は、直後に上がった手に驚く。
「沙織、英里……っ!?」
「私も、です」
「あたしも、かなぁ……なんて。あはは」
「悪い、俺も」
2人に非難の目を向ける百合の言葉を遮るように、紀美子と実沙、そして陽一までもが手を上げる。
それを見て、赤美はくすりと笑みを零した。
楽しいと言わんばかりの赤を浮かべた瞳が、百合を見る。
「あんた以外全員一致みたいだけど?どうするの?理事長」
にやにやと笑うその顔を、百合はぎろりと睨みつける。
けれど、場の雰囲気がこれでは反対できるはずもないことをわかってる赤美は、それすらも楽しそうに笑うだけで痛くも痒くもないようだった。
それがわかっていて、いつまでも彼女に喧嘩を売り続けていられるような子供ではない。
百合は、赤美から視線を外すと、大きなため息をついた。
「……わかったわ」
「百合先輩……」
百合のその言葉に、鈴美が彼女を見る。
真っ直ぐに見つめるその目を見返すと、百合はもう一度だけため息をつき、口を開いた。
「休学を受理します。ただし、期間は最長4か月」
最長4か月。
それは、つまり。
「向こうの時間なら2か月だけど。これ以上は許可できないわ。いい?」
インシングとアースの時間の流れは違う。
向こうのほぼ倍の早さで時間が流れているこちらでは長く感じることも、向こうではその半分の時間でしかない。
まして、こちらのように移動手段が充実していない世界で、世界の全ての国を回らなければならないのに、その期間は2か月しかない。
普通なら、そんなの無理だと文句を言うこともできるかもしれなかった。
「はい。ありがとうございます、先輩」
けれど鈴美は、それに文句を付けることなく了承の言葉を返す。
その言葉に、漸く周囲の空気が緩んだ。
「よかったね、鈴ちゃん」
「気をつけて行ってきなさいよ」
「はい。ありがとう」
笑いかける紀美子と沙織に、鈴美は控えめな笑顔を返す。
「でも大丈夫なのか?どんなことをするかわからないが、国と国の行き来は結構かかるぞ」
「何とかします」
陽一の問いにも、鈴美はそれだけ答える。
1人では、許可された期間で世界を回ることは到底不可能だ。
そして自分も、転移系の呪文を使えるわけではない。
それはわかっていた。
だからと言って、時間が足りないと嘆くわけには行かないのだ。
限られた時間の中で、自分の力で何とかしてみせる。
そう思い、ぎゅっと拳を握り込んだ。
「もしも、できるならだけど、アールに頼んでマジック共和国の船を借りるといいと思うわ」
そのとき、耳に届いたその言葉に思わず顔を上げる。
視線を向けた先には、微笑を浮かべた美青がいた。
「あそこの高速艇なら、だいぶ移動時間を短縮できると思うから」
「わかりました。ありがとう」
その思わぬヒントに、鈴美は素直に礼を告げた。
ふと、美青の視線が動く。
そこには、機嫌の良さそうな顔で笑っている赤美がいた。
美青の視線と、赤美の笑顔で、気づく。
そういえば、まだ最大の協力者に礼を伝えていなかった。
「ありがとうございます、赤美先輩」
「別に。あたしは何もしてないし」
赤美がぱたぱたと横に手を振りながら言う。
それでもと、もう一度礼を告げようとしたけれど、それはあっさり遮られてしまう。
「お礼はむしろ、これから苦労する百合にもっと言ってあげた方がいいかもね」
「え?」
にやりと笑った赤美の言葉に驚く。
思わず百合を見れば、彼女は鋭いなどいう表現を通り越したような目で赤美を睨みつけた。
「……あんた、そこまでわかってて押し切ったわけ?」
「理事部のメンバーが定期的に休学することに先生方がお怒りだって話でしょ?もちろん知ってるよ。あんたのときは理事長辞任の話だって出たとか」
「えっ!?」
その話に驚いたのは鈴美だけではなかった。
赤美以外はそんな話は知らなかったのか、彼女以外の全員が百合を見る。
「そうだったの!?」
「まあ、ね。他の候補者がいないって理由と、祖父の遺言で押し切ったけど」
実沙の、叫ぶような問いに、百合は意外なほどあっさりと答える。
何でもないように装っているけれど、きっとそれは自分たちには想像できない苦労があるはずだ。
「そんな状況だったなんて……。本当に……」
「鈴美」
だから、せめて言葉を伝えようとした鈴美を、百合が名を呼んで止める。
はっと顔を上げた鈴美と目が合うと、彼女は睨むような目で彼女を見た。
「一度押し切ったんだから、今更撤回するなんてことはしないわよね?」
それは、先ほどとはまた違う冷たさを持った声。
先ほどの拒絶ではなく、なんと言うか、これは。
「ここで撤回なんかしたら、百合の覚悟が無駄になるね。確実に」
くすくすと笑う声が聞こえ、鈴美ははっと振り返る。
真っ直ぐにこちらを見て、赤美が笑っていた。
不適なその顔に、そして告げられた言葉に、鈴美は息を呑む。
「百合先輩……、赤美先輩……」
呆然と赤美を見つめていた目を、百合に戻す。
それを再び赤美に戻しても、2人の表情は変わらない。
暫くの間それを繰り返して、鈴美は目を閉じた。
自分に大変な障害が襲いかかると知って、自分を送り出してくれようとしている百合。
百合にその障害が襲いかかると知っていて、それでも尚自分の背中を押してくれた赤美。
2人の気持ちを、無碍にすることなど、できるはずがない。
「ええ。撤回はしません」
だからこそ、はっきりと答える。
百合を押し切ろうとしたときの気持ちのまま、真っ直ぐに。
「明日からでも行ってきます」
そう告げた途端、百合の表情がほんの少しだけ綻ぶ。
「きゃ……っ!!」
そう思った瞬間、頭に重みがかかり、ぐりっと押し掛けるように髪をかき回される。
きっと後ろを睨みつければ、先ほどまでソファのところにいたはずの赤美が後ろに立っていた。
「赤美先輩……っ!」
ぎろりと睨みつけると、彼女は楽しそうににやりと笑った。
「行ってくるからには、絶対修得してきなさいよ」
その言葉に、はっと目を見張る。
そして、口元に笑みを浮かべて見せた。
「もちろん」
はっきりとそう答えれば、赤美は満足したような笑顔を浮かべた。