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Prologue

03.小さな切望

自分はいつも真っ黒な場所にいた。
自分を守るため、そう言った神殿の神官たちは、彼を神殿の地下に閉じこめ、神事の時にしか外に出ることを許さない。
そんな暮らしが当たり前で、今までは疑問を思ったことはなかった。
その日、彼と出会うまでは。
「君はどうしてこんな場所に?」
この場所に迷い込んだのだという彼は、不思議そうに尋ねた。
「神官様たちに、外は危ないと言われたんです。だから、ここで暮らすようにって」
ここは神官たちの仕える神殿の地下。
この世界で神様と呼ばれる精霊を奉っている神殿の、誰もやってこないくらいに奥にある、冷たい避難場所。
半分魔族の血を引いているけれど、この国の皇家の血筋でもあるらしい自分を守るために、自分は日中はこのくらい場所に身を潜めているのだ。
「ここは、精霊に最も祈りが届く部屋だから」
「それはおかしい。だって、ここは……」
彼は何かを言い掛けて、はっと息を呑んだ。
「いや、すみません。何でもないです」
そのまま言葉を呑み込んでしまう。
深緑色の瞳が、彷徨うようにあちこちに向けられる。
それから、少し申し訳なさそう表情でこちらを見た。
「君が、街の人たち言う、『幻の神官長』なのか?神事の時にしか姿を見せないって言う」
「幻……かどうかはわかりませんが、確かに僕は神官長と呼ばれています」
彼の問いに、素直にそう答える。
ここまで来ることのできる人に、嘘をつく理由も見つからなかったから。
「いつから、こんな生活を?」
「母が、亡くなってからですね。母は先代の神官長で、魔族に殺されたって聞きました」
「そうか……」
彼の顔が、僅かに曇る。
「外に出たいとは、思わないのか?」
「……はい」
答えるのが少し遅れたのは、戸惑ったからだ。
外に出たいか、なんて、今までそんなことは一度も聞かれたことはなかったから。
「……そう」
それだけ返すと、彼はそのまま黙り込んでしまう。
暫くそのまま立ち尽くしている彼に、ため息をついた。
いったい、彼はいつまでここにいるつもりなのだろうか。
「もう、いいですか?」
「あ、ああ。すみません」
声をかければ、彼は慌てたように顔を上げた。
そのまま、少し慌てた様子で出て行こうとしたように見えたのに、ふと足を止めた。
「あの……」
少し遠慮気味にこちらを振り返った彼に、まだ何かあるのかと首を傾げる。
「実はこの奥に地下通路があって、僕、ここの王族に知り合いが居て、たまに通るんだけど」
え、と小さく声が出た。
幼い頃から、だいぶ長い間この地下に住んでいるけれど、この奥に通路があるなんて話は聞いたことがなかった。
「またここに寄っても?」
「え?」
今後こそ、驚きの声が出た。
「駄目かな?」
控えめに、目の前の彼が尋ねる。
「別に、かまいませんけど」
そのときは断る理由が見つからなくて、そう答えてしまった。
そのとたん、彼が明るい笑顔を浮かべる。
「ありがとう。あ、僕がこの通路を知っているのは、王補佐官殿から非常時に使用してくれと言われていたからなんで、僕がここを通っていることは神官様たちには内緒でお願いします」
「……わかり、ました」
目の前で手を合わせ、そう言われながら、首を傾げる。
今の皇帝に補佐官なんていただろうか。
いや、自分に知らされていないだけで、居るのかもしれない。
神事以外で地上に上がらない彼は、政治のことなど何も知らなかった。
「ありがとう。じゃあ、またいずれ」
「は、はい」
そう言った彼は、軽く手を上げると、颯爽と部屋を出ていった。
その後ろ姿を、後ろ姿を、思わずぽかんと見つめてしまった。



あのときの宣言どおり、その後も彼は、自分が1人の時を狙うかのようにふらっと現れた。
帝都の当たり障りのない話題を話してくれたり、旅の話をしてくれる彼の話を聞いているうちに、自分の中にひとつの感情が生まれる。
けれど、それは気づいてはいけない感情だと、ずっと目を瞑ってきた。
そんなある日、彼は一冊の本を差し出した。
「これは?」
手を出さないまま尋ねると、彼はにこりと微笑んだ。
「ある国の魔術の本だ。この図書室の本はずいぶん前に読み切ってしまったと言っていただろ?」
確かに、以前そんな話をした。
ずいぶん長い間ここに引きこもっているから、この部屋の本はとっくの昔に読み終えて、内容はすっかり頭の中に入ってしまっていると。
「この幻術って魔法、昔、ここの王族にも使い手がいたから、神官長殿の勉強にどうかと思って」
そう言って、彼はずいっとその本を押しつけてくる。
少し古びたその表紙には、確かに見たことのない体系の術の名が記されていた。
「あと、こっちは最近少し回復術の体系が変わってきたんで、この専門書。この神殿の神官なら、必要かと思って」
そう言われて差し出された本に驚く。
「これ、新品じゃ……?」
今のこの世界では、新しく本を編集するのは難しい。
月に一度の礼拝の議で、神殿の広間に行った際に、そんな話を聞いていたのに。
「旅の途中で手に入れたんだ。僕は一通り読んで使えるようになったから、よかったら、と思って」
そう言って、彼はにこりと微笑む。
差し出されたその本を、恐る恐る手に取る。
その本からは、この部屋の本棚から漂う古びた紙の臭いはしなかった。
「本当に、いいんですか?」
「ああ。持ち歩いていても、ぼろぼろになってしまうから。もし貰うのは、なんて思っているなら、預かってくれるだけでもいい。もちろん、預けている間は好きに読んで貰ってかまわないよ」
そう言って笑う彼に、心の奥に暖かな感情が浮かぶ。
「ありがとうございます。大切に、お預かりします」
今までも神官たちから何かを貰うことはあったけれど、こんなにも暖かみを感じたことはなかった。
いつも何かを与えられるときは、義務的な様子で物を差し出してきて、お礼を言っても素っ気ない返事しか返ってこない。
けれど、彼はにこりと笑って。
「どういたしまして」
そう答えてくれた。

たぶん、それはきっかけ。
たぶん、ここから全てが変わっていった。
ほんのりと外の世界への興味を持ち始めて、自分は少しずつ変わっていった。


2026/01/03



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