Chapter1
01.出会い
彼女は、自分を取り巻いている状況に、ため息をついた。
「何ため息ついてるんだ、てめぇ!!」
そう吼えるのは、目の前にいる獣人だ。
人間のような体格をしているけれど、顔は狼。
灰色の狼のそれが、2人。
ここは街に近い街道のど真ん中。
200年くらい前は、そんなところで獣人と出くわすことはなかったと言うが、その時代から現代までの間にさまざまな変化が起き、今はこうやって獣人や魔族が闊歩している。
「てめぇ!人間のくせに、ワーウルフ族の俺たちに逆らう気か!!」
反応しない彼女に、怒りが頂点に達したのか、目の前の獣人が叫んだ。
それを聞いた瞬間、彼女は獣人を睨みつける。
「は?」
深い夜のような濃紺色の髪の間から、鋭い翡翠色の瞳が、ぎろりと獣人に向けられる。
それに射抜かれた瞬間、獣人の1人が震え上がった。
「……な、なんだ!その反抗的な目は!」
もう1人が吼える。
そちらも一別して、はっと二度目のため息を吐き出した。
「誰が人間だ。私は……」
「ちょぉっと待ったああああ!」
その瞬間、周囲に大声が響きわたった。
「え?」
「ぐぎゃ!!」
何が起こったのか理解するよりも前に、目の前にいた獣人が横に跳ぶ。
どさっと音がするのと同時に、目の前に銀色舞った。
それは髪だった。
後頭部で纏められた長い銀糸の髪が、目の前で揺れていた。
割り込んできたその持ち主は、こちらに背を向け、獣人たちの前に立ちふさがった。
「あんたたち、何か弱い女を虐めてんだよ!」
この声は、少し高い男性のようにも聞こえた。
「はあ!?なんだてめぇ!!」
「それはこっちのセリフだ!!」
混乱しつつも、もう1人の獣人が声を上げる。
それに、銀糸の人物はさらに大きな声で答えた。
「寄ってたかって無抵抗の奴を責めるとか、獣人って奴は野蛮だな」
「何だと!」
銀糸の人物の言葉に、おそらく殴り飛ばされたのだろう獣人が起き上がり、声を上げた。
「てめぇも人間のくせに!俺たちワーウルフを舐めやがって……!」
「人間?」
不意に、銀糸の人物の言葉が小さくなる。
「これ見ても、俺が人間だって?」
その途端、目の前に黒い物が広がった。
それは、銀糸の人物の背から広がる、翼だった。
真っ黒なそれを見て、獣人たちが息を呑み、声を上げた。
「黒い羽!?」
「ま、まさか堕天使族……っ!?」
堕天使とは、魔界の魔族の中でも高位の種族だ。
かつて神族だった者たちが、神界を裏切り、邪神に下った際に変質したことが、その種族の始まりだとされている。
元々下級とはいえ神々だった存在。
今でも、その力は亜人種よりも強い。
けれど、その目の前に広がった翼に、違和感を感じた。
魔族であるならば、その黒い翼は魔力を纏っているはずなのに。
目の前に広がった翼からは、違う力を感じたのだ。
「わかったらさっさと失せろ。この女は俺が貰う。いいな?」
銀糸の人物がぎろりと獣人たちを睨みつける。
「へ、へい!申し訳ありませんでした!」
2匹の獣人は、そう声を上げると、慌てた様子で立ち上がり、一目散に逃げ出していった。
彼らを睨みつけていた銀糸の人物は、その背が見えなくなった頃、漸くといった様子でふうっと息を吐き出した。
ばさりと音を立てて、翼が消える。
くるりとこちらを見た銀糸の人物は、にかっと笑った。
「大丈夫か?」
声をかけられ、我に返る。
「……ええ。ありがとう」
礼を告げると、目の前の人物は驚いたように目を丸くした。
それから、困ったように首を傾げる。
「んー。自分で何とかできたって顔だな。悪い、つい割って入っちまった」
たはは、と笑った顔に、思わず目を見張る。
余計にことを、と不満を感じてはいたけれど、それが顔に出てしまっているとは思わなかったのだ。
ほんの少し、相手に抱いた警戒心が強くなる。
そもそも、相手は背に翼を持つ、得体の知れない存在だ。
これ以上関わる必要はない。
「……面倒なことをせずに済んだから助かった。礼は言っておく。じゃあ……」
「お、おい!」
早足にその場を去ろうとした途端、焦ったような声に呼びかけられた。
無視して去ってしまえばよかったはずなのに、何故か、歩き出そうとしていた足が止まった。
「まだ何か?」
顔だけで振り返り、ぎろりと相手を睨む。
綺麗なその顔に浮かんだ不自然な表情は、それだけで向けた相手を萎縮させる力を持っていた。
けれど、銀糸の人物は、怯えた様子を見せなかった。
「絡まれたばっかりだし、街は危ないんじゃないか?」
心配そうにこちらに向けられた、蒼い瞳。
予想外のその反応に一瞬だけ怯んでしまう。
この気持ちを誤魔化すように、わざとらしく息を吐き出した。
「ご心配なく。私は人間ではないから」
その言葉に、銀糸の人物の目が見開かれる。
「……魔族?」
ぽつりと呟くように発せられた言葉に、返答はしない。
する必要も感じられなかった。
「なんで、人間なんて……」
「嘘はついていない。奴らがこちらを人間だと思って、勝手に騒いでいただけだ」
淡々とそう答えれば、銀糸の人物は、その目をますます見開いて。
「へえ……」
直後、楽しそうににかっと笑った。
その反応に、驚く。
「あんたすごいな。今、ぜんぜん強い魔力なんて感じないのにさ」
銀糸の人物が、にこにこと笑う。
魔族と並べば、警戒されると思っていたから、その反応は予想外だった。
予想外すぎて、驚きが表情に出てしまったのだろう。
「ん?何だ?」
銀糸の人物の、不思議そうな反応に、はっと我に返った。
それから、ふいっと顔を背ける。
「ぬけぬけと。あんたも堕天使ではないだろう」
そう吐き捨てるように言ってやれば、今度は相手が息を呑むような気配がした。
再び顔だけをそちらに向けると、驚いたような目を丸くした顔でこちらを見ていた。
「どうやって翼を黒く見せていたのか知らないが、あんたからは魔力以外の力を感じる」
問われてもいないのに根拠を告げる。
その言葉に一層目を見開いた銀糸の人物は、次の瞬間、盛大に息を吐き出した。
「へえ。すげぇな。今まで会った魔族に、俺のこと見抜ける奴なんていなかったのに」
素直に告げられた言葉は、銀糸の人物が魔族ではないと言うことを白状したと言っても過言ではないだろう。
堕天使ではないというのであれば、背中に翼を持つ理由なんて、ひとつしかない。
「……何故、神界ミルヴァの神が地上に……」
「ストップ」
問いかけようとしたその言葉は、強い口調で遮られた。
真っ直ぐにこちらを見る蒼い瞳に射抜かれたような感覚に陥る。
「俺、そんなすごいのじゃないから。下級神族……大昔に天使って呼ばれてた、下っ端も下っ端の種族だから」
顔は困ったように笑っていたが、その目は真っ直ぐにこちらを射抜いたままだ。
「あんたこそ、人間に近い姿をしてるんなら、高位魔族だろ?そんな奴が、なんでこんな辺境の国に、そんな格好でいるんだ?」
「…………」
返された問いに、答えることができない。
今の自分の格好は、旅装束だ。
少し前なら冒険者と呼ばれる者たちがよくしていたような格好と言えばいいのか。
少しよれて薄汚れている。
今、この世界を牛耳っている高位の魔族であれば、絶対のすることのないような服装をしていた。
自分の事情を、話ことなんてできるはずもない。
魔族とは敵対的な立場である神界の神族が相手ならば、余計に。
ほんの少しの間、沈黙が続いた。
黙って去ってしまってもいいはずなのに、何故かそうしてはいけないような気がして、動くことができずにいると、不意に大きなため息が聞こえた。
はっと視線を戻すと、銀糸の人物と目が合う。
その途端、相手はにっかりと笑った。
「なんかお互い事情あるみたいだし、ちょっとどこかで話さねぇか?」
そう投げられた誘いを、断ることができなかった。
近くの街の宿屋の一室。
銀糸の人物が、勝手に部屋を確保したと思ったら、そのまま部屋に連れ込まれる。
「さてと」
銀糸の人物が、部屋の奥にあるテーブルの前に立ち、椅子を引いた。
「まあ、座ってくれ」
にっかりと笑った銀糸の人物が、その椅子を進める。
椅子を勧められた当人は、その翡翠色の瞳で、相手をぎろりと睨んだ。
「こんな密室で席を勧められて、従うとでも?」
苛立ったような声でそう告げた途端、相手はきょとんとした表情になる。
「え?駄目なのか?」
首を傾げる相手の、その蒼い瞳を見て、驚く。
その目は、何が悪いかわからないと言わんばかりに、こちらを見ていた。
「……普通は警戒すると思うが」
「あ、そうか」
睨みつけたままそう返せば、相手は漸く何が悪いかわかったようだ。
「悪い。あんまり周りに聞かれない方がいい話だから、酒場や宿の食堂じゃ、まずいと思ったんだ」
人差し指で頬をかきながらそう言った相手は、本当に悪気がなかったように見える。
神族という奴は、みんなこうなのだろうか。
「……わかった」
ため息をつきたくなるのを堪えながら、席に着く。
それを見た相手も、ほっとしたような顔を浮かべ、席に着いた。
「さてと。とりあえず自己紹介だな」
「は?」
再び口にされた、理解できない提案に、彼女は思わず相手を睨みつけた。
その視線を受け、相手は首を傾げる。
「名前がわからないと話しにくいじゃん?いつまでも、あんたって呼ぶのも失礼かなって思ったし」
そこまで言って、睨まれた理由を察したのか、相手は慌てたように顔の前で両手を振った。
「あ、もちろん本名じゃなくていいぜ。俺たちの間のあだ名ってことで」
名前を知られ、素性がばれることを恐れている。
それは、双方同じだった。
だから、相手は慌てたように首を捻り、口を開いた。
「俺は……、えーっと、リディだ。よろしく」
考える間があった、ということはその名も本名ではないのだろう。
彼女はそう、納得する。
本名でないのなら、と口を開こうとして、踏みとどまる。
そう簡単に本名を明かすことはできない。
それは確かだ。
けれど、すぐに名前など、考えつくはずもない。
少しの思案の末、彼女は口を開いた。
「……シール」
口にした名前は、確かに故郷で呼ばれていた名前ではない。
けれど、それが本当の名前でないかと問われると、否定もできない。
ただ、他に思いつかなかったから、気づけばそう名乗っていた。
それは、幼かった遠い昔に、今は亡き父が、彼女を呼ぶときに口にしていた名前だった。
「シールな。よろしく」
そんな事情を知るわけもないリディが、にかっと笑って手を差し出す。
その意味は、知っていた。
きろりと睨むと、相手はにこにこと笑ってこちにを見つめる。
絶対に握り返すまで引っ込めない、と言わんばかりのその顔に、シールは何度目かわからないため息をついた。
渋々その手を握り返したそのとき、ふと違和感を感じた。
手の感触と、もうひとつ。
身体にちりっとした間隔が走ったような、力の流れ。
驚いた顔を上げたシールは、目の前のリディの顔を、まじまじと見つめた。
「……あんた、女?」
「えっ」
思わず尋ねれば、今度はリディの方が驚いた顔をする。
まん丸に開かれた蒼穹の瞳が、シールをまじまじと見つめる。
「よくわかったな。俺、しゃべりこれだし、声も低いから男だと思われること多いのに」
手を離しながら、リディが驚いたように尋ねる。
「……人間に近い種族の男は、こんなに肌が柔らかくはない。それに、魔力を感じれば、何となくわかる」
人間の男女では、通常は女性の方が手の肌は柔らかい。
その時点で疑問には感じたが、加えて身体を走り抜けた間隔が、目の前の相手が女性だと告げていた。
その説明に、リディはますます目を丸くした。
「……魔力でわかるとか、すごいな」
蒼穹の瞳が、まじまじとシールを見つめる。
その、先ほどとは様子の変わった様子のリディに、シールは思い切り眉を潜めた。
「……何だ?」
「……っと悪い。すごすぎてつい眺めちまった」
そんなにすごいことなのだろうかと、シールは首を傾げた。
そんな様子など気にしていない様子で、リディはこほんとひとつ、咳をついた。
「じゃあお互い名乗ったことだし、ちょっと話をしようか」
にこりと笑った彼女の言葉に、シールはどこか腑に落ちないと言わんばかりの目で見つめた。
「何ため息ついてるんだ、てめぇ!!」
そう吼えるのは、目の前にいる獣人だ。
人間のような体格をしているけれど、顔は狼。
灰色の狼のそれが、2人。
ここは街に近い街道のど真ん中。
200年くらい前は、そんなところで獣人と出くわすことはなかったと言うが、その時代から現代までの間にさまざまな変化が起き、今はこうやって獣人や魔族が闊歩している。
「てめぇ!人間のくせに、ワーウルフ族の俺たちに逆らう気か!!」
反応しない彼女に、怒りが頂点に達したのか、目の前の獣人が叫んだ。
それを聞いた瞬間、彼女は獣人を睨みつける。
「は?」
深い夜のような濃紺色の髪の間から、鋭い翡翠色の瞳が、ぎろりと獣人に向けられる。
それに射抜かれた瞬間、獣人の1人が震え上がった。
「……な、なんだ!その反抗的な目は!」
もう1人が吼える。
そちらも一別して、はっと二度目のため息を吐き出した。
「誰が人間だ。私は……」
「ちょぉっと待ったああああ!」
その瞬間、周囲に大声が響きわたった。
「え?」
「ぐぎゃ!!」
何が起こったのか理解するよりも前に、目の前にいた獣人が横に跳ぶ。
どさっと音がするのと同時に、目の前に銀色舞った。
それは髪だった。
後頭部で纏められた長い銀糸の髪が、目の前で揺れていた。
割り込んできたその持ち主は、こちらに背を向け、獣人たちの前に立ちふさがった。
「あんたたち、何か弱い女を虐めてんだよ!」
この声は、少し高い男性のようにも聞こえた。
「はあ!?なんだてめぇ!!」
「それはこっちのセリフだ!!」
混乱しつつも、もう1人の獣人が声を上げる。
それに、銀糸の人物はさらに大きな声で答えた。
「寄ってたかって無抵抗の奴を責めるとか、獣人って奴は野蛮だな」
「何だと!」
銀糸の人物の言葉に、おそらく殴り飛ばされたのだろう獣人が起き上がり、声を上げた。
「てめぇも人間のくせに!俺たちワーウルフを舐めやがって……!」
「人間?」
不意に、銀糸の人物の言葉が小さくなる。
「これ見ても、俺が人間だって?」
その途端、目の前に黒い物が広がった。
それは、銀糸の人物の背から広がる、翼だった。
真っ黒なそれを見て、獣人たちが息を呑み、声を上げた。
「黒い羽!?」
「ま、まさか堕天使族……っ!?」
堕天使とは、魔界の魔族の中でも高位の種族だ。
かつて神族だった者たちが、神界を裏切り、邪神に下った際に変質したことが、その種族の始まりだとされている。
元々下級とはいえ神々だった存在。
今でも、その力は亜人種よりも強い。
けれど、その目の前に広がった翼に、違和感を感じた。
魔族であるならば、その黒い翼は魔力を纏っているはずなのに。
目の前に広がった翼からは、違う力を感じたのだ。
「わかったらさっさと失せろ。この女は俺が貰う。いいな?」
銀糸の人物がぎろりと獣人たちを睨みつける。
「へ、へい!申し訳ありませんでした!」
2匹の獣人は、そう声を上げると、慌てた様子で立ち上がり、一目散に逃げ出していった。
彼らを睨みつけていた銀糸の人物は、その背が見えなくなった頃、漸くといった様子でふうっと息を吐き出した。
ばさりと音を立てて、翼が消える。
くるりとこちらを見た銀糸の人物は、にかっと笑った。
「大丈夫か?」
声をかけられ、我に返る。
「……ええ。ありがとう」
礼を告げると、目の前の人物は驚いたように目を丸くした。
それから、困ったように首を傾げる。
「んー。自分で何とかできたって顔だな。悪い、つい割って入っちまった」
たはは、と笑った顔に、思わず目を見張る。
余計にことを、と不満を感じてはいたけれど、それが顔に出てしまっているとは思わなかったのだ。
ほんの少し、相手に抱いた警戒心が強くなる。
そもそも、相手は背に翼を持つ、得体の知れない存在だ。
これ以上関わる必要はない。
「……面倒なことをせずに済んだから助かった。礼は言っておく。じゃあ……」
「お、おい!」
早足にその場を去ろうとした途端、焦ったような声に呼びかけられた。
無視して去ってしまえばよかったはずなのに、何故か、歩き出そうとしていた足が止まった。
「まだ何か?」
顔だけで振り返り、ぎろりと相手を睨む。
綺麗なその顔に浮かんだ不自然な表情は、それだけで向けた相手を萎縮させる力を持っていた。
けれど、銀糸の人物は、怯えた様子を見せなかった。
「絡まれたばっかりだし、街は危ないんじゃないか?」
心配そうにこちらに向けられた、蒼い瞳。
予想外のその反応に一瞬だけ怯んでしまう。
この気持ちを誤魔化すように、わざとらしく息を吐き出した。
「ご心配なく。私は人間ではないから」
その言葉に、銀糸の人物の目が見開かれる。
「……魔族?」
ぽつりと呟くように発せられた言葉に、返答はしない。
する必要も感じられなかった。
「なんで、人間なんて……」
「嘘はついていない。奴らがこちらを人間だと思って、勝手に騒いでいただけだ」
淡々とそう答えれば、銀糸の人物は、その目をますます見開いて。
「へえ……」
直後、楽しそうににかっと笑った。
その反応に、驚く。
「あんたすごいな。今、ぜんぜん強い魔力なんて感じないのにさ」
銀糸の人物が、にこにこと笑う。
魔族と並べば、警戒されると思っていたから、その反応は予想外だった。
予想外すぎて、驚きが表情に出てしまったのだろう。
「ん?何だ?」
銀糸の人物の、不思議そうな反応に、はっと我に返った。
それから、ふいっと顔を背ける。
「ぬけぬけと。あんたも堕天使ではないだろう」
そう吐き捨てるように言ってやれば、今度は相手が息を呑むような気配がした。
再び顔だけをそちらに向けると、驚いたような目を丸くした顔でこちらを見ていた。
「どうやって翼を黒く見せていたのか知らないが、あんたからは魔力以外の力を感じる」
問われてもいないのに根拠を告げる。
その言葉に一層目を見開いた銀糸の人物は、次の瞬間、盛大に息を吐き出した。
「へえ。すげぇな。今まで会った魔族に、俺のこと見抜ける奴なんていなかったのに」
素直に告げられた言葉は、銀糸の人物が魔族ではないと言うことを白状したと言っても過言ではないだろう。
堕天使ではないというのであれば、背中に翼を持つ理由なんて、ひとつしかない。
「……何故、神界ミルヴァの神が地上に……」
「ストップ」
問いかけようとしたその言葉は、強い口調で遮られた。
真っ直ぐにこちらを見る蒼い瞳に射抜かれたような感覚に陥る。
「俺、そんなすごいのじゃないから。下級神族……大昔に天使って呼ばれてた、下っ端も下っ端の種族だから」
顔は困ったように笑っていたが、その目は真っ直ぐにこちらを射抜いたままだ。
「あんたこそ、人間に近い姿をしてるんなら、高位魔族だろ?そんな奴が、なんでこんな辺境の国に、そんな格好でいるんだ?」
「…………」
返された問いに、答えることができない。
今の自分の格好は、旅装束だ。
少し前なら冒険者と呼ばれる者たちがよくしていたような格好と言えばいいのか。
少しよれて薄汚れている。
今、この世界を牛耳っている高位の魔族であれば、絶対のすることのないような服装をしていた。
自分の事情を、話ことなんてできるはずもない。
魔族とは敵対的な立場である神界の神族が相手ならば、余計に。
ほんの少しの間、沈黙が続いた。
黙って去ってしまってもいいはずなのに、何故かそうしてはいけないような気がして、動くことができずにいると、不意に大きなため息が聞こえた。
はっと視線を戻すと、銀糸の人物と目が合う。
その途端、相手はにっかりと笑った。
「なんかお互い事情あるみたいだし、ちょっとどこかで話さねぇか?」
そう投げられた誘いを、断ることができなかった。
近くの街の宿屋の一室。
銀糸の人物が、勝手に部屋を確保したと思ったら、そのまま部屋に連れ込まれる。
「さてと」
銀糸の人物が、部屋の奥にあるテーブルの前に立ち、椅子を引いた。
「まあ、座ってくれ」
にっかりと笑った銀糸の人物が、その椅子を進める。
椅子を勧められた当人は、その翡翠色の瞳で、相手をぎろりと睨んだ。
「こんな密室で席を勧められて、従うとでも?」
苛立ったような声でそう告げた途端、相手はきょとんとした表情になる。
「え?駄目なのか?」
首を傾げる相手の、その蒼い瞳を見て、驚く。
その目は、何が悪いかわからないと言わんばかりに、こちらを見ていた。
「……普通は警戒すると思うが」
「あ、そうか」
睨みつけたままそう返せば、相手は漸く何が悪いかわかったようだ。
「悪い。あんまり周りに聞かれない方がいい話だから、酒場や宿の食堂じゃ、まずいと思ったんだ」
人差し指で頬をかきながらそう言った相手は、本当に悪気がなかったように見える。
神族という奴は、みんなこうなのだろうか。
「……わかった」
ため息をつきたくなるのを堪えながら、席に着く。
それを見た相手も、ほっとしたような顔を浮かべ、席に着いた。
「さてと。とりあえず自己紹介だな」
「は?」
再び口にされた、理解できない提案に、彼女は思わず相手を睨みつけた。
その視線を受け、相手は首を傾げる。
「名前がわからないと話しにくいじゃん?いつまでも、あんたって呼ぶのも失礼かなって思ったし」
そこまで言って、睨まれた理由を察したのか、相手は慌てたように顔の前で両手を振った。
「あ、もちろん本名じゃなくていいぜ。俺たちの間のあだ名ってことで」
名前を知られ、素性がばれることを恐れている。
それは、双方同じだった。
だから、相手は慌てたように首を捻り、口を開いた。
「俺は……、えーっと、リディだ。よろしく」
考える間があった、ということはその名も本名ではないのだろう。
彼女はそう、納得する。
本名でないのなら、と口を開こうとして、踏みとどまる。
そう簡単に本名を明かすことはできない。
それは確かだ。
けれど、すぐに名前など、考えつくはずもない。
少しの思案の末、彼女は口を開いた。
「……シール」
口にした名前は、確かに故郷で呼ばれていた名前ではない。
けれど、それが本当の名前でないかと問われると、否定もできない。
ただ、他に思いつかなかったから、気づけばそう名乗っていた。
それは、幼かった遠い昔に、今は亡き父が、彼女を呼ぶときに口にしていた名前だった。
「シールな。よろしく」
そんな事情を知るわけもないリディが、にかっと笑って手を差し出す。
その意味は、知っていた。
きろりと睨むと、相手はにこにこと笑ってこちにを見つめる。
絶対に握り返すまで引っ込めない、と言わんばかりのその顔に、シールは何度目かわからないため息をついた。
渋々その手を握り返したそのとき、ふと違和感を感じた。
手の感触と、もうひとつ。
身体にちりっとした間隔が走ったような、力の流れ。
驚いた顔を上げたシールは、目の前のリディの顔を、まじまじと見つめた。
「……あんた、女?」
「えっ」
思わず尋ねれば、今度はリディの方が驚いた顔をする。
まん丸に開かれた蒼穹の瞳が、シールをまじまじと見つめる。
「よくわかったな。俺、しゃべりこれだし、声も低いから男だと思われること多いのに」
手を離しながら、リディが驚いたように尋ねる。
「……人間に近い種族の男は、こんなに肌が柔らかくはない。それに、魔力を感じれば、何となくわかる」
人間の男女では、通常は女性の方が手の肌は柔らかい。
その時点で疑問には感じたが、加えて身体を走り抜けた間隔が、目の前の相手が女性だと告げていた。
その説明に、リディはますます目を丸くした。
「……魔力でわかるとか、すごいな」
蒼穹の瞳が、まじまじとシールを見つめる。
その、先ほどとは様子の変わった様子のリディに、シールは思い切り眉を潜めた。
「……何だ?」
「……っと悪い。すごすぎてつい眺めちまった」
そんなにすごいことなのだろうかと、シールは首を傾げた。
そんな様子など気にしていない様子で、リディはこほんとひとつ、咳をついた。
「じゃあお互い名乗ったことだし、ちょっと話をしようか」
にこりと笑った彼女の言葉に、シールはどこか腑に落ちないと言わんばかりの目で見つめた。
2026/01/18