Chapter5 伝説のゴーレム
12:舌戦
「赤美っ!!」
ばんっと机を叩く音と共に名前を叫ぶ声が耳に入る。
自分の席で腕を組んだまままどろんでいた赤美は、その声に意識を覚醒させた。
「……何?」
不機嫌を隠さずに目の前の友人を睨みつける。
続けられる言葉なら予想はついた。
自分たちの中で一番感情の起伏の激しい彼女だ。
今この状況で、ここまで興奮して言うことなどひとつしかない。
「やっぱりあたしは納得できない!」
言うと思った。
そんな言葉は口には出さず、大きなため息をひとつ吐き出す。
「何が?」
知らないふりをして聞き返してやれば、怒ったのか相手は顔を真っ赤にした。
「決まってるでしょうっ!百合と……」
「沙織っ!!」
叫ぼうとした言葉は、別の方向から叫ばれた名前に遮られた。
目の前の相手が驚いて、自分はゆっくりと視線を向ければ、そこにいたのは教室にいなかったはずのそれぞれの親友。
「部屋以外でその話をするのは禁止って言ったの覚えてないの?」
近づきながらぎろりと睨まれ、目の前の友人は思わず口籠る。
睨んだ親友の瞳がほんの少し青く見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。
「でも……」
「でもじゃない。この問題は理事部のトップシークレットだ。そう簡単に漏らしていいものではないんだぞ」
遅れて教室に入ってきたもう1人の友人の言葉に、今度こそ目の前の友人は口を閉ざした。
その代わりと言わんばかりに自らの拳をぎゅっと握る。
その色が瞬く間に白くなっていくことに気づき、赤美は小さくため息をついた。
「美青。昼休みってあとどれくらい残ってるっけ?」
「……時計見なさいよ。あと30分はあるよ」
呆れ気味に、けれどもしっかりと答えてくれた親友に礼を言うと、机の上に置きっぱなしだったパンの袋を掴んで立ち上がる。
「話がしたいんだったら来な」
黙り込んだ相手にそう告げると、赤美はさっさと教室を出ていった。
向かった先は彼女たちの校舎の屋上。
昼休みだというのに食事をする生徒の姿はない。
それもそのはず、ここは数日前に理事部が独断で一時立ち入り禁止とし、鍵をかけた場所だった。
その鍵は教員には返さず、理事部がそのまま持っている。
理由はあの日――襲撃者が現れた日に、屋上のフェンスが壊されたため。
当然それは建て前で、何かあったときに理事長室まで行かずに相談ができるようにと赤美が提案した結果だった。
今ここに残っているのは石になってしまった2人を覗けばルビー、タイム、レミア、ペリドット、そしてフェリアの5人だけだ。
クラスは違うが、皆同じ階で学ぶ同じ学年の生徒。
理事長室に行くより屋上に集まった方が早いと判断したのである。
屋上の扉を開けて中に入る。
フェンスの方へと進み、後ろで扉が閉じたことを音で確認してから、赤美はくるりと振り返った。
「……で、何が言いたいの?あんた」
発せられたのはどこか呆れの混じった声。
その声に何を思ったか、相手――沙織はぎろっと赤美を睨んだ。
「だから何度も言ったでしょう!やっぱりあたしは納得できない!」
「何を?」
「決まってるでしょうっ!百合と陽一のことよっ!」
先ほどと一字一句全く同じ言葉を発したことに、彼女は気づいているのだろうか。
そんなどうでもいいことを考えて、赤美は何度目かのため息をついた。
「実沙が説明したでしょう。納得できなくてもしなくちゃならないの」
あからさまに呆れたという口調で言ってやる。
けれど、彼女がこれで納得するような性格でもないことは百も承知だ。
「できるわけないでしょうっ!!」
先ほどよりも大きな声で言い返されて、思わず扉の方をちらりと見た。
おそらく美青と英里が――気づいてくれれば実沙も――下で対策をしてくれているはずだけれど、聞こえてしまったらどうしようという不安はある。
今の言葉ならばなんら問題はないが、自分たちの正体に関わる言葉だったら大変だ。
「沙織、もうちょっと声を……」
「大体あの2人だけで行ったのに、どうしてあんたたちは落ちついてられるのよ!」
「沙織……」
「陽一の実力の程度だって、百合の余裕のなさだってわかってるんでしょう!なのに何で……」
「レミア!」
本来の名を呼ばれ、びくっと沙織の肩が跳ねた。
驚いたのは名前を呼ばれたことだけではない。
発せられた赤美――ルビーの声が、今までに聞いたことがないほど低かったことに驚いたのだ。
低いといっても所詮は女のそれ。
極端に低くなることはなかったけれど、恐かった。
赤美がそんな声を出すのは、心の底から怒っているときだけだったから。
「……あたしだって、できれば今すぐ飛んでいきたいと思うよ」
きっぱりと言われた言葉に思わず目を見開く。
赤美がそんなことを口に出すとは思わなかったのだ。
考えていない、とも思ってはいなかったけれど。
「でも今からじゃ、いくら向こうはこっちの半分しか日が経っていないにしたって、2人はもうエスクールにはいないだろうし、次の行き先はわからない。追いかけようがないよ」
「そんなの!向こうにいる誰かに聞けば……」
「あんたたちがそうだったからって、あの2人が絶対に誰かと接触してるとは限らない。仮に誰かと接触していたとしても、口止めくらいしてるでしょう」
きっぱりと告げた言葉に返す言葉がないのか、思わず沙織が押し黙る。
「く、口止めしてたとして、吐かせれば……」
「無駄だね。接触してる可能性の高い2人が簡単に口を割るとは思えない」
漸く搾り出した言葉をあっさりと否定する。
もし自分の予測が当たっているならば、ミスリルが得ようとしている精霊神法は今回の騒動の原因でもある人形師の伝説だろう。
そうであるなら、彼女たちはマジック共和国を訪れてはいないはずだ。
あの国には、それを探したくて堪らないリーナがいる。
話をしてしまえば、ついて来ると言い出すことは明白。
自分たちの追跡を拒否したミスリルが、そんな行動をするとは思えない。
だとすると、接触した可能性が高いのはエスクールのミューズと、最近会議などであの国を訪れる機会の多いアールということになる。
その2人とも、一度交わした約束を簡単に破ってしまえるような性格はしていないはずだ。
「でも……っ!!」
「でももヘチマもない」
まだ食い下がろうとする沙織を睨みつけて言い捨てる。
「そもそもあんた、タイムの時は納得してたじゃない。何でミスリルにはそこまで拘るの?」
「それは……」
言いかけて、言葉を止めた。
そのまま固まってしまった沙織を見て眉を寄せる。
「それは?」
「それは……」
鸚鵡返しに聞けば、全く同じ言葉が返ってくる。
「……わかんないわけ?」
呆れたように聞けば、沙織はこくりと頷いた。
そんな彼女を見て、赤美は小さくため息をつく。
こりゃ前回のことが相当トラウマになってるなぁ……。
前回というのは、当然あのエルザという女が起こした事件のこと。
あの時フェリアが連れ去られてからレミア――沙織の仲間に対する執着心が強くなってしまったような気がする。
「それに、タイムの時は妖精神殿の警護って言う理由があったじゃない。あたしたちだけ安全なここでのうのうと過ごしていたわけじゃないし……」
「だったら今だってあの時と状況同じでしょう」
「どこがっ!!」
「理事資料室の警護」
あっさりと言われた言葉に、沙織ははっと目を見開いた。
理事資料室――理事長室から繋がるあの資料室の奥には今、石になってしまったセレスとベリーがいる。
それをそのまま放置しておいた場合の危険性は、ルビーとペリドットから散々言われたばかりだ。
壊されでもしたら助けることはできないだろう、と。
それを一番心配している2人が交代で理事長室に泊まり込んでいることも知っている。
「はっきり言って、今の方が魔妖精の時より危険度が高い。今誰か1人欠けられても困るのよ」
何だかんだ言っても、妖精神の警護を任されていたあの村の妖精たちは戦う術を持っていたから。
対して、今のセレスとベリーは何もできないのだ。
何も――話すことさえ。
「……わかった。もう言わない」
握り締めていた拳の力を抜いて、吐き出すようにそう告げた。
ずっとこちらを睨むように見ていた赤美の視線が漸く緩む。
「じゃあもうこの話はおしまい。今度何か言っても、次は話聞いてやったりしないからね」
先ほどより軽い口調で、それでも声の高さを変えずに言うと、沙織はこくりと頷いた。
そのまま踵を返し、何も言わずに扉の方へと歩いて行く。
意気消沈してしまった様子の友人が扉の向こうへ消えると、赤美は大きなため息をついた。
「まったく……。あいつはあたしを心労で殺す気か」
ここにはいない友人に向かって悪態をつく。
実際彼女たちがいなくなってからの気疲れは相当なものだ。
ミスリル、リーフ、セレス、ベリーの不在を誤魔化し、短期休学をもぎ取ることから始まり、普段はミスリルがしていた仕事を全て残った自分たちだけで片付けねばならない。
夜は実沙――ペリドットと交代で理事長室に張り込んでいるため、いつも以上に睡眠不足。
だから昼間はタイムに任せて教室で居眠りしているのだけれど。
ちなみにフェリアには放っておくと暴走しかねないレミアの見張りを頼んでいた。
「……そういえば、戻ってきたって事は美青、あたしに何か用だったのかな?」
寝不足で少し痛む頭で考える。
そうでなければ、彼女は休み時間終了ぎりぎりまで理事長室にいるはずだったから。
「さっさと戻って聞いてみよ……」
言いかけて、響いてきた音に顔を上げた。
スピーカーから鳴り響くのは、紛れもなくチャイムの音。
「……始まっちゃったよ」
寝られなかったとぶつぶつ文句を言いながら、彼女は早足に扉の向こうへ姿を消した。